日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 帰省 大阪へ帰る日 *

2011年08月13日 | 子供

昨日は朝日を見たので、今朝は鳥居をくぐって八幡さんの方に向かって歩いた。
この辺は子供の頃の遊び場で、八幡さんもちゃんばらや鬼ごっこの陣地だった。
うっそうと木が茂ったその場所は、昔のように手入れされていないようで、怖いとさえ思ってしまう。
撮る花も無いので、Uターンした。 兄嫁さんが朝食の準備をしてくれていた。
甥っ子(長男)家族はお嫁さんの実家へ行くと言うので、みんなで朝食をいただいた。

兄嫁さんが朝食の準備をしてくれていたので娘たちに手伝うように言った。
甥っ子(長男)家族はお嫁さんの実家へ行くと言うので、早い目にみんなで朝食をいただいた。

その後で兄が「来られたよ」と言って走って外へ出たので、みんな寄せられるように外へ出た。
菅笠のお坊さんがすでにお経をあげておられた。 兄は大ジョッキにビールを入れて立っていた。
今日はご先祖や亡き人たちをお迎えする日、精霊棚に向かって拝むお坊さん、その後ろにみんな頭を下げて立った。
お教が終わり兄がビールを勧めると「あ、恐縮です」と言いながらほぼ一気状態で飲み干しながら、後ろの人数に
「わ・・びっくりした」驚きながら、「賑やかでいい事ですね」と笑顔いっぱいに言われた。
地域を一軒一軒回る。 喉も渇くだろう、でもビールを勧めるのは兄位と思うが、どこもがそうだったら酔っぱらって
お教どころではないだろう。 
それにしても、亡き人たちをお迎えする、そんな厳粛な一時に出合えて良かった、父もひ孫いっぱいで驚いたかな。

兄が昨日水遊び用にはってあったプール、待てなくてひろととなつめが顔をつける練習と言いつつ少しづつ前進、
ついに中に入ったので、たまらず見ていた後のものたちも陽のぬくもりもまだのプールに次々と入った。
まぁ賑やかな事、楽しそう~。  それを眺める親たち、じいちゃんばあちゃん、ひいばあちゃんも嬉しげ。

長男の子、はやてくんは出かけるので見ていたけど、たまらなくなった。 帰る前なのでゆいちゃん、すっぽろぽんで。

そのうち、はやてくんもドボン! 仕方なく甥っ子夫婦は2人でお墓参りに行った。
しばらく遊んで満足したようで名残惜しいけれど、出発の準備。 
本当に兄嫁さんは子供たちが小さい時から良くしてもらった。 料理上手だし子供が喜ぶような遊びいっぱいしてくれたり、
もう充分にもてなしをしてくれる。 私にはとてもマネが出来ない。

甥っ子次男の子、2歳のこうちゃん、妹(10ヶ月)が出来てなんでも自分で淡々とこなす、くつもちゃんとはいていじらしい。

 

恒例の記念写真。

夫の実家へ寄って、義母や兄弟たちに挨拶をした。  大阪の義姉夫婦や姪っ子家族は兄弟たちと大三島の
潮風呂温泉へ行って帰るのでひと足先に出た。 
寂しそうに何処へ行ったかと義姉の名前を呼び続ける義母を見て、義母と留守番の兄嫁さんは目をうるませていた。 
嫁同士、365日目が離せずお世話下さる兄嫁さんの気持ちが分かる気がして私も胸がいっぱいで肩を抱いた。
実家で孫たちと過ごしてしまった自分が申し訳ないような気持だった。
4月の終わりには分かったのに、近くに住む弟ばかりか夫も分からなかったらしい。 夫はどんな気持ちだろうか。
義姉には悪いが、最後まで兄嫁さんだけは忘れないでいて欲しい。
もし仮にこれが実家の母であっても、私たち子供は忘れてもいいずっとそばで尽くして下さる兄嫁さんだけは絶対に
覚えていて欲しいとそう思っている。
大三島に渡る前にドルチェに寄った義兄たちと会った。



ここの手造りアイスは7月だったかTVで公開していた。 天保山のマーケットプレイスで全国アイスクリーム博覧会があるが、
ドルチェも選ばれ入っていて、今や全国区。 柑橘系もあるが塩アイスがおススメ。
新発売の、三原の八天堂のクリームパンとコラボ、”アイスなくりーむパン” 高! 300円、でも美味しい!

島の風景は眺めているだけでそれだけでいい。

 

今一番活発でみんなの目じりを下げるのがゆいちゃん。 義兄も思わず「一枚撮ってくれい」

 記念写真。

実家の玄関の下駄箱の上にあった小さな額。
「辛いという字を 一つのりこえると 幸せという字になる 人生これから」 と書いてあった。
母がいつもまだまだこれからも勉強と言う。 一生が努力頑張らにゃと言う。  それに似ている。

島を後にした。 さまざまな思いがよぎる。  楽しい思いと辛い思い。
しかし法事を3人娘たちが出席出来ない旦那さんの変わりにちゃんと礼を尽くしてくれて親としてはほっとしている。
適当にあそこここと2度SAに降りたのに、降りるたびに義姉夫婦たちと顔を合わせた。
面白いことに愛ちゃん親子をマンションに降ろした近所の回転寿司で順番待ちをしている義姉家族たちにまた会い、
不思議で本当に心で通じているんだなぁと言う嬉しい気持ちだった。 いつまでもこのような仲でありたいと思った。

実家の母は昨年同様、兄嫁さんが「私の風邪がまたうつってね」と笑っていたが、暑さと夏風邪は母から手仕事を
とりあげてしまい、しかし点滴を続けながらなんとか元気を保っていた。 ひ孫で疲れなかったろうか。
話すテンポ、口調や歩き方に前よりも少し衰えを感じた。 義母も同様に少しづつ変化する症状には辛いものがある。
そんな母たちの老いの加速に加え、いつかは・・の覚悟のようなものが頭のどこかで意識になっている。
それにしても365日手厚くお世話いただく双方の兄夫婦、取り分け兄嫁さんたちには頭が下がり感謝の一言に尽きる。
おもてなし・・親も子も孫たちも、目いっぱい過ごさせてもらっていいお盆帰省だった。 


* 帰省 サンセットビーチ *

2011年08月12日 | 風景・お出かけ

 

 

朝から庭の小さな砂利とかで無心に遊ぶ。 大阪では、公園にしか土はない、アスファルトだけなので家の前では
このように遊ぶことが出来ないのである。

 兄夫婦、甥っ子家族と一緒にお墓参り。 
なつめやかんたの保育園はお寺関係なので、ののさま(仏さま)にはいつも手を合わせているようで、実家に来ても
お仏壇に手を合わせ、何やら拝んでいる。 良い習慣は有難い。

お寺が経営している幼稚園にひろとやなつめと同じ頃私は通っていた。 
教室は別室だが、発表会や毎日のお昼寝は本堂だった。 
境内には小さなお堂があって、「悪い子はここへ入れますよ」そんな脅かし、入ったことはない。
その幼稚園に孫たちと来るなんて、なんか不思議、。

 兄夫婦は帰宅、甥っ子たちと多々羅大橋を横目にサンセットビーチへ。

 青空で今日は恰好のお天気である。

 駐車場無料。 
桟敷を予約しておいた2500円、帰るときに500円バックで正味2000円、陰だし安心しておれるのでおススメ。
まだ12日そんなに多いと言う訳でもない人。

さぁ、海は広いな大きいな~なつめかんたは初海

 青い海と空、白い雲・・ロケーションには最高

お昼はお店の焼きそば、お好み焼き、おにぎり・・こんなのが美味しいんだよね。

 

甥っ子次男親子、2才2ヶ月のこーちゃんと10ヶ月のめいちゃん。
私はめいちゃんの子守するから、こんな時はこーちゃんパパママを独り占めしてよね。 

 

いいなぁ・・私も海に入りた~い! いえ、世間に目の毒なので今回は子守に専念、するねん。



存分に遊んだ孫たち。 ひろとは少し泳げるし、なつめはまだまだだけど慣れる所から、かんたも楽しんだし、
ゆいちゃんは海を怖がらず手を離せと言うし、姪っ子の所のちっちも慣れたね。 
そんな子供たちを嬉しそうに眺める若い親たちの顔を見ると私は嬉しい。
今回は法事と言う事で帰省したが、夫の実家の兄嫁さんの事を思うとこんなに楽しんでいいのかともちらっと思ってしまう。

 「ばぁば、ゆいのみじゅぎしぇくしー?」 1才の夏、保存版。

「うみってたのしいね。 ゆいはじゅうにがつうまれやねんけど、なちゅがしゅきになったよ」

滞在時間 3時間半 引き上げる

 海でいっぱい遊んだのでお昼寝をするかと思いきや、元気だ~。

夜はまた賑やかな夕食、仕事だった長男一家3人が増え、大人11人、子供7人。
母88歳、孫12人、ひ孫8人、ひ孫は今年中に2人増える。 賑やかさは家の繁栄、長生きはするものである。
長男のお嫁さんは大変だ、沢山のお布団干して、シーツかけて帰るとまた干して、食事の用意も半端じゃないもの。

 
食後は恒例の花火。 兄嫁さんがいつも孫たちを喜ばそうと用意してくれている。
大阪では公園はもちろん禁止、家の前でも煙など近所迷惑になるし、中々出来ない花火。 みんな順番に・・。
あれ駄目これ駄目・・でない、田舎の暮らし、孫たちはいつまでこうやって訪ねられるだろうか。

世間では「親が生きてるうちやで、元気な間に帰ってあげなさいよ」と良く言われるが・・
兄嫁さんは以前から、「万が一お母さんがいなくなっても、お墓参りしてすっと帰ると言うようなことはしないでね」
そう言ってくれている。 いつも心から歓待してくれるもてなし方を見たら、世間の言葉は実家にはいらない気がする。
「母が広島一の幸せ者」と口癖で言う所以は、ここにあるだろう。 

 


* 帰省・・・で、早朝散歩 *

2011年08月12日 | 風景・お出かけ

夫は夫の実家に義姉家族5人と泊まった。 私を含め8名は私の実家へ泊まった。
5時前に目覚めたので(朝日を拝みに行こう・・) 大抵、毎年そう決めている。 そっと家を出た。

まだ太陽は顔を見せていない。 静かに波が寄せて序奏曲。 
間もなく昇りはじめた。

田舎では日常なことが、大阪にいると中々このような瞬間を見ることはなく、少しの優越感。  

辺りをオレンジ色に染めながら昇る朝日、少し暗い海に一条のその光を映しだしながら。

 一日がどうぞ無事に過ごせますように・・母たちが穏やかに過ごせますように・・。

西の方は子供のころから貝を掘ったり泳いでいた浜。 兄に放り投げられて溺れかけ泳ぎがきらいになった海である。
未だに足の届かない所では泳げない。 このトラウマは人生の汚点。

何枚か朝日を撮っていたら、一台のライトバンが止まった。 おじさんが犬のひもを波止場にくくりつけた。
私を見ても吠えもせず、おとなしくしていた。

 

おじさんはスコップと袋を持って、砂浜に降りた。  (声をかけようかかけまいか)この至近距離ではかけない方が不自然、
「何を掘るんですか?」 「砂じゃ、砂をとるんじゃ。 もう潮が満ちて来て駄目じゃ、濡れとるわ」
砂をどうするのか訪ねたら、「お墓に持って行ったり、ご先祖さんを迎えるお膳みたいなんがあるじゃろう、お寺さんが
拝みに来てくれる精霊棚にもちょっと供えたらええんじゃで。 あんたどこの人」 
実家の姓を言うと同じ地区の人で、亡き父の事も知っていたし、母のことも良く知っていた。
おじさんは自分の姓を言われたが多分、妹のどちらかに同級生がいたような気がする。 

 いい事を聞いた、海で亡くなった父、15年間船乗りをしていたのでよけいに海の砂を墓所に持って行きたいと思った。

近年出来たのであろう、遊具のある公園みたいな・・。 それでなくても田舎は広々しているのに、海のそばに。
喜ぶだろうなぁ、4人の孫たちの顔が浮かんだ。 

 今や時の花、売れ始めている人気の花の種や苗、その名は世界を制覇した・・女子サッカーチーム”なでしこ”
一輪では目立たないが群れて咲くと存在感をアピール、しかし楚々とおとなしい、やはり大和なでしこ。



何年前かの大火で焼けた山にも、年々木々が育って来て少しづつ山肌を覆い始めている。

子供の頃・・中学いや高校くらいまでだろうか、ここは造船所だった。 
小学校くらいまでは、新造船の進水式には紅白の餅まきがあって近所の人たちで賑わったものである。
放置された船場は年々廃家となして、過去の栄光など微塵も感じられない所か、放置されたままの廃家屋は悲しい。 

 廃材の古さのそばで、季節には新しい葉をつけている草木が対照的で、鮮やかでひどく新鮮に見える。

 ヘクソカヅラと言う気の毒な名前の花も、可愛く美しく見える。

青い柿の実に朝日がさす。 そばの家からはTVの音、まな板の音、動きだしている人の声が聞こえた。
今日も一日が始まる。 どんな一日になるだろう。

私がよちよち歩きの頃、この鳥居の近くを歩いていたとき、一頭の牛が田んぼをすく鍬が何個かついたような農具を
つけて暴走してきたそうだ、母の目の前でそれはあっと言う間に。 
「あ!!曳かれる!!」 青ざめ叫んだ母の目にとっさに横から走り出てきた1人の男の人が私を抱くなり横に転げた。 
牛はすき鍬を着けたまま走り去った。 暴走した牛の飼い主がしばらくして走って来たそうである。

私は助けてくれたその人のお陰で、危機一髪で難を逃れた。 あの時、もし牛がぶつかっていたら、鍬くわでもあたって
いたらどうなっていただろうか。 大怪我・・運が悪ければ・・飛ばされて頭を打ったり・・どうだろう。
田舎なら大抵は、どこの誰それさんと分かるものであろうが、なぜか見かけない人だったそうである。

小学校の高学年の頃、そのことを聞かされた。 名前も告げず去ったその人は、言うならば私の命の恩人である。
その人に助けてもらわなかったら、もしかしたら私の人生は無かったかも知れない。 
その人はどんな人だったのだろうか。 鳥居のそばでは、普段は忘れているその事を思い出してしまう。
見えないその人には大いに感謝である。

 (お帰りなさい) 兄嫁さんが植えているミントの花が、そう言っているようにやさしく迎えてくれた。

浜に行って良かった・・朝日を拝めた清々しさに加え、海の砂の話を聞けた。 
この後庭の木や花に水を撒いていた兄夫婦と、そんなことや写真の事などしばらく立ち話をした。
袋を持って行ってお墓に海の砂をお墓参りに・・と思っていたのに、出来なかった。 
2人とも砂のことは知っていて、お墓に持って行ったそうである。 そう言えば遠い過去、精霊棚のお供えの大きな
蓮の葉のうえに、砂が小さく盛ってあったような(違うかも)  精霊棚にはお供えが飾ってあった、笹をたてて。
お坊さんが13日朝一軒一軒お経をあげに回る、そうしてご先祖さまを迎え16日に送るのだ。
孫4人を連れて帰ったし、昨日は父の命日でもあったし、明日朝母たちと一緒に迎えられることが楽しみとなった。


* 帰省 義父33回忌法要 *

2011年08月11日 | 行事

愛ちゃん母子3人を迎えに行き、大阪を出発したのは午前0時半だった。
義父の33回忌法要、本当なら仕事の夫である、愛ちゃんも次女も10日まで仕事だった。
大人5名、子供4名 2台の車、Lグランドの後部をフラットにしお布団を敷いて二組の親子が眠れるように。
夫1人を運転席に・・は気になるので、長女には申し訳ないが1人で車に。

無呼吸症候群の夫は、次女が用意していた眠気覚ましのドリンクを初めて飲み意外や眠気も来ずにいて
一気に福山SAまで走ることになった。 渋滞もなく3時半には着いた。
後部は全員寝ていたが、仮眠をとることに。

目覚めた時前方のシートをのけたとき目の前に広がったのは・・ 

私たちより到着が遅くなると言っていた大阪の義姉夫婦と姪っ子親子の5人もここで仮眠していて会った。

ここのパンは結構有名で、7時に焼きあがるのを多くの人たちが待っていた。
今日も暑くなりそう・・太陽はすでにぎらぎら照り始めていたが、朝の新鮮な空気を吸いながら焼きたてのパンで
一緒に朝食、爽やかだった。

 

因島大橋を渡り・・

生口大橋を渡ると実家はもうすぐ・・

 佐屋条・・夫の実家近く 夫の遊泳の個所であり、帰省の時子供の小さい頃はこの辺で泳がせたことがある。

夫の実家に到着後、私の実家へのお土産類、車の中では高温になるので私の実家へ長女と先に降ろしに行く。
空、島、海 当然だけど、生まれ育った島への愛おしさのような感情がふつふつと湧いてくる。
兄が待っていてくれて、一緒に荷物を降ろしてくれた。 
昨年10月胃全摘・・落ちた体重、ズボンの余裕な部分がそれを感じさせそれには言葉が出なかった。



親戚や兄弟たちも集まっていた。 兄弟仲がいいので、帰省するとみんなが集まり楽しく談笑することをとても幸せに思う。
10時半全員でお寺へ 昨年新しくなったお寺、正座が出来ないので椅子はあるかなと思ったら、やはり高齢化社会である、
本堂では参列の人々全員が椅子席になっていてほっとした。 読経の中をみんなが立派な祭壇でお焼香をする。
その後墓所へお参り。 子供はもちろん孫たちもお線香をあげ手を合わせた。

12時、お寺さんが家に来てお経をあげて下さる。 長い読経だった。 
普通はこの後、お坊さんを交え膳を囲むが、お坊さんとて重なるとご馳走も厄介なもの、最近はお布施に変わったようだ。
ひらがなが打ってあるお教本を皆でついて読んだが、お教本表裏・・長い・・前日包んだお布施が多かったからだろうか
等とひそひそ苦笑していた。
”いつもより多く回って・・いや長~く読んでいます~”ってな具合?

お経の後、お坊さんの話の中で「仏さまは、33回忌法要で初めて成仏されるのですよ」と言われた。
恥ずかしながら一昨年は実家の父の33回忌、そのことは知らなくて初めてこのことを知らされた。 
そうなんや、33回忌で初めて成仏・・なんだか複雑なそれでいてほっとしたような・・・。

床の間の掛け軸、義姉さんが、昨年求めたと言われた。 
生まれた時から、どこの家にも座敷には床の間があって掛け軸があって花が活けてあって・・やはり落ち着くなぁ。
義父が大好きだった。 多くは語らないが、優しい含みのある言葉で色々な話しをしてくれた。
前の家に一度着てくれた、2度目は次女を生んだ時病院へ見舞ってくれたのが最後、その2ヶ月後に他界した。
父にしたら最後の力で夫に会いに出向いたのだろうか、生後2ヶ月の二女を連れて訃報に駆けつけた時を思い出した。

夏場、大勢の料理は大変なので瀬戸田の”かねよし”で食事。 平山美術館の近くだった。
家でお膳料理をとって頂くよりも、熱いものは熱いように、冷たいものはそのように、コース料理がほど良く出て来る。
もう食べられないわ・・等と言いながら、みんな結構食べた。 いいお味だった。 また利用したいお店。



外観は地味だが、感じが良くて2階は宴会席、ゆっくりと食べる事が出来た。 地元で愛されているお店のようだ。

我が家だけでも9人、泊まるのは私の実家に頼んでいたので、賑やかな夕食のあと8時半ごろ実家へ行った。
長女、愛ちゃん、次女と旦那さんは仕事だったので、言えば代表で出る訳で、法要に関してお供えや服装や何かと
余り経験の無い事がら、数珠はそれぞれ結婚した時から持たせてあったが務め終えてほっとしたようだ。
無事法要を終え安堵の思いと、義母がそのことや初めて夫を理解出来なかったこと病の進行が妙に寂しく思えた。
私以上に夫にはショックだったに違いない。


* 朝顔の顔 残暑お見舞いに・・ *

2011年08月10日 | 花や木

明日午前0時出発で帰省すると言う、その前日である。 何日間か更新もお返事も書けないのでせめて・・
「残暑お見舞い申し上げます 帰省の由・・」とか書いて帰ろうと思っていた。

この朝撮った朝顔、青より赤より白よりも・・これがいいかな・・と写真を選んでいた。

ふたごちゃんのようなこれにしようかな・・

横顔もいいかな・・ とか

葉書のように 縦にしようか・・

後ろ姿も乙かな・・とか迷ったあげく

子守やら用意やら家の雑事で結局書けなかった。
お中元を送る所にだけ、送るその旨や帰省の時はお世話になりますとかを書いて暑中お見舞いを出しただけ。
他は出さぬまま、早立秋を過ぎ・・残暑お見舞いの時期になってしまった。