布原三重連
スライドシショーは画面右下のX印で大きな画像でみられます。
静かに三重連の貨物列車が布原信号所に滑り込んだ。
下り列車を待った。三重連の機関車の煙がしだいに濃くなっていく、石炭の量を増やし蒸気圧を上昇させているのが判る。間もなく下り列車が到着して発車した。蒸気機関車の煙突から黒煙が蒸気とともに吐き出される。駅員が機関車の前で発車の指示を出した。いよいよ発車である。
汽笛が三つ静寂の谷間に響いた。白煙とドレンを排出しながら列車が発車する。
トンネル目指し三台がフルパワーで駆け上る。線路の風景をかき消すほどの煙
撮影をしながら自分の鼓動の高鳴りが判る。いかん落ち着け、冷静になれない自分に言い聞かせる。やがて煙と走行音を残して鉄橋を越えトンネルに吸い込まれていく。その間一分も満たないドラマである。
奥羽本線の三重連がなくなり伯備線の三重連が最後となりSLブームもあいまって多くの人が布原詣でをした。トンネル入り口の急な斜面に鈴なりになり撮影するカメラマン。
あの頃撮影された膨大な写真はどうしたでしょうか。
あの頃撮影した人も多くは還暦を迎えられていると思う。
きっと青春の一ページであったのに違いない。
私にもその光景は青春の1ページであった。今も時々、夢に出るしあれほど感動と興奮する被写体に出合う事はすくなくなった。
布原は阿哲峡とよばれる渓谷の底にある信号所、新見駅と神代駅の区間が長いために列車の交換するために設けられた信号所で乗降もできる。
布原はそんなに急勾配ではない。信号所で下り列車を待って発車し登りのトンネルに入るため荷物の量によっては3重連運用となった。SLブームになってからは鉄道ファンへのサービスで一便だけ3重連運用としてくれた。
昭和47年3月 新幹線岡山開業を迎えるように布原の三重連は姿を消した。
スライドシショーは画面右下のX印で大きな画像でみられます。
静かに三重連の貨物列車が布原信号所に滑り込んだ。
下り列車を待った。三重連の機関車の煙がしだいに濃くなっていく、石炭の量を増やし蒸気圧を上昇させているのが判る。間もなく下り列車が到着して発車した。蒸気機関車の煙突から黒煙が蒸気とともに吐き出される。駅員が機関車の前で発車の指示を出した。いよいよ発車である。
汽笛が三つ静寂の谷間に響いた。白煙とドレンを排出しながら列車が発車する。
トンネル目指し三台がフルパワーで駆け上る。線路の風景をかき消すほどの煙
撮影をしながら自分の鼓動の高鳴りが判る。いかん落ち着け、冷静になれない自分に言い聞かせる。やがて煙と走行音を残して鉄橋を越えトンネルに吸い込まれていく。その間一分も満たないドラマである。
奥羽本線の三重連がなくなり伯備線の三重連が最後となりSLブームもあいまって多くの人が布原詣でをした。トンネル入り口の急な斜面に鈴なりになり撮影するカメラマン。
あの頃撮影された膨大な写真はどうしたでしょうか。
あの頃撮影した人も多くは還暦を迎えられていると思う。
きっと青春の一ページであったのに違いない。
私にもその光景は青春の1ページであった。今も時々、夢に出るしあれほど感動と興奮する被写体に出合う事はすくなくなった。
布原は阿哲峡とよばれる渓谷の底にある信号所、新見駅と神代駅の区間が長いために列車の交換するために設けられた信号所で乗降もできる。
布原はそんなに急勾配ではない。信号所で下り列車を待って発車し登りのトンネルに入るため荷物の量によっては3重連運用となった。SLブームになってからは鉄道ファンへのサービスで一便だけ3重連運用としてくれた。
昭和47年3月 新幹線岡山開業を迎えるように布原の三重連は姿を消した。
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