中央線小淵沢は小海線のC56蒸気機関車の基地でもあった。
小海線に行く前に立ち寄った。
給水や給炭のためC56形蒸気機関車が停車いた。
気動車も古い、木造の庫、風景自体が黒ずんで蒸気機関車のいたころの風景である。
これが昭和の風景だったように思う。
林芙美子の放浪記に尾道を描いた一節がある「海が見えた。海が見える。五年振リに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さな町の屋根が桃燈(ちょうちん)のように拡がって来る。赤い千光寺の搭が見える、山は爽やかな若葉だ。縁色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしてゐる。私は涙があふれてゐた」
汽車の煤で街が煤けていた、屋根瓦も黒く板壁も黒く黒ずんだ風景が日本の沿線風景だった。決して美しい風景でも未来のある風景ではなかったが、こんな風景に懐かしさを覚える。
小海線に行く前に立ち寄った。
給水や給炭のためC56形蒸気機関車が停車いた。
気動車も古い、木造の庫、風景自体が黒ずんで蒸気機関車のいたころの風景である。
これが昭和の風景だったように思う。
林芙美子の放浪記に尾道を描いた一節がある「海が見えた。海が見える。五年振リに見る、尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さな町の屋根が桃燈(ちょうちん)のように拡がって来る。赤い千光寺の搭が見える、山は爽やかな若葉だ。縁色の海向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしてゐる。私は涙があふれてゐた」
汽車の煤で街が煤けていた、屋根瓦も黒く板壁も黒く黒ずんだ風景が日本の沿線風景だった。決して美しい風景でも未来のある風景ではなかったが、こんな風景に懐かしさを覚える。
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