アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

大学病院診察日

2013-01-30 20:54:00 | 介護
70日に一回の母の大学病院診察日です。

この病院には12月31日に腰あたりの激痛で救急診察をしました。

今日はちゃんとした教授に診察してもらいます。
でも、激痛は治ちゃってるから先生もわからないだろう。


朝、母はバスで行くと言うのでお言葉に甘えてバスで出かけた。
バスを降りてから私の足で数分歩くので、これが歩いていない母には大変だろうが、
運動のつもりで歩いてもらうのだ。

     

行きのバスでは、すぐに席を譲ってくださった60歳すぎの奥様がいて助かった。
それなのに、母は「 いいです、いいです」と座らないのだ。
だから、「座らせていただきなさい」と説得した。 どうしょうもないわ。



   

バスを降りて少し歩いて、とあるビルの入り口で一休みさせました。 そしてビルの中を通ってビルの出口で一休みさせました。

「いい いい」 と休みたがらないのですが、ここは信じちゃなりません。


病院待合室は、素敵なご夫婦が何組もいました。
心温まるやさしい旦那様が何人もいました。

うちの父みたいに大呆けのおじいさんを久しぶりに見かけました。
「 何番? 何番? 順番まだ? 」とか 「 ここ病院? ここ病院?」と元気にボケていました。 よく考えてみれば元気に明るいボケ老人は父以来初めて見かけたかもしれません。

さて、診察ですが前回の長谷川式テストの結果を聞くのも忘れ、母の激痛の診察をしました。

CTの画像もパソコンに出ていました。
なんて進歩した技術だろうか!
いままでは、レントゲンの写真をわざわざ持ってきたりしたものだけど、いまじゃパソコンに入っているし、拡大したりひっくり返したり自由に見れるんだわ。

その結果

骨折はCTじゃわからないんだって

ええ! 骨折も胆嚢も異常がないって12/31に言われたんだぞ!

母のお腹を診察して先生が言った。

「 肋骨の骨折だったんでしょう 」

ええ! 異常がないからこの激痛のときにショートステイに行かせ、デイサービスに行かせましたよ。
御蔭で寝たきり老人にならず元気に回復しましたが。


母は、一番最初に痛がった左の肋骨あたりの痛みを先生に訴えていまいした。
大息をさせると、痛いと言ってました。
まさに、骨折らしき症状。
・・・・整形外科のレントゲンには写っていなかったんだけどなぁ

チョコパンからメールが来て、「おばあちゃんをお店に連れて行ってあげて」と書いてあったので地下の売店に行った。

    

だいぶ頭がもうろくしてて、店のものを見たがらないのだ。
「 あんたが選んで」 といって物色しないのです。

よもぎのたっぷり入った餅を食べたいといいました。
よもぎまんじゅうをひとつ買いました。・・結局これは家に帰っても食べなかった。
・・・わたしが食べたよ。よろこんで。

夕飯のお弁当も買いました。
美味しそうなオムライスです。
ワンタンを珍しがったので、近所じゃ100円で売ってるけど150円で買ったよ。
親孝行さ。


病院の売店は食べ物が充実してました。
お弁当も豊富。 こんどからここで買って帰ろ!
お昼だったので白衣のセンセがいっぱい買いものに来ていました。

休み休み歩いてバスで帰ってきました。


それにしても元気になって良かった。
もう、車椅子はいらなそうだな。

帰り道いろいろ考えた。

4年前は病院にバスで来るなんて考えられないくらい衰弱していた。
母は、すっかり元気な年寄りになった。

デイやショートや同居のせいだ。
あのまま老夫婦で暮らしていたら栄養失調になっていたことだろう。

母はいま本当はこの上なく幸せなはずなのに
文句ばかり

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母活性化

2013-01-28 11:24:00 | 介護


     
          デイのお迎えを座って待つ母。

母が活性化しています。

口がうるさいのです。

12月24日から腰あたりの激痛で堂々のパンツにお漏らし状態で、寝返りどころか寝る動作もできず、施設入所を本人が希望したわけで、
口が達者で身動きできない人の世話はわたしもお手上げだと悲鳴をあげていたところ、

ひと月で急速に回復。

たくさんのビタミン剤とコンドロイチンを飲ませただけの処置だった。

記憶がない人だから原因がわからない。
神経痛なのか? 筋を傷めたのか? ぎっくり腰か?

3ヶ月借りてきた車椅子もそろそろ使わなくなってきた。

~~~~~~~~~~~
それにしても、母の口には参る!

うるさいうるさい!

ほら!ちょっと!はやく!なにやってんの!
私の行動に文句も言うけど、テレビにも文句を言う。

変な髪型のタレントに
変な喋り方のタレントに
オバカなタレントに
アナウンサーの服装に
笑いを取ろうとするタレントに
テレビ局が間違えたテロップを流してアナウンサーが謝ったらもう大変だ!
「 なにやってんの!!」

施設の文句も聞き飽きた。
最近は 「 上の者が悪い 」という新しい表現が加わりました。
どこで覚えてきたんでしょうか。


夏のことですが
ショートの施設で母が寝たきりのお爺さんがいる部屋で洗濯物をたたんでロビーにきたら
 「 男と寝てたんだろ 」と言われた話は、毎日1万回話すので
この話をきくと吐き気がするくらいだ。

2週間前に、食事の時(夕飯か昼食かの記憶はない)おばあさんがずーっと母をニラみ続けてい話ももう2万回聞いたので聞きたくない。

今日何日?(印のついたカレンダーを見てもわからない)
明日何時にお迎え?
ちょこぱんは?

まるで、なにか活性剤を飲ませたかと思えるような元気だ。くちが。
体は、すっかり歩かなくなり、トイレにそろそろと行くだけ。

あんなに買い物をして私を苦しめたことは
もうおわったんだ。

ボケ症状は短いと私はおもっていたけど
ほんと、買い物で苦しんだのも短い期間だった。
捨てた買い物で月に10万かかってたけど
どのくらいの期間、きゅうりや漬物を買い続けたのかわすれてしまったわ。
母は自分の口座から10万円ずつおろしてきていたけど、この1年おろしてないし
封筒のお金も残ってるわ。



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回復

2013-01-22 15:14:00 | 介護
1月22日火曜日

チョコパンのインフルエンザも一週間休んで回復し今日から放送局のお仕事に行った。
昼ごはんの食堂では、ジャニーズ系の歌手が食堂にいるとメールが来た。

歌手が来ている日なら私の友達のミュージシャンがいるはずなので
「 白髪頭の黒縁メガネをかけたおじさんがいるか?」と聞いたら
「 全部の人がソンナ人」だと返事が来た。


母は、すっかり車椅子には乗らず一人でスイスイ歩いている。
驚く程の回復力だ。

あんなに、くるしんでいたのに
まるで、外れていた関節がはまったかのように回復した。
母の言うように、ビタミン剤をたくさん飲ませたからなおったんだろうか?
コンドロイチンも飲ませた。
痛みの原因も分からなければ、治った原因もわからない。

とにかく、母の生涯の中で一番のご臨終状態だったのに
ここまで回復するとは驚いた。
さすが、苦しんでいる時も口だけは達者だったので
口から先に生き返ったものと思われる。

しかしひどかった、あのトイレ行かない寝たきり状態は
ひどい悪臭だった。

一階は寝たきりの悪臭。
2階はインフルエンザ監禁。

ヘトヘトからやっと脱出できた。

今日火曜は私の仕事が休みなので
あさからパソコンに向かい6時間が経過。

おひるご飯を3時に食べた。
そのチャーハンのまずいことまずいこと。

昨夜、ご飯を炊いている最中に母が自分の夕飯を電子レンジにいれて温めたため
スイッチが切れて、ご飯がひどくまずくなってしまった。

吐き気がするほどまずいご飯になった。
お茶漬けにしてみたがまず暮れ食べれない、
きょうチャーハンにして我慢して食べた。
このご飯を今夜はおじやにして母の夕食としよう。

今夜は、用意してあげれるからちゃんと夕飯を食べてもらおう。
母にまかせると、食事を捨てることばかりだ。
うまくいかない・・・

記憶のない人はうまく生活できないんだ。

人間は記憶でうまく生活できているんだ。

あっと言う間の一日が終わろうとしている。


・・・・ホームページ作成を完全無料、全く費用がかからないから説明にいっていいか?という電話がかかってきて、「 よくそういう電話がかかってくるけど、よく聞くとお金がかかるというから、本当に全くかからないんですね」 と突っ込んで聞いたら、 毎月最低数千円しかかからないと白状した。

うそつき! 






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金曜日

2013-01-18 00:50:00 | 介護
チョコパンがインフルエンザでお仕事を休んでいるので、母のデイがなければゆっくり睡眠が取れる。今日金曜は、久しぶりでホッとして目覚ましをかけずに寝ていた。
起きてからも、ラインのゲームをして(腱鞘炎になるほどはまってしまっている)朝のひとときを過ごした。

昼近くになって、階下に降りて(母はもう一人で着替えができるしパンも食べれるようになった)のんびりお昼を考えていると・・・

今日は金曜日・・・え? まさか! ショートステイ!
カレンダーを見たら、やっぱりショートだ。

お迎えまでにあと1時間半。

3泊の支度をして、薬を用意して、母に昼食を食べさせて・・・
自分も化粧をして車に乗っていくのだ。

お迎えの車が来た。
車椅子のために大きなワゴンで来てくれたけど
母はもう車椅子じゃなくて大丈夫になった。
電話で断る余裕もなかった。

ショートの施設に行くと、
ここでも職員があたふたと働いていた。

経営方針が悪いと言われている施設だけど
お年寄りを午前に帰してしまって、次の人を同日の午後に受け入れるという
一日で二日分のサービス料金を稼いでいる・・・

あるときは、ショートに行くのが午後4時っていう時もあった。
これは、ショートの価値がないな。
働いている若い人たちはみんないい人だけど
お上の方針が悪い。

ひどいことだ。

~~~~~~~~~~

母が [ 何日とまるの? ] ってきくから

ホントは3泊だけど2泊だって答えておいた。

そしたら、 [ あさって帰るのね? あさってね?]ってしつこく聞いてくる。

[ああ~あさっての次だわ]とごまかしたら

[3泊なのね?]と・・・すっかりぼけてない。

この一年は、外出をしなくなって大量の買い物をしなくなったから
ボケが目立たない。

ボケよりも体が先におとろえて来たかんじだ。

せいぜい、老衰まで生き抜いてください。

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インフルエンザ

2013-01-16 09:37:00 | 介護
多忙な一日だった。


12月から放送局にお勤めのチョコパンが発熱のため徒歩10分の耳鼻科へ同行。

なぜ、とおい病院へ行ったかというと、この先生は早口で手際がよく薬局を使わず過去のカルテをよく読み、副作用を考え、今後の治療方針を素早く伝えるのです。薬の説明もその場で説明しながら袋に入れます。
そこまでしながら、待合室には患者が少なくとにかく回転がいい。
だから私もよくそこで鼻からカメラを入れてもらったりしています。

検査の結果、まさかのインフルエンザ

帰宅後、わたしは即母を整形外科に連れて行った。
[ インフルエンザ予防注射予約受付中]って先日書いてあったから、予防注射を打ちに急いだ。

間に合わなかったとしても軽く済むだろうかと考えたのだ。

受付で無料の用紙を出したら、指定医じゃないから3600円の自費なんだって。

その場でよく考え、車椅子の母を連れ回すことはできないので、自費で注射してもらった。
金持ちだなぁと思った。

腰痛の診察もしてもらった。
救急でCT・血液が異常なかったけど激痛があったことを話して、肋間神経痛のことを質問した。
もしかしたらそうかもしれないけど、痛み止めしか対処の方法がないとかで、シップと痛み止めと胃の薬が出た。

そんなこんなで、不自由な母を雪道のなか車椅子で必死で歩き、
わたしは夕飯の支度やら仕事の時間がせまり、朝食も昼食もお茶ものまず、
なぜ人のためにこんなに苦労するのかと心の疲労と戦っていたところ、
チョコパンからメールがきて、

タミフルを私が持ったまま母の病院に来てしまったので怒っているのだ。

私は思った。

絶対死んでやる!

~~~~~~~~

インフルエンザの予防薬がきいてくるのは4週間後なんだって。

な~~んだ。

薬局にも寄らず家路を急いだ。

深夜までこき使われた。


大雪の夜には、となりのアジア料理のインディが作品を作っていた。

     

わたしも大雪にまみれながら作品を作ったが、写真を撮り忘れ3日後の作品だ。

    

雪かきは私の家の周辺は大変綺麗に雪がない。
なぜなら、インディたちが雪を喜んでどんどんどんどん雪かきをしてくれたのだ。
一緒にインド語で笑いながら雪かきしたのは楽しかった。

となりの家具リフォーム会社のおにいさんと、隣のビルのお掃除のおにいさんと、みんなで協力して雪かきしたことで団結力が強まったことは雪に感謝だ。

母も車椅子での送迎をやめて、じぶんで車に乗れるようになった。
介護のお兄さんが母の腰をお仕上げてくれた。

介護職のみなさんは、神様よりも偉いと思います。
立派なお仕事だと思います。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。