アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

大雪・病院へ

2012-02-29 00:24:00 | 介護


昨夜28日火曜には、この救急外来にて母は上唇を縫いました。

夜中にそうとう痛かっただろうと心配しましたが、
意外にも、そんなに痛くないというのです。
痛み止めも、寝る前に飲んだだけでだいじょうぶそうです。

外は大雪ですが、病院に行かないといけません。

タクシーで出発です。
傘は一本にしました。

市ケ谷河田町にあるこの病院は、ちょっと遠いです。
2240円かかりました。

建て直したと聞いていましたが、病院とはおもえない豪華さで、
カフェやコンビニ、花屋さん雑貨屋さん、
シャルルドゴール空港と同じ屋根でした。



あいにく、ガラスの屋根に雪が積もってしまって暗くなっていましたが
お天気がいい日はそうとう明るいことでしょう。

初診受付に、相当時間がかかり、口腔外科診察は待つこともなく数分で終わり、
「傷口はきれいだから、化膿止めをのんで、何かあったらすぐ来てください。」
抜歯は一週間後の8日です。

自称90の母は、雪の日もちゃんと歩いています。
骨折の可能性がある昨夜も、病院では車椅子も使わず歩いていました。
頑張り屋です。
自称90とは思えません。

病院にあるコンビニで何かを買っていこうというので、
おいしそうなお好み焼きを2つ買いました。
私の分まで買うことって、大変珍しいのですが、とにかく、わたしもここ何日かぜんぜん食べていないので、食べたくなったのです。

なぜ食べていないかというと、本当にすみません。
本当にお父さんごめんなさい。

ダイエットです。
あんなに、もうダイエットはしないと誓ったのに、
お願いです、5キロだけ減らさせてください。

ダイエットに関しては、大変強い意志で
ぜんぜん食べなくて平気で、5キロぐらいあっという間で、
それで、体壊すんだからひどいもんです。

それに、こんかい着るドレスはゆるくて・・・
これ以上痩せたら、ぶかぶかです。

それで、昨日なんか縫合騒動で30時間も何もたべていなくて、
おかげで、今朝起きたときトイレに行きたくない朝でした。
・・・いつもはトイレまで我慢できないくらい行きたいのです。

この枯れた感じが快感なのです。
ああ~細胞が死滅していく~~って感じです。

それで、考えました。
死ぬ前に何をしたいかといったら、

ショートケーキを丸ごとホールで食べたいです。
死ぬ当日には、日本酒と白ワインを飲みたいだけ飲みます。
だって、二日酔いがないわけでしょ?
しあわせです。

そうそう、今朝NHKで外国人のおばさまが言ってました。

死ぬ前にやりたいことがあるなら、生きてるときにやればいい~
って。
ほんと、行きたいところがあるなら元気なうちに行ったらいいわ。
食べたいものは生きている内に食べればいい。
会いたい人には今のうちに会っておけばいい。

だから、やっぱり死ぬ前にしかできない価値のあることをするのです。
お酒です。 いつも制限しているものが飲めるのです。

~~~~~~

話がそれてしまいました。

母の診察もあっという間におわり、昨日の分の会計も一緒に
合計4500円くらいカード払いでしはらい、
自費だと7万円というのは、そうとう高いな! 

タクシーで雪の中を帰ってきました。
とちゅう、バイクは事故でひっくり帰った直後で人が起き上がれずにいたり、救急車もたくさん走っていました。

家に帰って、母とお好み焼きを食べました。
入れ歯を入れていない母にお好み焼きを食べさせました。
夕飯は柔らかいおじやです。

わたしは、雪かきをしたり薬を取りにいったり、雑用に追われてました。

夜は、母から事故の模様を聞きだそうとしましたが、適当に作り話をするので信用なりません。 とにかく覚えてない。

口達者な母は、
「 もう、外をあるけないわ。 転ぶなんてわたしももうおしまいだ」
ともっともらしい事をいいますが、そのうちまた歩き始めることが恐ろしいです。

すると母は
「 わたしは頭がおかしくなってるから、もうあそこの、えーーあそこのえーーー
施設にぶちこんでちょうだい」

と、心にもないことをほざいておりました。

  縫合が終わって口にガーゼをくわえている母。 今日の母。
あごは色を付けたわけでなく、内出血です。


考えても考えてもわからない。
母はどこで転んでどうやって道に倒れて
どのように、大量出血を道にのこしたんだろうか?
血を吐いたのかもしれない。

こわいことだ。
この状態を人が見たら救急車をよんでいただろう。
恐ろしすぎる。

人間の身には、いつか不幸が降ってくるのだ。

地震対策が第一です。

次に、母の遺影写真を用意しないといけないけど、心当たりがない。
どこにあるかわかんない。
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母負傷

2012-02-28 01:25:00 | 介護
金曜日にはケアマネの訪問日で、母は元気で外を歩いていると話をしました。

月曜日は、新しいショートステイの相談員さんが訪問してくれて、母が良く外出をしてバスにも乗って遠くへ行ってしまうことを話しました。

そして、きょう火曜日。

母は、デイから帰宅したあと一人で散歩に行ったらしく、

転倒 警察 救急外来 縫合 と言うあらすじです。

私自身は、お仕事のイベントや学生の試験勉強対策で休日返上でご奉仕してるしだいで、本来休みの今日も明日もお仕事です。

今日の夕方、階下の母の電話が長いこと鳴っていました。
わたしは母の電話は取らないことに決めているので取りませんでしたが、
これはどうやら、母の負傷を知らせる電話であったらしいです。

つまり、母は自分の電話番号は言えても
わたしの番号は忘れてしまってとっさのときに言えないのです。
バッグにもたせてある名詞も、財布に貼り付けてある名詞も役に立ちませんでした。

電話が切れたあと、チャイムが鳴ったので階下に下りていくと
女性が
「 あの、 この家のおばあちゃんが道で倒れていて、口から血をながしています」

すぐに一緒に駆けつけると、家のすぐそばで母が倒れていました。
意識はあるようで顔をあげていました。

そして、そばにはおまわりさん二人。
おまわりさんは、通りかかった男性が知らせてくれたようです。

母は、倒れているけれど口は元気なことを言うので、
おまわりさんに抱きかかえてもらって家に入りました。

明るい所に出てみたら、
顔中、血だらけ、口ははれあがって血が流れています。
わたしは、高校生の明日が試験であると言う生徒さんを待たせているし、
おまわりさんは、道の血を洗い流してくれるというし、
もうてんてこ舞いです。

申し訳ないけど、おまわりさんにバケツとデッキブラシを渡しっぱなしにしました。

母をいすに座らせ止血して、とにかく待っててもらい、大事な仕事を続けました。

30分位してチョコパンが帰宅。
私はチョコパンの存在すら忘れていました。
ああ、たすかった、母のそばにいてくれるだけでも助かる。

母を救出してから1時間後に、救急病院へタクシーで。
いつも通っている大学病院は整形外科の救急受診ができないというので、救急センターの電話番号をおしえてくれて、慶応病院か女子医大へ行くように指示されたので、河田町の方に行きました。

この病院は、かつてこの家に住んでいたマクドウウェルさんの肺がつぶれてしまったとき、救急で来て入院した病院です。
いつもいつも、なんど救急外来を訪れているわたしでしょうか。

母は、唇の大出血と、口の中で肉がべろ~~~~んとぶらさがっているので、あわてて救急に駆けつけたわけですが、唇の処置は病院到着後3時間してやっと診察処置です。

上唇の中側が2センチくらいかなぁ切れて腫れているので、ここは縫合したわけですが、
どうやら、唇を穴が貫通していると言うことで、縫い傷は表にも出ています。
麻酔が効いている間に家に帰って寝てもらいました。

夕飯も食べていないので、ゼリー飲料を飲ませましたが、傷を避けてストローを口に入れるということをしないのです。
記憶の無い人のケガは激しく大変なのです。
薬をのませたら、手で口の中に放り込んだので手が傷に当たりました。
麻酔が効いているから痛くないものの、アンナに唇をたたいたら激痛のはずです。

それで、口腔外科の診察の前は、外科で全身のケガの様子や脳の様子を見てくれてました。

服をぬがせてみると、ひざも擦れているし、左手首は痛い、右手の指は切り傷で痛い、腫れてもいるし、右頬は腫れて青く、右あごもみるみる青くなってきました。

脳のCT、レントゲンなどを撮って、幸いなことに骨には異常がなかったのです。
歩けているので本当に幸運でした。

母は、公園で転んだと言います。
でも倒れていたのは家のそばです。
転んだあと、家までたどり着けず失神したんだろうと思います。

母は、おまわりさんに運んでもらったことや、家の近くで倒れていた記憶がありません。
出血による気絶でしょうか?

おそらく、失禁もしたようです。
リハビリパンツが重そうになっていたし、
トイレから出てきた母が
「パンツを取り替える」などと堂々と口にしていました。

入院の支度をして、あわてて病院に行ったわけですが
保険証をテーブルの上に置いたままで、
7万円と言う高額自費医療費を支払うお金も持ち合わせがなく、
病院に全額お借りいたしました。

あす、通院の時に清算します。

いま、午前2時過ぎです。
私はさっき、夕ご飯を食べました。

母の傷の手当をしながらの夕飯はちっともおいしくなかった。

人間は、買い物ができなくなったらおしまいだ。
人間は、歩けなくなったらおしまいだ。
寝たきりになったらおしまいだ。



多忙すぎる、

確定申告、医療費領収書整理、花籠注文、記念品注文、プログラム校正、ドレス補正・・・
だれか、洋服のでかい所をつまんでくれないかなぁ?
「ここを縫えばいいよ」っておしえてくれるひといないかなぁ?


これから先、どうやって生きていけばいいのだろう。
あああ~~



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平和でした

2012-02-20 10:55:00 | 介護
母は一月に3泊だけショートステイに行っています。

個室と個浴のユニットスタイルを大変嫌がって
淋しがり、文句の嵐のショートステイです。

文句を言うのはショートばかりではありません。
今朝だってテレビを見て バカ!の連発です。
アナウンサーの後ろで手を振っている観客を
バカッ!と
漢字の読みまちがえをするアナウンサーに
バカッ!
目を見開いているアナウンサーに
バカっ!
変な洋服を着ているアナウンサーに
バカッ!

・・・母は間違っていないです。
ほんとうにバカだと私も思います。
箱根駅伝でテレビカメラに向かって手を振る沿道の
人々や、選手と一緒になって歩道をはしる小僧は
バカだと思います。

ただ、ひとは口に出してバカ!とは言わないのですね。
心で思っても口にはださないんですね・・

母は思ったことを言います。
以前からだったかもしれません。

とにかく、母はいま遠慮なしに
言いたいことを言っているので
家族はうんざりするのです。

 
平和にインコと遊んでいると母がなにか言い出します。


「 もっとましなテレビにして頂戴 NHKにして!」

 NHKだったにもかかわらず


「ちょっと! テレビ変えて!」


ちょっと見るとすぐにチャンネルをかえたくなります・・


「 おもしろくないねぇ! ちょっとチャンネル貸して!!」


おそらく、記憶ができないのでテレビをみても
おもしろくないんだろうと思います。
記憶ができないとドラマをみても理解できません。

素人がうたう歌謡番組や涙涙のドキュメンタリーを
好んでいます。
障害のある人のドキュメンタリーも見ます。

わたしは、涙も生涯も被災も歌も見たくありません。
テレビは、まったく好みがあいません。

母は、チョコパンには遠慮して無造作にチャンネルを変えたりしませんが
チョコパンが去っていくと
私が見ているニモかかわらず、バシバシチャネルを変えます。
いつから私は、遠慮されない人間になってしまったのでしょうか。




それで、ショートに行くときは15分も前から玄関に座っておとなしく行ってくれて、手を振って車に乗ってくれて、
ボケて帰ってくることもなく、
「 なーーにもしなかった。誰とも話さなかった」といい、
レクはひとつもなかったというけど、
記録では人と談笑し、レクにも参加したとかいてあります。


とにかく、記憶が無いから楽しかった記憶もないわけだ。
一番最初に味わった、夜中に男が部屋に押し入ったという
あのトラウマが母のショート生活を壊したのだ。

母のいなかった3泊は、自由な生活を取り戻した私です。
いまは、母が自由を取り戻しました。
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大学病院定期健診

2012-02-15 00:02:00 | 介護


母は70日に一度近所の大学病院老年科に通っています。
数年前は父のために母が付き添って通院していましたが、
いまじゃ、すっかり介護されてる人です。
老いとは恐ろしいものです。



一時贅沢にもタクシーで通院していましたが
最近はバスに乗って無料で通います。

三井ビルの中をお邪魔して向かいます。
三井ビル1階には男女別の喫煙室がありますが
出口にはファブリーズが置いてあって
シュシュ!と匂いを消してからお仕事をしているようです。


診察では、最近調子がよくめまいもないと伝えました。
先生は薬のせいだとおもっているでしょうが、
真実は、、、まったく薬を飲んでいないのです。

でも、先生の手記に
「軽い降圧剤が認知症に効果のあることがわかってきた」と
書いてあったので、血圧の薬だけはしっかり飲ませようと思います。

あと、目をつぶりっぱなしなのは
脳からきているんだと、先生が言い出しました。
(前回ということが違うなぁ)
でも、治療薬はパーキンソン病に悪い作用があるので
処方したくないそうです。
(母はパーキンソン病かなぁ)

その話をしているとき、母はものすごくものすごく
先生に訴えていました。

「目が痛いのは今日だけです。
今、風に当たったからです。
いつもはチャンと開いています。
目をつぶっていたら、デイサービスにいけないじゃないの!
はずかいいと思うから目は開いてるわよ!(わたしに言う)」

先生の前でいっぱい否定していました。

診察も終わり、
会計のところで母を待たせ、
私は14階に入院して11時半から整形外科手術をするイタチさんのところへ
チョコレートを持っていきました。

面会時間外なので遠慮しながら訪問しましたが
ベッドは空っぽで天に召されたのかとおもいました。
売店で思いつきで購入したバナナカステラなどを
お供えして階下におりました。
間もなく電話があって、トイレに行っていたというので
安心したもんです。



京王プラザホテル前からバスに数分乗って家につきました。

~~~~~
そして、多忙な時間の始まりです。

@チョコパン国民年金停止処理と学生時代の分の支払い願い

@チョコパン国民健康保険廃止処理

@税金相談へ出かける・・・・;
 
医療費が大量にあるにもかかわらず、だれも働いていないので税金の還付ができないのだ。医療費を申告した方がいいもんかどうか?
若い税理士さんは、わからないとぬかしました。

@マクドウウェルの会社に電話。
 所得税がなぜ0円なのかと聞くと、海外に行く前に全額返金されたらしい。

@株取引は山場を迎えてめがはなせず

@卒業式のためのお仕事予約が殺到(無料ボランティアだ)
@期末試験のためのお仕事予約が殺到(無料ボランティアだ)

夕食のしたくも本業もいつもの通り・・

なんて充実した時間でしょうか・・

夜はお仕事が終わって
シブヤのキリンバーへお~~いしいビールを飲みに行きました。
ビールは嫌いだけど、お~~~いしいビールなのです。

カウンターのお兄さんが
「 お疲れ様 ! 」ってビールをくれるのです。

癒されますよ。

金曜日から母はショートステイ3泊。
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命日

2012-02-14 01:24:00 | 介護


世の中バレンタインデーですが、父ジェンギンスの命日です。
はたして、何年前に亡くなったのかすでにわかりません。

母はデイサービスに行ってくれたので
雨でしたが私一人でお墓参りに行きました。

昨夜、墓参りに行く話をすると
「 行かなくていい!
  行って何になる!
  私が死んでも墓参りなんか来なくていいからナ!」

義理も人情もあったもんじゃありません。
そんな母の考えで育ったので
いままで親戚の葬儀にも出た経験がありません。

しかし、そんな考えも一理あります。
訳のわからない子供は訳のわからない親戚の義理には
出なくていいと思います。

墓参りに行く八王子の道を歩きながら
はたして、魂は存在するもんなんだろうかと
疑問をぶつけていました。


雨だったけど墓石をきれいにして
造花を新品に取り替えて一年中きれいなお墓にします。
砂利の上の笹の葉のゴミも手で取りました。
非常食に持ち歩いているチョコも備えました。
姉からもらった京都のお線香を炊いて拝みます。

「おじいちゃんにできるのならば
 あの人の健康、あのひともこの人も・・・・」
とお願いしてみました。
でも、じいちゃんは神様じゃないんだから
人の病気は治せないでしょ?
手を加えることができなくて指をくわえていることでしょう。



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。