アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

2/25 日曜面会・・あおたん

2007-02-25 00:45:37 | 介護
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タイトル | 2/25 日曜面会・・あおたん

作成日 | 2007-02-26

アクセス数 | 133        推薦数 | 0

カテゴリー | 日記 > 生活 > 美容/健康/コスメ


一人でのんびりと面会に行きました。私は考えたのですが、一人でジェンギンスの隣に座って居る時は、のどかで落ち着いた時間が流れているなぁ・・・って。

仕事もしなくていい、誰にも気を遣わなくていい、家事のこともすべて忘れて

ホッとした時間を過ごしています。

ジェンギンスは、わたしにホッとする時間を与えてくれました。

80年もこの世にいて、ジェンギンスも疲れただろうなと思います。

楽になっただろうな、ジェンギンス。



さて、病棟に入ろうとしたら、看護婦さんから呼ばれました。



昨夜の土曜日(わたしが母の病院付き添いで面会しなかった日)、そうとう虫の居所が悪く、抵抗が激しくてあばれてしまい、ベッドで顔を打ったということです。



目の上が切れて絆創膏を貼っていました。 目の周りは青タンです。

青タンは、時々よく作っていましたが、今回は最高青タンです。

冷やすこともさせてくれなかったそうです。



ジェンギンスの抵抗は私たちも良く知っています。

ジェンの嫌なことを無理やろうとすると、それから逃れようとして激抵抗が始まるのです。

ジェンは、年をとっているけれどそうとう力が強いので介護者が一人や2人ではかないません。

だから、認知症専門棟は介護士がほとんど男性です。



ジェンはいったい何を抵抗したのでしょうか・・・

それは分かりません。



でも、日曜のジェンギンスはいつもの通り穏やかでおとなしいおじいさんでした。



なんの問題もありません。

毎日おやつを与えるようになってからは激しい空腹で食べ物を必死で欲しがることも無くなりました。



カフェオレと蒸しパンとまんじゅうとおにぎりを少しずつたべてお腹は落ち着いていました。

テリーチャン人形を持参したので、テリーちゃんを踊らせて遊んでいたら、ジェンも笑って遊んでいました。



日曜なのでとりわけめずらしく面会家族が多かったです。



世話好きのおばちゃんのだんなさんは

酸素を付けていました。

体が悪いのに奥さんのお世話はたいへんだったでしょう。



失語症のおばあちゃんのだんなさんは

お婆ちゃんの言葉をよく聞いて話しをしていました。すごいと思いました。



入所したばかりの若いお母さんの子ども達は長い時間お母さんと一緒に過ごしていました。

おとなしいおかあさんが手をたたいて興奮しだした時、子ども達は困っていましたが、わたしの家族だったら、たぶん一緒に手をたたいて合いの手を入れるだろうと思いました。





看護婦さんと少し長く話しをしましたが、エリートだった人、国立大学の教授だった人、社長さんたちがここには入所しているけれど、ここに来てしまうと

みんな同じヒトだって。。。



そうか、わたしが気楽に声を掛けてため口で話していたおじさん達は

とってもエライヒトだったんだ。



反省した。

ため口を辞めます。



そういえば、おじさん達は敬語でわたしに話してくれていた。

わたしも言葉遣いには気を付けなくてはならない。



~~~~~~~~~~



そろそろ3月でこの日は、段飾りのおひさまを病棟ロビーに飾っていました。

大勢の看護婦さんが分からなくて、あれこれ考えながら説明書を見ながら

飾っていました。

とにかく、認知病棟に飾るんですから

よくここまできちんと揃っていると感心します。



飾り終わると、みんなに見せていました。

わたしもジェンギンスに見せました。

ジェンは大きな飾りよりも、そこに落ちている箱や髪飾りの小さなものに気を取られていました。



季節の移り変わりとむかしながらの伝統行事の大切さを感じる。

生きていくことで大切なことが沢山ある。 簡素化ばかりがいい訳じゃない。。。けどなんでも省略しようとしている私だ。



両親の葬儀を簡素化してわたしは、後悔するだろうか。

自分の葬儀はもっと簡素化して焼くだけです。 わたしの遺言です。


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2/24 母CT

2007-02-24 00:53:42 | 介護
タイトル | 2/24 母CT

作成日 | 2007-02-25

アクセス数 | 146        推薦数 | 0

カテゴリー | 日記 > 生活 > 美容/健康/コスメ


昨日のジェンギンスとののどかな時間を今日も持つ予定だった。



朝、ゆっくり起きて階下へ行くと、母が病院へ行くところだった。



いつも突然思い立つ人です。



具合が悪いのは様子で分かっていたけれど、頭痛が止まらないそうだ。

、、どっかで聞いたことのある症状だ。



いつかこの日記に母の容態が変だと言うことを書こうとしていたところだったけど、本当に変なのです。



母のこの頃



★ 朝から昼から夜まで、居眠り。

★ 左目の不随意まばたき

★ 突然足が痛くて歩けなくなる。

★ 10年前からすごくゆっくり歩く

★ 両足均等に歩いていない

★ ほとんどおかずは食べない

★ ミカンを異常に食べる

★ テレビがどれも面白くない

★ 字を読まない読みたくない

★ 寒くて厚着に厚着

★ 電気毛布と電気あんかと毛布2枚布団3枚くらいでも寒い

★ むせて咳き込む

★ 血尿が出る

★ 体がこわばっている

★ 



書き切れませんでした。



毎朝一人で起きてパンとコーヒーを飲んでいます。

自分の洗濯と犬の散歩と化粧をしています

歩けなくなっていると初めて聞いたもんだから、なるべく私が犬の散歩に行きますが、もうたいへんです。



それで、脳のCTをすぐに撮ってくれる病院へ行くというので、

MRIがある病院へ言った方が良いからと、母を玄関で待たせて電話で探しました。



でも、土曜日の予約無しということで

MRIの設備のある病院では緊急以外無理でした。



長島さんのリハビリ病院がすぐ近くにあるので電話してみたら、MRIはあるけれど体の不自由な人専門だって。



結局、近隣に今日すぐにMRIを撮ってくれる病院はみつからず、いつものCTを撮ってもらうことになりました。



そうとう緊急性があるらしく、母は一人で行ってしまいました。



わたしは、食事して化粧して洗濯をして

母の行った病院へ40分以上あとに駆け付けました。



なんか、でも母は到着したばかりでした



診察室で母は、「 風邪をひきました、36、4℃は私にとって熱があるのです  」って何回も言っています。

「 すぐに風邪をひいたって言うんです」とわたしは言い直しました。

「 風邪をひいたんでしょう、ああ、のどは全然赤くないね 」と先生。



母は一年中風邪をひいたって言って、葛根湯や風邪薬を飲んでいるのです。

「 風邪をひいたから、お腹がつめたいんです 」って言ってました。

私には、お腹が冷たいという意味が分かりません。



そうだ、わたしが後から病院に到着して

「おかあさん」って声をかけたら

「 あら、あんたも診察に来たの?」って言われました。

そういえば先日レントゲンを撮ろうとして撮らなかったのです。

待っている間、わたしがずっと咳が出ることを責められました。

「 あんたは肺炎だったんだよ 」って

決めつけます。この間は肺ガンだって決めつけてたんだ。



それで、救急車が来たりして随分またされCTの結果は何でもなかったのです。

しかし、一つのCTだけ見せられても比較のしようがありません。



この写真によって、なにが正常でなにがまだ疑われるのかが分かりません。



だって、脳梗塞が写っていないのです。

脳梗塞はCTじゃ写らないんだって。

わたしは母が脳の何かでいつ倒れるのか心配でしょうがないのですが

CTでそれが分からないんじゃ、どうしょうもない。



しかし、母はCTで何でもなかったからエライ喜んでいた。

そうとう、悩んでいたらしい。

あたまにおできができていると思っていたらしい。



わたしは複雑な思いだった。



先生は、体がしびれるとか半分おかしくなるとかしていないなら、大丈夫だといったのだけど、母はどうもおかしいと思われる。



そして、また薬がふえて

母は飲みません。

先日大学病院からもらった頭痛薬も一つも飲んでないし。

ロキソニンだから、大したこと無いけど、飲んで治そうという気がないし、薬の知識が無いから、何が何だか分からないのです。



病院の帰りに

薬を区分する箱だかなんだかを探したけれど無かった。



いままで、なんとか母ができていて母任せにしていましたが

毎日の薬を私が区分しないとだめだな。

ジェンギンスが居た時は、必死で両親の分を区別していたけど、

ジェンがいなくなってこの家は少し変わった。

ジェンが居てくれた方が居心地が良かった。

大黒柱のジェンギンスは偉大だった。



今日は風が強くてとても寒かったです。



鳥かごが風でたおれて

鳥4匹が外に投げ出され

3匹がメーリー・ジョンソンにやられて

死んでいました。1匹は行方不明。

メリージョンソンは、たぶん鳥が逃げないように3匹を押さえていてくれていた

んだと、話しているところです。



おまけに、買い物をしてチャリに荷物をのせたまま他の店に入っていたら

風でチャリが倒れ、卵が4つ割れてしまいました。



身代わりです。

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2/23 金曜の面会

2007-02-23 17:23:05 | 介護
2/23 金曜の面会



歌の会ではみんなの前で熱唱するジェンギンス



今日は金曜日の平日。

雨降り。



わたしはひと月間大忙しの午前のビジネスが一段落した上に、金曜の午後のビジネスを4時スタートに変更したので、きょう思い切って病院へ面会に行きました。



でも、朝昼夜の母の食事準備をしたり、あれこれ忙しく、犬の散歩もしないで自分の夕食の米を洗う時間もなく、昼食を少しだけキッチンで立って食べて、あわてて12時半に家を出ました。

専業主婦じゃなくて、専業介護がしたいとつくづく思います。



専業介護ができる立場の余裕の人がうちの母ですが、母は年をとって、何もできなくなってしまいました。

ジェンギンスのお見舞いも一人では行けなくなってしまいました。



さて、わたしは咳がいまだに出ます。

病院の近くの薬局で、ジェンギンスのためのかゆみの薬を買って、お金を払った途端に、咳がひとつ出ました。

口を閉じて我慢したモンダから、

鼻から、鼻水がピューーッと飛び出てしまいました。

いつものように何事もなかったかのように

店を立ち去りましたが、店の人は気が付いただろうな~。笑ってたかなぁ

振り返ってやれば良かった、、、鼻水の顔で。



~~~~~~~~~~~



病棟に入ると、ジェンは廊下に立っていました。

声を掛けたけど、だれだか分からないみたいです。

腕を組んで、ロビーのソファに座りました。



家で作ってきた柔らか御飯の一口お握りを

2つくらい食べさせました。

トイレに行きたいというので、一緒に歩いていきました。介護士さんが誰もいなかったので、私が介助しました。

ひとりでチャンと、立ってできました。



そのうち、ロビーでは歌の会が開催されました。

みんな集まって、みんなで歌を歌います。

私と、ジェンギンスも輪に加わって手拍子をして歌いました。

いつもは見ているだけの私も、かわいいおじいちゃんお婆ちゃんの為に、大きく手拍子をして、しっかりと歌いました。

私の周りの、全く喋れないおじちゃんお婆ちゃんも一緒に手拍子をして、歌いました。



童謡の時は私はしっかりと歌いましたが、

そのうち、千昌夫の「北国の春」を歌うことになったときは、こりゃ、遠慮させてもらいます。。と思ったのですが、おじいちゃんお婆ちゃんのためだから、歌わないわけにはいかず、「北国の春」を手拍子しながら歌いました。

ぜんぜん喋れないおばちゃんが、私の手を握って放してくれません。

「うたってよ~」ってうなるような声で言われました。手をなでていたら、看護婦さんが引き離しに来てくれましたが、大丈夫だからと言って、手を握っていて上げました。



みんな、かわいくてたまりません。



数曲みんなでうたって、今度はソロです。

「 こんなところで歌うのは初めてです」と言って一人で歌うかわいいおじいちゃん。

いつもおとなしいだけのおじちゃんが、ヨーデルの裏声の歌を上手に歌っていたのは驚きです。

そしたら、今度はジェンギンスがみんなの前に立って「船頭小唄」のソロです。

ふりも付けながら、歌っていました。

わたしは、写メールを取るのにあせっていたので、あまり歌声を聞きませんでした。

携帯が買ったばかりで慣れないため、ビデオをどうやって撮るのか分からずあせりました。 撮れませんでした。 写真だけ撮りました。



歌の会が終わって、お茶の時間です。

他の面会の方がおやつを食べている席の近くでジェンと一緒にすわリ、持参のコーンクリームスープを飲ませました。


おいしいなぁ~と言って飲んでくれました。

甘くない物もいいかも知れません。



そこで、孫のチョコパンが面会に来てくれました。

チャモロの子どもを持ってきてくれたので

かわいいお人形と遊ばせました。

コーンスープとチーズ蒸しパンを食べさせました。



向かい側の面会に来ているだんなさんに話し掛けてみました。

おやつを施設に預けて食べさせている人だったので

「 入所して痩せましたか、うちはこんなに痩せてしまいました 」

って聞いたら、すごく痩せたって言っていました。



その後、いろいろ話しをして、

もう、一年以上この施設に入所しているそうです。

すごくいい施設だって言っていました。

半年で出なくては行けないとは聞いてはいるけど出ていくつもりは無いみたいです。

この施設にくる前は、月に35万円の老人ホームに入所したそうですが、ほんの少しで退所したと言っていました。


全く、面倒を見てくれなかったそうです。

重症になると介護出来ないと言われたそうです。

施設によっては早死にしてしまうと、その旦那さんは言っていました。

。。。私と同じ考えでした。

その、認知症の奥様は介護5だそうです。

3年くらい前に正常だったのが急におかしくなってしまったそうで、旦那さんは、とっても悲しそうです。



3時になり4時からの仕事に間に合わせるために私はここで、帰宅しました。



体に薬を塗ることなど、チョコパンに後は任せました。



チョコパンもお世話好きの明るい介護ができるので、その後みんなといい時間を過ごしたようです。

車椅子で座りっぱなしのために、立ってみたら立って歩けないお年寄りが多いのは

見ていてかわいそうです。



喋れるお年よりと歩けるお年よりがすごく少ないことが目立ちます。



寒かった病棟は設定温度が上がって

暖かくなりました。

靴下を履かせなかった施設が履かせてくれるようになりました。

拘束の少なかった施設でしたが、拘束が多くなりました。

。。今年にはいって、なんか、施設の方針が変わった気がします。



今日も元気で良かったです。


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お腹が痛いとか

2007-02-17 17:30:54 | 介護
2/17 面会

2月17日土曜日。



わたしは、メインの仕事は休みですが午前のサイドビジネスがたいへん忙しい時期で、土曜も仕事に出ます。



4週間前からの私の風邪は治まったものの、咳が残り、その咳がコンコンと

渇いているので母が肺ガンではないかと脅します。



12月末にレントゲンを撮っているので、その病院へ金曜に行ったのですが、午前の受付に間に合わず、肺ガンの疑いは掛けられたままです。



肺ガンはともかく、4週間無かった頭痛がいっきに始まり、

激痛に苦しむ今日この頃。

いつものように何を飲んでも効かなくて、とうとう希少価値の

偏頭痛の薬を朝方、夢中で飲みました。

それで、治まってしまったからどういうことだろう。

原因はバレンタインのチョコでしょうか。

そんな、教科書通りの頭痛だったのでしょうか。



さて、咳だの、だるさだの、頭痛だので、家族のいる重荷を背負って

仕事帰りにジェンギンスの面会に一人で行きました。



帰りには行くつもりだったので、出掛けにコーヒーをポットに入れて、柔らか御飯でおにぎりを作って、途中で1週間分の差し入れおやつを買いました。



カロリーという物を生まれて初めて気にして、表示を見ながら数値の高い物を買いました。

カロリーという言葉は無くて、エネルギーを見ればいいのでしょうか?



ヨーグルトより、プリンの方がエネルギー値が多かったので、プリン系を多く買いました。

通り道の99円ショップで買いました。

あとは、カステラ系の個別包装のおかしも添えます。

一つ140円くらいですから、ジェンギンスは贅沢なおやつを食べているのです。



===========



病院の病棟へ入ると、ジェンは長いすに座っていました。

話し掛けても、ご機嫌が悪いのです。

「 何か、食べようか?」と言っても、首を横に振るし、横を向いてしまいます。

「 気持ち悪いの? 眠いの?」と聞いても、首を振って調子が悪そうです。

暖かい靴下に取り替えようとしても、嫌がって何もできません。



わたしは、どうしよ~ と困りました。

なんか弱っちゃって、これじゃ太らせるどころか食欲も無いみたいで、いっきにくらい気持になりました。



仕方がないから、ちょっと話しかけながら一緒に座っていました。



2時になると、お茶が配られます。

介護のお兄さんがお茶をジェンにくれました。

ジェンに飲ませたら、飲みました。

そして、飲んだら、ジェンは生き返りました。

言葉が出たのです。

「 美味しい?」

「 ああ、おいしい 」

ホッとしました。

持っているおにぎりをあげたら、美味しそうに食べてくれました。

でも、朝作って来たおにぎりは、冷たかったです。

コーヒーも飲んで、買ってきたおはぎも

口に入れてあげました。



向こうの方では、一人面会の方が居たのですが、私が食べさせていたので

その方も持参していた水ようかんみたいなのを食べさせていました。



いつも世話好きでトラブルを起こしているおばちゃんの所に妹さんが面会に来ていたのですが、誰だか分からないみたいでした。

面会中に散歩し始めたので

「 妹さんが来てるよ 」って私が言ったら、その人の所へ行って

「 どなただか分かりませんが、どうも」って挨拶してました。



言葉もはっきりと話して、しっかり歩けるおばちゃんですが、脳みそがやられています。

いつも、お料理のことを気にしているので、ずっと主婦だったんですね。



さて、ジェンは、コーヒー牛乳と、小さいおにぎり2つと、小さいおはぎと、チーズ蒸しパンを食べました。



途中でトイレへ行きたがったので、介護士さんにお願いしました。

面会をしていて最大の利点がこのトイレ誘導です。

一緒に居れば放尿は皆無です。

トイレをさがして歩くジェンギンスは皆無です。



トイレから帰ってきて、座るところを移動し、テレビの前にしました。

自分で耳掃除をしてもらったり、体にかゆみ止めをつけたり、健やかに過ごしているうちに、

お腹が痛いとか言い出してびっくりです。

長いすに寝てしまいました。

頭は肘乗せに乗せているのですが

ジェンは、靴下を脱いでそれを頭のしたに敷き、痛く無いように工夫していました。

お腹が痛いか?と聞くと、いたいと言うのです。

本当に痛いみたいです。



超反省しました。

冷たくて堅い物をいっきに与えすぎたかしら・・・

短い時間に早く与えすぎたかしら・・・



私のコートを体に掛けて、マフラーを枕にして、靴下は履かせて

しばらく寝かせていました。



4時過ぎて、若くて明るい介護士さんがやってきました。

「そろそろ、スタッフが減ってしまう時間なので、夕食前にトイレを済ませ、つなぎ服を着せます。 ジェンギンスさんは力が強くて、抵抗すると僕一人では介助できないくらいすごいんですが、いまから一頑張りしてきます。」

と言われ、ジェンを起こしてトイレへ連れていくことになりました。



腹痛が心配でしたが、すぐに起きて

お兄さんと一緒にふらつきながら行ってしまいました。

その時。 ジェンの孫のチョコパンが

外泊の途中を抜け出して面会に来てくれました。

チョコパンを見たからでしょうか・・・

ジェンがいっきに明るくなってトイレから帰ってきました。

踊りながら帰ってきました。



つなぎの片足が、まだ中途半端だったのでどの程度抵抗があったかどうか分かりませんが、私たちの所でファースナーを閉めました。

ジェンは、にこにこご機嫌です。



テレビではお相撲さんが歌謡曲を歌っていたので、それに会わせて手拍子をしてノリノリでした。

それもこれも、チョコパンがノッテくれるからです。

チョコパンは向こうの方の、おとなしいおばあちゃんにまで手拍子させていました。

なにも喋れなくて字だけかいているお婆ちゃんが手拍子を始めたので驚きました。

お婆ちゃんは、何も喋らないけれど、字では表現できるのです。

窓の外の空が暮れていくことを字に書いていたので、

「 冬だから木に葉っぱがありませんね、暖かくなったら葉っぱが沢山になるでしょうね 」

と話しかけたら、

「 そう、何もない 」 って書いてました。車椅子に固定されて座っているだけの生活ですっかり、認知なのかと思ったら全然通じるし・・・



ジェンギンスはその間も、テレビを見て手拍子して音楽に乗ってるし。。。



チョコパンが言いました。

「 この施設で笑ってるのは、うちのおじいちゃんだけだね 」

ホントです。みんな恐い顔で、渋い顔で、つまらない顔をしています。



お人形をみんなに見せた時や、ジェンギンスが大声で歌を歌っている時は

みんなも楽しそうに笑っています。

もっと、みんなを笑わせてあげたいものだと思いました。



私は週に1回の訪問しかできなくて

とても残念です。

面会に来る人も、もっと元気出してくれないかと思います。



夕方5時近くになり、夕飯準備のために部屋に閉じこもっていたひとが次々にロビーにやってきます。



お部屋にこもっていたひとは、新たな症状で 「 ガラガラガラガラ 」とずっと言っています。 ボーリング場に務めていたんだろうって、噂しました。



あとは、ずっと歌っているひと。

ジェンの音楽好きの歌い方とは違くて、

なんか、ずっと歌っています。



テーブルをたたくひととか、

お世話好きの歩き回るおばちゃんは、とうとう車椅子に固定されてしまい、おとなしくなりました。

これも、一つの方法です。

重症行動認知を預かってくれる施設はこうして対処し家族から介護を解放してくださるのです。



「 問題行動認知は引き受けない 」 という施設が多いなか、多くの重症認知を認めてくださる施設に感謝します。



そんなこんなで、最初は生気を無くしていたジェンギンスでしたが、立ち直って元気な姿の時に帰ってきました。




家に帰ると、最近居眠りばかりしている母が待っています。

突然いびきをかいて死んだように眠っているので、わたしは毎日冷や冷やしています。

たぶん、父より先に逝くだろうと思われます。

きょう、わたしがとっても具合が悪い時に、母は40分くらい大いびきで椅子に座ったままがっくりと首を後ろにたらして寝ているので、すごく困りました。

気持が悪くて私は救急車に付き添えないと思いました。

母は、デイサービス中にまた先日も寝てしまったそうです。



とにかく、わたしの激しい頭痛も偏頭痛の薬一錠で消えてしまい、今は楽になりました。



日曜日は大好きなおけいこ事も、大事な父の面会も体調不良につき欠席です。




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3日連続面会

2007-02-12 19:23:00 | 介護


2/12 3日連続面会


ジェンギンスのためなら3連休が潰れたって病院に通います。



わたしは、午前に仕事の受け渡しがあったので、現場から病院に一人で行きました。

途中でおにぎりとチーズ蒸しパンを買い、家から持参したミルクコーヒーを食べさせます。



骸骨になったジェンギンスを何とかして元に戻してあげたいけれど、1日1個のおにぎりと500CCの牛乳で少しは役に立つのでしょうか。



でも明日からはまた面会に行けませんから、病院に預けてあるデカイプリンなどを食べさせてくれることに期待しないといけません。



病棟に入ると、またジェンギンスが居ません。

今日はトイレ誘導してもらっていました。

声を掛けましたが、恐縮して、申し訳ないと言っています。それに


どうしたらいいのか分からないと言って

泣いています。



昔の暴言は影も形もありません。

良いおじいさんになりました。



ソファに一緒に座って、ジェンに話しかけながらしばらくみんなを眺めていました。



ここは認知症の比較的重症の人が集まっている施設ですが、どの人もそれぞれ大変な症状で、まったく家での介護は無理だという人ばかりです。

このように書くと、まるで頭のおかしくなった人ばかりが集まっているように思う人がいるかも知れませんが、認知症のひとは、それぞれ人格を持っています。

プライドもあって、話しもできます。

言葉遣いもみんな敬語です。

いい人ばかりです。



でも、脳みその一部が壊れて

うまく回転しなくなってしまったのです。

暴言も喧嘩も徘徊もなにもかも、脳みそが壊れたせいです。



だから、怒ってはだめです。

怒ってしまうなら、施設に入れてあげたらいいです。

私なんか、あっちこっちで怒られてるから、もう施設に入りたいです。



しばらくして、ジェンギンスにおにぎりを一つ持たせたら、ぺろりと食べました。

コーヒーも美味しいって飲んでくれました。 蒸しパンも、うまいうまいって食べます。

わたしは、そのひと口で豚になれ と

心で願って食べさせます。

でも、うちの家族はいくら一生懸命食べても、ガリガリ君ばかりです。

体質です。



午後3時までに、おにぎり一つ、チーズ蒸しパン一つ、ミルクコーヒー500CCを完食しました。

以前みたいに、私のバッグの中をさがして食べ物を食べたいという動物的な動作が消えました。

おやつをあげるようになって、本当に良かった。



誕生日を聞いたら、言えました。

住所を聞いたら、言えました。住所は私が生まれるまえの古い住所表示で言っていました。

家族はどうも忘れたらしい。

どこに住んでいるか聞いたら、「ここ」だって。



ジェンギンスより軽症のお年よりは、どの人も心配ばかりしています。

家族の心配や家に帰れない心配、御飯を作らなきゃいけないという心配、

みんな、暇そうなわたしに今日も相談に来ました。

みんな、真剣に悩んでいます。

『 警察は何処ですか?わたしはわかんなくナッちゃったので警察に寄って挨拶をしてから帰りたいんです。

さっき、怒鳴っていたのはわたしの弟ですよね? 弟は何の仕事をしてるんですか?』

『怒鳴っていたのは、よそのおじさんですよ、弟さんはチャンと立派にお仕事しています 』

何時間も前に、短気なおじさんが大声で怒鳴ったので、このかたは相当ショックを長い時間受けていました。



家の心配ばかりしているひと、

申し込みをしたいひと

カーディガンを探しているひと

会社の誰かを捜しているひと

おかあさんを探しているひと。。。その人が今日言ってました『お母さんは亡くなりました』って。

来てくれてありがとうと言っているひと

・・・

まいにち同じことを心配しているのです。

そう言えばジェンギンスも

田舎のお父さんの話ばかりしている時期があったし、駅に雑誌を取りに行こうとする時期も相当続いた。



それぞれの症状があるけれど

しかし、同じ様に進行するんだと思った。



ジェンギンスはお腹いっぱい食べて、

トイレもちゃんと行きたいと言って無事済ませ、素直に椅子に座っている。



体にかゆみ止めを塗って、耳掃除は自分で綿棒でしてもらって、靴下を長めのものに取り替えて、

ジェンがウトウト眠くなってきたところで、わたしは今日は早めに帰宅した。



内科的にも安定し、徘徊もなく、激怒もなく、攻撃もなく、落ち着いていました。



無理やり何かをしようとしたら、きっと拒否がつよく、攻撃されるでしょうが、ジェンにとっては、あるていど放任される方が幸せみたいです。



トイレに行きたい時、すぐに気付いて連れていってくれる人がいると安心ですが、それはうまくいきません。



今日も行って良かった。

生きているジェンギンスの為になったと思う。



私が留守しているために、旅行の荷物とかずっとそのまま部屋にあるし・・・

きっと次の旅行までこのままです。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。