アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

9月29日木曜

2011-09-29 23:44:00 | 介護
【渡る世間は鬼ばかり】がとうとう終わってしまいました。
20年間も見ていたわけではないけれど
後半は見ていました。
きっと、私が大人になったから見ていたんだと思います。

さて、今日はお仕事がお休みのはずでしたが
休みたくないという希望により、親切にも
お仕事をしたわけです。
ほんと、自分の親切にあきれます。
おかげで、忙しかった。

 朝8時半  母をデイに送り出す。

 朝11時  霞ヶ関の呼吸器専門のクリニック診察。

このクリニックは、咳喘息に力を入れている先生が経営していて風邪だと思っている長引く咳は実は咳喘息だと、主張しているところです。

そんなところを紹介されて訪れ、椅子に座ったら問診で【咳喘息】だと診断されたまでのことです。
   
わたしも、調べた結果本当にピッタリ当てはまるので【咳喘息】の治療を受けたくてこのクリニックを訪れました。

3週間ステロイドの粉の吸入をして、完全ではないけれど確かに変な咳は治まりました。 
心配なのは、喉の腫れです。この腫れだけは続いてます。
    
先生に、今日これを訴えたら、
【 そりゃ、治りませんよ。咳が出ている間は腫れてます。まだまだ治りません 】 って・・・
だけど、わたしの喉の腫れはホント変なんだけどな。
 
こりゃまた、耳鼻科でファイバースコープしてもらいたいわ。
     
診察も1分で終わりました。

待合室には先生の新聞記事がたくさん貼ってあります。これをみる限り、信用できそうなんです。わたしの咳が【咳喘息】ならね。

 12時半  有楽町で1人ランチ。
      いつも診察の帰りに寄ってるイタリアンの店。

今日はピザを食べた。
前回はパスタ。その前はピザ
そして、いつもワインも飲む。 
だってクーポンで無料なんだもん


 2時    輸入のお店で、イタリアのパスタと あと、えーーとネジって
      あるやるを買った。

とにかく、ヨーロッパで毎日美味しいイタリアンを
食べていたのが癖になり帰国してどれだけパスタを食べていることか。
おまけに、甘いものも何でもかんでも、よく食べています。
体重も2キロ増えました。 8キロ減ったうちの2キロふえても
まだ大丈夫です。いまが一番丁度いいかもしれません。
   
でも、10月1日から間食と夜食はストップです。

 3時  母の夕食のヒレカツを揚げたり餃子を焼いたりしていたら
    4時半からのお仕事の人がもう来た。
 
    オイオイ、休日の私をどこまで働かせるつもりですかい!
    母のおやつのあんころ餅をお出しして、少し待っててもらった。

7時  母と夕食。
  
    食事をしながらショートステイのことを話した。

    【 どうしても、行かなきゃ行けないの? 】って言う言葉が
    わたしの心と身体に刺さった。

父がショートに行きたいくないと抵抗した時、母と私は無理やり行かせました。
行ってくれると、ホッとして母と私は安堵しました。
母が一番父がいなくなることを喜んでいました。

老人がショートにいってくれることは、介護する人にとって
どんなに救いになるでしょうか。
母は、わかっているはずなのに・・・
私が3度の食事の支度を(仕事中の食事だから母の分だけ早く作る)お気楽にやっていると思っているのでしょう。
わたしが母にどれだけ気を使って生活しているかわかってないでしょう。

父と違って母が家にいても、それは、そんなに苦労ではありません。
でも、わたしはホッとしたいんだけど、ホッとしちゃダメかな。

いぜん、面接に来たケアセンタの人は
【 ご家族にも休ませてあげましょうよ】と母に言ってくれました。
いままで、そんな優しい言葉を言ってくれる人がいなかったので
わたしは嬉しかったです。
でも、母は聞いちゃいない! 得意の無視だったな。

====
母の認知症は、最近そんなに進行していません。
チョコパンも居なくなって、おとなしくしてて話もしないから
目立たないのかもしれません。
みんな、いないから買い物もすくないのかな・・・
みんなに食べさせようとして今までパンや果物を買ってきていたのかしら?

身体も体調良さそうだし、
いつ悪くなるのかとヒヤヒヤしていますが
いまのところ、元気そうです。

明日は金曜日。
母と一日一緒です。


 
   
ベネッチアでたべたパスタ。
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日曜日

2011-09-25 22:00:00 | 介護
暦では3連休。

私はどこも行かないと思っていましたが
急に友達がハワイアンライブに誘ってくれたので
昨日土曜日は、母がデイから帰宅するのをお迎えし
夕食の準備もして夜出かけました。

家で、母の演奏会を聞くよりも
気分転換になり、うれしい気分でした。

10時半頃
「 ただいま~ 」ってかえると
「 おかえり~ 」って言ってくれます。

これは貴重な会話かもしれません。大事ですね。

~~~~~~~

今日の日曜日は、わたしは一歩も外に出ませんでした。
外に出ないつもりで昨日夕飯の買い物も済ませておきました。
計画閉じこもりです。

最近心が病気なのは自分でも自覚してる。
趣味の習い事もまったく興味がなくなり、
何もしたくなくなった。

だからって、いま、死にたくは無いから大丈夫だけど
死ぬ準備をしようとしても、
何かと忙しくて、
とりあえず、準備のためのノートは
ゴッホ美術館で買ってきた。




死にたいからじゃなくて、死ぬ準備はだれにも
必要だ。
先日友達たちとはなしたら、遺影の写真を用意していると
言っていた。
わたしのはどこかになにかあるだろうが、
早急に母の写真を探さないといけない。

昔用意したのは、すごく昔でダサい。
昔のセットしたヘアスタイルはなんてデカインデショウカ。

そんな話は前置きで。

今日も母と過ごします。

上品な母でしたが、最近筋肉がゆるんでいるのか
母は演奏活動に負われています。

咳、ゲップ、ススリ食べ、腹鳴り、



今日の夕飯は
から揚げを揚げて (母は魚が大嫌いで肉がすきなのです)
餃子スープを作りました。

100パーセント母が言う言葉を今日も聞きます、
「 こんなに食べれないわ、減らしてちょうだい 」
ああ、言うとは思っていたが、よくも毎回同じことを
いうもんだ。

おまけに、私がキッチンにいる間に
わたしのご飯茶碗に自分のご飯を乗せてるし!
食事の途中で戻してあげましたが
母は目をつぶっているので気がつかなかった。
大丈夫かな、この目。

今まで母と夕食は食べていなかったから
このたび私は、母がスプーンで吸う音が気になって仕方が無い。
プリンもゼリーも、音をたてて吸うのです。

こういうのは、若い頃からの習慣ですから
今更治るわけは無いのですが
食事のマナーは子供のうちにしっかり叩き込まねばなりません。

でも、うちでは、洋食マナーを家族で実行していたんだけどな。
両親が50歳をすぎていからのマナーだったから
結局身についていなかったと思われる。

あまりに、食事が騒々しいので
その騒々しさをビデオに収録していたわたし。

しかし、それはあまりに失礼だと思い
消去して、餃子スープの残りを飲んだわたし。

胡椒がいっぱい入っていたスープを飲み干したので
むせた!
咳とくしゃみとおまけにゲップまででちゃって、
もう、災難です。

バチがあたりました。
どうもごめんなさいお母さま。

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私は今日外出していないけれど、
母は何度もさんぽに行きました。

ヒーヒー帰ってきて
「もう足が弱くなって歩けなくなっちゃった」
と言うから、

「椅子に座って、あしを動かすだけでもいいらしいよ。
パンフレットにそう書いてあったよ。」

母は、無視です。
いつも、無視します。

さらに、私が何か言うと、こう言いました

「 もう年をとって90なんだからしょうがないわよ
  もういいのよ 」

って、ぜんぜん前向きじゃありません。
【歩くとつらいから、家で足だけでも動かせば
筋肉の運動になるわね】・・・くらい言ってくださいよ。

歩けなくなったら施設行きですよ!
脳みそがしっかりしてるのに施設や病院生活は
それこそ、監獄の地獄でしょう。

認知症の人でさえ、施設生活は苦しがっているんだ。
待遇だってよくないし、
本当にかわいそうなんだ。
家族にすてられちゃったんだから・・・って
また変なことを言って自分を攻める。

だから、施設というのは
自分も家族も本人もみんなが苦しむ地獄だと思います。
もちろん、施設で働いている方には尊敬して感謝の気持ちでいっぱいです。

それもこれも、
長生きする時代になってしまったせいでしょうか。
死ななくなったせいで苦しい老後がまっている。

人間の寿命を100歳にして
そこで死ぬようになる時代が来ないもんだろうか。

そしたら、死ぬまでの何年かを
それはそれは大事に介護して差し上げよう。

死ぬ時期がわからないから
いつまでも優しくできない・・
これで、突然急変したら後悔の塊でしょう。

ああ、今日はそんなはなしになってしまいました。

外では、家の前で救急車がとまってます
道路で事故でしょうか・・
袖なしを着ているわたしは、
寒くて鍵を開けて外へ出る気力もありません。

あああ・・・
母が玄関の鍵を開けています。
もう就寝してから3時間も経つのに・・

きっと、パジャマ姿で外に立っている事でしょう。
はずかし・・



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秋分の日の一日

2011-09-23 23:44:00 | 介護
http://silver.ap.teacup.com/milkie/
2011年度ハワイブログ13日間を完成しましたので
ハワイが好きな方は見てください。

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今日は祭日で出かける用事も無く
仕事も無く、デイサービスもないので
前夜に母の朝食をテーブルに置いておいて
曜日とデイが無いという手紙も置いて、
わたしは眼が覚めるまで起きなくていいのです。

6時や7時や8時に目が覚めて
本を読んだりゲームをしたりしながら
10時半に目覚めました。
よく寝た感じがします。 7時間も横になっていたのです。


階下に下りると、母はいませんでした。
もうお散歩に行ったようです。

わたしは、まるで早朝からおきていましたっていう
顔で散歩から帰宅した母を
お迎えしました。

母は、バナナ・インスタントラーメン・ドリンク剤・を
買って来ました。重いのばかりです。

そして、疲れて歩けない といつもの言葉を発しています。

12時丁度になると、早くお昼にしろ!と言います。
今買ってきたラーメンでいいから、早く!早く!と言うのです。
わたしが動かないでいたら、
「 わたしがお湯を沸かしてくる 」まで言うのです。
お湯なんか何年もわかしたことがありません。
それに、ガスの調子がわるくてチャッカマンを使わないと
火が付かないのです・・・
・・・・・・・これで、ガス爆発を経験したわたしです・・・
まさか、あれからまだ改善してないのでしょうか・・
・・・きっとそうだ。   はやく、取り替えないと。 10万円。





母が2個このラーメンを買ってきたのです。



出来上がりはこれです。

ホントにでかいミソラーメンで太麺で、
味はインスタントラーメンって感じです。
わたしでさえ、お腹がいっぱいになるほど大量だったので
母は途中で辞めさせました。

その後、父の田舎からお米を送ってもらったので
代金のビール券を送るために
母に手紙を書いてもらいました。
私が書くはずですが、あまりに
「 送ったか?送ったか? ビール券か?どこで買う?」 って
もう、うるさいのなんのって、だから
母に書かせました。



きっと、うまくかけないだろうと思いましたが
便箋一枚にちゃんとお礼を書いてありました。

父が石川県が大好きだった話とか
夫婦で行った石川県が懐かしいとか、
わたしも石川県が大好きだ、とか
うまいことを書いてあります。

封筒に入れてビール券もセットして
私が宛名を書いたら、
母は気が気じゃないからと言って
ポストに出しに行きました。

今日はお祭りで通行止めだから
商店街じゃなくて郵便局へ行かないとダメだといったら
ちゃんと郵便局に出しにいきました。たぶん。

焼きとうもろこしを買って帰ってきました。


私が2階でお勉強していると
母はまた。お散歩に行こうとする気配なので
「 お祭りの氷川神社に一緒に行こうか?」と
誘いましたが、へんな格好をしているから嫌だと言って
誘いに乗ってくれませんでした。
わたしが、行きたかったんだ~~
母は1人で、どこかへ行ってしまいました。

そして夕方6時になると
「夕飯にしよう」 というので

母は夕べの残りのカレーライス
私は、納豆ご飯 で質素にいただきました。

納豆に入れた オクラ の名前を思い出せなかったので
ダメだとは思いましたが、母に聞いてみたら
「 ピーマンじゃないの?そんなに小さく切ってあっちゃ
  わからないわよ、おおきいまんまじゃないと 」と
言い訳されました。
母とは、穏やかな会話が生まれてきません。

もう、テレビを見て文句を言うのも相変わらずです。
この文句大魔王が、わたしをも文句野郎に育ててしまったのですね。

母は食事中に焼きとうもろこしをむしゃむしゃ食べました。

最後は、とうもろこしを 捨てるように命令しました。
堅くてオナカを壊すそうです。

私はせっかくの休日でしたが
何もできませんでした。
2階に上がってしまうのも申し訳ない気がして
階下に座っていました。

テレビのニュースも同じことばっかりで、
世間にニュースがないと東北を題材にしたものばかり。
テレビって言うのは時々みるに限ります。

あっという間に夜になり
母は寝る時間となりました。

10時に布団に入ったって
何度もトイレにおきて
時々は、朝食のパンが食べてあったりするんだ。

まあ、平和な一日だった。

わたしは、きょう外出をしていない一日でした。
おかねも使っていないことはいいことです。


アムステルダムの住宅地
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母・ショートヘ

2011-09-17 14:54:00 | 介護

この写真はヨーロッパで車の後ろにいるチョコパンです。
後ろを振り替えたら、音楽に合わせて狂ってるひとがいたのです。

母が3泊のショートステイに行きました。

家にはだれもいません。
めったに無い自由です。

午前も午後も仕事で夜は踊りのレッスンだったから
自由があるといっても少ないですが
少ない自由時間が気を使わずに生きているので
幸せです。


一週間前から、声がかれてだんだん出なくなってきてしまい、
喉の灼熱感と浮腫でしゃっくりもあくびもゲップもできません。
あくびをすると首が絞まるのです。

月末の予約を待たずに医者に行こうと思い、
仕事に行く電車のなかでステロイド吸入の副作用を調べました。

・・・声枯れって書いてある。

わたしは一日一生懸命守り続けたステロイドをやめてみました。

なんと、声枯れは綺麗になくなってしまいました。

ステロイド吸入のあと、口をゆすぐことはどの人からも
説明され、欠かさずしていました、うがいもややしていました。

ステロイド吸入をしなくなって、声枯れはなおり
喉の浮腫もやや治りあくびもできるようになりました。
そのかわり、本来の咳が少し出ます。

舞妓ちゃんがいすにさかさまにスワって戻れなくなり助けたとき
(椅子に座った状態で頭は床にあるの・椅子の上にはへそが見える)
わたしは大笑いをしたので、咳き込みました。

家にいると、笑わないので咳が出るのかでないのか
わかりません。
ヨーロッパ旅行中は、チョコパンが突然笑わせるので
咳き込んでばかりいました。

そんなわけで、医者には行かず様子見です。

だから、医者の言うとおり薬をつづけると
ろくなことにならなかったりする。
でも、ステロイド吸入は初めてでぜんぜんわからなかったけど
これで、またわたしのウンチクが増えた。

ステロイド吸入をして、声がかれたり
のどが不快だったら、それは副作用だ!
気をつけなさい。

さて、でも途中でやめるわけに行かないので
ステロイドパウダーが喉に引っ付かないように
うがいを十分にして、吸入の後、何かを食べることにします
(そう、書いてあったサイトがあった、)

息をすうときと
食べる時は
管が違うんだよね。。。?

~~~~~~~~~~~~~
母は自称監獄というショートに3泊です。

これは久しぶりで

ハワイに行っていた2週間と
ヨーロッパに行っていた2週間は
近所の一軒家の小さなところで過ごしました。

小さくて、そんなに綺麗じゃなくて
床に寝て、トイレも1つで
10人のデイサービスと5人のステイですが
母は、文句を言わなくなりました。

とにかく、個室で淋しいのが嫌いなのです。

私も家族も姉も、
近所の小さな家にはびっくりしてかわいそうに感じますが
母は、大きくて立派な渋谷のショートを嫌うのです。

でも、毎日感想は変わって
わたしは、毎日振り回されています。

母の思い通りにしてあげるのに
母の思いがめちゃくちゃになったりしてますから
まともに聞いているわたしは苦労します。

もっと、認知症になったら
私の考えも変わってそれなりの施設にいれてあげますからね。

文句を言っているうちが幸せです。


アムステル公園のなかには線路がありました。
トロッコがはしっていたのです。

今回の旅行で乗りそびれたのりものがあります。

@ ベニスのゴンドラ  熱帯すぎて乗る気にならない
@ オランダ運河めぐり 寒冷で乗る気にならない
@ セーヌ川めぐり   チョコパンが半死につき、それどころじゃない
@ 蒼の洞窟      行くこと忘れてたよ
@ アムス公園トロッコ  これは乗るべきだった。
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今日の一日

2011-09-14 23:54:00 | 介護
9月14日 水曜日

家族もいなくて憧れの暇なヒトになったかと思われるのに
自分の部屋を片付ける暇も無く
自分の死んだ後の後始末もぜんぜんできないでいる。

いったいどうなったら私は暇になるのだろうか。

7時半起床。
 っていうか、午前3時半に寝てしょっちゅう目が覚めて
目が覚めるたびにお茶を飲んだりトイレに行ったり
本を読んだりして、目覚ましがなって起きる。

すぐに階下に下りて、ポットのスイッチを入れて顔を洗う。
母の食事(前夜にテーブルにパンを出してある)の支度をして、お茶をいれて、

母のトイレのドアを閉めて、開けっ放しの玄関を閉めて
開けっ放しの小窓をしめて、廊下の戸を閉めて
母の部屋の戸を閉めて・・・

とにかく、戸を開ければ涼しくなると思い込んでいる母が全部開けっ放しにしてしまって
蚊は入ってくるし、熱い空気は入ってくるしで、
とにかく、戸を閉めることが朝のお仕事。

クーラーをつけて、蚊取り線香を焚いて、キャンドルサービスのように部屋を回った後、外に出てキャンドルサービスをする。

8時に連続テレビ小説をみながら、各種レモンティを飲みながら化粧をする。

今日の母は、デイサービスじゃないので
母の昼食準備。
きょうは、焼きおにぎり2個と漬物を皿に用意して、名札をつけて
昼ごはんであることを明らかにしてテーブルに置く。

オランダに本を3冊送ったのが、まだ届いていないのでネットで所在を確認して気をモンデ、普通郵便ならそのうち届くんだけど、4000円も送料を出して2日でオランダに到着できるという荷物で送ったから、気が気じゃない。
配達は何度もされているんだけど、チョコパンは受け取っていない。
2日で到着するはずが、もう一週間たったし・・
かなりのショックだ。
これが、受取人がいなくて日本に返されてくることがあるんだけど、
それが一番のショックだ。
送料2倍の買った本も無駄になる。
うまくいかないなぁ~~

午前中は五反田へアルバイトに出かける私。

今日は早くて12時前に帰宅。
母は12時前だというのに、もう焼きおにぎりを食べてある。
すこし残ったおにぎりは、昼の証拠に出しておかねばならないし、
いつの間にか母はまた食べるのです。

わたしは、イタリアで買ってきたパスタを茹でて味付けして食べた。
んん・・パスタはうまいのに(一束80円という安さ)
ナポリタンのソースが合わなかった。
うまいソースがあるならどなたかに教えてもらいたい。

何もしていない母の前で食べることに抵抗があったが
母にこの堅いパスタをあげる分けにも行かず、
おにぎりを食べたでしょ!ともいえず、だまって食べた。

たくさんの郵便物を整理してたら母が、
「 なにか請求書あるの?」って聞くから
ショートの振込みがあることを話した。

「いくら?」
「四万いくら・・」
「ええ~~!高いわね・・」
「長かったからね、」
「何日?」
「10日くらい・・・」

・・そういえば、この最近行き始めたショートについて
ぜひここに書きたいと思っている。

でも、暇が無いので後日だ。

一泊800円で宿泊させてもらっている。
介護保険とは関係なく、お泊りなのです。

それで、昼食後は、ネットでショ^-トステイの費用を振り込んで
外に出て銀行めぐりだ。

チョコパンのヨーロッパに行った航空費用がうまく引き落とせなかったとカード会社がいうので母のお金を借りて楽天に振り込んだ。

わたしの口座が大赤字になって大変なことになっているので
あっちから下ろして、こっちへ振り込んだ。

そして、大問題のわたしが支払っていないという国民年金は
いつからこの銀行で引き落としになっているのか聞いた。

「平成14年からです」と窓口で調べてくれたお姉さんが行った。

ありえない回答だ。
もう、世の中いい加減なヤツばかりで
本当に嫌になる。

家に帰って書類を調べると、もっと前からひきおとされてるし、

また、お金をだして銀行に調査依頼をするのだ。

社会保険事務所も再度再度の調査依頼。

人のお金を無駄に預かる諸会社が多いな。

そのご、郵便局から母のお金をおろし、
死後対策に走る。
一日50万円しか下ろせないから
暇を見つけては対策にはしっているのだ。

銀行は3時で閉まるから、なかなか訪問できない。
母に、それをいうと、
「 銀行は近いんだから、すぐ行けばいい話じゃないの
  なにやってんのよ 」 って言われるんだけど

じゃ、みんな、自分のは自分でやってよ。
暇な人って、何もしないから困るよ。

3時に自宅にもどって、
家の横道が、小便横町になっているので
漂白剤をまいてデッキブラシで道を掃除した。

ちょうど、ビル掃除のお兄さんが通りかかって
気にしてくれた。
いつも、このお兄さんに任せっぱなしだったからな。

そして、とうもろこしを3本茹でて母に半分おやつとしてあげて、
(むしゃむしゃおいしそうに食べていた)
夕飯の支度をして、
わたしは、2階でお仕事。

夜仕事が終わって、階下に下りると
母はもう夕食を終わっていて
次は私が1人で食事。

母が 【 となりのおばあさんは、元気にしてるの?】と
今日も聞く。

自分が死んだって聞いてきたのに
わたしは知らないよ。
母は、いろいろな人が死んだことを忘れてしまうんだ。
自分が聞いてきたことが曖昧になってしまって
生きてるか死んでるかわからなくなっちゃってる。

隣のおばあさんが死んだかどうかは知りません。
隣のお嫁さんとはもう、話済みで
おたがい、密葬でするということにしてありますから
干渉はしないことになっています。

そんなこんなの一日で、

趣味に時間をさくこともできず、(今日も午前のダンスはお休みした)
イベントの練習もできず、
部屋を片付ける時間も無く、
銀行で話を聞く時間も無く、
人と話をする暇も無いから
きょう、声を出してみたら、声が出なかった。

7月8月に咳をしすぎて喉頭がやられちゃったなら良いんだけど。

いま、午前2時。
ハワイのブログを書いて紅茶を飲んで本を読んで寝るけど
夢にうなされて眠れなくて、
起きても真っ暗で、

心が悪いな。


アムステルダムのスーパーは、カゴを手に持たなくていいの。
引っ張って歩けるの。 なかなかいいアイデアですね。
さっそく、引っ張ってあるきました。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。