高熱入院3日目。 今日の熱は37度。
朝10時に担当医との話があると言うので、大汗かいて病院到着。
先生と連絡取れず、会えたのは10時40分過ぎ。
20台の若い先生が20台の研修医を2人連れてやってきた。
若いから話しやすい。
右の膀胱が腫れてるので、抗生物質で治療中。
今日の血液検査でも炎症値が良くなっているのでこのまま治療を続ける。
2週間の治療と考えているけれど、よくなれば早く退院と言うこともあります。
食事もはじめれたら始めましょう。 水は少し飲んでも構いません。
と言われたので(言わせた・・) 持参したポカリを10CC 飲ませた。
母は、元気だった。
心配なのは、
「すごい霧ね、何も見えないわ」
「 今朝はすごい霧だったわよ、何も見えなかった。今もよ。。。」
「田舎の Kさんは帰ったの? 今までここにいて帰ったけど、すごくぼけてたわよ」
「田舎の人はみんなぼけちゃったわね、 Kさんはボケたんでしょ? 」
田舎の話が延々と続いて、なんともよくしゃべっていた。
道が崩れて5人が死んだ・・・って九州の雨のことかしら?
父の強烈認知症介護の経験があるので、 母のこんな思い込み話なんか、全然大したことない。
私が帰ろうとしたら、 「テレビがそこにあるの?」 と天井を指さす。
どうしても人が映っているんだって。
天井に人が見える話は、老人から何回も聞いてる。
父には、本当にたくさんの人がお迎えに来ていた。
私の知らない名前の人もいたから、本当だと思う。
お迎えに来ているひとに、わたしはあいさつしたもの。(父が指をさして教えてくれるから)
父のところに来た人も、父の田舎の古い友達だった。
みんな、親や兄弟じゃなくて、友達がくるのかな?
私のところには誰が来てくれるんだろう?
CDも聞けるラジオを持参して音を出した。 ラジオって電波悪くて雑音がするんだ。
初めはヘッドフォン付けて聞かせてたけど、 小さな音なら隣に聞こえないので
FMラジオをかけたまま帰宅した。
「ぽかり10C飲みました。 ラジヲは昼すぎにけしてください 」とメモしておいた。
そして、事務員から宣告されました。
「 コロナの為面会禁止です 」

病棟で待つ部屋の景色。 これなら花火も飛行機も良く見えるわ。

壁に貼ってあった献立表 ご飯は ⇒ めし

思い込みのお喋りが盛んな母。 ポカリを飲ませたら少ししか飲まなかった。丸2日ぶりにのどに通ったポカリはを 【 甘い 】と言っていた。

長年の眼瞼下垂でまぶたは閉じているはずが、ぱっちりと開いていた。

面会禁止とは困った。 家族が世話をしなかったら、母は生きていけないはずだ。
この大学病院は 介護士さんがいるのだろうか?
私が知っている病院は 看護師さんと介護士さんがいて身の回りの世話は介護士さんがやってくれるんだけど、この病院は事務員さん以外 同じ白衣を着ているので どの人が介護士さんなのかわからない。
心落ち着くお見舞いができなくて残念。 高層ビル群のなかを帰宅する喜びが無くて残念。
そして私は、母のものを片付けているだけで時間が過ぎてしまって
いつまでたっても母の為家族のために生きている。
朝10時に担当医との話があると言うので、大汗かいて病院到着。
先生と連絡取れず、会えたのは10時40分過ぎ。
20台の若い先生が20台の研修医を2人連れてやってきた。
若いから話しやすい。
右の膀胱が腫れてるので、抗生物質で治療中。
今日の血液検査でも炎症値が良くなっているのでこのまま治療を続ける。
2週間の治療と考えているけれど、よくなれば早く退院と言うこともあります。
食事もはじめれたら始めましょう。 水は少し飲んでも構いません。
と言われたので(言わせた・・) 持参したポカリを10CC 飲ませた。
母は、元気だった。
心配なのは、
「すごい霧ね、何も見えないわ」
「 今朝はすごい霧だったわよ、何も見えなかった。今もよ。。。」
「田舎の Kさんは帰ったの? 今までここにいて帰ったけど、すごくぼけてたわよ」
「田舎の人はみんなぼけちゃったわね、 Kさんはボケたんでしょ? 」
田舎の話が延々と続いて、なんともよくしゃべっていた。
道が崩れて5人が死んだ・・・って九州の雨のことかしら?
父の強烈認知症介護の経験があるので、 母のこんな思い込み話なんか、全然大したことない。
私が帰ろうとしたら、 「テレビがそこにあるの?」 と天井を指さす。
どうしても人が映っているんだって。
天井に人が見える話は、老人から何回も聞いてる。
父には、本当にたくさんの人がお迎えに来ていた。
私の知らない名前の人もいたから、本当だと思う。
お迎えに来ているひとに、わたしはあいさつしたもの。(父が指をさして教えてくれるから)
父のところに来た人も、父の田舎の古い友達だった。
みんな、親や兄弟じゃなくて、友達がくるのかな?
私のところには誰が来てくれるんだろう?
CDも聞けるラジオを持参して音を出した。 ラジオって電波悪くて雑音がするんだ。
初めはヘッドフォン付けて聞かせてたけど、 小さな音なら隣に聞こえないので
FMラジオをかけたまま帰宅した。
「ぽかり10C飲みました。 ラジヲは昼すぎにけしてください 」とメモしておいた。
そして、事務員から宣告されました。
「 コロナの為面会禁止です 」

病棟で待つ部屋の景色。 これなら花火も飛行機も良く見えるわ。

壁に貼ってあった献立表 ご飯は ⇒ めし

思い込みのお喋りが盛んな母。 ポカリを飲ませたら少ししか飲まなかった。丸2日ぶりにのどに通ったポカリはを 【 甘い 】と言っていた。

長年の眼瞼下垂でまぶたは閉じているはずが、ぱっちりと開いていた。

面会禁止とは困った。 家族が世話をしなかったら、母は生きていけないはずだ。
この大学病院は 介護士さんがいるのだろうか?
私が知っている病院は 看護師さんと介護士さんがいて身の回りの世話は介護士さんがやってくれるんだけど、この病院は事務員さん以外 同じ白衣を着ているので どの人が介護士さんなのかわからない。
心落ち着くお見舞いができなくて残念。 高層ビル群のなかを帰宅する喜びが無くて残念。
そして私は、母のものを片付けているだけで時間が過ぎてしまって
いつまでたっても母の為家族のために生きている。