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撮影場所 北海道留辺蘂 石北本線常紋
常紋は石北本線の生田原と金華間にあった信号所。駅の区間が長く峠の頂上に信号所を設けて列車待ちをする線路が上下線に敷設されていた。
300メートルの峠越えは難所で重連の蒸気機関車がゆっくりと登ってきた。
今も撮影に行く人はいるようだが車で途中まで行くのであろうか。
その当時は信号所も蒸気機関車の撮影ファンのために停車してくれた。
人家はまったくないので昼の食事や飲み物は準備が必要だった。
常紋のトンネルは大正3年に完成したが囚人など使い造られた。
タコ部屋の栄養失調で多くの犠牲者がでた。
昭和43年の十勝沖地震で壁が崩落した中から立ったままの人骨がでたりで幽霊の出るトンネルでも有名である。死んだ人の嗚咽が聞こえるという人もいる。
しかし下り列車を撮影するためにトンネルを通り生田原側にでる必要があった。
私も撮影のため2往復した。
トンネルを歩いて通るので列車のダイヤを確認しておく必要がある。また駅員に臨時列車の予定も確認した。
ダイヤ表は撮影のための必需品であった。駅員にダイヤ表を見せてもらい書き写していた。
SLブームになり鉄道雑誌の付録や別冊で売られるようになった。
写真はトンネルから重連のSLが出てくるのを撮影した。
トンネル出口の雪の斜面と木々の影が半逆光になっていて面白いので撮影した。
常紋は石北本線の生田原と金華間にあった信号所。駅の区間が長く峠の頂上に信号所を設けて列車待ちをする線路が上下線に敷設されていた。
300メートルの峠越えは難所で重連の蒸気機関車がゆっくりと登ってきた。
今も撮影に行く人はいるようだが車で途中まで行くのであろうか。
その当時は信号所も蒸気機関車の撮影ファンのために停車してくれた。
人家はまったくないので昼の食事や飲み物は準備が必要だった。
常紋のトンネルは大正3年に完成したが囚人など使い造られた。
タコ部屋の栄養失調で多くの犠牲者がでた。
昭和43年の十勝沖地震で壁が崩落した中から立ったままの人骨がでたりで幽霊の出るトンネルでも有名である。死んだ人の嗚咽が聞こえるという人もいる。
しかし下り列車を撮影するためにトンネルを通り生田原側にでる必要があった。
私も撮影のため2往復した。
トンネルを歩いて通るので列車のダイヤを確認しておく必要がある。また駅員に臨時列車の予定も確認した。
ダイヤ表は撮影のための必需品であった。駅員にダイヤ表を見せてもらい書き写していた。
SLブームになり鉄道雑誌の付録や別冊で売られるようになった。
写真はトンネルから重連のSLが出てくるのを撮影した。
トンネル出口の雪の斜面と木々の影が半逆光になっていて面白いので撮影した。
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