アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

納骨でした

2008-03-29 11:04:43 | 介護


今日はジェンギンスの49日法要で、新しいお墓に入る日です。
私が住んでいる京王線でずっと乗って八王子の手前の方面です。

以前母の弟のお墓が建っていたところで、母が
30年も前に自分も弟のそばに眠るんだと言って
購入してあったのです。

わたしも、何度もかつて訪れたお墓でしたが
この35年間は訪れなかった・・・
あっというまの35年です。

12時から法要が本堂で行われるので
合計7名で出かけます。

あねが、荷物も多いからワゴンタクシーで行くと言いだし、
予約してくれました。
八王子までタクシーとは、金持ちです。
だれが払うべきなのか、ちょっと分かりません。

6人乗りのワゴンで、7人だから

結局、立候補して私が電車で行きました。
どうしてかと言うと、
わたしは、もう脱出したかったのです。
人との関わりが嫌で嫌で
逃げたのです。

おまけに、今月に入ってずっと頭痛いし。タクシーに1時間乗ったら
迷惑がかかるかも知れないので
ひとりで
のんびり開放感に満たされて
桜をみながら

10時20分新宿発の特急に乗りました。

専業主婦となったこの一週間、
激しいストレスなのかもしれません・・

老人と一緒に住んでいる専業主婦のお嫁さんは
もしかして、激しいストレスだと察します。


PPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPPP

姉の予約したタクシーは10時15分に予定通り家の前に
到着しました。
黒塗りのわごんで、運転手さんは白い手袋をして
なんか、立派です。

マクドウウェルが遺骨を抱いて助手席に座り
母の面倒は姉のむすめのMMが担当し、
姉夫婦の間の割り込んでチョコパンが座ったそうです。

本日の荷物

・お骨
・遺影
・位牌(白木。本位牌)
・ご本尊様
・お布施 (3万円)
・供物   (3000円果物籠盛り)
・線香一式
・お墓用お供え (ロイヤルミルクティ、栗まんじゅう、薄皮まんじゅう)
・墓石代金 (150万円)


電車のわたしと、タクシーのみんなと
ほぼ同時に出発し、同時にお寺に到着。

1時間かからず到着。
わたしは330円。
タクシーは13000円くらいでしょうか。
介護タクシーだと3650えんです。母が車椅子にでも乗ってくれれば
えらく安く行けます。

まず、とても広い日本間に通され、お茶とお菓子をいただく。
グランドピアノくらいのでっかいテーブルに一同感動。


住職さんが、廊下を走っています。

そうとう、忙しいのです。
一時間事に法事が繰り返され
私達が12時からだから、たぶんお昼御飯も食べずに
法事のラッシュです。

何度か走り去って、ある時ご挨拶をして、そして
走り去りました。

12時5分前に本堂に案内され、
着席。

赤いほっとカーペットに座る。
一同、しびれを気にしてる。
どういう訳か、わたしはいくら座っても
あまりしびれないのだ。

12時 住職の挨拶のお言葉のあと読経。
  
通夜の時は読経ではなく、ご詠歌だったので
読経は初めて聞くのだ。
息づかいが独特で、発生が独特だった。
ふしぎな呪文も聞かれた。

焼香  母が最初だったので、
    全員母のマネをする事となった。

立ち上がって、住職さんに一礼し、焼香をしに進む。
とにかく、全員が母と同じ事をしたのが
おかしく、みな、歩き方がおかしく、
姉は、住職さんにお布施を渡したくても
立てず、

厳粛なる本堂であったから全員静かにしているのも
いとおかし。

12時40分、お経がおわって住職さんのうち解けた話し。
     
私達の前に座って、話しをしてくださる。
私達は相づちを打つ。
みんなの目をみてお話くださっている。

自分が前立腺癌であること、
49日過ぎたらくよくよしないでもう自分の生活を大事にしなさい。
ご兄弟よく似てらっしゃる・・
日本橋でがんばってください・・・
お父さんは真面目いっぽんで生きてきた・・(どうして知ってるのか?)


1時納骨式 住職の二男がお経を上げてくれた。

副住職は本堂から軽自動車でお墓へ上がっていった。
家の母くらい乗せていってくれないかと
思ったが
山を登って私達は墓に到着した。

花が飾ってなかったから(花は墓にもう在るかも知れないと聞いていた)
若いやつらが花を1300円で売店へ買いに走った。

走っている間に
骨が地下室へ納骨されてしまった。

帰ってきた2人は、愕然とした・・・

副住職さんは2人の帰りを待っていてくれて
お経を上げてくれた。

ロイヤルミルクティの蓋を開けようかと?
兄に聞かれたけど、持ってかるから開けなくていいなんて
わたしは言っちゃったけど
開けたって持って帰ることができたんだった。

お経が終わって、墓石やさんとずっと
話すこととなった。





この写真で、花が見えるが
その一部分は
墓に刻まれた花です。

花がそなえてなくても
花が綺麗にさいているお墓にしました。

注文したデザインとはちょっと違いましたが
文句をいう元気もないので
仕方ありません。

墓石に刻んだ文字は



    
 

 母の名前とジェンギンスの名前がたまたま
と言う文字がつかわれているニタ名前だったので
この文字を入れました。

代々この2人の名前が刻まれたはかなのです。


まわり近所には申し訳ないほど
綺麗な墓石だった。。。と
自己満足。

線香も上げず
水もあげず
お参りも十分せず
終了。

こんどゆっくり綺麗にして上げる。

人と一緒の時は気を遣ってしまって
わたしは何もできない。

2時となり、
母の弟の骨はどこに消えたのかと
忙しい住職さんにお聞きし、
妻が引き取ったとわかった。。。。

駅前に店もなく
ヤットみつけた増田屋で
豪華な御食事。
みんな天丼だとか、そばだ、うどんだと
お腹が空いているので一人2品たのみ、
満腹になる。


電車で帰宅。

帰宅して
家族はそれぞれ
花見だのガーデニングだのと
以外と元気。


ジェンギンスの書類整理は
まだまだ続いています


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亡くなって40日たった

2008-03-26 15:20:09 | 介護




2007年9月の写真です。
SSさんとは、3階の認知病棟で一緒になり、
ジェンギンスのお世話を沢山してもらいました。

昨年10月に一緒に風邪をひいて
同時に入院して
一緒に肺炎になって
お互いに肺ガンと胆管癌になって

SSさんは、今月にも息を引き取ろうとしています。

つい、4ヶ月前はしっかり歩いて、しっかりしゃべって
しっかり御飯をたべて、しっかりおやつを食べていたふたりが

あっというまに
人生を終わろうとしているのです。

それにしても急激なるこの変化に
どういうモンかと思います。

SSさんの娘さんから電話があって、
ジェンギンスのミイラ化された姿は
どう考えてもおかしいと言われ、
ほんとうに
食事を与えない医師の方針がおかしいと思える。

あんなに、食欲があって元気だったのに
どうしてか医者も看護婦婦も
食べさせないことに必死だった。

肺炎になるからっていわれても・・・
ジェンギンスは嚥下には問題なかったし元気で食欲があった。

人間は人生が短いから
生きたいように生きればいいと
思い始めました。

迷惑がかからなければ
自由に生きればいいのだと思います。

あれだめ、これだめ、
あれだめ、これだめって・・

自由に生きてください。

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さて、私は今月の後半10日間は
仕事も休みで
まるで、専業主婦です。

今月までに
ジェンギンスの事務処理を終えようと
少しづつすすめていますが
1日一件の作業しかできません・・

昨日は年金処理です。

準備する物  1 死亡届コピー
       2 死亡診断書コピー
       3 年金証書・・・・・さがしてヤットみつけた
       4 印鑑
       5 母からの委任状
       6 戸籍謄本(全部事項証明書)
       7 住民票(除票・死亡日記載されたもの)
       8 国民年金証書・・・見つからないから通知書
       9 所得証明書
      10 通帳 印鑑

区役所で書類を取り寄せていると、コンピューターが止まってしまって
業務停止になり、住民票受け取りが夕方過ぎてしまった。
いそいで、年金の社会保険庁へ行ったら
30人待ちで、とんでもなく混んでいるし・・・

平日だって言うのに、お役所は混んでいるのだ。

木曜夕方5時半に予約をとって
出直すことにした。

だから、年金手続きはまだ終わっていないのだ。


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人が死ぬと事務処理がたいへんだから
もう、あと70年は処理しなくて良いように
この家の各種名義は
母をとびこえ、私をとびこえ、次の代のやつにするのだ。

これで、母が死んでも私が死んでも
手続きは要らないのだ。

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今日の作業は

ガス代金の口座振替を若い奴の名前に変え、口座を作った。

水道口座はネットで書類を取り寄せた

電話は、ひかりフレッツに電話して基本料を安くしようとしたが
2回線あるから工事が相当面倒だというので
母の電話はこのままで、権利の相続手続きをしないとならん・・

いろいろ考えて、この電話を若い奴の名前にかえると
名前が変わってしまうから
電話帳の名前が変わっては困るし・・・
よくわからん・・・
契約者と電話帳の名前はちがってもいいのかな・・・

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火災保険の名義変更処理は済んだ。

契約者は相続人のわたしで
振替口座は若い奴の口座だ。

とにかく、
公共料金の引き落としや名義を夫の名前にしているのは
間違いだ。
一番長く生きる人の名前にしておくべきです。

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後は。。
郵便局保険。。死亡、入院、契約者変更、母入院費用
水道。。口座変更
電話。。権利書き換え、口座変更
土地・・・司法書士をたのむらしい・・
年金。。死亡届、遺族年金手続き

簡単なようで長いことかかってマス。

3月29日の49日法要までに
終えて、安心してあの世に送り出してあげるのです。
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3月20日のイベント

2008-03-19 00:43:02 | 介護
アレコレしながら仕事のイベント準備があって
家族の行事もあれこれあるから
最近、2時間しか寝てません。

2時間というのは、体に良くありません。
不眠症がいっきに治った勢いです。

不眠症の人は、寝なければ良いのだと思います。

3月20日木曜 午後1時45分から午後四時半

新宿都庁そばの、パークハイヤットホテルのななめの場所で
生みるき~を見てみたいという方は
無料ですのでおこしください。

20日がすぎたら
抜け殻のように楽な人生になります。

そしたら、またジェンギンス事務処理にあけくれて
ジェンギンスと一緒にいる気持ちです。

では20日過ぎにまた日記を書いていきますので。

テレビに話しかけるジェンギンスは1年半前のこと。
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癌保険請求

2008-03-12 11:28:07 | 介護
あれこれあれこれ、思いつくままにお役所に電話したり、問い合わせたり
人が一人死ぬと大変な手続きがいっぱいです。

生きている時に、いろいろ手を広げたひとは
その分いっぱい手続きがあります。
ジェンギンスは妻が趣味で作ったたくさんの
銀行口座があるくらいですが
母の場合は
銀行口座にくわえ、
あっちこっちの証券会社があってたいへんだ。

人のことは言えず、
証券会社を紹介してるのはわたしで
一つの証券会社をふやすと
たいてい数十万円の収入になるので
こうやって遊んで暮らしていたわけです。

取引するから儲けさせろ!
と言えばいいのです。


さて、やっと確定申告が終わりました。

入院中に良いことを聞いたので
今回はジェンギンス夫婦の確定申告はしませんでした。
ジェンギンスの税金は戻さず、
マクドウウェルの税金を全額戻しました。

19年分のの支払い医療費は150万円です。
この計算がたいへんで、
レシートは細かいし、
還付金をさしひいたり、
日常品を差し引いたり、
明朗会計で頑張りました。

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渋谷税務署に提出したあと、
渋谷区役所で管内をめぐりました。

国民健康保険・・・ジェンギンス3月分還付
         保険証返却
         妻のぶん振替口座変更
         妻3月分支払い
         葬祭費請求書類提出

介護保険・・・支払い過ぎの還付請求

高額医療費請求・・わたしは昨日この手続きをしたのか
         不明です。
         お役所のどこを回ったのか不明です。

 4月からはもう母の口座は使わず私の口座から振り替える。
 母が死んだ時に苦労しない段取りだ。

戸籍謄本 2通
母の印鑑証明 3通
死亡届け証明 1枚
ジェンギンスが生まれてから死ぬまでの戸籍謄本・・・

生まれた時の戸籍は石川県へ請求しなければならず
これは、たいへんだ。
その書類が今後何通いるのかも不明で
お役所に聞いても、何通も要りますよ・・とか
あいまいで、
3通取ったらどうですか・・とか
こういう物に必要ですよ・・・とか
言ってくれればいいのに、聞いても教えてくれないんだ。

わたしが受付だったら
詳しく教えてあげるよ。

思いつく書類をとりよせ、

家に帰ってとりあえず
できる物は

癌保険の請求書類が揃った。

入院保険金請求
死亡保険金請求
契約者変更請求
振替口座は私が払っていたので変更はない。

20年前に、私が癌の疑いで検査をしたとき
家族全員が加入した癌保険でした。

今まで200万円以上掛け捨ててきました。
もう、癌検診もしないし解約しようかと
何度もおもいましたが、
こんかい思いがけず癌の診断がくだされ
亡くなった原因までもが胆管癌だから
お陰で今までの掛け金も今までの入院費も戻ってきそうです。


収入と支出と沢山あります


24時間の介護をしてくれた施設には
ひと月10万円をお支払いしました。
16ヶ月で160万円です。
安いもんです。

高級な石にデザインをした墓石は
150万をお支払いします。
相場です。

葬儀代は100万円でした。
家族葬でしたがお客様が来ないだけで
まったく普通のお葬式でした

仏壇仏具は定価の半額で
28万円です。
代々使う物なのに安いです。

そして、納得のいかない支払いがあります。

戒名です。
家族が死んだ者にしてあげれる
唯一のことだと和尚様からいわれましたが
お金のランクによって
いただける名前がちがうなんて、
それも半端じゃない金額で・・・

見栄以外の何物でもない。

お坊様は魂がお位牌に宿ると
本当に思っているのでしょうか。
自分のあげるお経によって
魂が本当にお位牌に移動したと
信じているのでしょうか。
そんな、スゴイ力を
お坊様は持っているのでしょうか。

超能力です。

見栄のない社会って良いと思います。

そうやって、あれやこれやの
宗教にはまっていく人がいるのですね・・・

わたしはそんなに弱くない。


最後は思いっきりジェンギンスを可愛がりました。
認知症は姿を消して、仏様になっていました


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定期が切れてお別れ

2008-03-07 10:47:20 | 介護
昨年12月6日の木曜に病院通院用電車の定期を買いました。
交通費を気にせず病院に通いました。

1月にまたひと月病院通院定期を買いました。
沢山通えるだけ通いました。

2月にまたひと月病院通院定期を買いました。
わずか、7日間乗ったらジェンギンスが亡くなりました。

でも、定期は時々使って買い物に行っていました。

3月6日木曜日で病院までの定期が終わりです。


この記念すべき木曜。

癌電話も、癌告知も、経過告知も、死亡も、葬儀も、
3月20日の仕事のイベントも
何もかも木曜です。

そしてその昨日6日の木曜は
病院に行く最後の日となりました。

先日、先生にお願いしていた診断書類2通が出来上がったので
チョコパンが取りに行ってくれました。


癌を知らされたのは11月でした。
でも
書類での癌発見は4月10日でした。

1年前の病院入所のときから徐々にやせて
ガリガリに痩せてきたのは
癌だったからなのでしょうが、
家で一生懸命食事拒否のジェンギンスに
御飯を食べさせていたときは
栄養状態がまだよかったわけで

施設にいれて、
食事拒否があって

たぶん
施設のストレスが
大きかったんだろうと思う。

歳老いての施設のストレスは
計り知れない。

施設入所の時に癌だと分かっていたら
いったいどうしただろうかと考える・・・
あのまま、元気すぎて外へ出ていってしまうジェンギンスが
家にいたら、この家は大変なことになっていたと思う。

施設入所1年くらいで亡くなってしまい

ほら、施設にいれたから早く死ぬ!
と、言われるだろうが

ほんと、元気だったのに早く死んでしまった。

反対に、
ギリギリまで家にいたから
早く死んだとも考えている。

認知症に関しては
限界を超えるまでの自宅介護ができたことに
後悔はない。

わたしも、家族も
どんなに認知の進んだジェンギンスでも
家に置いておきたかった気持ちが強い。
だから、家でみたのだ。
ナントしてでも自分の手で介護したい気持ちがなきゃ
やっていけません。

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チョコパンは久しぶりに病院を訪れ
気持ちの良いお庭を歩いたでしょう。

悲しい気分が好きな母は
「 お父さんのいた病院だったとおもうと
  さびしいだろ 」
と、悲しそうにききますが

わたしもチョコパンも、そんな気持ちはどういうわけか
湧いてきません。
良い思い出しかありません。
たのしく笑った良い思い出です。
なつかしくて、本当にいい時間をいい人とすごした
所です。

・・・・そう書いていながら、ちょっと悲しくなる・・

病院受付で2通の診断書をいただき1万円と税金をはらい

3階の婦長さんとバッタリ会ったり
2階の入院病棟へいってSSさんを見舞い
SSさんが痩せていたことやミトンの手を差し出してきたこと。

死ぬのを待つかのような入院生活病棟はむなしいと思います。
ホスピスだな。
ホスピスは歩ける人がいるけど
この病棟は、天国寸前みたいな気がする。

===========

いつもチョコパンと面会帰りに
大きなスーパーに寄って買い物をしていたので

チョコパンはこの日も
3つのスーパーめぐりをして帰ってきました。

行きがけに寄ったスーパーでは
ジェンギンスの好きだったもみじまんじゅうを捜したのですが
なかったそうです。

つい、ジェンギンスへおやつを買って持ってい行く気分になったそうです。

ジェンギンスの世界一美味しい!と言ってくれる
ことばが聞きたくて
おいしい物をいつも選んでいたのも
生き甲斐だったなぁ


定期も終わって
今後
もうこの病院へ行くことはないと思われます。

いい施設だった。
重症認知で病気をかかえるジェンギンスにとって
いい施設だった。

死ぬ時期への見極めが早すぎたこと
絶食させないでほしかったこと
暴力的な痰吸引の介護
その点だけがどういうものかと思います。

拘束は仕方がない。
生きていくためには拘束にちからを借りないと
ジェンギンスは駄目だった。

結論的に
この病院は良かったと思う。



乙女地蔵
「 聖なる指名に殉せし乙女のためにこの碑を建つ 」
病院敷地内にあるお地蔵様。
かつて病院で働いていた看護婦さんが23歳でなくなり
青春をかけて献身的な介護をしたことで、惜しまれこの地蔵が
できたのだ。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。