日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 敢えて・・6日の後のコスモス・・  *

2005年08月08日 | 雑感

種を頂いたので、プランターに蒔いたのが6月の終わり頃だった。
すぐに芽が出てきて伸びて来た。 数えると25本位育っている、ひょろひょろと。

一番背の高い一本が早々と蕾をつけた。 朝晩の水やりを一度でも怠ると,しゅんとみんなうなだれるから大変。
花が待ち遠しくてたまらなかった。 ピンクの花が開きはじめた4日の日に、写真を写した時はまだ7分咲きだった。
アップしない内に、6日・・あの突然の雷雨によってこのように変ってしまった。

6日は広島に原爆が投下された日。 60回目の原爆忌であった。 
朝からTVで広島の地での多くの方々の思いや悲しみの場面を見ながら、今我々の平和があるのも悲惨な戦争で亡くなられた多くの方々の犠牲の上にあることを改めて痛感する。 
戦後60年、被爆こそ身近に受けた方はいないけれど大きな節目にあたり尚更・・の感。

実家では母は今は亡き父の実家へお嫁に行っていたのに、一人息子の兄が戦死した為に家の後を継ぐ事になって実家に戻って来たそうである。
父は養子と言う形で母の実家の姓になったのである。 このことは高校の時に初めて知らされた。父方の本家での暮らしであったなら、また私たちは違った人生を歩んでいたに違いない。 
結婚もすることなく戦争の犠牲になった叔父。 
身近で私達がおつきあいしている神戸の一人暮らしのおばあちゃんも、愛する人が戦死し想いが断ち切れずに今までずっと一人で過ごされて来た。
夫婦で築いて行く家庭の味を知らない。 もちろん子供さんも持たれなかった訳で。
いつまでも悲惨な戦争の爪あとを、身近なところでも感じている。

6日、あちこちで色々な行事があったようだが各地で突然の閃光、激しい雷雨に見まわれた午後。甲子園から帰宅したら、パソコンの電源が切れていて、電子レンジの設定も初期化されていた。

7日屋上で、コスモスの花びらを見た時、この細いコスモスはどうやって激しい雷雨に耐えたのであろうかと思った。
案の定、花びらは痛み、色さえもが褪せていた。

戦争を知らない私達、世代が若くなるに連れ忘れかけている原爆や戦争の悲惨さをゴロゴロと言う雷、激しい雨によって、
私達にその事柄を警鐘しら締めたのではなかろうか。

コスモスのひと雫がなぜか涙のような気もした私。 万象受容・・。