アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

レン山さんが亡くなるところだ

2008-01-31 10:26:27 | 介護
2008年1月31日木曜日 貧血かなぁ

午後3時15分に病室に到着したら、激しい拘束だった。

拘束つなぎ
両手ミトン
ミトンの入り口をビニールヒモで縛っている
太いヒモで両手をベッドに縛り付けている
胴体のベルトがきつく巻かれている

悲惨な拘束だった。

いま、もしも看護婦が来たら
私は、泣き叫んで怒鳴るかも知れないと思った。

おまけに、ベッドがオシッコで濡れていた。

2時半のおむつ替えが済んだばかりで
おむつが濡れていないのに、ベッドが濡れているって事は
2時半のおむつ替えの時に、おむつだけ取り替えて
濡れていたシーツを取り替えずに放置していたって事だ。

男の優しい介護士さんにシーツからなにから全部取り替えてもらった。
やさしい介護士さんの時は、
ジェンギンスは、ありがとう!って感謝しながら
着替えています。

あの看護婦の時は、声が聞こえた時点で
抵抗が始まります。

わたしは、両手のヒモをほどいて
ミトンも取ってあげました。
ジェンギンスは、20時間も拘束されてやっと
腕が自由になった。

そこでチョコパンが登場。

悲惨な拘束をみせたら爆発だったな。

そこで、文句たれ看護婦が口の中をえぐりに来た。

私が、ジェンギンスの頭を抑えていたら、
チョコパンが婦長を連れてやってきたから
わたしは驚愕した。
やるな!! よくやった!!

デカイピンセットでジェンギンスの口を
えぐり回そうとした時、
婦長が

「 ○●○●さん、ジェンギンスさんは歯もないし
  ピンセットじゃなくて、手でしてちょうだい。
  手袋をして、手でしてあげたらいいですよ」

おかげで、今日は手でしてもらえた。
抵抗したけど、ピンセットで負傷しなくてすんだ。

看護婦はなんか、「 家族が居る時は。。。」とか
ぶつぶつ言ってたけど、
しかし、手ですれば良いことだと思った。

となりのSSさんは、担当看護婦がちがうので
スポンジのブラシで綺麗にしてもらっているそうですが、
20分で630円支払っているそうです。
それもたかいなぁ、だったらわたしがしますよ。

さんざん、看護婦にいじめられた
同室のレン山さんは、今月の命ときいていましたが
最終日の今日、とうとう危険な状態となりました。

顔は穏やかです。
よびかけると、ああーーって口を開けます。
いつも閉じていた目が、ゆるく開いています。
足が紫色に変化していました。
手足が冷たくなってきたそうです。
血圧を上げる点滴が胸にたまってしまうので中止しました。
血圧を測る機械も止めました。
呼吸はいつもと同じでした。
オシッコの量が少なかった。

まだ暖かい顔をさわって
「じゃあね」っていって生きてるレン山さんに
お別れしてきました。
それ以上のことばを掛けると泣きそうでした。

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ジェンギンスにプチ田のんを一つあげました。

ゆうがた、お腹が空いて口をあけるので
ポタージュスープをどろどろにして作りました。
ベッドに座らせてみて、美味しそうにあつあつの
スープを飲みました。


チョコパンが今日かわいい毛布を買ってきてくれました。
ピンクの5本指靴下は、脱がせる看護婦と履かせるチョコパンの
戦争が続いています。
 負けるな!チョコパン!

のんでいるとき、こっそり、文句たれ看護婦が入ってきたので
びっくりです。
向こうも、スープを飲ませているからびっくりして
怒鳴られるかと思ったら、以外と冷静で、
チョコパンがいたからかも知れません。

チョコパンが「 食事はもうたべれないんですか」とか質問したら

「 いまに、出るでしょう、点滴だけじゃね 」
とか、いつもなら、黙ってろ!みたいな文句を垂れるのに
やたら、すなおに答えやがって、でもあす、わたしにぐちぐち言うんだよな。

スープのことは、呆れた!ってかんじで
「 これ以上は言わないけれど・・」ってなんか言ってた。

とにかく、主治医に会ってはなしたいが、
主治医も外来診察と休日だし、わたしも平日1時間しかないので
会う時間がないのだ。
もう、週末で医者は休むし。。。

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それより、スープをのんだけど
ジェンがだるそうにしているので
ベッドに寝かせました。
そしたら、すごく具合の悪い格好で横になって寝たのです。

息が止まっているのかと何度か確認しました。
横向きに丸くなってじっとしています。
横向きも楽だろうとは思いましたが
急変したのかとびっくりです。

しばらくして、うごいたり声もでたので、多少安心しましたが
そのまま、横向きで寝かせて帰宅しました。

横向きに寝かせてあげたいけれど
7時半のおむつ替えで、上を向かされるのです。
手を拘束されるから、寝返りも打てません。

半年か10ヶ月前に、手錠で拘束した病院が問題になりテレビに出ていましたが
ジェンギンスは、それ以上にひどい拘束です。
拘束しないと点滴を受けることができないので
これは、たいへん悪いことではないのですが

やさしい介護士さんがいたとしても
やさしい婦長さんがいたとしても
やさしい看護婦さんがいたとしても

強い乱暴な看護婦は乱暴なままです。

レン山さんの命も心配だし
ジェンギンスの状態も心配です。
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拘束のまま命を閉じるんだ

2008-01-30 01:47:29 | 介護
2008年1月30日水曜 1年前家にいた時と変わらない

わたしは、昨日から明日まで珍しく3日間仕事が休みです。
だから、毎日病院に遅くまで居ます。

家に帰るのは夜の9時過ぎになります。

仕事をしているより楽です。

後2ヶ月で8㎏くらい体重をおとすので
9時間の空腹は実に気持ちが良いです。
体がしぼんでいく実感です。

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いつもの文句たれの看護婦さんが
薬をあげようとしたので
私があげると、今日も主張して私があげました。

ゼリーで粉薬をこねていたら
こねないでゼリーのうえにかけるだけで良いと
言われました。
でもこねました。
抵抗なくぱくりと薬を飲み終えました。

そのご、頑固に口の中を拭かれたので
口の中がピンセットで切れて
出血しました。

その直後、痰吸引でジェンがあばれたので
頑固な看護婦は、靴を脱いでジェンのお腹の上に
馬乗りし、両手を足でおさえ、体をのせて痰を吸引しました。

わたしは、ジェンの顔を押さえていました。

チューブを喉まで15㎝いれましたが痰は
思うように出ませんでした。
届かないって言ってました。

その後、酸素のチューブを顔にテープで止めました。
お風呂に入る時の防水テープです。
髪の毛もテープで止めてあるので
これを外す時、この看護婦にやられるとしたら
ジェンは気絶するでしょう。

防水テープは高いのですが
お金はいいって言ってました。




部屋に行くとこんな張り紙。
昨日の夜は8時まで部屋にいたのに貼ってなかったのに
今日は昨日の分まで貼ってある。
わたしにイッテンノカ?
昨夜は、ちゃんとすべての拘束をして帰宅したのだ。

~~~~~~~~

今日も昨日もジェンギンスは自分の生きる道を
捨てようとします。
手で全てを取り払おうとします。
飲み物をあげようとしても
怒っていて恐い顔で振り払います。

酸素
点滴
拘束服
拘束ベルト
拘束ミトン
痰吸引
口腔かきまわし
絶食
粉薬の水なし

・・・かわいそうなジェンギンス。

新しく入院してきたご家族の奥さんと話しをした。
乱暴な看護婦がいる話しをしたら、
その人は ○○●○ でしょう?
と、知ってました。
一度怒鳴られたことがあるそうで、訴えたい位だって言ってます。

私だけが感じてるんじゃないんだ。

==========

ジェンの主治医は今日居なかった。

経過を知りたい。
介護保険も明日で認定が切れるんだ。
切れたままでいいのかなぁ
介護病棟に戻るって事は無いと思って
更新をしてません、

病気が消えてきて
認知が台頭してきた今日この頃です。



絶食から10日が過ぎました。
軽いスープはこっそり飲ませているけど
お腹にたまる物はあげていません
以前より、飢餓状態ではないけれど
食べたくて、ミトンをかじります。
異食じゃ、ありません、空腹です。
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過去のたいへんだった頃だ

2008-01-29 10:58:06 | 介護
2008年1月29日火曜日 手いたずら激しく

癌におかされてからは、認知症というより病気治療で
ジェンギンス自体も認知症状は隠れていておとなしかった。

それが、今日はもうたいへんで

認知症の入院治療は、もしも拘束がなかったら
不可能だと思った。
命を守るためにしている点滴や酸素吸入をはずし、
自分の排泄物であるおむつ替えを抵抗し、

仕方がないから手にミトンをはめて点滴と酸素を守ろうとすれば
ミトンを無理やり剥がす動作がずっと続き、
頑丈なミトンも壊れる始末だ。


そう言うジェンギンスを見ていたら、
1~2年前の大変な時期のジェンギンスを思い出した。


骨折のためのギブスを、とうてい取れるはずがないのに
手から抜いてしまったし、
生きるための食事は拒否し続けた。
骨折の手でテーブルをたたいて、余計に治りが長引いたな。

風呂も拒否
食事も拒否
着替えも拒否
立つのも座るのも拒否
デイサービスも拒否
車に乗るのも降りるのも拒否
寝るのも起きるのも拒否

私とマクドウウェルをさんざんいじめたあとは
拒否だったなぁと、思い出す。

今日の生きることを拒否するジェンギンスをみて
もう、いきていなくていいのかなぁ と思った。

でも、たしか先日テレビで
殺人したのは脳に腫瘍ができていたせいだったと言うのを見て
病気がさせていたことを責めてはいけないんだとも
感じる。

まあ、いのちの限りはコントロールできないから
自然に任せよう・・・・
・・・

なんて!言ってみたが、

そうじゃない!!

絶食のジェンギンスは、みるみる体力が無くなってきています。
このままでは、絶食のせいで命が終わります。

絶食の分、高濃度点滴でもしてくれればいいのですが
普通の点滴だし。

お医者様がジェンギンスを絶食にするのは
マニュアルがあるのでしょうか。
こんなに食欲があって美味しそうにたべて
食べたものを吐くこともないのに。

タンは吐くけど。
水分もごぼごぼって逆流してくるけど。

先生に会えたら、聞いてみたいと思う。

介護士さんが、食事のことは看護婦じゃなくて先生に直接聞いたら
良いと言ってくれました。

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それにしても、今日も乱暴な看護婦が担当でした。
この人は、もうやめて欲しい。

ジェンに薬をあげるとき、
ゼリーのとろみをまぜて飲ませるのですが、
ゼリーのうえに粉薬をかけただけで
思いっきり頑固に口につっこみました。

だから、ジェンの口は真っ白です。
抵抗もするし、

「 私があげます!! 私がします!!」って大声をだしたら
「良いわよ、あなたがしなくて」・・乱暴。。
「 私がします!」
「 じゃ、あげてごらんなさいよ、 このひとはすごいんだkら」
「 おじいちゃん、はい、あ^^^ん」
・・・ジェンギンスは口を開けておやつを食べるように
スプーンでゼリーを食べてくれました。


そしたら、
「 あなたが今あげたのは、甘いところだったからね、
  このひとは甘い物が好きなのよ 」
と、いい訳を言った。

おやつをあげるように混ぜてから口に入れてあげれば
薬を美味しくいただけるのに、なんて看護婦だろ!!

この病院には苦情を受け付けているケースワーカーもいて、
わたしもよく相談に乗ってもらっているから
よくしっているんだけど、
改善にはならないだろうと思う。

マクドウウェルは
テレビ局に言ったら
すぐ取材に来るぞって言ってます。

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私が滞在する間、2回の痰吸引をして苦しみ、
そのせいで、口や鼻から入る異物にたいし
拒否したので
飲み物も嫌がりました。

1~2滴口の中に流し込み
美味しいものだとわかると
やっと飲んでくれます。

平和が乱れてきています。

痰吸引と点滴と酸素吸入がジェンを苦しめています。

解決して欲しいです。

痛みはなく、
痰も吐かず
熱もなく
酸素濃度は97
熱は35.5 で冷たい
足は、反発マットのようにむくんでいました。

病気は落着いていました


帰るので胴体の拘束を付けました。
布団もミトンも酸素も手でむしり取って
体のなかにしまおうとします。
ミトンをしないといたずらしますが、
手が利かないのは不自由です。

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そして、だれもいなくなった

2008-01-28 11:45:33 | 介護
2008年1月28日 月曜 チョコパンが面会に

税金の季節がやってきた。
家族の支払った税金を還付するために
たくさんの確定申告をしないといけないので
もうたいへんです。

なにがたいへんかって、母親の医療費計算です。
不定愁訴のあげくに、色々な病院へ行くから
もう、どうかしてます。
今回の医療費は父の分も含めて
160万円以上だ。
父が120万円、母が40万円・・まで計算してやめた。
両親介護の書類も何冊ものファイルにぎっしりで
やってられません。

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ジェンギンスの面会はチョコパンが行きました。
わたしは、仕事始まりが早いのでいけず、
でももう学校が休みになったチョコパンが行ってくれて
安心です。

4人部屋で、そのうち2人が移動して居なくなったのにくわえ、
とうとう、もう一人の寝たきりおじさんが
どこかへ移動してしまいジェンギンスは一人だったそうです。

これで心おきなく、うたったりおどったりできると思った夕方、
本も読めるし、テレビもみるし喋れる、まともなおじさんが
どこかの部屋から移動してきました。

正常な人であっては、お喋りや音楽にも気を遣うので
これは、困ったと思ったが!
えっっらく、耳が遠いおじさんで
ぜんぜん、話しが通じないそうです。
テレビのイヤホンから出てくる音量も半端じゃないらしい。

これは、あす会うのが楽しみです。

夕食の時、そのおじさんが
「 御飯を食べてるのは自分だけだ」
といったそうで、
チョコパンからその話しを聞いていた母が

「 おとうさん、絶食なの????!!!!!」
と、気付かれ!
「 違う!違う!」と言い訳し・・・

ジェンギンスが調子が悪い何て云ったら
母は胃潰瘍が爆発して死ぬからね。

母は、胃の薬を飲み過ぎて胃が悪いんだ。
買いすぎだ。
胃の薬が家に有りすぎ!

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ジェンギンスは、痰吸引されて、元気が無く話しが少なかった。

看護婦にかくれて、

プチ田ノン2個
特効薬とウコン
ポタージュスープ
りんごジュース

を食しました。

それにしても、逆流していたタンや水分が
まったく無くなりました。

食事をやめたから、逆流する水分が無くなったのですかな・・・
すると、食事はやめた方がいいということかな・・・

咳もでないし
痛みもない
いまは、熱もない
体のかゆみもない
体力もない

時々ちゃんとしゃべるけど通じない。
ときどきいろいろ見るけど、見てくれない。
歌おうとするけど、歌詞が出てこない。
リズム感はいい。
音程もすごく良い。

父の隠された音楽の才能を死ぬ間際に発見したんだ。

今日、古い書類を整理してたら
母の弟の名刺とか出てきた。
30代で腎臓をわるくして亡くなったひとだけど、
学生時代からの名刺をみて、亡くすには惜しい人だったことを知った。
母も、そうとう医療にたいして後悔し、医者に訴えていたことを
幼いながら見ていた私だ。
母の後悔が、今の私に伝わった。
今だったら、わたしも知恵をだして良い医療を受けさせてあげれただろうに。
なんか、悔しくなった。

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チョコパンは、引越ししてきた病室のおじさんの
家族にえらく誉められて孵って来ました。

おじいさんの足にクリームを塗ったり
おむつ替えを、見ないようにして手伝ったり、
いっぱい話しかけたり
笑わせたり、
ビデオをとったり
歌ったり踊ったり
。。。
私にもできないことをいっぱいしてくれます。

これから、死んでいくジェンギンスを
こんなに支え続けて
大きな経験をしすぎだと思います。


いそがしいのに、長くなった。






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今日もスープを飲む

2008-01-27 10:27:08 | 介護
2008年1月27日 日曜 寒くて寒くて

世の中は寒いし、わたしはしなければいけないことが山積みだし
できることなら、面会には行きたくない気持ちもありますが
ナントしてでも面会に行きたいので行きます。
行きたいから、行きます。

だけど、そうとう苦しいです。

夕食のしたくやなんやして、家を出たのが午後3時半過ぎ。
電車は人身事故の影響でダイヤがみだれ、笹塚駅では
快速橋本行きと急行橋本行きが同時にホームに入ったため、
どちらが先に出発するかで電車がジャンケンをして
私の乗っている橋本行きが負けたので
先に出発する向かいの橋本行きに乗り換えました。

後から病院にきたチョコパンも
笹塚で同様に快速が到着し、都営線乗り入れの橋本行きが
ジャンケンに負けて、乗り換えたそうです。

=====

ジェンギンスは点滴をして健やかに横になっていました。
両手のミトンと拘束、胴体の拘束をはずして
手を揉んであげました。
手は、しめっています。かわいそう。

今日の担当は、乱暴な看護婦さんだったので
点滴を外したり、いれたりで騒動だったと言われました。
点滴をその看護婦さんがはずすとき、
テープを思いっきり引っ張って取ったので
ジェンギンスは
はっきりと

「 痛いナッ!! 痛いよ!! 痛いよ!!」 と怒りました。
いつもモゴモゴしゃべっているジェンギンスが
こんなにはっきり痛みを主張するなんてただ者じゃありません。

乱暴だ。

その後、久しぶりにウコンドリンクに特効薬をいれて
飲ませました。
最初の一口を吐き出しました。

そのご、美味しそうに飲みました。

もう以前みたいに、餓えていません。
弱ってきたんです。
よその点滴だけで生きているおじいさんみたいになっちゃったと思うと
むなしいです。

特効薬はきょうで32本飲みました。

おもいおこせば、
昨年10月7日には元気でお庭でおやつを食べました。
10月12日から発熱が続き、胸の痛みや腹痛を訴えました。
肺に水がたまり、苦しい日も多々ありました。
そこからひと月病んで、胆管癌宣告で、いつ逝ってもおかしくないと
急に言われたわけです。

12月中に亡くなると宣告されたけど
なんとか1月までもった。
1月中まで生きるとはとうてい思っていなかったけど
なんか、生きてるし。
3月までは生きるわけがないと思っていたけど

一年で一番大変なこの2月3月を介護しながら
こなしていくのは、残酷だ。

日記も短くしようと思う。

=========

ウコンドリンクと特効薬エキスを飲み、
昨日買ったプリンを食べさせようと思ったら
昨日が賞味期限だったので廃棄した。

エキス入り蜂蜜をあげたところで
チョコパンがプチ田ノンと茶葉2倍のおいしいミルクティを
もって来てくれた。
助かった。

売店に買いに行こうとしても
拘束を外したジェンギンスを置いて行くことはできないのです。
手があれこれいじるのです。
点滴の針も抜くし、布団も剥ぐし、遠くの物をつかもうとして
ベッドからも落ちかねない。

チョコパンとジェンギンスが少し遊んで、
むりやりイイコイイコをさせて、


ビデオを撮りながらプチ田のんを2つ食べました。

6時の夕食の時間は、介護士さんも看護士さんも部屋にやってこないので
堂々と食べ物を与えることができます。

昨日飲んだポタージュスープをまた作りました。
昨日はカップ付きで高かったので、
今日はカップ無しの箱入りで4袋も入っているのにしたら
同じ物なのに安上がりでした。

すこし熱かったけれど、体もあたたまるし
一人で飲んでもらいました。

自分で食事をするって
重要です。
他の寝たきりの人は、寝たきりですから。

でも、ジェンギンスは体の体制を
自分で変えれないみたいです。
寝返りとかうてないんじゃないかな。
手すりにつかまって体を支える事はしているけれど
手を使って体の位置をずらすことはできなくなっている。
体がずれた時、なおしたそうだけど、手の力が無くて
位置を変えれないんだ。

以前は、認知症でも
背中をさすってくれ、足が痛い、背中が痛い
って自分の体をわかって希望を述べていたけど
入所したこの一年で
ジェンギンスはことばを失ったな。

手のかかったジェンギンスだったけれど
その手のかかった分ジェンギンスは施設で
我慢した不自由な生活をし、
どのお年よりも、早めに亡くなるわけですね。

認知症と癌とどっちがいいか、なんて
考えたことがあったけど
両方になっちゃったわけで、
この両方になった人が自分のまわりにも
沢山いたことに驚く。

家で暴れていた分、施設入所でストレスがたまったのでしょうか。
発見もおそいよな。

1年前に、誕生月の健康診断票を看護婦さんに渡したら、
「ここは病院ですからこれはいりません」といって
検診してくれなかったんだ。
家に居る時は誕生月検診で、エコーからバリウムから全部してたので
ここで発見されたのだけど
とにかく、癌の発見は1年遅れたのだ。
それは、結果的によかったか悪かったかは、分からないことです。

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ウコンドリンク、
特効薬エキス
エキス入り蜂蜜
プチ田ノン
ポタージュスープ
ミルクティ少し

これだけあげました。

昔のビデオに東京音頭を歌うジェンギンスをみたので
東京音頭をうたってみたら
だんだんジェンギンスも歌ってくれるようになりました。

「 踊り踊るならちょいと東京音頭~ 」
「 よい!よい! 」と合いの手も
いれてくれるので楽しかったです。

ついでに、となりの知らないおばあさんのところで
歌ってみたら、やっぱり「 よい!よい! 」
と歌ってくれました。
スゴイです。
こういう刺激は大事です。

ハワイアンを聞かせてフラダンスを踊らせたり
歌わせたり
今日も生きている喜びをみんなで味わいました。




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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。