アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

代々木公園散歩

2006-04-30 01:32:00 | 介護


昨晩ジェンギンスは午前3時に寝たところが、間もなくトイレのため起きたリ寝たりで

日曜の朝は11時頃起床。

いつもの、トーストとココアで朝食。



多分パン1枚じゃ足りないのでおじやを作ってジェンギンスに与えたら、スーザンが

『 もう、お腹がいっぱいだからいらない、あげないで』

と、いつものように‘あげないで拒否’

太っているならあげないけれど、ガリガリに痩せてきているからスーザンに任せておいたら

餓死してしまうので、おじやをあげたら喜んで食べてくれました。



そのうち



スーザンから思いがけない言葉が・・・

『 おとうさんと代々木公園へ行って来るわ』



無無無、、、無理でしょう!



スーザンはジェンギンスが呆けている事を

理解していないのですが

まことに、どうなっているのか

理解不能です。



スーザン一人でバスに乗せて、

歩かせることは難しいですよ!



したがって、どうせわたしも原宿に行く用事があったので、一緒に行く事にしました。



家のそばのハチ公バスのバス停で待ちます。

ベンチに座っていた若者が席を譲ってくれました。

スーザンは

あれほど私が断ってはいけないと言っているのに

『 いいですよ』 とことわるから

『 座らせていただくのよ』と言い聞かせて座らせました。

若者の勇気ある親切をなぜいただかないか!!



バスに乗るときも、その若者より先に私たち4人が乗らせていただき、前後を挟んでジェンギンスをバスに乗せます。

すぐに、扉のそばの方が立って後ろの席に移動してくださいました。 赤ちゃんは母親の膝に抱かれ、席を空けて下さいました。



バスの運転手さんの五月女さんが・・なんて読む?・・・・

『 ご協力ありがとうございます 』ってみなさんに

言ってくださいました。

わたしも、『 ありがとうございます 』っていいました。



運転手さんがマイクでご乗車ありがとうございます、とか、御気をつけ下さい、などの言葉に

ジェンギンスは

『 はい 』 『 はいわかりました』 と返事をしていました。



降りるとき、まず、立たせる作業がありますが

付き添い3人でワイワイと騒々しくおります。



ドアに歩いて行くとき

ジェンギンスはそこに立っていた若い男の人の胸を壁だと思って手を置いて歩きました。

男の人でよかったです。

女の人だったらいくら爺さんでもセクハラです。

わたしが謝りましたが、その若い方は理解して下さいました。



皆様のご協力に感謝します。

ありがとうございました。

ハチ公バスは運転手さんも、乗客もみんな優しくなれるバスなのでたいへん乗りやすいです。



公園に着いて、

売店まで歩き、椅子に座りました。

ジェンギンスは座るっていう事が理解出来ないので

ジェンの立っているところに椅子を置いて座らせてから、テーブルをその位置にあわせてセットしました。

地球はジェンギンスを中心に回っています。



スーザンがお団子を買ってきて

みんなですこしずつ食べました。



そしたら



スーザンが

『さあ、帰る』っていうから、ビックリデス。

いま、来たばかりですよ。

いくらなだめても、帰るっていうから

公園を通りぬけて、始発のバス停まで歩きます。



公園道の両サイドでは 夢見る若者が

マイクで歌を歌っています。

なかには、お笑いコントもありました。



すこし立ち止まってみていましたが

何で君達のお笑いは面白くないかと

教えてあげたい気持ちになりました



さて、バス停に到着してジェンとスーザン2人を無事に乗せました。 これで、なんとか家のそばのバス停で無事降りてくれる事を願って

さよならしました。



わたしは、河合楽器にしばらくお邪魔してから

帰宅しました。



天気もよく、皆で代々木公園に来れたことは

家族としての大きな喜びです。



いつもいつも、皆で歩いていた家族なので

ずっとこの幸せを続けたいのが

われわれの心境です。



この、家族の幸せを断ち切って

施設に入れてしまうという不幸を

選択していいものでしょうか。。。



長年枕を並べて連れ添った夫婦を

私の手で引き裂いていいのでしょうか・・



家族と一緒にいることが一番の幸せであるジェンの

安らぎを、ぬぐい取っていいのでしょうか・・・



こんな事を考えて

施設行きをためらう私です。



残り少ない生きている日々を

安らぎの家ですごせない悲しみを

神はジェンにお与えになるのでしょうか



・・・・・

・・・・

・・

老健2箇所にメールで問い合わせて

まだ返事がこない。



この返事しだいで、いつもの三鷹の老健に相談し

長期の入所をお願いしたいと思い始めました。





代々木公園散歩。

スーザンとチョコパンに挟まれて横断歩道を渡ります。

顔は生き生きしていませんでした。



コメント

家で看るには限界を感じる

2006-04-29 21:58:53 | 介護


今日は土曜日。



先ず、昨夜の夜中は物音がするので降りて行ったら眠れないジェンギンスがトイレへ何かを大事そうに運び込み(実際はなにも持っていない)

便器の水の中に手をいれたから、母が大声を出したら、便器の水を母にかけたそうだ。



怒った母がトイレの戸を閉めて、しばらくして開けたら

「 また来やがった!」 と言ってまた水を浴びせられたのだ。



どうしょうもない!



そして、今朝はいくら声をかけても起きてこない。

母も、起きてくると大変なので寝かせ作戦を取るのだが、そしたら、今夜寝なくて大変なことになるとは、察しがつかないらしい。



午後1時にやっと起きてきた。



顔も洗わず、昨夜のきたない手のままでテーブルに座る。 母が濡れタオルを持ってきてぐちゃぐちゃのタオルで顔を拭いていた。



ご飯と味噌汁をおいしそうに食べていた。



そして、いちにち座りっぱなし。



夕方、急に立ち上がり自分でさっさと靴を履き外に出た。

すばやく玄関で立ちションをしようとしたので、わたしは制止した!

私の大声で行動は止まったけれど、意味がわからず

まだ、しようとする。

家に入るように言っても通じない。



そのうち、母の「 うちにはいりなさいよ!」の声でおとなしく入って、トイレへ行ったが、トイレがなんだかわからず出ない。

。。。もしかしたら、もうパンツにしたのかもしれません。



なんだかんだ、意味がわからず夕食もたべず・・・

私が夕飯の後片付けを台所でしていたら

水の流れる音がするので、ドアをあけて玄関を見たら!!



玄関で放尿中。



「 おかあさ~~~ん!!」 と部屋を見たら母はいないし・・

放尿が終わった頃、玄関の向こうからイヌのえさを持ってやってきた。



ぜったい、放尿を知っていたはずだよ。



母は、玄関で放尿されても平気になった。

「 きのうだかも、ここが濡れてたわ」って・・・

やめてよ!!



わたしは洗剤を持って玄関へ向かった。



「 水で流す?」

当たり前だろ!!



綺麗に掃除した。



これじゃ、やってられないよ。



ひとは、正常でも異常でも最後まで

トイレでは苦労するんだ。

私たちの体から毎日生産されて出てくるこの物体に

最後まで悩まされるのだ。

生きてるって綺麗じゃない。

きたないから、一生懸命綺麗ぶって綺麗に努めてるけど、私たちは みなしごハッチ な生き物です。



何事も無かったようにジェンギンスは椅子に座っている。



姿勢良く凛々しい顔つきで座っている父を見て、

好青年だった父であるのに、なんともお気の毒なことだとつくづく見てしまいました。

かわいそうな父。

こんな姿になって、父は自分をどうして欲しいだろうか?



今日私は家族にお願いした。



「 私が呆けた際は、私の部屋をタイル張りにして、排水口もつけて、閉じこめてくれればいいです。 汚した床はホースで洗い流して下さい。

そうすれば、夜間に誰も付き添う必要はありませんから。」 施設に入れる13万円がもったいなかったら、きっと、そうして欲しいと思います。



~~~~~~



ジェンギンスは、夕食も少しで、ずっと座っていますがよる10時過ぎにパンと牛乳を上げたら、パクパク食べました。



そして、夜中の12時。

母が2階に上がってきて

「 まだ寝ない!!」と怒っていますが

それは、あたりまえで、起こしとけ!と言っときました。



母は、もう夜中の付き添いを替わって欲しいと言い出しました。



わたしは、嫌です。



今でさえ、自分の仕事があって夜中の4時に寝たりするのに、父に付き添ったらもう寝れません。



昨夜から老健にショートステイをお願いしてメールをしていますが、

どうやら、ショートステイじゃなくて入所をお願いすることになるかもしれません。



夜中の3時。 私がベッドに横にさせて入眠状態。

母は、怒るのでもう父の面倒を見ることができません。



家族を参らせる 睡眠異常

食事完全無視。

だんだん、だんだん目の前にある食器を

遠くへ遠くへ追いやるのです。

そして、自分の前は何もなくすっきりさせるのです


コメント

おとなしく呆けてる

2006-04-26 21:56:29 | 介護
ショートステイ3泊からは無事に帰宅した。



以前みたいにショートステイの後呆けて帰ってくることは無くなった。

すっかり呆けてしまったんだろう。



まえは、半分正常で心があったからな。

いまは、ボケが進んでどこに泊まってもわかんないんだな。



それで、



ショートステイの毎日の記録だけど

夜間良眠・・って3泊とも記録されている。

放尿のことも書いてない





そして、いまは午前1時だけど

寝なくて、寝なくて

寝るってなんのことだかわからなくて

家族はみんなもう一日で疲れちゃったよ。



ジェンギンスの座っていた椅子の後ろが

びしょびしょで

放尿されたかと思ったが

どうやら、湯飲みのお湯をたたみの床に捨てたらしい。

そして、湯飲み茶碗はコタツの中に転がっていた。



なにをしでかすかわからない。



そして、話が通じないんだ。



ご飯を食べて!っていっても

何のことだかわからず

茶碗を置いてしまうし・・・



~~~~~~~~~~



しかしだ、



痴呆の掲示板で眠ってばかりいて困ると言うお年寄りの相談があった。

うちとは対照的だな。

寝てくれるなんてイイなと思った。

でも、体力落ちるし、心配もさまざまだ。





シカシだ。



よく寝るってことは、体力的にも

弱ってきてるのかもしれない。

ってことはさ

家のジェンギンスが寝ないで元気なのは

まだまだ、生き続けるってことでしょうか



だるかったらねるよな~~




コメント

日曜日

2006-04-23 21:55:45 | 介護
ジェンギンスは昨日から3泊で近所の施設へショートステイに行っています。



家は何事もなかったように平和な時間が流れています。

それぞれの家族が自分の時間を持つことが出来ます。





母はパーマをかけて綺麗になりました。

好きなときに買い物に出かけて

好きなときにイヌの散歩をします

2階に上がっていても下の物音に気を使わなくて

いいのです。

普通の暮らしです。



一人の人を朝起こして支度させて

食事させて話をしてトイレに気を使って

仕事の邪魔にならないように監視してもらって

ご機嫌とって夜寝かせて夜中にトイレに付き合って

徘徊や放尿対策をとって

・・・手がかかるな。

でも、攻撃や荒い行動が最近無くなったのでずいぶん楽になった。

以前は、あのひどい口の悪さと意地悪攻撃で家庭崩壊だったな・・・・

しかし、あるときはおびえて悲しんでかわいそうなときもあったな・・・



私たちの暮らしはこの3日間、普通を取り戻して幸せですが

父は相変わらず施設でも

神経を尖らせて、混乱して、わけがわからず、

食事の仕方も、トイレもわからず、

困っていることでしょう。



私たちがこの3日間楽になった分

父は困っていることでしょう。

24時間付きっ切りで介護されていた人が

個室に入るわけですから

さぞ、不自由でしょう。



しかし。



わたしは、今月たいそうに具合が悪いのです。

頭痛、肩と首の痛み、胃痛、腹痛、あれもこれも。。。

肩がこるのは霊のせいだとおもっているんですが、

たぶん、親戚に亡くなった人がいたからだと思っていたのですが、それにしては長すぎる・・・

自分の具合が悪いか、どなたかが悪いかです。

今月もう一人お亡くなりになる方がいるのですが

その方のせいかなぁ・・・



コメント

なきそうになった日

2006-04-16 21:54:41 | 介護
今日は土曜日。

私は朝食の準備をしたあと2度寝して10時半に階下へ降りた。

いつもの朝食風景。

私が部屋に行くと、待っていた母が目医者へ出かけた。マクドウウェルが降りてきたので私はイヌの散歩。 私が帰宅するとマクドは部屋の掃除。

母が帰宅すると私は買い物。

・・・・

こうして、みなで協力してジェンギンスを見守る。



ジェンギンスは10時間以上座りっぱなしだった。

一歩も歩かなかった。

トイレも行かない。

夜は、なにをどうしたのか

パンツを脱いだ。・・・私たちは目を覆った。



そのまま、パンツを履くこともなく、ベッドに寝た。

その後、どうなったか知らないが

母が無理やりはかせたに違いない。

バトルが展開されたはずだ。



それで、夕方石川県の父の親戚から電話があった。



私が呼び出された。



「 何もしてあげれんけど、おいさんの事が、大事なんだ。電話しかできんけど、どうかおいさんのことを頼むわ。 おばさんかて、もう年やさかい大変やろ? たいへんだとおもうが、どうか頼むわ 」



私はくじけそうになった。

泣けてきた。

頑張ろうという気持ちよりも

頑張りすぎだろっていう気持ちが襲ってきた。

自分がかわいそうになった瞬間だった。



そして、姉からも電話があった。

父がどんな状態か少し話した。

「 たいへんなのね、悪いわね。

 どうもありがとう 」



わたしはくじけそうになった。

泣けてきた。

頑張ろうという気持ちよりも

頑張りすぎだろっていう気持ちが襲ってきた。

自分がかわいそうになった瞬間だった。



それより、今、親戚に危篤になった人が出た。

長いこと生きてきたにもかかわらず

身内の葬儀の経験が無い私だ。

今週たぶん仕事を休んで手伝う。

仕事を休んだことがない私が休む。

親戚は私しかいないのだ。

父の介護があるせいで、危篤に付き添ってあげれないことが心苦しい。



父を見舞ってくれた人々は

みな、先に亡くなって行く。



ずっと体が弱かったジェンギンスは

まだ三途の川をわたらないで家に帰ってくる。

綺麗好きのジェンギンスから推測すると

三途の川は、きっときたないんだと思う。

「 きたないな!」 って足を入れずに帰って来るんだと話し合った。



お人形を可愛がるジェンギンス
コメント

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。