アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

死ぬ準備

2014-02-25 13:31:00 | 介護
自分の死ぬ準備をしなければと思っています。

それより前に、母の死ぬ準備と死んでからしなければならないことを考えると、ウツになりそうです。

まずは、母の遺影写真探し。
どうしても無いんです。

使っていない引き出しを探していたら、いろいろな写真が出てきました。

みんな亡くなってる・・・
戦争の大切な写真をその人たちにお返ししたくても
みんななくなってる。 その子供たちも亡くなってる。


自分の歴史はたった50年ほどで始末するのも楽だけど
両親の90年の歴史を始末できないので困った。

考えてみれば、自分の卒業アルバムも日記もいらない。
表彰状もいらない。
思い出はなんにもいらない。

この50年の歴史の詰まった家のものの始末をしないといけない。


★ ドイツ製の父が使っていた羽毛布団はリフォーム業者にだして消毒してもらい新品に仕上げてもらおうと思っている。 買うより高いけど、25万円の羽毛布団を数万円で新しくする予定だ。  母の浪費癖がよくわかる。


★ 引き出しを整理していたら、宝くじが出てきた。
母がたくさん買ってしまう時期があったんだ。
買うけれどそのまま忘れているわけで、ナンバーの確認も交換もしていないんだ。

困った時期があったことを思いだした。
いまじゃ、浪費もしないのでお金が残る。


★ きょう、デイサービスの車に乗るとき、母がつかまったって乗ったのはたたんであった補助椅子で、つかまったとたんにその補助椅子が倒れて母は転びそうになりました。
後ろにいたおおきな介護士さんがたすけてくれたけど、肋骨とかおれなかったかな?

危なかった!

★ この3日間、わたしは不眠症じゃありません。
だって、眠いのです。 どこか悪いんでしょうか。
ねむいけど、長年の習慣で午前2時過ぎまでは起きてますが、布団に入ると10秒以内に寝ています。 そして、4時間後に目が覚めるとぐっすり寝た感があります。
夢は目が覚める前に見てます。 

おとといは、ニシキヘビくらい長くて太い大便を部屋でしてしまった夢でした。


★ 税金申告のじきです。
たいへん面倒くさい。
施設利用の老人がいるのに税金申告して所得税がもどってくるということを知らない人がたくさんいます。 数万円~10万円はもどってきますよ。



わたしは独りだったら、毎日こんな夕食です。
ローソン100で買う100円の冷凍コーンとご飯と有り合わせのキャベツを甘辛醤油で炒めるのだ。
有り合わせのきのこできのこ汁を作って。 130円程度の夕飯だな。
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雪山の墓参り

2014-02-21 13:11:00 | 介護
2月14日はバレンタインデーだけれど、父ジェンギンスの命日なので、墓参りをしなければと思って火曜日に一人で出かけた。

墓参りや病院お見舞いというのは心が和むものだ。
ひとりでそこにいる黙っている人と話ができるのだ。
・・・もしかしたらわたしは、黙っているその人と話ができる能力を持っているのかもしれない・・・なんちゃって~


大雪から一週間たっても、世間では孤立されてる人がいるというが、
まったくもって、墓参りは参ったのです!!

京王線沿線で八王子よりも手前の結構開けたところにあるお墓なのですが、雪山でした。



お寺の門をくぐったら、雪山だらけ。
本堂のお賽銭箱だって雪のなかだ。


父のお墓は、この道の突き当たりをひだりにまがるのです


墓石の上も一面ゆきだらけ


ここでも雪かきをするとは思いもしなかった。
父の近所は墓石の上には雪がなかった・・・


ゴミを捨てるために途中まで歩いたが戻った。
ブーツの上まで足が潜ってしまう新雪なのだ。

家に帰って思い出したことが、、、ゴミをうっかり向かいのお墓に置いてきてしまった。
雪道を歩くことしか考えていなかった・・・雪が溶けたら向かいのお墓に古い造花がお供えされているというわけだ。

持参したライターの火もつかず、火をお願いに行くこともできず、お線香を焚くことができなかった。


墓石を磨いて、ゴミを拾って、お菓子をあげて、記念撮影。
わたしの最後の住み家ですからね。


都会じゃないところは帰り道も雪が道にたくさん残っていた。
残っているっていうより、雪道のまんま!!

私の知らない世界でした。
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命日とか大雪とか

2014-02-18 08:36:00 | 介護
私は多忙な人生だとつくづく思います。

暇な人生を送っている人がたくさんいるのに
わたしは、なぜ忙しいんでしょうか。


2月14日夜から重い重い大雪でした。
2月14日は父の命日。 覚えやすい日で良かったわ。
大事に飼っていたメリーの命日はわすれちゃったし、父が先だったかメリーが先だったのかも忘れてしまった。


こんなに木にくっついてしまう重い雪

雪かきを何回もして忙しかった
重い雪で木が倒れるので何回も雪下ろしをした  

ついでに、いくつか芸術作品を作った。
これは手直し前のオカメインコ。 


母のショートステイの準備で忙しかった


イベントがあるので夜遅くまで連日仕事だ 


苦しみの母のトイレと紙パンツの処理をした


チョコパン独立につき買い物や準備だ

月に一回の趣味のサークルにも行き、ダンスのサークルは休み、フラワーアレンジメントは大雪の中出かけた・・・お花を準備している先生に申し訳ないので休んではならないと思う。


母がいなくてもチョコパンの朝食と夕食は用意する。
・・・もうすぐお別れ。 独立なのだ。 


お仕事を真面目にするせいで、たくさんのお菓子が山積みになっていましたが、それらはバレンタインデーに人々に配らせていただいた。
サークルでも高級なチョコレートの詰め合わせを40名全員にお配りした。


そして、母がショートから帰宅し、
『 3日間じっとしてたから歩けない!』と、ほんとうにガクガクなので
車から降りたその足で、外を歩かせた。
昔より、足が速いな。



塀の前にある雪は私の作った動物の作品なのだけれどあいにくよく見えないな。

部屋に入ってからは
『あんなところへ行ったって、誰とも話さなかった、』と毎度同じことを何度も言い続けます。 


そして、持ち帰った大荷物は、私がほったらかしにして仕事で部屋を留守にしているので母がバッグを開けていろいろなところにしまってしまいます。
これが、くせ者で、次回のショートの時に私が探し回るのです。


~~~~~~~~~

今回の冬季オリンピックは見逃せないので、午前5時までテレビを見ています。
みんな、苦労して頑張っていますね。
生まれてきたからには、生きがいのある人生を作りたいものです。

何かをやり遂げたと言える人生を自分自身で作りたいものです。

父と母にここまで成長させてもらって大感謝なのだ。
そしてこれからは自分で自分の残りの人生を作り上げなければならないのにな・・・

頑張れるだろうか・・・




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父ジェンギンスの誕生日だ

2014-02-09 10:59:00 | 介護
2月9日。

父が生きていたら93歳の誕生日だ。
6年前のこの日の父は病院で胆管がんの痛みを訴えていたんだ。
やっぱり雪が降っていた。

父は若い頃から肝臓がわるくて入退院を繰り返していた。
なくなる前10年くらいもずっと血液検査の値が悪くて病院に通っていた。

だけど、さいごまでウルソしか飲んでいなかった。

父のことは母任せにしていたけど
今の私だったら、父の肝臓を治すためにいろいろ調べただろう。

胆管がんになってもういつ死んでもおかしくないと言われてからは
いろいろ毎日してあげたはずだ。


数日前に亡くなった母の妹は、やっぱり肝臓の病気を長いこと抱えていた。
父と違って、最新医療の処置をいろいろしていたことは本当に偉かったと思う。

最後に亡くなる時って、老衰で弱って逝く以外は、痛みや苦しみがあるので、それが辛いところだ。


父の老人病院に毎日通っていたわたしは、人が亡くなっていくのを何人か経験できた。
医者も看護婦もなくなる時期を知っているのだ。 そして、部屋を個室に移し息を引き取る・・・・
亡くなる人は寒いので電気毛布を使用してた・・・
足が紫色になる・・・
呼びかけには答える・・・

父の場合は突然朝亡くなっていたわけだ。
お別れの時間がなくて良かったと思っている。
一人で静かに逝ったと思っている。

~~~~~~~~~~~~

前置きが長くなった。

もう母がうるさいんだから!
大雪が降って、わたしが朝から仕事で出かけていたもんだから
文句をたれていたらしい。。。

昨日土曜は私が朝7時半に家を出てしまうため
母をデイに送れず、デイは休んで一人で過ごしてもらった。
おにぎりのお昼をたべもせず、大雪を心配し、私が外出していることを怒っていたようだ。

わたしは帰宅後、高円寺へ宴会に行く予定があったのだが、
母の活性化された文句の中、外出もできず諦めた・・・

昨夜は、母の文句が多くてまいったが、
深夜に起きてきて

『 あした、デイに行くって誰が決めたの!
  あのひとでしょ! 
  あの人は、あたしが一日どこかにいけばおかねがはいるんだから!
  あたしは、もうあの人の目もみないで喋ってるわよ。
  あの人のいいなりになるんじゃないよ! 

  あたしは書類をみちゃったんだからね、
  あの人にお金がおくことが書いてあったんだから 』

・・・全くの誤解です。
何度誤解を解いたって思い込んでるから治りません。

年寄りの脳みそってほんと困りものです、



金曜日にお化粧をしてパーマをかけたら
20歳若返りました。
昨日までの母は見られたもんじゃなかった。


やっとここまで雪かきしました。
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訃報

2014-02-07 19:15:00 | 介護
母の姉妹の訃報が続き、もう母は一人ぽっちになりました。

12月 4日 母の姉が亡くなりました。
 2月 4日 母の妹が亡くなりました。
 2月14日 私の父が亡くなったのは6年前の今月です。

母には今週亡くなった妹の訃報は伝えていません。
このまま、ずっと悲しみを知らず生きていて欲しい気持ちですが、
親戚がいるので、なかなかそういうわけにもいかないんでしょうか・・

今朝も、朝から長く親戚からの電話がつづきます・・・・



亡くなった叔母は、数年前に肝臓がわるくなってきたとき、
そのことを、私だけに打ち明けてくれました。
入退院をくりかえして病気と戦い、そのたびに治っていたものの、
昨年は、とうとう難しい場所が悪くなったということを聞いたけれど、
医学の進歩によりそれも克服できたかとおもった。

昨年12月には、おばさんが初めて弱音を吐いた。
亡くなって気がついた弱音だ。
死ぬほど辛かったんだ。 

毎日が命日だと思え!という私の信念は生かされなかった、、無念だ。

亡くなるってわかっていたら、十分に見てあげれたのに・・・
それは、親戚のみんなが思うことだ・・
私だって、知らなかったんだ・・・
後悔ばかり・・・


~~~~~~~~~~~~~
今日は母の爪を切り、化粧をし、眉毛をかっとし、パーマに連れて行った。
身だしなみを整えてあげることは、娘にしかできないと思う。
だから、きれいにしてあげた。
常に綺麗にしてあげないといけないのだ。
年寄りは何もできないんだから・・・

父がなくなる3週間前にも、床屋さんを頼んできれいにしたんだ。
だから、柩にはいっても短い髪の毛で綺麗だった。
・・顔は壮絶だった・・・目は大きく見開き、口は大きくあいていた。
死にたくないって言っていた父はなんであんな恐怖の顔をしていたんだろう。

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考えることがいっぱいだ。

今日母に、兄弟姉妹の誕生日を聞いた。
わたしの信念その2は、人は誕生日ころなくなるとおもっている。
だから、誕生日はいつなのかな~と思った。

母は、最初まったく分からないといっていたけど、
徐々に思い出してきた。

わたしが、真剣にきいていたんんで、
『 なんで 聞くの? 』 て言われた。


さて、あすは大雪らしい。

わたしは早朝より仕事があって母より先に家を出なくてはならない。
だから。。。デイは休ませた。
8時40分のお見送りができないので、
昼ごはんの用意をして私は家を出ることにする。

介護って大変だ。


介護をしていない人って、
自分が介護をしていないことに気がついていない。(断定)












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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。