きょうの夜7時半。
私の仕事が終わって、みんなで楽しい夕食が始まるところだった。
アチアチの虹鱒のバター焼きを焼いているときだった。
バンバンジーサラダが大山盛りでテーブルに置かれたときだった。
電話が鳴ったので、子機でバタ焼きの最中に電話に出たら、今ショートステイをしている施設からの連絡で
37.7度の発熱 平熱より2度高い。
咳き込み
食欲もあるし、歌をうたって、元気そうにしているが
医師の処方が出来るなら、薬を持参してほしいということ。
今夜は見守るが、容態によっては、夜中にも電話を入れるという事。
『 夜中に迎えに行くのでしょうか』
『 40度の熱でも出れば別ですが、お迎えという事はありません』
私の体が震えてきました。
熱と咳では死に至ります。
もう、施設入所の話どころではありません。
咳は危ないです。
母は医者へ走ります。
私はなお、食事の支度です。
母が薬を頂いてすぐに帰ってきました。
早かったです。
走ったのでしょうか
消炎解熱と抗生物質が一日3回飲むように
処方されています。
薬がおかしいと思ったので病院に即電話です。
私は滅多に電話をしませんが、疑問に思ったときは
電話します。
『 毎日あさ、クラリシッドが処方されて飲んでいますが、今日の抗生物質も一緒に合わせて飲んでいいのですか?』
『 クラリシッドは弱い抗生物質だから、一緒に飲んでだいじょうぶです。今日のは、風邪用の抗生物質だから。』
薬の了解が取れて
私が父の容態を見に行くか母が行くか相談しましたが、母は足が遅くて30分以上かかるので
私がチャリで4分後に到着しました。
母のことは、マクドウウェルに任せました。
マクドウウェルがさっそく、食事の世話を焼いてくれていました。
エレベーターを降りてジェンギンスを探したら、
椅子に座って咳をしていました。
苦い顔をしています。咳の後どこか痛そうです。
薬を渡して、抗生物質の説明をして、今飲ませてくれることになって
少し、父の面倒を見るつもりだったんだけれど
『どうも、わざわざありがとうございます』と、いわれて
帰る雰囲気だったから、帰ることにした。
父に
『 おじいちゃん、気持ち悪くない? だるくない?』って
聞いたけど、訳のわかんないことを喋っていた。
顔色は茶色く、顔も体も痩せていた。
オデコは少し熱かった。
だるくないんだろうか。
横にしてあげたら寝るんじゃないだろうか。
出掛けに母が、南天のど飴 持って言って!
といわれたけれど、私は向こうに飴を預けてあるし
いいよ!と断ったのだが、
後悔した。
父の乾いた咳を、飴で潤してあげるべきだった。
いつもはポカリスエットを大量にのませて、熱を下げるのに、水分補給を考えなかった事を、後悔した。
こんなに、咳が出ているのに水分と飴を持って行かなかったのは失敗だった。
『お湯を飲ませてください』って言いにくい。
管理していただいている所に
口出しするのは言いにくい。
薬をのませてくれるときに、水分は補われるであろうと、自分を慰めた。
がぶがぶ水分を飲むジェンを見たら
きっと、もういっぱい水分を下さるだろうと
言い聞かせた。
放尿しちゃうからの水分制限は、咳の時はお休みだ。
ジェンは、もしかしたら、おしっこが止まっていないだろうか・・
わたしはジェンに熱が出たとき
全身を冷やして高熱を下げる努力をする。
ジェンは楽になるんだ。
冷たくしたり、暖めたりの細かな病気介護は
私がしてあげる。
今夜、緊急事態に対応できる支度をととのえ
明日、多分迎えに行くつもりだ。
病気の時は家でゆったり寝かせてあげたい。
ボケクソジジい、じゃ無かったら見てあげる
呆けクソジジイのときは、勝手にしろ!自分で寿命をちぢめてるんだこのやろう!って思います。
私は帰り道かんがえた。
7月23日に葬式はこまるから、例え葬式でも私は葬式を欠席する。
7月30日のハワイウクレレフェスティバルは行かなくていいや。
今日、老健に長期入所をお願いしたばっかりだというのに、施設にはれるって健康な証拠なのだ。
こんなときが、何回かやってきて
ジェンギンスは
やっと天国へ召されるのです。
早く、楽にしてあげたいきもちと
そんなときは一生来ないでほしいという気持ちが
あります。
私の仕事が終わって、みんなで楽しい夕食が始まるところだった。
アチアチの虹鱒のバター焼きを焼いているときだった。
バンバンジーサラダが大山盛りでテーブルに置かれたときだった。
電話が鳴ったので、子機でバタ焼きの最中に電話に出たら、今ショートステイをしている施設からの連絡で
37.7度の発熱 平熱より2度高い。
咳き込み
食欲もあるし、歌をうたって、元気そうにしているが
医師の処方が出来るなら、薬を持参してほしいということ。
今夜は見守るが、容態によっては、夜中にも電話を入れるという事。
『 夜中に迎えに行くのでしょうか』
『 40度の熱でも出れば別ですが、お迎えという事はありません』
私の体が震えてきました。
熱と咳では死に至ります。
もう、施設入所の話どころではありません。
咳は危ないです。
母は医者へ走ります。
私はなお、食事の支度です。
母が薬を頂いてすぐに帰ってきました。
早かったです。
走ったのでしょうか
消炎解熱と抗生物質が一日3回飲むように
処方されています。
薬がおかしいと思ったので病院に即電話です。
私は滅多に電話をしませんが、疑問に思ったときは
電話します。
『 毎日あさ、クラリシッドが処方されて飲んでいますが、今日の抗生物質も一緒に合わせて飲んでいいのですか?』
『 クラリシッドは弱い抗生物質だから、一緒に飲んでだいじょうぶです。今日のは、風邪用の抗生物質だから。』
薬の了解が取れて
私が父の容態を見に行くか母が行くか相談しましたが、母は足が遅くて30分以上かかるので
私がチャリで4分後に到着しました。
母のことは、マクドウウェルに任せました。
マクドウウェルがさっそく、食事の世話を焼いてくれていました。
エレベーターを降りてジェンギンスを探したら、
椅子に座って咳をしていました。
苦い顔をしています。咳の後どこか痛そうです。
薬を渡して、抗生物質の説明をして、今飲ませてくれることになって
少し、父の面倒を見るつもりだったんだけれど
『どうも、わざわざありがとうございます』と、いわれて
帰る雰囲気だったから、帰ることにした。
父に
『 おじいちゃん、気持ち悪くない? だるくない?』って
聞いたけど、訳のわかんないことを喋っていた。
顔色は茶色く、顔も体も痩せていた。
オデコは少し熱かった。
だるくないんだろうか。
横にしてあげたら寝るんじゃないだろうか。
出掛けに母が、南天のど飴 持って言って!
といわれたけれど、私は向こうに飴を預けてあるし
いいよ!と断ったのだが、
後悔した。
父の乾いた咳を、飴で潤してあげるべきだった。
いつもはポカリスエットを大量にのませて、熱を下げるのに、水分補給を考えなかった事を、後悔した。
こんなに、咳が出ているのに水分と飴を持って行かなかったのは失敗だった。
『お湯を飲ませてください』って言いにくい。
管理していただいている所に
口出しするのは言いにくい。
薬をのませてくれるときに、水分は補われるであろうと、自分を慰めた。
がぶがぶ水分を飲むジェンを見たら
きっと、もういっぱい水分を下さるだろうと
言い聞かせた。
放尿しちゃうからの水分制限は、咳の時はお休みだ。
ジェンは、もしかしたら、おしっこが止まっていないだろうか・・
わたしはジェンに熱が出たとき
全身を冷やして高熱を下げる努力をする。
ジェンは楽になるんだ。
冷たくしたり、暖めたりの細かな病気介護は
私がしてあげる。
今夜、緊急事態に対応できる支度をととのえ
明日、多分迎えに行くつもりだ。
病気の時は家でゆったり寝かせてあげたい。
ボケクソジジい、じゃ無かったら見てあげる
呆けクソジジイのときは、勝手にしろ!自分で寿命をちぢめてるんだこのやろう!って思います。
私は帰り道かんがえた。
7月23日に葬式はこまるから、例え葬式でも私は葬式を欠席する。
7月30日のハワイウクレレフェスティバルは行かなくていいや。
今日、老健に長期入所をお願いしたばっかりだというのに、施設にはれるって健康な証拠なのだ。
こんなときが、何回かやってきて
ジェンギンスは
やっと天国へ召されるのです。
早く、楽にしてあげたいきもちと
そんなときは一生来ないでほしいという気持ちが
あります。