アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

診察

2006-09-30 13:33:31 | 介護



チョコパンに、長野から送られてきた巨砲を食べさせてもらうジェンギンス

5日間も39~38度の高熱が続き、
咳も出て、抗生物質も効かず、点滴も外れてしまうので
短期入所していた老健から、病院へ移ることになりました。

どこの病院も受け入れてくれないので
結局、どうせ受け入れてくれないだろうけど
診察はしてくれるというので
かかりつけの医大へ救急車で運んでもらいました。

武蔵野市の救急隊のかたに、遠い新宿まで運んでいただき
たいへん感謝しています。
有料でも良いと思うくらい感謝しています。

さて、
たいへんだったんです。

薬の副作用が悪い方向に出てしまうジェンギンスが
高熱とその薬でまともに居るわけがありません。
でも、老健のスタッフは、ジェンギンスの異常については
何も語りません。。。不思議です。
・・・でも、手に負えないから電話をくれたんでしょうか?

めったに、途中で迎えに来させた例はないと聞いていたのですが。
その、めっただったのですね。

つくづく、ジェンギンスは手のかかる迷惑のかかるボケだと
感じました。 
こんな、ひどい呆けはめったに居ません。

救急隊が老健に到着し、「病院にいこうね」といわれたまでは良かった。

「救急車のベッドに移りますよ、いち、に、さん 」
「 痛い! 痛いよ!」 と、ジェンギンスが怒った。
ここから、戦争が始まった。

少しの衝撃でジェンギンスは痛がる。
ピーポーの音や、ドアを閉める音、騒音に敏感に
反応する。
救急車の乗車時間が長かったので、うとうとするけれど
物音で目覚めてしまう。
両足をすごくゆするので、わたしが押さえたら
腰が痛いといっている。 頭も痛いと言っている。

付き添いの救急隊員は優しく対応してくれた。
そして全部記録している。
枕を出してくれたり、熱をはかったり、血液酸素濃度を調べたり。。。

この酸素濃度は老健ではかなり低かったようだ。
救急車の中では普通だったようだ。
96 とか言ってたな~

ジェンの今までの病気とか聞かれて、
肝臓だとかいろいろ報告した。
そして、肝心のアルツハイマ~だということを言い忘れていて、
かなり後から、報告した。
隊員が大声で、「 認知症あります!!」と運転席に伝えてきた。

医大に到着した。

救急外来の入り口から入ったけれど
3階の外来へ行くよう言われた、
「4階だ」 と私が言ったら、「間違えた4階だ」と救急外来のスタッフが言った。

救急隊がどこへ行くべきかの指示が明確に伝えられていない。
入り口もはっきりしない。
この病院らしい曖昧さが相変わらずある。

4階へ行くと、救急用の扉が開いていた。
待っていてくれたことが伺える。
ここには一人ベテランの看護婦さんがいるのだ。
45年前に父の胆嚢摘出手術に立ち会った看護婦さんが
いまなお、老年科に勤務しているのだ。

父の担当の助教授はこの日出勤ではなかったので
名簿に名前も載っていない先生が担当となった。
見かけは、期待はずれだった。
ヤンキな兄ちゃんで、Gパンはいておまけに長い鎖が腰にたれていた。
検査内容は、ベテラン看護師さんがすべて承知して指示される前に
どんどんそろえていたし、「せんせい、これですね 次はこれですね」
と、手際がよかった


病院ベッドに移すとき、頑固に扱われたので
ジェンはこれまた怒りが始まって、とうとう
ひどいことになったのだ。

周りのすべてが敵となった。
ジェン体に障るものは、強い力で抵抗された。
凶悪犯人から逃れるように、協力に
ジェンは抵抗した。

何かの検査をするために
先生がズボンと下着を下ろしたけれど
抵抗した。
先生は検査をあきらめて
鎮静剤を打つ手配をした。

わたしは、
「 それを打ったら、余計ひどくなります。
 冷蔵庫もテレビも倒すくらい興奮します
 前にも、それを打って効かなくて2本打って
 激しく暴れたんです」

先生は、おとなしくするために打つんだと言って
打った。

4人で取り押さえて、注射を打たれた。
若い先生たちは、9度の高熱のある80過ぎの年寄りに
負けるくらい必死で押さえつけていた。
おとなしい看護師さんの男の人は、手を拳骨で殴られた。

あ~あ 打っちゃったよ。
知らないよ!

「 おとなしくなるまで、廊下で待っていてください」

「 おとなしくはなりませんよ 」 と私は言った。

全然信じようとしないんだから・・!
沈静剤を打ったら、激しい興奮になるってことも
知ってください

ベッドに寝かせておいたら危険なので
車椅子に移すことになった。

はい、ジェンギンスはまったく動かなくなってしまいました。
右も左も向きません。
ベッドから立つことも向きを買えて座ることもしません。
車椅子の移動もぜんぜ出来なくて苦労しました。
完全拒否です。 激しい拒否です。
もう、てこでも動きたくないというひどい拒否です。
訳のわからないことも言い出してます。
「やれるもんなら、やってみろ やるか !」

そして、高熱のため寒くて寒くて、タオルケットを2枚かけましたが
震えていました。
タオルケットを上着だと思って
何度も袖を通していました。

1階で、CTを取ってきてというので
車椅子で降りました。

どんなになだめても、おだてても
どんなことをしても

CTは取れませんでした。
CTのベッドに寝てくれないのです。
あきらめて、車椅子に戻そうとしても
今度はCTのベッドに座ったままです。
タオルケットをじっと見つめて右へ左へと
触っている症状は薬の副作用で、この状態のときは
何も出来ないので、そのことをCTの技師に伝えると
信じてくれました。
やっと、私の言うことを信じてくれる人がいました。
 
その間も、激しい抵抗でたいへんです。
ジェンの体に障ったらたいへんなことになります。

CTの検査技師のお兄さんはおおらかに
待っていてくれたので気持ちが助かりました。
でも、ジェンの機嫌はちょっとやそっとで
治るもんじゃありません。

よく、みんなは、すぐに忘れるとかいいますが
この、へんな抵抗はすっごく長いあいだ続くのです。

結局CTは取れませんでした。
ベッドに寝てしまえば1~2分で
はっきりと肺の映像が取れるというのに
取れませんでした。

レントゲンは
試してもくれませんでした。

若い先生は、カルテを見て、
3年前に入院したとき
点滴もはずしてしまったし、大事な胆道の管まではずしてしまったことを
明らかにあきれていました。

過去のカルテを見て、やる気を失っていました。
あきれた顔つきをしました。
父の、現在の高熱とへんな咳を取ってあげたいという
気持ちは無いようでした。
「検査が出来ないから、判断できないし処置できない」
と言ってきました。
「検査できなくて、病名がわからなかったら、他の病院も
 紹介できない、てきとうに判断して処置することは
 できませんから」

4人が取り押さえて
血液を取りました。
女の先生が取りました。
針が抜けてしまったとき女の先生は
「 きゃ~~」 っていいました。

マクドウウェル博士が、病院に駆けつけてきて
それを見たとき
「 きゃ~かよ!!」 って言ってました。
「 看護婦でもそれは言わないだろうよ 」って言ってました。

一回の血液採取で取りきれず
もう一回血液を取ることになりました。
ジェンギンスったら、
「 下手だな~」 ってその女の先生に言っちゃったんです。
正直な気持ちじゃなくて、呆けてそういったんですが
女の先生は、多分自己嫌悪に陥ったと思われます。

2時間以上かかって
検査が出来たのはこの血液だけで

炎症反応は思ったより少ないということで
たったそれだけの判定で
肺炎かどうかの判断もわからず

高熱と激しいタンの咳と、肺のへんな音は原因もわからず
点滴という処置さえも,無理でしょうと言われてしてもらえず
何のために、老健から来たんだかわかりません。
老健での点滴の処置のほうが良かったです。

「 たとえ、ベッドがあいていたとしても
 家族の人に付き添ってもらうことに
 なりますよ。
 しかし、今の状態だと、薬で治すしか方法はありません
 点滴をしたほうがいいんですが、むりですから 」

ジェンは、その時38度以上の熱があって寒くて寒くて
でも、車椅子に座らされてかなりうなって寝ていました。

先ほどの興奮から2時間もたっているので
かなり落ち着いて具合が悪くぐったりしています。
点滴は出来そうでしたが、してくれませんでした。

先生たちは、奥で話し合ったみたいです。
このじいさんは、受け入れることが出来ませんって。
お帰りください って言われちゃいました。
ベッドがいっぱいだとは言いませんでした。
家に帰ってのみ薬で対処してくださいって言われたようです。

手の施しようがありません って言われた感じです。

言われていませんが、言われた気がしました。
先生の顔が語っていました。

車椅子のまま外に出てタクシーに乗せようとしました。
乗ってくれません。
乗車拒否です。
何台かのタクシーを困らせました。

しばらく、立ちんぼでした。
歩くのも乗るのも拒否でしたから。
車椅子は病院に返しました。

別の車椅子を借りて、これで家に帰ろうかと思って
貸してくれるかどうか守衛さんに
聞いたのですが、許可が必要とか言うのであきらめて

またタクシーに挑戦してみたら
疲れていたようで乗ってくれました。

降りるときは家の前まで乗り付けてもらって
すぐ降りてくれました。
ひやひやしました。

13日ぶりに家に帰ってきたジェンギンスですが

激しく大ボケになっていました
明らかにひどいです。
何もわからないみたいです。

夜、寝てから3人がかりでオムツを履かせました。
寝ていたのに激しく抵抗されました。
パジャマのズボンを脱がせることが出来ませんでした。
絶対、脱がないように手でパジャマをつかんでいました。

何とか脱がせてたら、今度は履いてくれません。

デモ、オムツのお陰で1-2回は助かりました。
1~2回は失敗したようです。

オムツに車椅子
ジェンギンスにとっても
初体験シリーズですよ。
 





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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。