懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

昭和の遺物たち 農作業 干す 2

2016年02月10日 | 昭和の遺物たち写真展
農作業 干す 今回は稲を干す風景。鳥取県西部で撮影
稲を干すための足場は稲架(はさ)と呼ばれている。
各地で組み方や材料が違う。
竹の豊富な地域では竹を使い三又の足に竹竿を掛ける。
普通は一段だが山陰や山間部では10段積みも見かける。

東北に行くと雪の多いところでは竹がないので丸太を使い棒杭と言っていた。
今でも棒杭に稲を干している風景はよく見かける。スズメのように見える。
私も東北で初めて見て感動した。
外人の観光客が多数くるようになった。日本の水田と稲を干している風景は人気があるようだ。広い畑は外国にもあるが山や山里と水田が一緒になった風景は外国人には新鮮に感じるそうだ。
新潟などは杉の木立に丸太をわたし稲を10段積みで干している。

干し方も各地でいろいろな形があり面白い。
できる事なら近くに茅葺がほしいところだ。こんな風景が次第に消えている。
また、こんな写真は稲刈りのあと数週間でないと見えないので行動することだ。


私の鉄道遺産

2016年02月09日 | 蒸気機関車
鉄道遺産の本から自分の撮った鉄道写真の中から鉄道遺産をさがしてみたい。
写真を組み合わせて一つの写真としてみたい。
鉄道のほかには昭和遺産というテーマでもまとめてみたいと思うようになった。

○○遺産と言われるようになったのは1972年に世界遺産がユネスコから発表された。
遺跡や伝統的建造物、貴重な自然景観や生態系を後世に残すために制定された。
日本の世界遺産登録は1992年である。
その後、日本でも近代化産業遺産や土木建築遺産、日本遺産が生まれた。

私が鉄道の写真を撮っていた頃は鉄道遺産こんな言葉はなかった。
しかし、今思えば鉄道遺産の宝の山だった。
蒸気機関車の廃止で消えた施設、消えた機関車、モータリゼーションで斜陽化した地方の鉄道、廃線や無人化、客車の廃止、貨物輸送の縮小による貨車の廃止とヤードの縮小、老朽駅舎、

蒸気機関車も昭和30年代から撮っていた人はこんな施設も撮っている。フィルム感度も低くカメラの性能も悪かったので動く被写体は撮りにくかった点もある。
SLブーム以降は数年後に迫ったSLの廃止に走っている勇姿を撮るのが先決だった。
撮影地ガイドブックを持ってである。

鉄道遺産にしても設備が機能している設備、状態を撮りたい。遺跡では価値が半減する、これは茅葺民家などにも言える。人の住んでいない保存民家では面白くない。

どんな物を鉄道遺産とするか、自分の裁量で決める。
1.走行写真は遺産の対象としない。走行写真として見たほうがよい。
2.遺産もバランスシートの言葉を引用して流動遺産と固定遺産に分かれるのではないか
 固定遺産 機関庫のように同じ場所に設置されているもの。流動遺産、動く物、時々刻々変 化するもの、機関車や駅の風景、郊外の鉄道沿線風景

上の写真 石北線常紋 腕木信号やスイッチバックの線路、SLの交換風景が消えた風景
下の写真 倶知安機関区 給炭や灰の掃除をする。木造の建物も見掛けない


岡山の茅葺き民家  旧奥津町

2016年02月08日 | 茅葺き民家
岡山県の茅葺民家を最初に撮ったのは奥津町だった。
現在は苫田ダムが出来て奥津町の平野部の大半が水没し町に活気が消えた。
ダム建設予定地の茅葺民家を撮った。反対派は家々に反対のポスターを掲示していた。
ダムができると消える集落を使命感のような物を感じて撮影した。
苫田ダムは闘争の歴史は長かったが建設に入ったら完成までは早かった。
しかし、ごく初期のネガが見当たらない。

最初の頃の写真は下手くそである。映像が小さかったり何を撮ろうとしたのかわからなかったりで使い物にならない。蒸気機関車の写真も最初の頃のは使えない。
技術も伴わないのに撮るだけは撮る、
失敗しないと分らない気付かない性格はこまったものだ。

この茅葺民家のエリアは水没地帯でなかったので現在も残っている。

茅葺き民家 米沢市の茅葺民家

2016年02月07日 | 茅葺き民家
撮影場所 米沢市入田沢

入田沢はは米沢から福島県の喜多方に抜ける道沿いにある。
小さな峠を越えたら川西町の玉庭にいたる。
何度も通った道である。
定年になれば東北を何ケ月も旅をしたいと思っていた。
しかし、運転も歩行もできなくなり諦めた。
山形県の川西町玉庭などは一週間滞在して人々の暮らしと民家を撮りたかった。
旅行でちらった立ち寄り撮影するのではなくじっくりと朝から晩まで撮ってみたかった。

東北の民家は重量感がある。保存された民家でなく人が生活しているのがうれしい。
地域の遺産でもある。
今は昭和遺産や明治遺産や世間遺産と、遺産ばやりである。
みんなが騒ぎ立てる前にこんな民家遺産を映像に残している。

この地区にも何軒か茅葺きがあったが今は一軒になった。


日本茅葺紀行 NO,270 大分県国東半島の民家

2016年02月06日 | 日本茅葺紀行
国東半島に茅葺民家があるとのことで行っててみた。
国道10号線は走ったが半島には行った事がなかったのてで行ってみた。
国東半島は両子山の火山活動でできたようただ。
火山活動をしていたら桜島のように見えるだろう。

山の岩も火山岩や凝灰岩が多い。
凝灰岩で加工もしやすかったので磨崖仏も多いのか。

国東半島の杵築市に歌手の南こうせつ氏の自宅農園があるようだ。
フォークが下火になり公演が減りのんびりと農業生活をしていたようだ。
国東半島、のんびりした農村風景だ。
茅葺民家を撮って磨崖仏を見学

茅葺民家は小屋と母屋の二棟、昔のままの民家だった。


昭和の遺物たち 農作業 干す

2016年02月05日 | 昭和の遺物たち写真展
今回から三回農作業の干すをお送りします。

穀物も農産物も干すことで水分がへり保存がきくようになる。
温かい時期に収穫して寒い作物の作れない時期に貯蔵したものを食べ長い間餓えをしのいできた。
穀物は干すことで長期保存がきき味もよくなる。
生活するうえで食べ物があり一日に二度か三度食べられるが一番ありがたい事だ。
古代人は一年間食べられるよう一生懸命働いてきたとおもう。


日本でも食べるものがなく餓死する人がいる。
難民で食べる事が精一杯の人もいる。
三食食べられることに感謝である。起きて三食寝て一畳と言われたように贅沢は必要ない。
私は大食い番組や贅沢なグルメ番組は嫌いでみなない。
穀物がどのようにどこで作られているか知っていればよいが

昔ながらに筵で豆を干す藁で編んだ俵の風景が懐かしい。

兵庫県小野市で撮影


蒸気機関車 長万部機関区

2016年02月04日 | 昭和の遺物たち写真展
長万部機関区にD52蒸気機関車、日本の蒸気機関車で一番の力持ちである。
D51より一周り大きい。北海道の函館本線と室蘭本線に最後の活躍の場としていた。
戦後の復興を支えた機関車でもある。

読売新聞の日曜に掲載されれる本の紹介に鉄道関係の本が八冊あった。
本は売れないと言いながら鉄道ファンはそれなりにいるので売れるのだろう。
紹介のあった本は1.忘れじの温泉電車、2.伝説のブルートレイン全列車
3.知られざる鉄道遺産 4.昭和の終着駅 汽車のあった風景等

関心のあったのは鉄道遺産、私が蒸気機関車を撮っていた頃は鉄道遺産や近代化遺産の言葉はなかった。
みんな蒸気機関車ばかりに目がいっていた。こんな言葉があればもっとみんな建物などに興味をもったと思う。人間はみんなが騒ぎ出さないと乗ってこない。ファーストペンギンにはなかなかなれない。人がやりださないと動かない。
私も鉄道設備も遺産になるという考えがあればもっと違った視点で撮れたとおもう。
先入観としてあったのは明治以降の物は国の文化財にはなりにくい。コンクリートの建物は文化財の価値がない。こんな考えが根底にあったようにおもう。

鉄道遺産については本のタイトルをパクッテ、忘れじの鉄道遺産と名付けてブログなり写真展にしてみたい。私の数少ないネガから鉄道遺産に該当するものリストアップしてみる。

写真を撮るのもボケーと撮ってはいけないとつくづく思う。
しっかりとテーマをもって徹底して撮り物語にしないといけない。

岡山の茅葺き民家  雪の加茂町

2016年02月03日 | 茅葺き民家
岡山北部には百日雪の下の言葉がある。12月中旬から三月中半までは雪が降ったり雪が残るということであろう。雪や大雨梅雨、台風は災害を伴うので嫌われるが狭い日本に一億二千万の人口を養うためには水は欠かせない。
しかも水道水をそのまま飲めるのはありがたいことだ。
冬の雪は冬場の水不足には欠かせない。
関東平野など人口は多いし平野で貯水能力も少ないところでは群馬や栃木埼玉の高山の積雪が頼りである。

寒波の襲う時の豪雪はいろいろな方面で災害を起こす。ホワイトアウトに襲われて命を落とす人もいる。暴風雪の被害は民家のない大陸での事かとおもったら日本でもおきる。

茅葺も雪に弱い、雪降ろしをしない空き家などは屋根の茅全体が抜けて落下している家を見た事がある。一メートルも降ると雪は脅威でもある。



茅葺き民家 茅の葺き替え 京都府美山町

2016年02月02日 | 昭和の遺物たち写真展
美山町に撮影に行っていた時に葺ふき替えをしていたので撮らせてもらう。
葺き替え作業は一連の作業として記録するのなら意味もあるがちょこっと立ち寄り撮影
撮影旅の途中では撮りにくいテーマである。
するのはどうかと思った。
しかも私のように歩けない者が撮れる写真ではない。

葺き替えの一連の作業は岡山の地元の業者が葺替えるのを2軒撮ったことがある。
岡山の茅葺職人さんと話しをしていたら岡山大学の女子学生が卒業論文のテーマにして毎日通った人がいるといっていた。
私も葺き替えを見るまでは茅葺の葺き方も知らずに撮影していた。


日本茅葺紀行 NO,269 山形県朝日町の茅葺き民家

2016年02月01日 | 日本茅葺紀行
茅葺民家の写真はこのように住む人のプライバシーにまで立ち入って撮影する罪作りな趣味である。いつも申し訳ないと思いながら撮影させてもらっている。
しかし、人の生活まで立ち入ることでいろいろ勉強になることも感ずることもある。

茅葺民家の撮影は観光旅行とまるで違った旅行である。
宿泊場所は決めてあるが到着はわからない。
食べるものはご馳走はまずない。郷土料理も食べたいがそばくらいのものだ。

昼間の貴重な時間に店で時間待ちをして食べるは惜しい。昼はコンビニ、夜はチェーン店でお世話になることが多い。
自分ひとりならば食べ物はなんでもよい。
目的が茅葺民家がうまく撮れればよい。
味気ない旅と思われるが本人がみじめにならなければそれでよい。

釣りをする人は餌には1万円も使うが自分の昼飯はおにぎり2個と飲み物だけ。
何か似ている。