
4時に目が覚めた。
なんのことはない、昨夜は9時半頃寝たのだ。 まるでお子様。
目覚めと共に起きた日の気づき(第六感)は良い気づきをもらえると言うのを聞いた事がある。
せっかくの目覚めなので(何しよう・・) 夫の衣替えは昨日冬ものまですっかりやり終えたので、着なくなったりいらなくなったもの、秋冬物がまるで山。
そんな私の部屋、ここは最後だと開かずの間、そうだこれこれ。
すっかり秋になったので、夏使わなかったこの部屋で時にはちょっと芸術の秋しようか。
テレビの無い私の部屋、ミニコンポのラジオをつけた。 久しぶりにラジオ深夜便を聞いた。
因島の原ちゃんが毎日聞いていて、いいよ~と言って私も聞くようになったのである。 テレビもいいがラジオもいいなぁ。
夕方テレビをつけていたら、どっこもショッピングで一瞬ぞっとした。 こうやって購買力を高めてるんや・・私も段々その気になる人間だが、
あぶないあぶない。 2人になって少しスリムに・・と心がけているのに、通販で買ったものは内緒を含めていっぱいある。
聞きながらせっせと引き出しが整ってくる。 いいなぁラジオ。
ラジオで育った私、ラジオを聞きながらいいなぁと思っている時、良くひとつの光景を思い出す。
夜、ラジオをかけた部屋で、母が編み物をしている。 おかっぱ頭の私はえんぴつを握って国語の帳面(今はノートと言っているが)に向かっていた。
編み物の手を動かしながら私の国語の教科書を見て、母が漢字を読む。 私はその言葉を声に出して漢字を書いていた。
書けたら、「はい!」と言ったと思う。 妹たちは寝ていたのだろうか。 その場面には出ていないのだ。
あの時、誰のセーターを編んでいたのだろうか。 その毛糸だって飼っていた羊の毛、農協へ持って行って色とりどりの毛糸の玉に変わる。
なんだか心が温かくなるような昔の情景だ。 ラジオの時間は想像力をかきたててくれて、心が豊かになるような気がする。
あの時代に育った私には、今を聞きながら過去を懐かしむもの、ラジオはそんな存在である。
今回甥っ子のお祝い返し、ラジオにした。 台所でTVをやめてラジオを聞くようになった。
懐かしい60年代の曲が聞けたりするのが、たまらなく嬉しい。 テレビとは違って、穏やかな思いに包まれる時間だ、ひとり占めの時間。
ラジオが「今日の花・・今日の花はユリ科のホトトギスです」と言った。
なぜか嬉しかった。 我が家の玄関に20センチ余りの鉢にいっぱい蕾をつけてどんどん花が開花しているのだ。
3年前頃かなぁ、買ったんだか種が飛んで来たんだか、貰ったんだか、記憶にございません・・の由。
夫が屋上へあがることがないので、狭いのに玄関へ持って降りたのだ。 せめて咲いている花を見ててあげたくて。
斑点がなんともリアルで、あんまり好きでもない花だったが、夏をどうにか越して今までで一番沢山ご機嫌良く咲き始めたので気持ち好きになった。
ラジオを聞きながら部屋がすっかり片付いた。 起きた夫に(見てよ)と言わんばかりに、ドアを開けっぱなしにして部屋を出た。
すっかり秋になったので夏、主のいなかったこの部屋で時にはちょいと芸術の秋しようか。
朝出かける夫に「ほらほらこれホトトギスって花よ!いっぱい咲いてるでしょう」 「ほぉ・・こんなんあったんか」