アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

一人で墓参り

2008-09-23 23:42:47 | 介護
ここ数日、実に快適に頭痛がなくて、朝起きたとき頭痛がありません。
なにが急に起こったのだろうかと、思い当たりません・・・

でも、結論から言うと、今日の夕方は久々、ズキズキと痛くなって
もう6時間経ちますが、痛いから
いまから、偏頭痛の薬を飲みます。

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お墓参りに行ったのです。

みるき~家では、過去にお葬式を出した経験が無く、
お墓を作ったのも初めてです。
だから、ぜんぜん知らなかったのですが
この、9月の お彼岸 って言うの?
このころは、墓参りをするそうなのです。
しらなかったわ。

それで、墓参りには行くつもりもなかったので、
数日前に姉に どうする? てきかれたとき
行く予定は無いと 答えました。

それで、今日は母のデイサービスセンターで
担当者会議だから、参加してくれとFAXが来ていましたが、
まあ、用事もないのに、わたしはサボッタわけです。

行けば母がニコニコして喜ぶから、行かなきゃな、って思っていましたが
母に話したら、 家族の姿なんか見たこともない!
来る必要はない! って言ってくれたから
お言葉に甘えて、欠席しました。

きょうは、おけいこ事もサボって、
デイの大事な会議もサボって、
仕事の急な予約も断って、

そして、急に思い立って
ジェンギンスの墓参りに行きました。

八王子だから、行くのは一大決心です。
遠いのです。

お線香と恐怖のチャッカマンを用意して、
お掃除用に柔らかい雑巾を持って、
ジェンギンスと一緒に食べるお握りを作って、
ジェンギンスと一緒に飲むレモネードを作って
ジェンギンスに聞かせる音楽を用意して、
そして、100円ショップで造花の花を4本購入。

一人でのお墓参りはあこがれです。
やっと、ゆっくりジェンギンスと話が出来ます。

お墓のそばに流れている川には、たくさんの鯉が泳いでいました。
このお寺は、母の弟が40年前に亡くなって葬られていた墓地です。
弟のお骨はいま、どこにあるのか行方不明です。
むかし、よくジェンギンスとお墓参りに来た思い出の場所です。

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ジェンギンスの墓石を傷付かないように研きました。
カラスが墓石の上にお菓子を運んで置いてあったので
墓石が汚れていました。
本当だ! お墓にお菓子のお供えはやめるべきだ!
砂利の上の、ゴミもひとつひとつ拾って
丹念に綺麗にしました。



墓石もぴかぴかになったところで
ジェンギンスと一緒に撮影。
アララ!  ピアピカの墓石に変な陰が発生!
どう考えても、解りません。
何かが反射してるのでしょうか?
なにがにじみ出てるのでしょうか?
決して水が滴っている訳じゃありません。



そして、ジェンギンスにハワイアンをガンガン聞かせて
わたしは、ジェンギンスと一緒に
おにぎりを食べて、レモネードを飲みました。
お線香に火を付けて、ぜんぶ燃えるまで
ジェンギンスのそばに居ました。

荷物を置いたまま、
墓地を散歩しました。

母の弟が眠っていた場所を探したのですが
はっきりとした場所は解りませんでした。

あのころ、印象的だった
墓石に 「 永遠のいにしえの・・・」 という
詩を刻んであるお墓が出来て、子供たちが悲しそうに
お参りしていたことを思い出し、
そのお墓に行ってみると、

1965年に立てられたお墓でした。
あのときは、賑やかなおはかでしたが
だれもお参りに来ていない寂しいお墓となっています。
お水をかけて、お参りしました。
40年もたって、こうやってわたしがお参りするとは
どういう運命かと驚きました。

お墓をさんぽして、
人々の人生を感じました

墓標に記された文字で、家族の悲しみをたくさん知りました。

ジェンギンスのお隣の方は
昭和19年にフィリピンに出征し、20年3月に
35歳で戦死したと記されています。
悲しくなりました。
そして、その人の子供が30代で亡くなり
そして、その墓を建てた母が80代で亡くなり

人生を考えさせられる1日だった。

お墓の炎天下で
2時間も過ごし、帰宅。

そして、よくある外出後の頭痛に襲われる。

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夜は近所のお祭りへ、仕事の人と一緒に行く約束を
していたんだけど、
更年期が来ないように飲んでいるピルのせいで
お腹が痛くて動けないというので

丁度良くわたしも出かけずにすんだ。

暇な時間=具合悪い

今日は行って良かった。
ほとんどのお墓に花がかざってあったし。

ジェンギンスのお墓は造花だけど
枯れて汚いより、ずっと綺麗なお墓にして上げたのだ。
周りのお墓のお花は枯れて汚くなるけど
ジェンギンスの墓石には、いつも花が綺麗に咲いているし
花瓶には綺麗なバラと菊が咲いているのです。

今日はジェンギンスの所へ行ってよかった
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母が立てないって・・・

2008-09-17 00:38:44 | 介護
昨日の敬老の日は、祭日にもかかわらず
ケアマネが訪問してくるとFAXが来ました。

訪問の1時近くになったので
階下におりると、母がまっさおでびっくりした顔で
ソファに寝てました。

『 すごく、きもちわるくなっっちゃったの。
  吐いても、何もでないの、
  からだをよじったから、からだがすごく痛いの 
  空きっ腹に、ミカンをたべたせいだね 』

そこへ、ケアマネが上がってきて
印鑑だけ押して、すぐに帰っていきました。

ケアマネには
訪問されるのが嫌いだから来なくていのだと
日々言っていますので
私がいたから、帰っちゃいました。

今月中にデイサービスで会議を開かないといけないと言うので
できるモンなら、行きたくないと言いました。
できるだけ文書で済ませるようこれから相談します。

あとは、母の介護認定がまだ下りていないわけが無いといわれ、
でも、きてナイし・・・
お役所に電話しないと・・・

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そして、今日の火曜はデイサービの日。

母は楽しみにしていましたが
あさ、7時に階下へ降りていくと
母がベッドに寝ていて、

『 立てないの。
  足が痛くて歩けないの。
  腰から足がいたい。 』って。

いろいろ用事をすませて
8時に階下へ行くと
母は立ち上がって電話帳を手に持っています。
 

8時にはデイサービスの欠席の電話を
私がすると言ってあるのに
、あくせくあくせくして、待っていられないのです。

私がするから、大丈夫だから
っていっても、気が気じゃないのです。

犬はどうする!
チャンネル変えろ!
それは面白くない!
食べろ!
要らない!
え?何?
何だって?
犬はどうする?
ちょっと!

・・・今日は余計に喋るなぁ・・・
まるでフェルガードでものんだ勢いです。

これは、フェルガード信者への嫌味です。
フェルガードは飲まなくても
年寄りは一喜一憂があるって事です。

それで、母はきょう1日ずっと寝てました。

わたしは、仕事で朝からでかけていたので
食事は3食近くのテーブルに置いておいたのですが
ちゃんと食べて、お皿も洗ってありました。

小さな鍋一杯に作っておいた
オジヤが全部無くなっていて、

どうしたのかと聞いたら、
メリーに上げたって。

それにしたって
鍋にあふれ出るオジヤだったし、
おまけに、メリーの夕飯は、ちゃんと用意してあって
それもあげたし、


食べ過ぎ過ぎる。
トラック1台くらい夕飯に食べちゃったぞ。

だけど、メリーはその後、ゴミ箱をあさってたなぁ
さすが糖尿病。

きょう1日、
母が歩けなくなったら困ったと考えていました。

仕事から帰って来た時も
もしも、いびきをかいて寝ていたらどうしようと
ひやひやしました。

『 ただいま 』
『 おかえり~』と母の声が聞こえた時には
ほっとしました。
寝ながらでも、
『おかえり~』と言ってくれる母が居てくれて
たぶん、嬉しいことなんだろうな。


寝たきりになったらこまる。

トイレ誘導がこまる。

まだ、精神的にしっかりしてるから困る。

足が動かなくなったらどうしたらいいんだろう。

~~~~~~~~~

介護が嫌だっていうことじゃなく、
最後は、大変なんだな。

かえって、認知症はいい傾向かも知れない。

正常な人は施設に入れにくいけど
認知症は、施設に入れてもいいんだと

今日 実感した。

正常な気持ちがどれくらいあるかが問題だけど
もしも、もう、ヨクわからない状態だったら
施設にいれてもいいのかな・・・

認知レベル最上級の父ジェンギンスでしたが、
施設に入ったという自覚はなくて、
それでも、わたしは父がかわいそうだったな。


施設に入れてなにがかわいそうだったかというと

体がだるくてベッドに寝たくても
回復を目指す施設だったから
昼間はロビーで起きていなければならなかった。

今の母を見ていると
毎日だくるてゴロゴロしています。
ゴロゴロさせてあげるのも、親孝行です。

もう、いいよ、
楽にしててください。

長生きしようとして
無理に起こしておいたらかわいそう。

なんか、


もう、自由に楽に生きてください。

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介護で飛び回る。

2008-09-13 00:28:19 | 介護
私はもう3ヶ月も微妙に忘れるくらいの痛さの頭痛が続いています。
原因は不明で、もう治るのを待っていられないから
いいちこを飲み始めました。
飲んだらとても頭痛は痛いです。
飲まなくても痛いから飲みます。

20年くらい頭痛と歩んできましたが
もしかして、私がアル中になったころから
頭痛が始まっているんじゃないかと
ふっと、思いました。

~~~~~~~~~~~

さっき、日記を長く書いたら
ポッ!って音がして消えてしまいました。
ショック! どこを押してしまったのでしょうか。

だから、もうくわしく書かない。


母は4回目の目の手術をします。

1度目は瞼のタルミを切り取って筋肉を持ち上げる手術

2度目は瞼の皮だけを切る手術

3度目は目玉の結膜を縮める手術

今度は瞼の余った皮を切る手術

手術をするたびにどんどん悪くなって
いまじゃ、ピクピクパチパチ ケイレンして
半分の顔が引きつってます。

皮を切ってもケイレンは治りませんが
瞼も下がっちゃって、ぜんぜん目が開かないのです。

うまくいきません・・・

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一方

姉の義母の施設について
とことん、私が調査中です。

ケアマネと連絡を取り
在宅支援センターと連絡を取り
特養に問い合わせ
老健に問い合わせ
義理弟にマメに連絡を入れ、

そして、
一人暮しの義母をとりあえずショートステイできるよう
計画中です。

しかし!

きょうの介護度認定結果で

介護2 という低い結果がでたので
困った!!

それでは、2週間のショートステイが入れれないというのだ
数万円の余計な出費になるというのだ。

義母は

脳梗塞と脳卒中のため半身不随です。
でも、自力で体をこすりながら頑張って歩いています。
食事の支度はできず、ヘルパーが週5回来てくれます。
ペースメーカーを入れています。
軽い認知症状が出てきました。 

一人暮しが限界で家族は
心配で心配で困っているのです。

どうしても介護2ではないと思います

認定再審査の申し入れをします。

まったく、

適当な審査はやめて欲しい!


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認知症ねっと という掲示板があって
それはいいサイトでした。
でも、
このごろおかしくなってしまいました。


,,,,と下にいろいろ書いたのですが
私の考えは解ってもらえない人が
いると困るので削除して、穏やかに
見守ります。





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施設探し

2008-09-11 02:16:01 | 介護
丁度2年前だったでしょうか、父ジェンギンスの入所を考えはじめ、
日記に必死で施設探しの事を書いていたと思います。

あれから、2年も経ってしまったのですね。

これを読んでくださっているみなさまは
お変わり無く、良いことです。

でも、ブログを続けていて
パタリと更新が無くなった方がいらして
いま、ドウされているのか
わたしは心配しているのですよ。

さて、
人生2回目の施設探しをはじめています。

母じゃありません。

姉の義母です。

施設に関しては、そこいらのケアマネよりは
くわしいと自信を持っている私なので
こちらから頼んで、施設探しを引き受けました。

でも、日野市の施設はよくわかりません。
でも、2年前に何回も何回も電話して
どこもかしこもよく知っている名前です。

しかし、時代は変わるもので

特別介護老人ホーム  老健  療養病棟


こんな感じだと思っていましたが

小規模多機能ホーム 
と言うのが開設されて、新種の施設があったのです。

日野市役所やら
老健やら
特養やら
病院やら
いつものように全部電話してて

わかんなくなったから
在宅支援センターに電話したら

小規模多機能施設 を教えてくれたのです。

デイもショートも在宅援助も
すべて一手に引き受けてくれるという優れものです。

これは理想であると確信したものの
現在の介護支援とはまったく縁を切って
多機能施設のケアマネに切り換えるというので
躊躇しています。

在宅と入所の両方を可能にした施設で在るけれど
在宅の時はヘルパーの手助けが無いと困るので
困ったのです。

79歳 一人暮し 脳卒中を脳梗塞による半身不随でペースメーカーを
入れている義母が わたしはかわいそうでなりません。

不自由なのに一人暮しで、
涙が出るほどかわいそう。
施設に入れるのもかわいそう。

きょう、初めて次男と話しをして
義母の一番幸せな形にしてあげようと話しあいました。

そしたら、施設に入所するのが幸せなんじゃないかって
次男は言いました。
次男は、一人でお母さんの面倒を見ています。
仕事中もひるま電話をして無事の確認を毎日しているそうです。

えらいです。


施設に入れると寿命が縮まる話し。
施設に入れると歩けなくなる話し。
施設に入れると呆け呆けになる話し。

いろいろ話して、
それも、運命だと2人で納得しました。

~~~~~~~~~~~~~~

施設を全く利用したことのない義母を
今後どのようにするか・・

ついこの間まで、こちらがお世話になっていたのに
施設行きだなんて、
悲しい話しです。

私が引き取って差し上げたいくらいです。

頭は呆けていないので

認知フロアのある施設を探します。
なぜかと言えば、
認知患者とは一緒にしたらかわいそうなのです。

いままで、私たちは認知症の家族をもち、
施設を利用していたわけですが
正常なひとにとって
どれほど迷惑のかかることかは
空気で解っていました。

施設を拒否する正常なお年寄りにとって
認知症の患者さんと一緒に生活させてしまうのは
失礼な事です。

そのてん、日野市は
認知用デイサービス、認知対応宿泊フロアが充実しています。

わたしの住んでいる渋谷新宿は対応が遅れていますよ。



それで、


老健と 特養と 療養病棟と 短期か、長期か、入所か、

えらい 迷っちゃいまして、

自分の意志で決めて良いなら
即決ですが
自分の親じゃないので
これは、難しい。。。。



ジェンギンスが最後の朝食を食べた朝のことを考えると
わたしは、泣きたくなります。

ジェンギンスはこれが、一生のうちの最後の朝食だなんて
知らないで 石川県の実家からおくられてきた御飯と長野の親戚から
おくられてきた巨砲を食べて入所したのです。

元気に歩いて喋って怒って出かけたのに
次に帰ってきた時は、死んでいたのです。

こんなに悲しいことがあるのです。
施設入所には
こんなに悲しいことがあるのです。


どんなにどうしたって
施設に入所して
ジェンギンスは早く死んでしました。

だからといって、
母と父を一緒に住まわせることは不可能でした。

末期を家に置いてあげたかったけれど
母と父を一緒にする事は不可能だった。


介護というのは
仕事も持っていなくて
家事もしなくていい人が
するのに適します。
でも
そういうひとっていなくて

まさにふさわしい状況だった母は
冷静に介護出来ず
却下。


ひさびさ、今日は
ジェンギンスを家で看てあげれなかった
後悔が大きくて
悲しい。

ごめんなさい、おとうさん
家が大好きだったお父さんを
施設で死なせちゃってごめんなさい。

わたしを許してくれますか

父は、最後のほうで、
「 さて、うちに帰るかな 」
って言ったんです。


苦しむのも悲しむのも私だけ。
苦しむのも悲しむのも私だけ。
苦しむのも悲しむのも私だけ。

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週末の土日

2008-09-08 01:45:14 | 介護

母の妹から電話があって、あっちが悪い、こっちが悪いと体調が良くないと落ち込んでいた。
母の姉は骨折が原因で、寝たままらしいし、
母は、今日もずっと横になってだるくて寝てる。

そんな話しを聞いて、
昭和に活躍していた皇室のひとも全て交代し、
時代が変貌したように

母の時代が、まもなく終わる気がしてならない。

私自身の体調に不安を感じている毎日なんだけど
母の3姉妹が80歳をすぎても現役で生きていることは
すばらしいと感じます。

よくここまで元気に生きてくれたと
感謝します。


残された大切な毎日を
良い気分で過ごしてもらわないといけないな、と
凄く思っているのに、

どうも、うまくいかない。。。。

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いつか、なにもすることのナイ日が欲しいと
思っていましたが、
この土日は、なんの予定もなく
わたしは家に引きこもっていました。

予定はいっぱいあるのですが
もう、外出の気力もなくすべてキャンセルです。

で、口だけは達者で知りたがり屋な母が
あれこれ あれこれ あれこれ 
心配して聞いてくるのです。

夕方、夕立が来そうで真っ暗になってきた時
わたしは、買い物に出ました。
ギャーギャー言われて、逃げるようにして買い物に出かけました。

雨が降る中を傘をさして帰宅したら、
母がずっと玄関で外を見ながら待っていてくれました。

おまけに、私の部屋に行ったら
雨戸が閉めてあるし、
マクドウウェルの部屋まで侵入したらしく、
マクドが旅から帰宅して、 
『 わたしの部屋にだれかが入った見たいなんですけど』
と母の前で言ったもんだから、

母のいい訳が始まっちゃって・・
延々、言い訳して・・

人の部屋に入ることもして欲しくないけれど
そうとう、ふらついて階段を上り下りすることは
無理なんだから、止めてくれないかと思う。

悪気が無くて
リーダーの母がこの家を支配してるのは
解るけど

なにも言わずに平和を保つ努力をしている私は
かなりストレスになっているのかも知れない。

わたしは、そうとう
心が参っている気がする。

同居して4年。
命の短い親との同居をストレスになんか
感じてはいけないと、自分に訴えながら
家族のいる苦しみをすごく感じています。

子育てに生き甲斐をもち、
父の介護に生き甲斐をもち、
なんの不満も感じずに今まで生きていました。

でもこの頃、わたし、苦しくて。

今回ハワイに行った時、
9日間だけ私たちの部屋に泊った男の子がいます。

かれは私にトーストを焼いてくれました。
かれはトーストにバターを塗ってくれました。

うれしかったなぁ




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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。