母の喜ぶ顔が浮かんでくるようだ。
二年前の四月からその年二度にわたって両膝の手術をして歩けるようになった姉。
一年前は姪っ子に付き添ってもらって報告の帰省をしたが、この度二泊三日で帰省するのだと言う。
先達て四つ年下の母の妹が他界、母は高齢なので大事をとり福岡までは行きかね、葬儀には兄だけが出席した。
母は三人兄弟で兄は戦死、あと一人しかいない仲の良かった妹もいなくなり寂しいだろうと、杖はついているが姉は今度は一人で帰り
母の慰めと自分が元気に歩ける姿を見せて安心させてあげたいと、そんな思いを持って帰ると言う。
「と言ってもね、新幹線に乗るまで送ってもらうし、丁度用事で福山へ出ると言う兄がホームに迎えに来てくれるし、私は乗るだけよ」
そう言って笑うが、帰ろうと言う気持ち、母に電話ではなく会って・・とやさしいその気持ちはとても尊い。
この帰省、母には内緒である。 兄夫婦にはもちろん話して打ち合わせてある。
何よりも兄嫁さんには食事からすべてお世話になるのでちゃんと話してある。
三年前、兄夫婦と母米寿の三都の桜の旅の時だった。 長女と私たち夫婦が道案内と言うことで我が家にまずきて貰った。
震災の後だけど千葉の妹夫婦も参加しようと言う事になったが、母には内緒にしてあった。
我が家へ一足先に来ていて三階で待機、もちろん靴も荷物も隠し・・。 母たちが到着しくつろいだときに、家の電話が鳴る。
妹の旦那さんが電話で「お疲れ様です・・お母さん来れて良かったですね・・大阪、吉野、京都の桜楽しんで下さいね」とか言って
さも千葉からかけているように・・そして電話をかけながら妹夫婦は二階へ下りて来て・・。
母の前に参上・・、びっくり驚かせると言うストーリー。
もちろん母は驚き、そして喜んで・・その後の二泊三日の三都の旅を楽しんだのである。
そしてまた二年前姉が二度目の手術で、長い入院生活私は何度も見舞っていたが、千葉の妹夫婦、因島の妹夫婦もお見舞いにと
そんな話になった。 もちろん、姉には内緒である。
私は何度も行っているので見舞う日を姉に告げていた。 京都駅でエルグランド運転の長女と私、二組の妹夫婦の六人が待ち合わせ。
食事をしながら・・病院へ向かう車の中で、更に詳しい最終チェック思い描くリハーサルをしたのは言うまでもない。
姉の旦那さんと姪っ子にはその旨を電話で話してあった。 大勢での、それも病院で繰り広げるドッキリ。
私と長女が見舞い食堂へ移動し話し、少しして千葉の夫婦が来てびっくりして感激で泣いているときに、因島の妹夫婦が入っていく・・
「え?あ? え?」ありえない訪問者に、姉の疑問符は長いこと続いた。
千葉夫婦だけでも驚いているのに・・三組の夫婦が来て、姉夫婦姪っ子・・あの時の姉の驚きと涙涙の感激の様子は忘れられない。
後日、姉が帰省する日の朝電話をかけた。
「同じ驚かせるのなら、帰ったとき兄貴だけ先に玄関に入ってからさぁ、五分位してお母さんに電話をかけながら玄関に入ったら?」
そんな助言した。
ところがところが・・私の上を行ったのが兄である。
こう言う嬉しいドッキリが好きなのは、私たちN家の血?
いい年になってこんなこと・・ちょっと馬鹿げているかなぁ。
まぁまぁ、仲良きことは・・美しきなりとでも言おうか。