日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 丑寅会の新年会 *

2010年01月18日 | 雑感

田舎の友人の写真から・・夫の家の近くより撮影したものを拝借

寝ていて突然に電話で起こされた。
「みくさん、何しとん、新年会始まるよ~。 迎えに行ってあげるけえ」ゆうこから電話があった。
「え~ほんまに。 ありがとう助かる~」 起き上がって、(さて、何を着て行こうかな)隣の部屋に行った。
何でか知らないが隣の部屋は瓦礫でいっぱいなのに不振にも思わずに、その中に置いてある
洋服ダンスは壊れていなくてまともに直立、その中から洋服を選んだ。
適当に選んで着た頃、ゆうこやまゆみちゃんが迎えに来た。 私を見るなり笑い転げた。
「何着とんそれ、夏ものじゃん」 「え~そお? おかしい?」 また瓦礫の中の洋服ダンスから選んだ。
「おかしいじゃん、それも」 何度着替えても駄目だと言われる。 不思議だ、私何してるんだろう、痴呆?

そのうちまさる君やとっ君(は南小学校だからいいけど)Tがわのしょうちゃん(なんで?東小学校やのに)まで来た。
部屋は二階なので、みんなはしごであがってきて、そこでわいわい言いながら私を待ってくれていた。
まるで新年会がそこで始まったかのような。 着替えながら(みな何してるんよ~)でもなんか嬉しい。
あれもこれも選びくたびれ(そんな衣装持ちでないのに)「もうこれでいい、これにするごめん待たせて~」

みんなで出かけたのに着いた時はなぜか私一人、行ったところは夫の方の東小学校の新年会会場だった。
なのに夫の姿はない、(どこへ行ったん!)夫とは同級生なので、間違えて夫の方へ行ってしまったのだ。
「なんでこっちへ来たんな、あんたはあっちやで」みんなが一斉に言う。 「え~そうなんや」
外へ出ると、キーがついた車があったので、(よっしゃ)運転経験のない私が運転をして、海岸べりを走った。
年明け早々無免許だ~。 いつもは運転のうまい長女の車に乗ってるからその気になっている。

南小学校の会場である名荷、行くと賑やかな声が聞こえてきて(わ~やってるやってる~)
「ごめ~ん! 遅くなりました~」部屋へ入ると、一斉にみんなの視線がこっち向けられた。
一瞬にしてシーン・・みんなの顔が止まった。 そしてみんなの目線は私の下半身。
オーバーコートを脱いだ私、(大根足が)短いスカートをはいてそのうえ素足・・だった!!
「え~~なにしとるんじょ~!(連ドラウェルカメ風) あっははは~」 会場は爆笑のうず。

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とまぁ、ここで目が覚めた。 しかしなんでこんな夢を見たんだろう。
阪神淡路大震災、カリブ海ハイチの震災の画像、東小学校の友人の新年会が羨ましかったからか。
名荷はちよみ、ゆうこは3人娘、まゆみちゃんは同窓会のちのカラオケで踊った天城越えが鮮明に?
まさるくんは同窓会でちょっと真面目な昔話したし、とっくんにはお参りでおみくじの50円借りたし。
Tがわのしょうちゃんは城之崎還暦旅行でプロ顔負けの歌初めて聞いて感激したし・・。
それにしても最近は、そんな関連の夢を見る。 初夢は何を見たのか見たのかどうかも覚えていないけど。
夢でよかったよ、何年か先こんな風にならなければいいが私。                           21日記


* 手 紙 アンジェラ・アキ (西宮市立甲陵中学校) *

2010年01月17日 | 歌・音楽・映画・観劇


CMでこの曲が流れ、被災から復興へ、さまざまな年齢の人たちの生きる笑顔のスライドショーを見ると、
みんながんばっている! あのとき生まれた子は今年15歳。 まさに”十五の君へ”感激でいっぱいになる。




ふと目が覚めてまどろむ私の耳に、つけっ放しにしていたNHK”ラジオ深夜便”の放送の声が耳に入った。
「今かなり大きな地震がありました! 神戸の方・・」(え!!地震!? まさか!!)
私は瞬間緊張し身を起こした。 時間は5時ほんの少し前だったろうか。
(こんな日にまた~?!)
その中継を半信半疑で聞きながら、それがラジオ深夜便の中で今日のアナウンサーが震災があったときに直面し、
放送していて発進した言葉、それを流していたことに気付いたのは3分くらいたってからだった。
寝起きで耳に入った時に聞こえたものだから、てっきり本当に地震のニュースかと思ったのだ。

阪神淡路大震災から15年と言う月日が経った。 今日はその朝だったのだ。
須磨にお住まいで当時震災を体験された瀬戸カトリーヌさんをゲストに放送が始まった。
HPに置かれた掲示板やFAXで、震災を体験した人たちから送られたメッセージが次々と読み上げられていく。
カトリーヌさんもパン屋さんをしておられるご両親とともに、家で被害に遭われた生々しい話をされる。
PCでお友達のブログを訪問しながら、15年の経過神戸の街は復興したかのように見えているけれど、
人々の心の中にはあの時から、失った大切な人やものへの悲しみがまだまだ癒えていない事や、
涙が尽きぬ日々を送っている人も多いことを改めて聞きながら、胸がいっぱいになり涙が溢れた。
5時46分の時刻には、黙祷を捧げながら当時の記憶が甦ってくる。

体感した大きな揺れ、TVに映し出された高速道路が大きく倒壊、以来あちこちで火の手があがり、
煙があがる街、大きなビルであろうが病院であろうが、その被害は想像を絶するもので大きな衝撃で眺めていた。
灘区に住む一人暮らしの婦人に真っ先に電話をしたがすでに通じなく、テロップに流れる亡くなられた方の、
名前の中に見当たらなかったらほっとしながらも、被災の様子をただただ唖然と眺めていた。
何日か後、夫は淡路島の船長の実家も被災され陸路は寸断、船で見舞い救援に向った。
神戸の婦人のところへも灯油や食料を運んだが、何度かの後私も船に乗って行った。
船から眺める風景は今までとはあまりにも違いすぎて、目の前にしながらも大震災と言う現実を受けとめられない。
婦人のアパートも周りの建物の全てがまるでドミノ倒しのように、倒れていてあの時の光景は未だ鮮明に残っている。

神戸の婦人は2階建てのアパートの2階で、階下なら押しつぶされただろうがかろうじて助かった。
近所に住まいする親友が見に来てくれて、倒壊を免れたお宅へ身を寄せていた。
その後はひよどり台の仮設住宅に住んだ。 TVで見る集合住宅と違って一戸建でどこよりも快適に見えた。
夫と料理を持参で訪ねるその場所、被災した人同士助け合いながら暮らす住宅は、いつも賑やかに活気付いていた。
婦人も友達もいっぱい出来て快適に見えるような暮らしをしていた。 15年前と言えば69歳だった。
何事でも積極的で、生きる意欲や力はすごいと思ったが、期限に向けて一人減り2人減りアパートにうつり
またもとの一人暮らしに戻った。 そうして6年前から今の復興住宅に住んでいる。
その時には震災の傷跡も感じさせないほどの、高層住宅も建って新しい街は見事に出来上がった。
しかし人が住んでいるのかと思うほどに、ひっそりとして仮設住宅いいたあの賑わいもなくて、
一人住まいの人々から笑顔が消えて行った様に思う。 
年月と共に、身体もあちこちが弱くなりあの頃の意欲も失せて行っている。 足がてっきり弱くなってからは、
いっそう外出を拒むようになり、気弱になっていっている。2年前には親友の方が突然死されいっそう淋しくなり。




定年まで夫がいる会社で事務をしておられた関係で、結婚をされていなかったので何かしら子供のように、
夫はおかんおかんと慕い、もう25年と言う年月のおつきあいを続けているのだが。
今はやがて来る介護の問題を抱え、不安にもなっている。 たった一人の義妹さんも高齢で何があっても
電話しないでとか言われ、一人住まいの不安がよけいに気弱にしているのだろう。
私達自身どれほど関われるか・・時々訪ねることは出来ても寝込むようなことになったとき、どうしようか。

「何かあったら隠さず電話して下さいね、すぐに来ますから」と、帰るたびに手を握り言ってはいるが
「大丈夫、心配しないでまかせてよ」とは、はっきり言って言い難い。 自信がないから。
そのことが私たち夫婦のひとつの問題である。
お互いに実家の母親達は兄夫婦が手厚く面倒を見て下さっていてとても有難いと感謝している。 
せめて私達は、この夫人のお世話をさせてもらわないといけないのだろうなぁ、そう思いながらの現在である。

放送を聞きながら、そんなことに思いが及んだ。
表向きに神戸は街は復興している、その意欲たるやすごいと思う。
人々の支えあい励ましあい、人や地域の繋がりや絆・・得た多くのことがらは永遠であって欲しいと思う。
見えないところでは、亡くした身内にまだ悲しみから立ち直れないでいる人も多くて、震災の悲惨さを改めて思う。 
どうか亡くなられた方への無念や辛い思いを、生きる力に変えながら、でなければ天国で安心してもらえない
私も還暦を前に突然に亡くなった父を失った時、衝撃と悲しみで中々立ち上がれなかったけれどそう決心したから。
そう思うから、お元気に暮らして行って下さい、そんな日が来ますように・・。
そう思いながら、朝食の準備の為にラジオのスイッチを切った。               21日記

* 松飾りもとれて・・ *

2010年01月15日 | 雑感



今日で松飾りがとれた。 研修センターの向かいの天満宮へ参拝し氏子の長老殿に渡すと燃してくれた。
行こうと決めていたら偶然にも支配人マッシー母さんから電話をもい、久しぶりに研修センターに出向く。 
玄関の寄せ植えの梅が一輪、冷たい空気の中でけな気に咲いていた。

昨年12月後半に一般の方へ食堂を開放し9時~5時で”グリル こまくさ”をオープンした。
家族で食べに行ったり、何度かお持ち帰りをしている。 女性スタッフばかり、家庭の味で美味しい。
企業の研修の方たちの昼食と重なり食堂は大忙し。 私はお客で食事に来たのだがとても入りこめない。
一段落したとき、支配人母さんやスタッフの方たちと一緒に食べることになった。
と言っても、またお客があるとみんな立ち上がり、結局ゆっくり食べられないので私のどに詰まりそう。
しかしみなさんよく頑張ってる。 

ちなみに本日の日替わり定食は、鯖の味噌煮、肉じゃが、味噌汁、ご飯はお変わり自由で500円也。
とんかつ、海老フライ、ハンバーグ定食もワンコイン。 おそばやおうどんカレー、珈琲もある。
(もしご覧いただいている区内の方がおられたら、どうぞ一度行って見られたし)
「みくさんに聞きましてん」と言えば? 笑顔がひとつよけいにサービスされるかも。

 支配人母さんが「経理出来る人いないかなぁ」 (数字は私の大・大・大の苦手な分野やわ!)
経理の方が12月受け継ぎもないまま急きょ退職されたので、事務整理が大変なようで。 
それでなくても人の対応や電話、食堂の応援等あれこれと忙しく中々座っておれないのに。
データ入力はやったことがあるので、お手伝い。 あ~懐かしい。
6年前「明日から事務!」との社長命令で、触ったことも無かったPCなので即行習ったワードやエクセル、
少しでも習ったお陰で、職場で色んなことに発揮できてもうPCにはまりこんでしまった、トラブルには弱いけど。
あげくのはてHPを立ち上げたりした。 PCはわが人生にとったら最高の出合いになったのである。
数式が入ってなかったところに、数式を挿入したり(思い出せないこともあるが)久しぶりに画期的。
夕方からは研修の方々の打ち上げで忙しさは続いていたが、夫が卓球&飲み会の夜なので、結局8時までいた。 

 

昨日でゆいちゃんが1ヶ月になり、愛ちゃんはベビーバス終了、お風呂で一緒に入るそうだ。
ひろとのお迎えにゆいちゃんを連れて出るには寒い時期なので、娘達と交代で行くことにしている。
今日はゆいちゃんの1ヶ月検診で、長女、息子が付き添った。 すこぶる順調。

次女が「愛さん更新してるよ!」 「え~!」 2年5ヶ月ぶりにブログを更新していた。 
マンションへ行かなくなると、様子が知りたいしね~、更新前のひろとは1歳4ヶ月!
わ~・・かわいい~今はすっかりお兄ちゃんだ。

松飾りもとれて、いっそう気を引き締めて過ごそう新しい2010年、そんな一日だったかも。

 


* 我輩は・・ 名前はまだない・・ *

2010年01月12日 | 雑感

先日島の友人から届いた。 もちろん毎年12月の誕生日にかけて送ってくれるのだがこの冬二度目のみかん。
田舎のあちこちから送られて来る中で、彼女の所からのが一番甘く濃厚なのだ何処よりも毎年必ず。
家では作っていないらしいので、一体どこで調達していてそれはどんなご家族が作っておられるのだろうと思う。
みかんをこよなく愛し、恐らくお金儲けよりも喜んでもらいたい気持ちいっぱいでみかん育て心育て。
作っておられるご夫婦やあるいはご家族はきっと仲がいいに違いない。 なりものも心に敏感らしいから。

今回のブランドみかん、左の”はれひめ” 手前はメッチャ甘い”いしじ”そして右は・・
我輩はみかんである、名前はまだ無い・・生まれたのはとんと見当が・・いや見当はついている瀬戸内である。
そう生産者の方、新品種でまだ名前が決まってないそうで、そんな貴重な初物をいただいた。 
今までにも、デコポンに始まり”はるみ・はるか・清美・せとか”等など、電話を聞きながらメモらないと
忘れてしまいそうな、紛らわしい名前そんな貴重なブランドみかんをいただいている、お陰さま。

みかんは朝食後に食べるのが一番身体にいいそうで、特に子供には脳の活性化にとてもいいそうだ。
栄養士さんの彼女はお母さん方にもそのことをしっかり話すそうだ。 
「納豆は夜に食べさせんさいよ」電話の度に言う。 寝ている間にその成分が作用して身体にいいそうだ。

朝次女が近所のマンションに空きがある、調べたら近くに色々あるようで2人で自立を考えていると言う。
なつめを保育園に入れて4月から働くことにしているのだが、申請とやらではじめて知ったことがある。 
親と同居していると入園順位が低くなるし、保育料の査定が同居で所帯は別にしていると言っても、
公共料金等もきちんと分別した証拠がなければ、両親の収入も旦那さんの給料に合算されるらしい。
夫が働いているし、私はいるし(子守が出来るし)でかなり入園の査定には不利になるのだそうだ。
旦那さんの給料だけなら安く入れるようで、親の収入まで合算・・そんな事になっているなんて驚いた。
前の年夫の収入が無かった人は、無料であずかってもらっている人もいるし、看護師さんで
ご主人より給料が高く7万の保育料を払っている人もいるそうだ。

自立しようと決めた理由はそれだけではなくて、私の健康の為でもある。
糖尿病で食生活の大改善と言っても、働き盛りの若いものとの同居生活でする努力はまるで苦労。
ご馳走を目の前にして(おあずけ)なんて、作るのが好き食べるのはもっと好きな私だ、
余程の理性がなければ正直大変で、別居した方が私には絶対良いと思ってのことなのである。 
それにかんたの子守も膝が弱いしかなり負担になってくるだろうし、2人預けられるようになれば
がっつり働けるし、子供が小さいしそれにはやはりマンションと言う環境の方が子育てにはいい
私も息子のマンションへ通いながらつくづく思った。 平面は移動も洗濯干しも、特に孫にも目が届く。 
4階建ての我が家には、落下防止の柵が一階一階と4箇所も設置してあるし開閉も面倒だし。

賛成賛成、大賛成。 ひろとにしても近いし何かあっても見てやれるし、娘も住むなら近くにするので好都合。
私は先日糖尿病について夜中ずっとあちこち、ネットで検索しながら調べていて怖くなった。
笑っておれなくなった。 二人暮しだった時のように、野菜生活も難なく出来るではないか。
あの頃は体重も食生活を見直していただけで、月に1キロづつ減っていたのに6キロ減ったところで同居になった。
それにまだ私は還暦、かんたは見るとして2人を預けるようになったらまだまだひと花咲かせますわよ~。
って大したことでは無いけれど、やりたいことが色々とあるのだ。 自立してくれれば時間が出来る。
それもあるけれど、何よりも一番感じていることは、展君のご両親がちょっと来たい時にも来れる。
それに娘夫婦の将来を思うと、友達の家族同士のつきあいも大切であるし同居では遠慮する、友達も。
私たちはどうせ先に逝く。 子供たちはいい友達を持っているから、友達との関わりを大切にして欲しい。
子供たちの人生である、将来を思えば自立は大いに結構な事ではないか。 
展君も、いっそ働く意欲も湧くであろうしね。 

夫が昼に荷物で帰ってきて話したら、「いいねいいね」と言うかと思ったら一瞬顔がくもった。
「何言うてんねん、なつめが小学校に行く頃でええやん」とか言った。 ハハハ・・
そりゃ、朝起きたらニコっと笑うかんたがいて、おはようございますと言ってぺこりと頭を下げるなつめがいる、
そんな明るく嬉しい朝を笑顔で始まるのである、すっぴんでしわしわの私がおはようございますって言ったって、
若い時からこの方、いっさいおはようと返したことない夫だ、楽しくも何ともないかもね。
男と女とでは立場が違う、男は都合のいいところだけとって孫と接しているんだもの。
様ざまなことを考えても、次女夫婦の自立は私たち夫婦にとってもかなり画期的なのではないだろうか。
夫よ今まで以上にブログや写真2人で楽しもうではないの。 夫は遊んでくれる友達にも恵まれているし、
食生活に心がけて(夫だって昨年は痛風でびっこひいていたはず)もっともっと2人で健康になろうよ~。
さて、夫のOKはいつ出るだろうか、中国出張中のセイく~ん、専門分野応援頼みま~す。
いや、夫は分かっている、ちょっと淋しいなぁと思っているだけ。

甥っ子がお礼のメールを送ってきた。 私の料理を始めて食べることが出来たとか(そうか初めてだ)
急にも関わらず・・と、母や親たちもけんつくさんちだったら、楽しんだじゃろうと言ったそうだ。

母からは電話があった。 喜んで帰ったそうで、初詣に受けたお守り母や還暦の兄嫁さんにも届けたお礼。
「幸せに感謝して今年もがんばろうで」いつもの口ぐせ。
「泣いても一日、笑っても一日、同じことなら笑って暮らさにゃあ。 感謝を忘れんさんなよ」
はい、お母さん心得ます。 還暦の私に言ってくれると言う感謝、人生は一生が学びだ。


* ゆいちゃん お宮参り  *

2010年01月11日 | 雑感

茨住吉神社の鳥居をくぐると、左手に一本の楓の木がある。
まるでここだけは秋真っ盛りのような、真っ赤に紅葉していい季節を懐かしく思い出させてくれた。
長女の付き添いで息子夫婦はドームのスタジオアリスで、ゆいちゃんのお宮参りの写真撮影前撮り。
お昼前、現地集合。 曇りかと思いきや、晴れ間が出ていた。
なつめの七五三のときもそうだった。 雨と言われていてぱあっと晴れてきて、雨はその後午後に降った。
12日なら雨も降ったし寒いし、一日違いで大違い。 幸運な孫たちである。

みんな揃って(出張中のセイ君と野球決勝の展君以外)神主さんのお祓いを受け祝詞をあげてもらった。
ゆいちゃんは寝ていたのに、目をあけながらにこって笑った。 ゆかしき祝詞をあげている最中、
ひろと「ひぃちゃん、ひろと豚まん食べてきてんで」 長女「ひぃちゃんも食べたかったわ」
ひろと「電話してあげたら良かったなあ」 小さい声でひそひそ、私の後ろでこんな会話をしていたのよね。

境内で、写真を撮る。 セイ君がいたらなぁ・・パシャパシャすご腕でベストな写真撮ってくれるのにね。
写真は息子のカメラの中。 よって掲載は夫撮影。
ピンクはいいよね、華やか。 スタジオ撮影、ひろとも袴姿、可愛かったな~。

新しい年無事生まれた感謝、新しい生命へ健やかに育てよと祈り、そして家族の幸せへの祈り。

食事に行く。 次女夫婦、長男夫婦子供が2人づつで重みを感じた、孫たちはそれぞれ同級生。
夫婦力を合わせてしっかり育てて、楽しい家庭を作ってよね。 子供たちを眺めながら思う。
みんなが食べている間、ゆいちゃんは撮影疲れ? ぐっすり寝んね。 

息子夫婦を送り、夫が「えべっさんへ行こうや」と希望して回ることに。
拝むのでもなんでもなく目的は十日戎の写真、ブログ用と思われる。 しかしその意欲は買う。
 今宮戎神社は一緒に何度か行ったが、えらい埃なので今回は敬遠した。
しかし福娘は気になっているのだが。 カメラおっちゃんの目的もお参りよりもこっちだ。
12日にお賽銭の勘定が始まっているが、2週間ほどかかるそうだ。 大体4500万の予想らしい。
不景気な折、それに三連休とあって、昨年より7万増の人出で101万3000人だったと新聞で読んだ。

堀川戎神社はなつめも連れて私も降り立った。
ミス福娘がいた。 落語家さんたちも名前を連ねてあって、多分何人か笹を授けていたと思う。
若い美しい女性に笹を授けていただくと、本当に気持ちいいだろうなぁ。
でも白い手は三日間もすると、笹で切れたりバンドエイドで痛々しいが・・。

三つ目は野田恵比寿神社、入り口付近でもと松竹芸能の市会議員さんが、夏の参議院選挙に向けて
立会い演説をしながら、「商売繁盛で笹持て来い! 商売繁盛で笹持て来い!」 マイクで叫んでいた。

 夫よ、お賽銭はあげたのかい? 

今日はお鏡開き、昨夜甥っ子達と食事しながらことこと炊いて作ったおぜんざい。
息子のところにもおすそ分け。 「作ったんですか?」 おぜんざいの好きな愛ちゃんがにっこり。
最近はお鏡の飾りの中に、ひとつひとつパックにした丸餅が入っていて使いやすい。
神様から力をいただいて、新しい年をみんなが元気に過ごせますように・・。 
ゆいちゃんのお宮参り、戎さん、成人式、お鏡開き・・おめでたい記念すべきいい一日だった。

お正月飾りがひとつひとつ減って行く。 いよいよ2010年の本番本気でが~んば!
いえ、いつも私は本気。