日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 還暦を迎えた日の一日の長い記事? *

2009年09月10日 | 雑感

秋の声を聞くとさすがに暑い夏にいっぱいの癒しや元気をもらっていた朝顔の数が、日増しに少なくなっていく。
しかし日によっては驚くくらいに咲いて、最後の燃焼なんやなぁと、愛しく思ったりするこの頃。
秋には似合わない、やはり朝顔は夏の花である。 こんなに咲いていた嬉しい朝、今日は夫の誕生日。

朝、母から電話があった、36年間欠かさず10日にかかってくる、明るい声で。
「けんつくさんの誕生日じゃったね、還暦おめでとう」開口一番そう言った。 
還暦って今の時代若いと言えども、迎えられずして他界した父や何人かの同級生を思うと、
迎えられたことは当たり前でなく、母の電話と元気で迎えられた夫、有り難いなぁと感謝が沸々と湧いてくる。

人生って生きた年数ではなくて、どう生きてきたかが大切だとか言うけれど、やはり60歳前の人生は短い。
「何があっても、皆が近くにいて一致団結して乗り越える、あんたのところは心配してないよ」と言ってくれた。
けれど親孝行らしいことや恩返しは何ひとつ出来ていない、家族を見て安心してもらえるのならそれも
少しは親孝行かなあ、申し訳ないかなそう置き換えさせてもらおうか、お母さん、ごめんなさい。

京都の姉から荷物が届いた。 「還暦お祝い」と命名してお菓子が。
京菓子の老舗”甘春堂”の花ごろも、そしてそして桐の箱に入った一見お煎茶椀に見えるお菓子。
源氏物語絵巻の文様の夫婦椀、二三度、お茶を頂いて後は食べられるそうだ。
お茶をいただきながら、中に紅白のお菓子、 さすが京都らしい品のある創作お菓子とまじまじ眺める。

姉は還暦のとき脳梗塞を煩い、一歩手前で回復し多少後遺症が残ってはいるものの元気でいる。
とても気弱な時期もあったが、6月に生まれた初孫が市内に住んでいて、姉の今の元気を大きく支えている。
だから還暦には思い深く、健康を祈りつつ心を込めて・・兄や、義弟が還暦を迎えたときも送ってくれた。
五人兄弟の長女、昔から弟や妹にと色々な心配りをしてくれているそんな心情私は 足もとにも及ばない。
家族って有難い。 母や姉のようにはいかないけれど、私に出来ることはまねして行きたいと思う。

このお煎茶茶碗のお菓子、夫といついただこうか。 どんな味がするんだろう。

いつもなら全員揃う日曜にするのだが、特別な還暦なので息子は仕事で参加できないが今日を選んだ。
セイ君宅でお祝いの手巻きパーティー。 我が家の分担は、酢飯と寿司ネタの卵焼き、肉の時雨煮。

夕方夫婦で迎えに来てくれた。 車の中で次女が「夕焼け見て!見て!すごいよ!」
一挙セイ君の車は反対方向へ、スピードをあげ、第三突堤へ。
「お祝いの夕焼けや」 「すごいきれいやなぁ」 誰もが感激の言葉を発した。

最近美しい夕焼けが多いいが、これも季節なのか気持ちなのか。
しかしこんな日に雨とか言うよりは、祝福のようで得した気分の夕景であった。

仕事だったひろとママとひろとを迎えに行って、さぁ準備、そろそろ始めよっか。 
「還暦おめでとう!」 まずは花束贈呈、そしてくす球割り~。 息子も参加したかっただろうなぁ。
もう前に退職と言う形でハローワークにも何度も行っているが、還暦本番夫の思いはいかばかりか。



さぁ、食べようかね~。
お刺身の盛り合わせはお取り寄せ、手巻きの具財はセイ君が切りそろえて・・飾りは二人が、もうお手の物。

ケーキのプレートには昨年35周年の写真が印刷してあって、もちろんたべられるのだが今時すごいね~。 
後で切るとき顔があるし切りづらく、なんだか誰もが切るのを拒んで、あんたがあんたがともめた。

ひろとから、ひろと家族からの写真入お手製のメッセージカード。 「ひろとの書いた絵もあるよ~」
長女が前日我が家へ来て、昔からのアルバム何冊もあるなかで選んでコピー、夫の赤ちゃんから学生時代、
結婚してこれまでの夫や家族の写真の数々を飾った一冊のアルバム、忘れていた写真にみんなで見入った。 
先日セイ君の東京出張に同伴した長女が”生まれた日から、10年ごとの新聞のコピー”
6枚綴りに編集してプレゼント、生きてきたその当時の様子を知るこれもすごいアイデアプレゼント。
(夫は幸せやね~子供たちがこんなに色々考えて工夫をこらして心が込められて)

みんなからのプレゼントには「なんやろう、想像がつかん」
もう何も欲しいものはないと言っていた夫だが、みんなで相談して長女夫婦が選びに選んでくれた。
前にもカメラをもらったが、今はどんどん写真に入ってきているしこれがベストだろうとデジカメ。
「ほおっ、ほおっ」そんな言葉を連発しながら、新しいカメラに満面の笑顔。

もう言うことはない、夫よあと残りの人生みんなで大いに楽しもうではない?
健康面では色々とあるだろうけれど、お医者さんとも付き合いながらがんばろうよ。
次女一家もメッセージを書いていたし、私も書いていた。 還暦の手紙となるとね・・と昼間色々考えて、
いい妻ではなくてごめんなさいとか、父親思いの子供たちに育ったのに免じて許してとか、今までよりは、
少しやさしくなるように心がけるよとか、これからもよろしくとか照れくさいけれど書いた。
時間があっと言う間で読んでもらうときが無かった。 
次女のは読むように置いているが私のは翌日そっと抜いた。 そして私の机の中にしまってある。
自分の心に反省を込めて、それを言い聞かせながら不言実行でいくのだ、そう言い訳をしてがんばろう私。
いつもオーバーかな、子供たちに負担をかけるなぁと思うが、これが我が家流の処し方、まいっか。
”みんなが仲良く、平和に” これは母から譲り受けた我が家の目指すテーマなのだから。
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