アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

入院5日目

2007-11-30 00:44:12 | 介護
2007年11月30日 金曜 入院中

飲まず食わずで絶食のあげくに、点滴にも栄養がほとんど入っていないと
知った私は、どうしても精神科のお医者様が信用出来なくなって
一刻も早く、どうにかしたいと思いました。

すったもんだして、治療病棟のベッドに移していただき、
入院には、孫のチョコパンがすべて立ち会いました。

家族の同意書にサインするのも
先生の話を聞くのも
家族の要望書を書くのも
ジェンギンスの報告書も全部
チョコパンがしてくれました。

わたしは、母の病気のすったもんだに
振り回されているので
今日の金曜にやっと、1時間だけ面会出来ました。

母は、午前に医者に連れて行った後
寝たきりです。
咳をしています。

ジェンギンスは、床ずれ防止の上等なマットで寝ていました。

病院ではジェンの認知症と初めて付き合うので
点滴を抜かれて血だらけとか、
痰を吐かれてびっくりとか、
いろいろあるみたいです。

お互いに慣れていないので
これから分かり合います。

点滴は抜いてしまったので
ミトンをしていました。

ジェンの手足にクリームを塗ってあげたら
あちこちに点滴の絆創膏が貼ってありました。
苦労の後です。

針を抜いてしまうと
3人がかりで針を刺すのでもうたいへんで、
家族が居る時はおとなしいけれど、
ジェンギンスはここの病棟向きではないと
言われてしまいました。

治ったら、上にはやく戻らないとね。。
って言われました。

ほんと、早く治って、明るい元気の良い病棟に戻りたいです。

ほんと、認知病棟がこんなに陽気だったとは知りませんでした。
病気治療の暗さが耐えられません。

ジェンは食事を食べているそうです。
家族のおやつは禁止です。
飴も危険だから駄目だって。
飴は引き出しに入れてあったので見られたのです。
でも、ジェンは引き出しを開けては食べないです。

病室は狭いのでしょうか?
なんか、おちつかなくて

歌も歌えない
話しかけれない
食べさせれない
飲ませれない

あすは、土曜で少しゆっくりできます。

看護婦さんはとっても忙しそうで
質問しても適当で、
私は先生と未だ会っていなくて、ジェンギンスの
病状がまったく分からない。

飢餓状態を脱出し、元のジェンギンスに戻ってくれたら
嬉しいです。
コメント

11/27 老人病院

2007-11-27 02:32:16 | 介護
2007年11月27日 火曜日 入院2日目

ジェンギンスは、療養病棟の施設から治療病棟に昨日移りました。
これは、家族の希望でやっとかなえられたのです。

肝臓と肺と胆管と炎症の具合がとっても悪いというし、
絶食が続いて栄養状態がとっても悪いというので
このままでは、餓死してしまうとおもい、
入院させました。

わたしは、きょう1時間だけ仕事の合間に病院を訪れました。
通い慣れている病院内ですが
治療病棟に足を踏み入れたのは初めてで、
奥が深いので、道に迷いました。

チョコパンから、噂を聞いていましたが
ほんと、びっくりです。

さすが老人病院で有りまして、
だれも元気な人は居ません。

もしかして、全員寝たきりですか?

1-A 1-B 2-A 2-B 3-A 3-B
この6段階にレベル分けされているのですが
ジェンは今まで3-Bの認知専門療養病棟でした。
今度は2-Aの治療病棟で、もう介護保険の範囲ではありません。

医療保険適用で入院費用も変わってくることでしょう。
今度は、おむつ代が1枚315円かかるそうです。
でも男だから、おむつは1日1枚で済むかも知れません。

ジェンは病室でゆっくり寝ていました。
点滴を腕にして
ベッドのまわりにジェンの親たちの写真やお人形やぬいぐるみが
飾ってあります。
以前は何も置いては行けなかったのに、
ここは平和な病棟です。

でも、前は賑やかだったな。
入所している人がみんな、明るくて
ジェンの部屋にやってきて声をかけていったし、
笑顔だったし、

それが、今度は病気のひとだから
笑顔はないし、元気がない。だれも歩いていないし
しゃべっていない。

どんなに今までの病棟が明るく賑やかで平和であったのか
思い知った。

とにかく、まだ慣れていないから
そのうち様子が分かってくるだろう。

誰もいないロビーだけれど
そのうちジェンとみんなでくつろげる日が
来るような気がする。

だって、ここに来たら
ジェンは元気な方なのだ。
一人でごはんが食べれて
ベッドをあげて座れる。

ジェンはもう3食食べたと思うけど
吐かずに過ごしているらしい。
病院にお任せ出来て
私は、ジェンの御飯運びから解放された。

ホッとした。

今日は、体にクリーム塗って
かだらを起こして、
ブドウ糖をほんのひとかけ口に入れてあげて
ちょっと話しかけて
それだけであっという間に1時間経った。

個室じゃないと不自由だった。
個室は2万円くらいかかるからな。


ジェンは多少病院におまかせし、
その分 母が、足のゆびにヒビが入っていたらしいし、
喉が痛くて今日はねてるし、
あすは、大学病院でMRIの結果がでるし、

あすの犬の検査予約(ひと月に3万円支払う)を
電話で断ったら、叱られるし。。。母にでんわさせたのだ。


犬にインシュリンさえ打ってあげれば
メリーは生きていけます。
この人間用のインシュリンをどうにかして手に入れたいのですが
売っているサイトが見つからない。

日本では発売していないアルツハイマの薬は
手にはいるのに、インシュリンはどこだろ?

ペンフィル30R 注 300

見かけた方は教えてください。

コメント

11/25 治療病棟へ転院

2007-11-26 02:12:40 | 介護
2007年11月26日 月曜 転院

朝から目の回る忙しさだった。
本当に目がまわって倒れそうだった。

しかし、本当に倒れそうだったから
母の眼科診察の遠い病院へもまったく付き添わず、
おまけに、病院でのどをからからにして、空腹に耐えている
ジェンギンスの所へも行くことが出来なかった。

しごとに行くだけで精一杯だった。
何度かジェンギンスの病院へ行こうかと
迷ったが帰ってきた。
そして、夕飯の支度がちゃんと出来た。

そしたら、学生のチョコパンが、学校を休んで
ジェンギンスの所へ行ってくれた。

助かった!!
非常に助かった。
本当に有り難いと思った。

自分がどうしてもできないことを
人が助けてくれることは
たぶん一生忘れられない感謝だ。

日記のコピーをたくさん手伝ってくれたhiroさん。
保存ファイルを作成してくれたhiroさんのお友達。
米を寄付してくれた姉。
疲れないようにとタクシー代をいっぱいくれた兄。
野菜を沢山寄付してくれたむっちゃん。
なんでもしてくれると言ってくれたみいちゃん夫婦。
みんなありがとう。
この優しさは忘れません。

それで、朝からケースワーカに電話したり
近所の病院に電話したり
この時代にして、テレフォンカードを買って
仕事の途中で電話電話電話

午後4時
ジェンギンスは無事に
今入院している3階療養病棟を退院して、2階の治療病棟へ
病気治療のために入院する運びと鳴りました。

他の病院のケースワーカに話しを聞いてもらい、
どう考えても2ヶ月かんも、カロリーの低い点滴で絶食するのは
間違っているのではないかと言われました。

姉も昨日病院で
「 この点滴は水同然ですよね 」と言いにくいことを
看護婦に言ってくれたらしく
とにかく、会う看護婦会う看護婦に入れ替わり立ち替わり
家の家族が治療病棟に移りたいと言い張ったので
多少の効果はあったと思います。

小心者のわたしの口添えではなかなか
世の中が動いてくれませんが
みんな、皆さまのおかげです。

そして、本日の所
ジェンギンスには
今夜の夕食から食事が出ました。

思いっきりいっぱい食べたみたいで
チョコパンが夜まで付き添ってくれたのです。

3食を急に食べさせたら、吐くと困りますと
伝えたのですが、先ず食べさせて全て観察して
今後の量など決めるそうです。
従って、家族からの差し入れは一切要らないと言われました。

感激です。

この2週間、私はどんなに苦しんで食べ物を運んだことでしょう。
毎日、必死な思いをしなくて良いようになった かも 知れません。

今夜の状態も心配ですが
餓死衰弱瀕死から、生還してくれることを願います。
どうか手遅れで有りませんように。





新しいお部屋。4人部屋で気を遣う見たいです。
もう、歌ったり踊ったり大声でわらったりできません。
音楽も流せません。 ちょっと不自由



コメント

姉家族が面会

2007-11-25 09:11:30 | 介護
2007年11月25日日曜 母舞台に立つ。

病み上がりの母が、中野の大きなホールで舞台に立つというので
反対していました。
ジェンギンスがわるくなってから、母は師匠としての仕事をきっぱりと
断っていました。
ジェンが入所しても、もう復帰せず人生のむなしさを感じていたはずです。

頭をセットして着物を着てホールに一緒に向かい
母の舞台を久しぶりに見ました。
ぜんぜん練習していないのに
立派でした。
さすがの貫禄。
見直しました。
もっと、尊敬しないと失礼だと自分を反省しました。

ジェンのところは、姉と姉の子供が行ってくれました。
元気な姿しか知らないのでびっくりしたと思います。

看護婦さんから食べさせないようにといわれたので
飴で口の乾きを癒すことしかできなかったみたいです。

ずっと寝ているから寝かせていたみたいですが、
起こして良いのだとメールして
起こして、携帯から民族音楽を聴かせたとのことです。
ジェンの音楽人生はすごいことになっています。

家族の一人一人が自分の道の音楽を聴かせるので
ジェンの脳みそは呆けたアイリバーです。

夕方5時に交代しようと思っていたら
チョコパンが4時に病院に行ってくれました。

今日は痛みもなく落着いていたようです。

わたしも、姉も、チョコパンも
この病棟からジェンを早く出したいと思って
看護婦さん全員にお願いしています。

ひとりひとり言うことが違います。
2階の治療病棟は完全に拘束でかわいそうだと
言われたけど、3階の拘束以上のものはないと思います。

とにかく、食事を与えない、水を与えないのは
おかしいと思います。

家族があげるのは許すなんて言われたら
わたしは、もう介護で死んでしまいそうです。

ゆうべ一晩腰が痛くて
寝返りするたびに苦しんだ。
おもいあたることがない。犬をシャワーに入れたせいか?
貧血もひどいな。
頭痛もある。
変調だ。
今日は病院行きをパスしようか。。。
母の眼科に連れて行って仕事に行って母を迎えに行って
父の病院にいって仕事をして夕飯作って
父の病院さがして、
いまからケアマネに訪問断りの電話して
いまから動物病院に使用の予約を断って
いまから老人病院にいくらかかるか聞いて

ジェンギンスは今頃お腹が空いて
喉が渇いています

いまから病院のケースワーカに電話して
早く2階に移して欲しいのと
きょう、ジェンギンスに飲み物をあげてほしいと
頼みます。

水も与えないなんて
ぜったいおかしい。
精神科の先生の判断じゃなくて
内科の先生に判断してもらいたい。



ジェンがうんと可愛がった初孫と久しぶりのご対面



コメント (2)

夜まで看病

2007-11-24 01:14:02 | 介護
2007年11月24日 土曜 山を越えたと思われた。

午前中自宅に姉が、肉まんや食べ物を持ってやってきた。
おかげで、わたしは肉まんを一ついただき、本日の夜遅くまでの栄養を
いただいた。
連日の病院通いで、買い物に行く暇もなく、もう米がなくなって数日経つし
冷蔵庫も食料らしきものが消えてきた。
インスタント食品までないし・・・

今日は病院行きを少し遅くして
米をかったり、夕飯の用意をしたりして
久しぶりにスーパーへ言った。

もうする事が沢山あって、
メリーもシャワーに入れた。
メリーの世話もできなくなり、もうインシュリン注射を3日位していないから
多飲多尿が始まっている。
メリーの介護は最近放棄しつつある。
それどころじゃないんだ。

メリーの救える命を私は私の手で断とうとしています。
心苦しいですが
わたしも、もう限界です。

その限界を感じて、2週間続いている頭痛と戦いながら
病院へ向かいました。
3時になっています。

病院では看護婦さんが私を待ちわびていました。
ジェンギンスが元気すぎて
拘束をしたいくらいで、でも家族が来ればしなくてすむからと
待っていたのです。

看護婦さんと部屋に入ったら、
起きあがってベッドに腰掛けていました。
びっくの回復ぶりです。

姉と、葬儀の打ち合わせをしてきたというのに
この元気で、また山を越えたのかとびっくりしました。

返って私の方が、ダウンしそうです。
頭痛が治らず不快で、ジェンの隣に寝てしまいたいくらいでした。
病室でこなそうと思っていた書類の仕事も手に付かず、
ジェンの点滴をまもりつつ、具合悪さと戦いました。

どろどろの卵の入ったお粥と紅茶を食べてくれました。
慎重に少しづつあげました。
軍歌をかけると元気に手拍子しています。

そのうち、チョコパンが高価なタラバガニのスープを持ってやって来ました。
きょうは、学園祭に行くといっていたのに、病院に来てくれたのです。
なんか、でかい額縁も持参し、
私と母とマクドウウェルの3人が思いっきり笑顔で写っているポスターを持ってきたのです。

スープはとても美味しいと言って飲みました。
最近はおいしい物がなかったのにご機嫌良く美味しいと言っています。

そのうち、食べたい食べたいと食べ物の話しばかりはじめました。
今日は、声もはっきり出るのでびっくりです。
歌も3人で歌いました。
ちゃんと音程も正しく歌えます。

プリンをあげて、紅茶も時々飲みました。

ご機嫌がすぎて、
トイレに行きたくなって何度も苦しみました。
トイレは2メートル先にあるのに連れて行けません。

そのうち、連日の痛みが襲ってきました。
たぶん便が出るのだと想像しました。
10分おきに、陣痛のような痛みが襲ってきます。

ここでして良いから!
便器置いてあるからしていいよ!していいよ!
と安心させても、服を脱ごうともがきます。

3本目の点滴が終わり、
看護婦さんを呼んで、一緒に便器に座らせました。
20分くらい私が付き添って苦しむジェンギンスの
背中をなでていました。

便は出ません。
ジェンは昔のようにトイレを拒否し抵抗しましたが
あっちか?あっちか?とひたすらどこかの場所を求めて
動きたがりました。
あっちへ行けば楽になるのかと、さまよっている様子です。

ジェンの背中の骨のとんがりが
すりむけていました。
すぐに軟膏を塗っておきました。

看護婦さんに言ったら
床ずれ防止のマットを使っているのだと言っていました。
弾力の良いベッドです。

ジェンはトイレに座っている間数回発作が来て
苦しみました。

看護婦さんが来てくれたので
ベッドに戻しました。

数分して発作。
そして、痰を大量に吐きとばしました。
わたしはビニール手袋をして
拭き周ります。

胆嚢を切除して52年。
今までこの後遺症で病んで病んで苦しみました。
肝臓に負担がかかり、胆管に負担がかかり
とうとう、悪性の影が現れたのです。
52年もよく悪くならなかったとは思いますが
ここに来て、とうとうなのだ。

面会終了の7時になっても、発作が治まらず
痰は吐くし
チョコパンとわたしはもう必死です。
帰るなんてモンじゃありません!

場合によっちゃ、発作のまま死んでしまう勢いです。
普通、ここで救急車を呼ぶところなのに
看護婦さんはいつも冷静です。

2階当直医をよんで、痛み止めを打って欲しかった。

今日は3人の看護婦さんに
2階の治療病棟に移りたいとお願いしました。
月曜に先生に伝わり、移れると良いのですが・・・

早く高カロリー点滴と痛み止めをしてもらわないと
餓死しちゃいます。

8時半まで病院に居て、帰宅しました。

メリーが待っていましたが
注射も散歩も×

葬儀社からDVDとか写真とか葬儀解説のホンが届いていました。
すばらしく良い!

葬儀の出席人数は11名。
近所の親戚にも声は掛けません。

明日は
母が出演する中野のホールへお供で
あさからひと騒動有ります。
着付けでぜったい、スムーズに行かないんだから・・・
ジェンは姉に託しましたが、夜は私がみてあげないといけないんだろうな。

倒れるまでは動けます。


                              敬礼!!
コメント

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。