懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

私の昭和鉄道遺産 その40  煙立つ

2017年08月21日 | 私の昭和鉄道遺産
私の昭和鉄道遺産は建造物、設備や機関車本位の静止した風景をお送りします。
今考えてみると駅や機関区の消え去った風景はすべて鉄道遺産だったのではないかと思う。

鉄道の写真を撮っていた頃は鉄道遺産という言葉は使われておらず漠然と撮っていたようにおもう。古い設備、消える運命にある設備に骨董価値を見出して撮っていた。

直方機関区の広いヤードにあちらこちらから煙が見える。煙を見てあの匂いを嗅ぐと心躍るのである。線路の横断はできず長く遠回りして移動する。標準レンズだけでは厳しかった。

いまだに夢に蒸気機関車が出てくる。カメラはフィルムカメラのままデジタルになっていない。フィルム切れで目が覚める。

懐かしい物 古い国電

2017年08月20日 | 懐かしい物
撮影場所 山陽線姫路駅

姫路駅のホームに古い国電が停車していた。
戦前に作られた電車はゲタ電と呼ばれ下駄ばきで電車に乗る人がいたのでこの名がつく。
1970年代には山陽線も走っていた。
宇野線、福塩線など電化された枝線にはこの電車が活躍していた。

蒸気機関車には興味があったが電車は全く分からなかった。
この電車の型式はクハ16系?
古い物、懐かしい物、無くなりそうな物はとりあえず撮る考えで撮っていた。

タマタマ撮っていた程度である。

タマタマ撮る程度ではいけなかった。撮るなら徹底して撮らないと物にならない。反省である。

茅葺き民家 モノクロ メワラの乗る民家

2017年08月19日 | 茅葺き民家
撮影場所  岡山県中央町 (現在は美咲町)

茅葺き民家の棟にメワラのカラスオドシを載せている民家が見える。
メワラはススキの軸だけを束ねて棟に飾る。
岡山や兵庫、大分や熊本でも見られた。
しかし、耐久性がなく茅のふき替え前に朽ちる。
茅葺きの数も減りこんなカラスオドシはみかけなくなった。
私も元気に畦道をカメラを持ち歩きまわった。
煙草の乾燥小屋も見える。もう解体されているかもしない。

岡山県の茅葺民家20年のあいだに1/10以下に激減した。
茅葺き民家が残る要因が保護観光地意外見当たらない。
何故茅葺に住まなければならないか、茅葺きに住むメリットが私は見つからない。
茅葺きを撮りながらいつも疑問に思う。

親爺ギャグ その33 自虐的ギャグ

2017年08月18日 | オヤジギャグ
笑えない自虐的ギャク

1.シニアは早う死にや 
 関西の人には言われそう 年金厳しくなるんでなあ。

2.ワシの半生は反省ばかり

3.歩いてたら転倒 誰も助けてくれん、転倒無視や(テントウムシ)

4.体操をしましょう大層やな

5.ジィさん動こうか大儀じゃなあ それっ大義名分ちゅうの

6.腰の曲がったお婆さん 押し車ありますか ありません横車ならありますが
 横車を押す無理難題を押し通すこと

7.ベッドから枕が落ちた。取れん!! お先マクラや(真暗)

8.じぃさんどこへ行くの そーと外へ

日本茅葺紀行 NO,385 茅葺の店屋

2017年08月18日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県庄原市

旧の高野町にある茅葺の店屋さん、地域のスーパーである。
広島県の人のブログに時々登場するのでまだのこっているのだと思った。
全国で何軒か茅葺きの店屋さんは見かけた。

高野町はまだフィルムカメラでしか撮っていない、初めてデジカメで撮影した。
アイスクリームでも買いに車椅子で入り話をしてくればよかった。
話をしないとブログののネタにもならない。

店屋のまま残ってほしいものだ。
町の幹線道路沿いなのですぐわかる。


蒸気機関車 さよなら運転

2017年08月17日 | 蒸気機関車
撮影場所  山陽線岡山駅

呉線の蒸気機関車が最後になるので昭和45年8月24日に山陽線をC62,C59の重連で運行があった。広島県の糸崎機関区は岡山鉄道管理局であったのでファンサービスで運行してくれた。
テレビや新聞で事前のPRがあったのでカメラを持って大勢の人が駅や沿道に出かけた。
親子連れや子供だけの姿も沢山あった。

岡山駅や機関区も大勢の人だかりだった。
人がお祭り騒ぎで大勢いるのは興奮するものだ。
蒸気機関車が廃止されるまでこんなお祭り騒ぎが続いた。


機関区でC6217に乗る女性、何で乗れるのと思った。


懐かしい物 夏の昼下がり

2017年08月16日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山市庭瀬

私が転勤で岡山に住始めた頃にはこんな懐かしい民家の風景が沢山残っていたように思う。
それに気づきそれをすべて記録していく事には思い気付かなかった。
今思えば昭和の風景は懐かしい。もっと昭和の風景や生活を記録しなかったのかと思う。
ただ写真を撮るだけではなく40年も経過すると人々の暮らしの変遷が分かる。

人生でも終盤になると気づかなかった事が一杯、過ぎ去って気付く事が一杯ある。

カメラクラブや教室は沢山あっても一生掛けてひとつの事を記録することは教えてくれない。
自分で情報を集めたり取り組むテーマを考えアンテナを張るしかないのか

茅葺き民家 モノクロ 悲しい風景やなー

2017年08月15日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県旧千種町

投稿するモノクロの茅葺民家を探していた。
千種町の茅葺民家の風景はどこかしら寂しい。
悲しい風景やなあと思う。

近代的な東京のしゃれた風景に比べるとくたびれた建物、これから朽ちていく民家、何か寂しい。
地方の過疎地ではこれからもこんな風景が増えてくる。
過疎地に高齢者ばかりの風景も寂しい。

自分が寂しい懐かしいと思う風景ばかり追いかけるのが分かり易い。






日本茅葺紀行 NO,384 斐川平野の茅葺民家

2017年08月14日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県出雲市

尾道-松江道が全線開通したのに全線を走っていない。
無料区間は有難い。
いつまで無料かと思ったがトイレ休憩するにしてもパーキングエリアがない。
一旦インターから一般道を降りて地域の道の駅を利用する。距離は1キロから3キロだが
面倒くさい。
インター近くに道の駅を造り一般道と高速道の客を呼び込み地域の活性化をはかるのであろうか
今後この道は無料区間になる公算が強い。
山陰道や北陸道の延線部も無料で運行する公算が強い。

それでも出雲まで近くなった。一般道では5時間以上かかっていたのが二時間半で行ける。

斐川平野の茅葺民家を探す、デジカメでほとんど撮影していない。
斐川から出雲まで茅葺民家がいくら残っているのだろうか、もうそんなに残っていないように思う。





私の昭和鉄道遺産 その39 C5557

2017年08月12日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所 直方機関区 C5557

C5557が停車していた。カメラを持ち機関区の構内をうろうろ。
運行や作業をしている人にとっては鉄道ファンは迷惑千万の輩ではなかったか。
私も工場で働いていたので重機や可動部の多い現場には外部の者は立ち入り禁止である。
工場の周囲は高いフェンスがしていて赤外線のセンサーで監視している。

鉄道はその点はおおらかであった。駅周辺には枕木を打ち侵入を阻んでいる。
立ち入りがおおらかだったので機関区の中を撮影させてもらった。

C5557は門鉄デフで憧れの機関車だった。
今は姿を消した無蓋車のトラも横にいる。
雨が少し降って撮影しにくい。光線も弱い。

残る写真一枚が自分の人生であり行動の記録であるのだと思う。