撮影場所 福岡県田川線油須原(ゆすばる)駅
油須原駅の駅の正面と木の椅子を撮っている写真があった。
断片的に蒸気機関車の写真に混ざってこんな写真が残っている。
駅を撮るなら徹底して撮るべきであった。何事も中途半端である。
40年という時間が経過したら、その写真が時代の証言者になる。
人の記憶は実に曖昧だ、時代とともに記憶が上書きされたり印象に残った部分だけが誇張されて記憶に残ったりする。やはり写真に残さないと正確に時代は語れない。
駅舎も木造板張り、ダルマポストと公衆電話見がどこの駅にもあった。
ダルマポストと公衆電話も姿を消した。
椅子も木の椅子である。昭和30年後半からプラスチックや新建材、アルミ製品や鉄、ステンレス製品で建物も製品も変化していった。
木材も日本の杉などからラワンなどの木目のない南洋材に変わって行った。
木を接着剤で貼り付けた合板に変わっていった。天然の一枚板を使っていた以前の木の製品は素晴らしい味わいがある。
油須原駅の駅の正面と木の椅子を撮っている写真があった。
断片的に蒸気機関車の写真に混ざってこんな写真が残っている。
駅を撮るなら徹底して撮るべきであった。何事も中途半端である。
40年という時間が経過したら、その写真が時代の証言者になる。
人の記憶は実に曖昧だ、時代とともに記憶が上書きされたり印象に残った部分だけが誇張されて記憶に残ったりする。やはり写真に残さないと正確に時代は語れない。
駅舎も木造板張り、ダルマポストと公衆電話見がどこの駅にもあった。
ダルマポストと公衆電話も姿を消した。
椅子も木の椅子である。昭和30年後半からプラスチックや新建材、アルミ製品や鉄、ステンレス製品で建物も製品も変化していった。
木材も日本の杉などからラワンなどの木目のない南洋材に変わって行った。
木を接着剤で貼り付けた合板に変わっていった。天然の一枚板を使っていた以前の木の製品は素晴らしい味わいがある。
わたらせ鉄道足尾駅舎、北条鉄道長駅舎でも同様の情景を見ました。
鉄道模型のジオラマにしたいものです。