アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

入院5日目。

2012-01-30 01:28:00 | 介護
先週の木曜日に母は急に入院して今日で5日がたちました。

大丈夫です。
悪くならず快方に向かっています。

咳も止まったようです。(咳止めをのんでいます)
喉の痛みもないようです(聞いても否定するけど)
歩行もできるようになってきました。
整形外科の診察でも腰の骨に異常はありませんでした。

今日担当の医師と話しをしました。

風邪を引いて、脱水症状のために立てなくなったんじゃないかと言っていました。
寒がりのクセに、暑い暑いって布団からよく出てきたので
脱水もかんがえられます・・・
医者が言っていた自律神経がどうのこうので、体の調整ができなかったのかもしれません。

医者が一気に話しをしたので、記憶にない薬の名前がたくさんあります・・

咳止めと便秘薬とめまいの薬は、あと何日かでやめてみることになった。
その薬について先生は詳しくはなしてくれていた・・

以前は、何かと何かが脳梗塞の人のために処方されていたが、それは効き目がないことがわかったので今は処方されず、血の巡りがよくなる何とかを僕は処方して、めまいや落ち着かせる効果があるはずで・・・

と、興味深い内容の話をしていた。
勇気がなくて、先生の処方する薬の名前を聞き返せなかった。
こんごは、大学病院の主治医と相談したらいいといわれた。

このわかくてよその病院からきている先生は、いろんな事を知っているような気がした。
大学病院の教授は、自分の昔からの知識だけで診察しているような気がした。

医学も医療器具もすさまじい進歩をしていると
病院に行くたび感心する。

歯医者の診察台だって目の前にパソコンが取り付けられていて、わたしの歯のレントゲン写真が毎回映し出されているのだ。
カルテだって、口で読めばパソコンに文字が現れる電子カルテだし・・・・

あとは、病気がなおる薬の開発だな。

しかし、

わたしが4ヶ月間苦しんだ喉の痛みは、フロリードゲル(口腔用カビ治療剤)の使用ですっかりよくなってしまった。
もう、忘れているし鏡で喉を見る生活は終わったのだ。

どの医者にもわかってもらえなかったが、この母の入院している病院の水曜しか来ていない臨時雇いの若い先生がフロリードゲルの存在をおしえてくれたのだ。
どういうわけか、この救急病院では検査も処方もできない病気なので大学病院へ行く羽目になったわけだ。

まいにも書いたが、私はこの半年間死んでいた。
咳と喉の痛みと窒息に耐えていたのです。
咳の原因は不明。
喉の痛みと窒息は、薬乱用の喉から食道のカビだな・・

~~~~~~~~

母は、落ち着いた心で入院生活をしています。
生意気な態度がなくなっていいおばあさんになっています。
緊急入院だったから、二人部屋で1日7500円の部屋代がかかります。
母は、淋しいのが嫌いなので大部屋に移れたらいいと思いますが、満室です。

今週は入院して週末ころ退院するよていです。


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予想外の入院

2012-01-26 01:34:00 | 介護
先日、母が最近は元気になったと書いたばかりですが
突如入院しました。

ああ~~多忙な一日だった。

10日前に下痢だの胃痛だの腹痛だのと
胃腸を悪くしていた母です。

数日前からは風邪を引いたらしく
喉の痛みと咳の症状がありました。

しかし、素直に病気をする母ではありませんから
症状の訴えは時間によって様々で
痛いだの、痛くないだの、
もう、振り回されました。

本日木曜日。

午前中、
風邪気味の母が、腰が痛いと言い出しました。
そのうちに、足に力がはいらなくて立てないと言い出しました。

ベッドで一眠りしたら
腰が急に痛くなったと言い出しました。
足に力が入らなくてあわてていすに座ったようです。

徒歩数分の整形外科に行きたくても
車椅子はないし、(今思えば病院で借りてくればいいんだな)
とにかく歩けないんだから
病院にも行けやしない。

タクシーで駅のそばにある救急病院に行きました。
母がいつも入院している、あるていど老人入院病院です。

問診表に、お腹・風邪・足に力が入らない と書いたのですが
診察の先生によると、診察もしないで
大丈夫だというのだ。

私に支えられて歩いている母を見て、
『歩けるじゃない!』というのです。

良く母が言っていましたよ
『 年寄りだと思ってばかにして・・』

・・・ほんと、年寄りだと思って診察をおろそかにしてるような気がした。

本当に、年寄りの腰の痛みはありがちなものなんでしょうか?

母にしたら、腰が急に痛くなって
立てなくなって、足に力が入らないのは
初めてのことです。

結局、入院させてもらいました。

ホッとしました。
でも、医師も看護師も母の腰の痛みについては
理解していないので、再度訴えないといけません。

~~~~~
パジャマだけ袋に突っ込んで病院に来たので
商店街で箸とコップとサンダルを揃え
仕事のため私は即帰宅しました。

大学事務員になったチョコパンにメールして
病院によってもらうように頼みました。

まったく、
チョコパンには入院につき毎度お世話になっています。



私が夜7時半近くになって、入院準備して到着すると
チョコパンは、母に
『 お化けだぞ==!
 ほら、そうしたらなんていうの?』
と、わけのわからない演技をしていました。

いま、考えても、何をしていたのか見当がつきません。

チョコパンとラーメンを食べて帰りました。

家に帰ると、午前中の散らかりのままの家であり、
母の柔らかいごはんが炊けていました。

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私は、歩けない母の介護はできません。
とうていできません。
だから、入院してもらったのです。

父はかつて重症認知で、世の中にこんなに手のかかる
認知患者はいないくらいのもんでしたが
家にずっといてもらいました。
ずっと家にいてほしかったのです。
それもこれも、母と一緒に介護していたからだと思います。

一人じゃなければ介護は可能です。

わたしは、いま、一人なので
母の介護が重荷であります。

仕事をしていなかったら
みれるな。

専業介護の地位にいることができるなら
十分に見て上げれるな。

なりたいな~
専業介護。
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母風邪

2012-01-24 00:47:00 | 介護
今は夜中なので、簡単に書きます。

わたしはもうどうかなりそうです。
母の記憶喪失と付き合うのはたいへんです。
でも、けっして母は悪くないので
母を幸せにしてあげなければいけません。
でも、母がどうかしてるので
あきれちゃってます。

でも、母は病気なのであきれちゃいけないのです。

~~~~
もう、たくさん苦しみがあって書ききれません

@ 今夜の夕食を用意しようと午後5時半に階下にいくと
  母がわたしの固いごはんを食べていました。

もう、呆れました。
自分に記憶がないことがわかっていないので
私が書いた大きなメモ(夕飯支度するから待ってて)を片付けてしまうのです。


@ ごはんが固かったでしょう?ときくと、
  毎度の否定です。
  固くない!!と言い張ります。
  
いつもは、固い!固い!って私をいじめるくせに!

@ どうも風邪をひいたようで、咳をしています。
 
それに対しても、治っただの痛くないだのなんでもないだの・・
咳をしているデイの人からうつったと言う割には、
母が部屋で咳をするので、マスクをしてもらいました。

でも、とっちゃうのです。

昨日は夕食後にチャーハンのおにぎりと稲荷ずしをかってきたり、
今日もおにぎりを買ってくると言い出したり、
最近は、チャーハンおにぎりブームです。

でも、わたしが夜食においしく頂いているよ。

夕飯の用意がないと思って買ってくるんだって・・・
今まで私が用意をしなったことは無い!!

とにかく、記憶喪失のひととの同居は
ものすごく大変なのです。
自分を正常だと思っていて正常に動き回るのでたいへんなのです。

自分の行動の記憶が無い人が正常に生活をすると
どんなことになるか、想像もつかないことだと思う。

この苦労は分かち合える人しかわかってもらえない。

生きるってことは、そんなにいいもんじゃないな。


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腹痛の母

2012-01-20 02:35:00 | 介護
父が亡くなった2008年頃は母の衰弱もひどく
両方の看病だった。
母ももう持たないとおもっていたが
この2年は食欲もあり病院も行かず元気になった。

それもこれも、病院の薬を飲んでいないせいでしょうか?
時々イチョウ葉エキスギンコを飲ませるせいでしょうか?

16日月曜日 母は豚肉炒めとエビフライの夕食を完食。
      食後に焼酎漬けの梅を一袋買ってきた。

ワタシ『 焼酎付けの梅はいつも買ってくるから
     たくさん冷蔵庫にあるよ、
     それを食べると必ず胃が悪くなるんだから』

母  『 たくさんあるなら、出しなさいよ。
     胃が悪くなるわけないでしょ!!』


バカにした言い方をするので
焼酎付けの梅を出してあげた。
おまけに、焼酎のお湯割りも出してあげた。

母は梅がかじれず、手でちぎって2~3個食べていた。


17日火曜日 デイサービスから帰宅してすぐにトイレに駆け込む。

デイでも下痢をしていたらしい。

ワタシ『 お腹が悪いときは早く帰ってきていいよ
     お腹が痛いのにデイにいるのはいやでしょ
     迎え行くから我慢しなくていいよ』

母  『 トイレに行けば治るんだから
     迎えに来ることは無い!!』

母の認知の症状は拒否です

何でもかんでも拒否して否定して反対意見を言います。

いらない しなくていい だめ いやだ・・
否定否定否定否定拒否拒否拒否拒否

そして、母は何度もトイレに通います。

私『 下痢が出るの?』

母 『 ちっとね 』

私 『胃が痛いの? 腸が悪いの?』

母 『 胃と腸はつながってるんだから胃腸が悪いの!』

この会話が火曜も水曜も木曜も続きました

しかし

19日木曜、 母は買い物に行ってしまい、チャーハンおにぎり2つとバナナを買ってきたのです。
絶食をするといっていたのに買ってきたのです

母 『 便通がないから買ってきた 』


あきれてしまいました。
胃が悪いことを忘れてしまうのは
元気になってきたんでしょうね。

でも、デイサービスは足元が冷えるから行きたくないみたいです。
冷え性の人の気持ちがわかって上げれず申し訳ないです。

でも、電気毛布をいれてあげたら、
熱い熱いってうるさいのなんの・・・

『 暑いのに、あんた、ストーブつけてんの!!』って
何回もベッドから声がかかります。

老いては子に従え!!
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ショートステイより帰宅

2012-01-16 11:09:00 | 介護
新年より働き始めた娘のチョコパンは、
無事にお勤めしています。
営業成績のために暴言・罵倒もなく
穏やかに時間をすごしているようで安心しています。

通勤も、狭い空間で動悸が激しくなることを
心配していますが、いまのところ
混雑を切り抜けているようです。

人間には長所と短所がありますが
チョコパンに対してわたしは好きなところがあります。

◎ つめが短く清潔です
◎ 髪が短く清楚です。

ケバケバシイ女の子でなくてよかったと思いますが・・

こんな風になります・・・




『戻りたいんかぃ!!』





『 おいコラ! 戻しちゃろかぁ!¡』


ショートステイから帰ってきた母ですが、
まったく、母の我がまま放題っぷりは平和な空気を壊します。

チャンネル変えろ!
NHKにしろ!
もっとましなテレビはないのか!

あげくに、チョコパンの着ている雑巾みたいな
服をけなします。
雑巾みたいな・・じゃなくて雑巾そのものかもしれません。
どういうこだわりか知りませんが
浮浪者の洗っていない固まってしまった髪の毛・・
みたいな部屋着を毎日着ています。


昔から良くしゃべる母でした。
よくしゃべれる人は、要注意です。
家族に迷惑のかかる年寄りになるかもしれません。
迷惑をかけると、
施設送りの刑になります
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。