アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

101歳 脳梗塞 60日

2024-05-22 10:29:00 | 100歳介護
特養施設から救急搬送されて脳梗塞のため、喋れず、食べれず、飲み込めず、動けずの母になってしまって60日経過。

ジャンケンも、バイバイもするし、笑ったり、痛がったり、ウンといいえん返事もできる。

不自由になっただけで、以前の母のままだ。

それを主治医が、このまま5日で亡くならせるかどうするか?って私に3回くらい電話してくるから嫌だ。


ある日は睡眠中の面会



ある日は座るリハビリ中で一緒に外を見る



母の日は、きっと家族がくると介護士さんが言って、座って待っててくれた。
外が良く見える談話室がある。
早稲田大学と、明治大学と、帝京大学が並んで建っている。




姉が面会に行ったら、ベートーベンがいたとと言っていた。
美容院をお願いした。






自分で飴をもって食べれる。
面会票をよく見たら、食べ物絶対禁止って書いてあったので、もうやめとく



車椅子によく乗せてくれる介護士さんに感謝



入れ歯を外されてるので、美貌もだいなしだけど、おしゃれな髪形で笑ってくれた。




ある日も、広い談話室で面会



土曜の面会の帰りにウロウロしていたら、新井薬師になった。


面会の帰りにパンを買う悪い習慣ができてしまった。
サクサクのリンゴパイだった



バスに乗ろうとしたら、うちわやさんがあった。 近所にうちわの会社があったんだ。



栄養が足りてなくてまもなく死ぬと主治医が言うので、療養病院を探している。 ここは、すごくいいのに、残念なのは、面会が週に1回しかできない。

1 ほったらかしで狭くてくらいんだけど毎日会える病院
2 リハビリもして広々のお部屋の病院だけど週1しか会えない

さて困った。





面会の帰りに朝顔の為を探したけれど、苗を買った。 楽しみ

土日は病院の外の公園でフラフェス



スケジュールいっぱいの母。




こんな写真が出てきた。 




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肺癌じゃないかもしれないと言われた。

2024-05-14 08:21:00 | 病院、病気
2024年5月9日
3ヶ月ぶりに肺癌検査でCTを撮る。
3ヶ月ぶりと言っても、2ヶ月めで肺炎になってしまって発熱、悪寒、激しい咳き込みで重病だったから、果たして9ミリの結節はどう変化したか、すごく不安だった。


左が今までの9ミリの結節映像。
右が今回の5/9のct映像

9ミリの結節は、消えている、、
消えているというか、つぶれて広がっている。痰が絡んだり炎症だったりの様子

という、曖昧な先生の言葉。
癌ではないと先生は言った。

私はもう一度3ヶ月前の画像を先生に見せて


じゃ、この9ミリの結節は癌じゃなかったんでしょうか?
と確認したけど癌じゃなかったというようなことを先生は言っていた。

『癌だったらこういう検査はしない』
と今回は言ってたけど、
『癌の疑いがあるからこういう検査をする』って前は言ってた。
その意味もわかるけど、

前より茶色く染めてくるくるに頭のトップだけパーマがかかって、高い声で説明してくれるこの肺の専門医を信用してるけど、

今回のこの広がった白い影は大丈夫なんだろうか?


次回のCTがマニュアル通りの半年後10月なのでしばらく癌の心配はお休みだ。

セカンドドクターにみてもらいたい。
今日、内科の主治医には診てもらおう!
 
私の肺炎は治っているらしいけど
息を吐くと最後が苦しい。
時々咳が出る。
痰はほとんどなくなった。
胸は苦しい
呼吸は時々そっとしている
とにかく、肺は病気だ。どこか病気がある気配がする。



CT検査に向かう途中の新緑の公園。
バスの定期を持っているのに雨の中徒歩で病院に行った。30分歩いた。

肺炎療養中は、ずっとお茶を飲み続けた。
タイの友達が、体の炎症がとれるマリーゴールドティを送ってくれた。


↑このタイのお茶はすごく美味しい。
日本茶の香りがして、バニラの香りがして
砂糖もレモンもいらずそのまま普通に飲める。


肺炎療養中に五月人形を飾った。

40日全てを休んで存在を消していたので、
存在が解禁になったので人付き合いが開始された。でも、1人が好きなんだ。じっとしていたい。


猫を再び預かった

母の見舞いに行ったら麻婆豆腐フェスタやってた

王将で1人ランチ

膵臓癌で亡くなったボーイフレンドを偲ぶ会で鯛めし

高校時代憧れだった帰国子女の彼も今じゃ仲良し。

癌じゃないと知らされた帰りに1人カプリチョーザ

94歳の小学校の担任先生とクラス会


タイから一時帰国のボーイフレンドと中華

ある日は深川飯


家に帰ると猫がいる。





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101歳 脳梗塞から45日。

2024-05-05 15:56:00 | 100歳介護
101歳4ヶ月の母が救急搬送されて45日経った。

同時に私が肺炎で身動きできず40日経った。

自分が死にそうだったので母の命を預かっているのも忘れ母はもうどうにでもなっていいと考え、私は40日も療養生活をしてしまった。

仕事も介護も家事も趣味も宴会も付き合いも友達もない毎日がゴールデンウィークのはずが、何もできなかった。
こんな日を夢見ていたのに何もできない。

今日は5月5日子供の日

だけど世間では何のイベントもしてないわ。


今日の母。寝てるわ。

中野のブロードウェイは天井に鯉のぼり

ある日は、メロンの飴をこっそりなめさせる。

ある日は、オレンジの飴をこっそりなめさせる

水につけて、少しでも水分を口に入れれればと思ったが、むせる。
脳梗塞で飲み込むこともできないらしい。


両足の爪が取れてしまった。
4ヶ月前に特養で何があったんだろうか。
取れる前は真っ黒になったのだ。
孫が、体操したり、声出しさせたり、じゃんけんしたり、グーチョキパーを示唆たり、一生懸命リハビリしてくれてる。



中野の健やかな病院。
次々に計画通り看護師さんが来てくれて、よくみてくれる。

じゃんけん✌️ 勝つと笑ってくれる


5/4には、私の手を強く握って、あーあーと声を出して、そして、遠くを指差して何かを言いたそうだった。

あの世から誰かが来た時とは、目つきが違う。

父の時、散々、私の知らない人がやって来たんだ。
父が、名前を言っていた。
父の知り合いはみんな知ってるはずなのに、知らない人がやって来たんだ。

父が亡くなる少し前に、もうすぐ死んじゃうのか聞いたら、そうだと言っていた。
川は見えるのか?つて聞いたら、見えるっていっていた。

何度もブログに書いてるけど、

鈴木さんのお母さんが
『私が死んだら、どうしょうもない息子をすぐ天国に呼びよせるから』と約束して亡くなったのに、息子はぜんぜん死ななかった。
今65位になるだろうけど、どうしてるのかなぁ。その後が知りたい。



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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。