主人が兄弟のようなお付き合いをしているYさん、今日亡くなったという訃報が届きました。
同じ小豆島出身という事で15歳の少年飛行兵時代からのお付き合いです。今ではYさんの6人の兄弟の方たちとも兄弟同然のお付き合いをさせていただいています。
1週間ほど前に心臓が止まり人工呼吸をし、人工心臓をつけた治療をしていたのだそうです。
主人生きている間に会いに行きたいと言っていたけれど、病室には入れない状態だという事で行かないでいたのです。
昨日はYさんの弟のTさんから自分で呼吸ができるようになったからという、うれしい電話を貰ったばかりなのです。
病室にも入れるようになったからという事で、そのうちに会いに行ってこようかと話していたのです。
話はできなくとも手を握って、「頑張れ」と声をかけて来たいと言っていたのです。
主人と同じ年で、同じ苦労をし、兄弟同然のお付き合いだったので、とってもショックのようです。
無くなった顔を見るのが嫌なのでしょうね。元気の良い、声の大きな、思い出だけを持っていたいようでした。
息子に葬儀には行ってもらうなどと言っていましたが、息子や私も1っしょに行くからという事で告別式に行く事にしました。
出来れば骨拾いもしてこようと思います。
主人の戦友もだんだんと少なくなり、この世では戦友会も無くなってしまいましたが、あの世では、きっと賑やかな戦友会をして、少年飛行兵時代の話をしているのではないでしょうか。
みなが元気な時には集まって同じ話を楽しそうに繰り返していたのですから。
元気のよい、おおきなこえで我が家に「京太いるかい」と電話がかかってきた声を思い出します。
同じ小豆島出身という事で15歳の少年飛行兵時代からのお付き合いです。今ではYさんの6人の兄弟の方たちとも兄弟同然のお付き合いをさせていただいています。
1週間ほど前に心臓が止まり人工呼吸をし、人工心臓をつけた治療をしていたのだそうです。
主人生きている間に会いに行きたいと言っていたけれど、病室には入れない状態だという事で行かないでいたのです。
昨日はYさんの弟のTさんから自分で呼吸ができるようになったからという、うれしい電話を貰ったばかりなのです。
病室にも入れるようになったからという事で、そのうちに会いに行ってこようかと話していたのです。
話はできなくとも手を握って、「頑張れ」と声をかけて来たいと言っていたのです。
主人と同じ年で、同じ苦労をし、兄弟同然のお付き合いだったので、とってもショックのようです。
無くなった顔を見るのが嫌なのでしょうね。元気の良い、声の大きな、思い出だけを持っていたいようでした。
息子に葬儀には行ってもらうなどと言っていましたが、息子や私も1っしょに行くからという事で告別式に行く事にしました。
出来れば骨拾いもしてこようと思います。
主人の戦友もだんだんと少なくなり、この世では戦友会も無くなってしまいましたが、あの世では、きっと賑やかな戦友会をして、少年飛行兵時代の話をしているのではないでしょうか。
みなが元気な時には集まって同じ話を楽しそうに繰り返していたのですから。
元気のよい、おおきなこえで我が家に「京太いるかい」と電話がかかってきた声を思い出します。