アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

特養断られる

2007-10-30 00:02:49 | 介護
ベッドに腰掛けていたハズが

どんどん、ずれて

今日はこの体制で午後を過ごした。

こうやって足をあげるのは、お年寄りがみんなしているけれど

畳の生活を求めているのかも知れない。



10月30日火曜


一昨日の日曜日の帰りがけは

うなって寝ているのでジェンの容態が

悪いように見えました。

とにかく、個室でひたすら寝かされているので、わたしは心配でたまりません。



今日と明日は仕事を休めたので

1時半からの面会時間に間に合うよう

家を出ました。



母はデイサービスに

喜んで出かけていきました。

とっても楽しいらしいです。



さて、ジェンの個室に行くと、

布団をかけてすやすやと眠っていました。

顔色が青いです。

呼吸は落ち着いています。

胸の音も空気中には聞こえてきません。

穏やかな顔つきです。



ガタガタとイスとかを動かして物音を立てたら、ジェンは目を開けました。

私と一緒で、ちょっとの物音で目が覚めるんだ、

ちなみに、毎朝わたしは目覚ましの音を1秒間だけ鳴らすように設定してありますが、ちゃんと起きれます。



ジェンの目が覚めて

体調を聞きました。

痛くない、苦しくない、気持ち悪くない・・・って首を振って教えてくれます。



でも、何回も聞くと

「 わかんないんだよ、ぜんぜんわかんない 」って言ってました。



布団をめくって拘束ベルトをみたら、

はずれていました。

付け忘れたのかしら・・

拘束しなくても、もう弱っているから

イイコデ寝ています。

尿意があるときだけ、きっと

立ち上がるんです。



ぐったりすやすやと横になっているので

そのまま寝かせておきました。



そして、わたしが薬屋さんから物色してきた

アサダアメの水飴状の咳と痰の薬を

舐めさせました。



現在飲んでいる薬と被ってはいけないのですが、現在、薬の効果は見られないし、

私の判断で舐めさせた!



ハワイに売っている、エラクソまずい

痰のシロップが超効果的だったので

買いに行きたいくらいですが

日本の薬で試します。



一昨日、口の中がざらざらだと

もごもごしていたので

この水飴状の薬なら、丁度いいかとも

思いました。



そして、ジェンを抱くようにして

ベッドに腰掛けさせました。



一昨日より回復している感じです。

しっかり、支えもなく座っていました。



持参したカルピスをまず上げたら、

「 あああぁ~~  」

って、コップの蓋を閉めます。



何で?

すっぱいのか、濃いのか、

まあ、やめといて、ホッとレモンティをあげたら、美味しそうに飲んでくれました。



そうしたら、珍しく病院から

コーヒーが届きました。

いつもは薄いお茶なのですが

コーヒーは初めてです。

コーヒー好きなジェンにあげたら

飲んでいましたが、

「 甘くないな 」って言ってました。



体の調子は良くなっているようですが

いつも、最初はいいんだ・・・



ジェンが蒸しパンを美味しく食べていたら、青い水筒にむかって、

話しかけていました。

そして、蒸しパンをちぎって

水筒に差し出していました。

水筒がなかなか受け取ってくれないから、そばに置いてあげていました。



ヨーグルトや里見まんじゅうも

持参したけれど、寝た時にげっぷがでるから、用心して、おやつは少しにしました。



今日は、水分も欲しがりません。



背筋を伸ばして座っていたのもつかの間で、そのうち布団に寄っかかったり、足を上げたりで、写真の体制に落ち着きました。



とにかく、拘束着を来て、

トイレ誘導がないので(どうして?!)

ジェンは、トイレに行きたいことが

かわいそうでなりません。

便意もあるのに、行けないのです。

手に紙を握ったりして、便がしたいと言うのに、トイレ誘導もできないのです。



今日はとっても便がしたかったジェンで、ジェンの部屋のトイレは使えるんだろうか?

前回の個室は水が止められていて

使用禁止だったのだ。



ジェンの絶対安静命令を出しているのは誰だ!!

寝たきりにさせておくのは

一番楽な介護だからな・・・



音楽を聴きながら

ジェンの体中に

薬を塗りました。

足の爪が堅くなっていたので

爪切りでカットしていたら、

ジェンが

水虫の軟膏をちゅーちゅーと

吸っていて、もうびっくり!!!



紙でジェンのベロを何回も拭きました。



拘束着を着ているので

ジェンのお尻の方に手が届かず

痒いところに薬が届きません。



不自由です。



今日はベッドのまわりに痰のための

雑巾が一枚も置いてありませんでした。

痰が減ったのだと良いのだけれど。



夕方、胸に痰が絡んできて、

ジェンも か~~~ か~~って

出そうとするけれど、

力が弱くて今日はとばすことができません。

でも、咳がでても

今日は胸を痛がりませんでした。



良くなって、みんなの居るロビーで生活ができると良いのですが、

いまは、座っているのも疲れてしまうみたいだから、ベッドが一番です。



そんなこんなしていたら、

木曜に面接を済ませた近所の特養から電話がありました。



『 特養入所受け入れについて

 会議を開いた結果をお知らせします。



 現在拘束されていますが、拘束を外した時にふらつきが有ること、

異食があるということで、他のかたの荷物を片づけることができないこと。

週に2日は寝ない日があるということで



家の施設では、受け入れが不可能であるという結果がでました 』



みたいなことを言われ、

分かっていることだったので

がっかりもせず、



でも、もしも受け入れてくれる施設だったら、これからは

家族が空いている時間に少しでも面会に行けるし、毎日でも面倒を見てあげることができる! っていう

夢がくずれたんだ・・・・



渋谷区には後2つの施設がある。



ジェンが手足を骨折した散らかっている

やや近所のしせつと

渋谷駅の家から離れた場所にある

立派なユニット式の施設。



12月に、次回臨時申し込みがあるみたいなので、さっそく

ユニット式の月に15万くらいの施設に

申し込もう。



犬の治療費さえ無くなれば

施設費もはらえるわ 



あすは、またメリージョンソンの

検査日で、3万円以上かかるんだ。



しかし、よぼよぼってきてるから

なんとか、自然に

よぼよぼってください。





夕方5時になり、

介護士さんに

『 変な格好のままです 』と言い残して帰宅しました。



仕事がないと

のんびり帰宅です。

仕事が休みの日は

立派なお夕飯を作るのが

楽しみなのですが、

面倒くさくなって、

かえりに大きなスーパーで

たくさんおかずを買ってきてしまいました。

病院の近くのスーパーには

お寿司やさんとか、中華料理屋さんが入っているので

美味しいおかずが買えました。



次回は木曜に短時間だけ

面会します。

週末はどうしても用事が入っていて

行けません。。

大丈夫かなぁ。










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母驚く

2007-10-28 00:07:03 | 介護
お別れを感じた夫婦が

手を取り合うシーン。

最後を感じた母は、やっと過去を反省してる。

過去に、妻を目の前にしながら、妻を探していたジェンに向かって

「 もうあなたの妻は死にましたよ」って

いつもいじめていたんだ。

ジェンはいつも絶句して黙っちゃったんだ。



10月28日 日曜日



土曜に母のデイサービスの予定が入ってからは、土曜面会に行けなくなった母ですが、今日の日曜は

2週間ぶりに私と面会しました。



2週間前も発熱で拘束されて寝ていたのですが、

やっぱり今日もロビーには居ませんでした。

ロビーで座っているジェンギンスを

もう、見ることはできないのでしょうか。



母を連れての行動は時間がかかるので、間に合う時間に出てきたのに、

ジェンは、預けてあるおやつを食べている所でした。



面会した時は新鮮なおやつをあげたいと思ってるので、ちょっと残念。



ジェンの個室に

入ると、ジェンはチョコマドレーヌみたいなのを食べていて、服も床も

黒いぼろぼろでいっぱいでした。

どうやら、マドレーヌみたいなぼろぼろしたおやつは禁止しないといけないらしい。 こんなに食べ散らかしちゃって、

病院に申し訳ないです。



いっそいで、掃除しました。



ジェンはベッドに座っていましたが

拘束ベルトは装着したままでした。

このベルトを外すには、強力磁石で取るのですが、病室の上の方に置いてあったので、わたしが介護士さんの真似をして外してみたら、できました。



ベルトは、なんか、湿っぽい。

でもジェンの服は乾いている。

渇いちゃったらしい。

きっと、朝は濡れていたんじゃないかと思われる。

ベルトは、広範囲に湿っぽい。



ジェンは、病院から出されたお茶をごくごく飲んだ。

持参したアップルレモンティもごくごく飲んだ。

飲み過ぎるほど飲んだ。



美味しそうなプリンを

自分でスプーンで食べた。

大盛にして勢いよく食べている。



そして、喉が渇いている。

口の中がざらざらしていると訴えた。

荒れているらしい。



起きあがっているので、とても元気そうだった。

だから、母がとても喜んだ。

「 おとうさん、なおったね。

  良かったね。 いい顔してるね」

あっちなでたり、こっちなでたりと

生きてる喜びを実感して、

過去に怒ったことを、やや反省したりもしてるのか、

「 お父さんの奥さんはここにいるから

  安心してね 」

って、声をかけてるし。。。



体に薬を塗ったり

マッサージしているうちに

体がだるくなって

横にしてあげた。



その時、

激しく胸を痛がった。

うめくほど痛がった。

数秒苦しんで、体制整えて

落ち着いた。



私は、最近の具合悪さを

見てたから慣れてるけど

母は、初めて臨終かと思われるところを見たので、もうびっくりです。



とにかく、寝ると苦しいのです。

寝ると、臨終がやってきてしまうのです。



肺の音を聞く限り

肺は生きている。

痰がたくさんたまっている。

水分を沢山飲んだせいもあって

横にするのは苦しすぎる。



たしか、ジェンギンスは

食道から、逆流するとかいう病名が付いていたことを思い出す。

ねかせると、吐きそうな勢いで苦しむので、

とにかく、瀕死のジェンギンスを

もう一度、起こした。



背中をさすっていたら、

大きなげっぷをしたのだ。



ああ、赤ちゃんがミルクを飲んだ時

げっぷをさせないで横にすると

吐くのと同じだ。



これで落ち着いて、

ジェンは横になった。

胸は痛がったけれど

横になれた。



拘束ベルトに丁度、顔が近づいた時、ジェンが言った



「 プンプンする」

そうなのだ、拘束ベルトが湿っぽいのはやっぱりプンプンなのだ。

かわいそうなジェンギンス。



床に敷いてある雑巾のなかの一枚を濡らし、わたしは床を足で掃除した。

ジェンの痰がいっぱいです。

壁にもいっぱいですが

掃除しきれませんでした。



しかし、ジェンの色の付いた痰はが

こんなに長期にでるというのは

確実に病気でしょう!!

そして、発熱に衰弱に胸の痛み。



こうなったら、入院を希望したい。

いまも入院だけど

意味がちがいます。

いまは療養入院ですが

治療入院病棟に移って、専門医師の元で確実に治療を受けたいです。



さっきまで、元気だったジェンギンスが

昏睡状態もどきになって

母はびっくり。

ジェンが長くないことを悟った。



家に帰ってから

「 お父さんはもう長くない

  来年の春ころダナ 」

っていうから、

「それは、随分先の長いことです」

と、笑いました。



あれだけ、苦しんで

もう長くないっていったら

普通、お迎えは近いもんでしょう・・・



今日は日曜のせいか、血圧とか

酸素を計りにこなかったなぁ

なんか、熱があるみたいに

ジェンの体は熱かった。



苦しみながら、指の爪が一箇所

引っかかっていたいというので、

爪を切ってあげたら

「 ありがとう、ありがとう」って

自然にお礼をいってくれるので

気持ちの良い人だった。



そろそろ

痰を吐く時間かとおもって

待っていたけど

今日はそんな時間に遭遇しなかった。



あまりにジェンが苦しむので

「 生きているのも楽じゃないね 」

と話しかけたら



「 楽じゃない、 楽じゃない 」って

言うし・・



本当につらそうで

こんなにまでして

生きなきゃいけないのかって

思った。

痛みがあったり、苦しかったりして

生きているのはつらいだろうなぁ



夕方5時半近くに

帰ることにした。

口の中に紅茶を入れてあげたら

美味しそうに飲んだ。



帰りがけ、

男の介護士さんに

ベルトが湿っぽいことと

胸の痛みが有ることを告げたら

「 看護婦の方に伝えておきます」って

言っていた。



母が悲観するから

落ち込んで

帰宅した。



治してあげたいなぁ。



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元気になるでしょうか

2007-10-27 00:13:06 | 介護
結婚記念日50回目くらいでしょうか・・

親と暮らすより長く連れ添った夫婦です。

この時代にして、できちゃった婚のような戸籍の

2人ですが、母は義姉にずっと意地悪されて

籍をいれることをさせてもらえなかったのです。

いまでは、強い母も、昔は弱かったらしい。



10月27日 土曜




台風でしたが、大雨の中私一人で

面会に行きました。

台風だなんて言ってられません。

拘束されて、もう3週間近く一歩もあるいていないし、音のない世界に居るんですから、それは良くないです。



ジェンギンスは、ベッドで拘束されて

寝ていました。

入所して1年経っても、尿意や便意はあるので

トイレに行きたいのに

トイレすら連れて行ってもらえません。

こんな生活、頭がおかしくなります。



だから、ここまで喋れなくなって

歩けなくなったんだと思う。



入所して良かったことは

家族の健康が得られたことと

家族の平和や娯楽がえられたこと

家族のつらい気持ちが無くなったこと



ジェンが家族の犠牲となって

入所してくれたわけだ。



私達家族がいま自由に

仕事をし、遊びに行き、自由に生きているのはジェンギンスがつらい入所をしてくれているお陰です。



ジェンは寝ていると瀕死状態です。

とってもかわいそうです。



瀕死のジェンをわたしはかかえて

ベッドに座らせました。

拘束ベルトも外しました。



起きるとすーっと楽になると

わたしは思う。

うちの家族はみんな肺や気管支がわるいので、一晩中座って眠ることもある。



救急で運ばれた家族を新米の看護婦がベッドに寝かせて血液を採ったこともあって、寝たら息が苦しいのだ。



とにかく、ジェンを起こして

起きた状態に慣れさせて

ミルクティと蒸しパンをあげた。

おはぎも食べさせた。

食欲はあるな。

喉は渇いている。

400CCじゃ、足りなかった。



何を言ってるかわからないけど

演説をしてる。



ありがとうございます。っていってる。



『 家に帰ったら、家に帰ったら

 わたしに表彰状をくれますか? 』



って言うから、

『 もちろん、差し上げますよ

  いままでどうもありがとうございました。 本当に良く頑張ってくれました。

感謝しています。ありがとうございました。 表彰状をさしあげますからね 』



って私もいっぱい感謝の辞を述べました。

ジェンは喜んでいました。



ジェンはこのごろ、石川県の田舎の話しをしています。

久しぶりにお父さんの勲章の話しをしていました。

勲章の階級を尋ねると、

『 高級 』って答えました。 

瀕死の冗談なのか良くわかりません。



若い頃兄貴が東京に出てきた時

自分は何も話しをしなかった と

若い頃の反省もしています。



わたしがハワイで購入してきた

室内履きを履かせると

かかと部分が1㎝しかないので

随分浅い靴だって分かっていました。



おおぼけのようで

おおぼけじゃない。



この日の血圧や酸素は正常です。

看護婦さんが部屋が寒いので

暖房を付けてくれました。

21度だった部屋が暖かくなりました。



でも夕方、おむつを取り替えにきた看護婦さんに叱られました。



『 ちょっと、この部屋は暑すぎます。

これじゃ、乾燥しちゃって

風邪が治らなくなっちゃうわ。

加湿器がないんだから、暖房消しますよ!』



せめて、おむつ交換がおわったら

消してくれればいいのに・・

でも、そとの台風の風が窓から伝わってきて、寒い部屋だよ。。。

看護婦さんは飛び回ってるからあついけど、老人は夏と同じ服装の薄着だから、寒いんだ。



ジェンは、部屋の壁や床や布団から想像出来るように、

すごく痰が出るようです。

胸もタンがいっぱいたまっている音がします。

でも、痰を吐くための咳をすると

胸に痛みが走って苦しみます。

こんなとき、痰吸引してくれたらいいのに。



夕方5時になり

ジェンはベッドで寝ているのですが、

突然、痰を吐き出しました。

オエッ~じゃなくて、

カァ~ッ って。

何度も何度もいっぱいホキ出します。

口から吹き矢のように

遠くへとばします。



私は病室を逃げ回り

拭きまわり

逃げ回り

拭きまわり



胸の痰を全て排出できる

喜びがありました。



良かった!

楽になりました。

ジェンの呼吸が楽になりました。



この、排痰できる力がある幸せを

実感しました。

ベッドのまわりは雑巾だらけですが

以下に、ホッポラカシであるかという

現れで、

どこの病院でも付きっきりはできないのだから、

これはやっぱり家族が付き添わなくては行けないことなのです。



ジェンが痰を吐くのは

ほんの、数分間のことなのでした。



ちょっと見てあげれば対処出来ることだった。



わたしはジェンギンス専門の

介護士になりたい心境です。



宝くじに当たったら

仕事を辞めて

ジェンギンスの介護士になります。





長くなったので

28日のことは

次の日記で書きます。





病院から帰る時

バイバイ っていうとジェンは元気に

バイバイって言いました。

お疲れ様っていうと

お疲れ様って言いました。

なんどか、あそんで

台風の中を大回りして帰宅したから

家に着くのが夜7時になりました。



母の夕飯の時間を一時間も過ぎての帰宅で、母は漬物をテーブルにだして

待っていました。

もう、コタツの上で暖かい漬物になっていました。



母の待つ家に帰るのは

つらいと思ったけど

待っている母を見て

かわいそうになりました。




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特養面接2かいめ

2007-10-25 00:24:28 | 介護
9月に信州の光前寺で買った

金運のお守り。

ジェンギンスに持たせてみました。



先月の9月5日には、1年以上待機していた近所の特養から、入所順番が近づいたということで、待望の面接となりました。



前もって、特養に出向き

ジェンギンスの問題症状を詳しく話し、こんなジェンギンスでも入所出来るものかと相談して、ほぼ大丈夫であるとこたえて頂いていました。



ところが、面談の結果、

不合格となり、長いことこの施設を待っていたのは

何だったのか!とがっかりです。



がっかりしている最中に、

その特養が、今年度の入所順番が回ってきてしまったと、電話をくれました。



びっくりです。



いくらなんでも、まだひとつきしか、たっていないのだから、症状だって変わってないし、断られるのは当然です。



しかし、

25日に、面接のため

わざわざ病院へ特養の相談員さんが

来てくれました。



前回は私は仕事で欠席しましたが

今回は、参加出来ました。



あさ、10時に病棟に到着。



ジェンは、まだ拘束されて個室で

寝ていました。

昨日はとっても具合が悪かったと聞かされました。

いつも一緒の世話焼きおじさんは

とうとう、病気治療病棟に入院してしまったので、もうこの病棟には居ないそうです。

たいそうに病気が悪くなると

入院措置となるのです。





ジェンはもう2週間、寝たきりで一歩も歩いても居ないそうです。



お腹の拘束を外してもらい、

ぐたっと力無く返事もできないジェンギンスをベッドに腰掛けさせました。

背中や腰をマッサージして

体の不安を取り除きました。



ケアマネがやってきて、

面接が1時間遅れるということでした。

どうせ、お昼までゆっくりしていくつもりだったから、まあいいか。。。



お昼後に飲ませようとした

ミルクティをペットボトルのまま

飲ませました。

結構飲むから、もっと大きなペットボトルにすれば良かったと後悔した。



今日は、面接の用事できているから

体に付ける薬とか、何も持参しなくて、これも後悔した。



なんの音もない個室なので

最近購入したアイリバーから

ピアノ曲やハワイアンを一緒に聞いた。

そして、今日もハワイアンを歌ってあげた。

うつろな目つきのジェンギンスが

私を見た!

「 やだ、みないでよ 」っていう気持ちがした。

ジェンは呆けているから、

私はジェンの前で歌うことに

ぜんぜん羞恥心がありません。

1年前の家にまだいるころ、

家族が誰もいなくなると、わたしはジェンの前でUkulele弾いて歌ってました。

ジェンと私の秘密です。



さて、前回は3人の面接員だったのですが、今日は相談員さんと看護士さんの2人に来ていただきました。



相談員さんが

「 お久しぶりです、お元気でしたか」

とジェンに声をかけると

ジェンは、お客さんだと分かっているようで、愛想笑いをしてにこやかでした。

うなずいて、なにかもごもご言っていました。 相談員さんは、言っていることが分からないはずですが、返事をしていました。

有り難いことです。



拘束、放尿、ふらつき、断られたことのある特養、向精神薬の副作用、

かつての介護拒否、かつての入浴拒否・・・



拒否の話しをしたら

ケアマネが

「 ああ~そんなこともあったね」と

懐かしそうでした。

いまじゃ、ぜんぜんおとなしいおじいさんです。

歩けることや普通入浴ができることを

話してくれました。

食事も一人で食べれると話してくれました。

いつかの、食事拒否はいつの間にか

終わってる。

なにもかも

問題行動は終わってる。。。
いま思えば、前みたいに元気な方がうれしいなぁ。

でも、あの強かったころのことは
後悔がいっぱいだ。
戦争だったからな。。。

それはさておき、



特養としては

「 認知専門の対応ができないので
 排痰があったり、異食があったりの

 重症症状のかたの入所は無理な
施設なので、そういうかたはお断りしているのです。
4人部屋で、みなさんの荷物もありますから、ひとの荷物をいじって歩かれては困るのです。
個室対応でないと無理であれば
難しいと思います 」

って



だったら、初めからそう言ってくれれば
この特養には申し込まなかったし、
で、
なんで今日面接に来たの?
って病院のスタッフも疑問でした。



返事は後日来るんだけど
入れればたいへん有り難いし
入れてくれないなら、無理に入れたくない。
認知に慣れていない施設には行くべきじゃない。

面接の途中で
ジェンギンスがペットボトルに手を伸ばしてキャップを取ろうとしていました。

施設の人が
「 あの、それ飲めるんですか?
 それだけ全部飲めるのですか?」
 はい、ぺっトボトルのまま飲めます」

なにか疑問だったのだろうか?
ジェンは男で、そとにでて働いていたから、母よりずっと社会性があるひとだったな。








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ご臨終体験

2007-10-21 17:07:35 | 介護


2007年10月21日


命に別状があるとは聞いていないけれど

雰囲気は、ご臨終だ。

最後にピースをして息を引き取るという

設定の写真。



10月20日土曜日



わたしが朝起きたら

母がデイの車に乗っていく音がした。

お見送りをしないのは

初めてだった。

申し訳ありません。すみません。



平日は4時間睡眠なので

せめて休日は6時間寝たいのですが

土曜のデイが始まって

つらいモンが有ります。



急いで階下へ行って

貴重な空き時間で日頃気になっていた

母の部屋の片付けです。



せめて、日頃暇な母がじぶんの部屋の片付けをしてくれたらいいのですが、

今日は2時間だけと区切って、私が洋服整理しました。



出てくる出てくる。



30着のセーターを洗濯し、

30着のセーター類をタンスに入れ、

30着の服を捨てる。



先日から捨てはじめてるんだけど、

母がそれを、犬の敷物にするからと拾ってくる。

減らない・・・・



ジェンギンスの半袖類も

思い切って捨てた。

ジェンギンスには、認知であるからこぎれいな支度をさせていたので

えらく高級なブランドポロシャツが多い。

ばりばりのバーバリーも捨てた。

ロンシャンも、ラルフローレンも捨てた。

ブランドものだって知らない母が

どんどん、洗濯機で洗濯して、へなへなになってるし・・・

ハワイのクリスマス後のセールでは

定価の3割以下で購入できるので

日本で高級でも、出費はしていないんだ。



片付けは、当分かかる。

あと1万着あるからな・・



12時半になり

ジェンギンスの病院へ私一人で向かった。



一昨日、首がガクッとなって臨終シーンを体験できたことが、生々しく

わたしを苦しめたけれど、

今日は起きていることを、期待して病棟へ行った。



寝てた。



丁度、男のやさしい介護士さんが

着替えをしてくれていたので

夕方まで拘束ベルトを外してもらった。



ベルトのことを聞いたら、

寝返りもできるし、半身おこして座ることもできるらしい。



ってことは、食事の時も装着したままなのだろうか。



これじゃ、寝たきり老人になって

特養で受け入れてくれちゃうって事だ。

木曜の特養面談は、どうなるのかね。



~~~~

ジェンギンスは、眠っていました。

声をかけてもかすかに、意識が戻るだけです。一昨日と一緒です。



触ったり、何ダリして

ちょっと目覚めました。



聞き取れないかすれた声で

何かを、喋っています。

わたしに、なにか言いたそうです。



何?って

口元まで耳を持っていって

聞き取ります。



眼をあけてこっちを見たから



「 やあ!! 」 って手を振ったら

「 やあって、、、、覚えてるの? 」



死にそうな顔で、聞き取れない声で

喋るから、すごく悲しくなった。



ぜったい、ご臨終シーンだ。



テレビドラマだったら、このジェンギンスの状態で最後のお別れをするところです。

意識が遠のいていく、力のない最後のシーンです。



これこそが、いままさに死を迎えようとしている状態だと思いました。



テレビのコントで

危篤のお母さんに、チャーハンを作らせて 最後のチャーハンだと言って

子供達が食べたあと、息を引き取るのがありましたが、

まさに、それ状態で



わたしは、臨終とおもえる父を

抱きかかえてベッドに座らせました。



父も、大丈夫頑張るって言ったから。

頑張るってことは、頑張らなければならないってことで、元気じゃないってことだ。

そういえば、ぜんぜん笑わないなぁ。



1年前はよく笑ってたし、笑わせ上手だった。



=====



ベッドに座らせて、体をマッサージしてあげた。

ずっと寝てたら、体が痛いだろうし、

拘束ベルトが背中にあるのは

不快だと思う。



家で作ってきた暖かいミルクコーヒー

をあげた。

『 美味しい? 』って聞いたら、

うなずいて、わたしに飲むように差し出してくれた。

おおぼけで、通じないのに

周りに気遣いしてるのはずっと変わらないな。



巨砲を口に入れてあげて、

元気が出てきた。



病院の食事は食べているけれど

食べようとしないので

食べさせてもらっているそうだ。



いつもの食欲はすっかり消えてしまった。



ヨーグルトを口に入れてあげたら

『 おいしいな 』って言って

自分でスプーンを使って一つ食べた。



小豆のはいった蒸しパンもあげた。

わたしも、半分食べた。



ヤクルトをテーブルの上に置いておいたら、手を伸ばして

アルミの蓋を剥がそうとしたので

とってあげたら、口をつけて飲んだ。



飲み方を知ってるんだ・・・



そしてしばらく、お話タイムを過ごした。



まともに話している。



当分登場しなかったジェンの

お父さんの名前が出た、

おかあさんの名前も言っている。



『 オーイ

  日本一だ

 エライこっちゃ、エライこっちゃ



オレはどこへいっても  日本一だ

おれの言うことをよく聞け。

よろしいか?



一生懸命体をだいじにして、

お仕事をしたほうがいいですよ 』



蚊の鳴く声で、絞り出すように喋るのです。

今日は、演説っぽかった。



感謝を述べていた。

人間社会、人間関係の常識的なことを

述べるのは、ジェンギンスらしい会話です。



病室では、ハワイアンをかけたり

クラシックピアノを聞かせたり

瞳をとじて を聞かせ続けました。

桂サンシの落語も聞いていました。



ミルク類はしつこい味なので

今度はつめたいレモンティをあげました。

冷たいので、冷たいって言っていました。

でも、いっときの食欲もなくなり

水分も欲しがりません。



食欲中枢が正常みたいです。



血圧 正常

熱   36.7

呼吸 25/m

脈    65/m

血中酸素 正常



抗生物質を服用していて

足に点滴の針が刺さったままなので

点滴もしているのだろうか・・・



胸の音はしていた。

ゼーゼーじゃなくて

ミンミン ミシミシ、メリメリと

聞こえてます。



時々咳をすると

胸が痛くて

痰もそうとう絡んでいます。



ベッドに寝かせると

ウトウトします。



その合間に

『私は、大日本帝国軍人として

一生懸命頑張りました。

 ありがとうございました。 』



と、ご挨拶をします。



苦しそうな表情もするし

とにかく、おきる元気は無いです。

食欲もない

気力もない

痩せてしまい



寝たきりにしてあげた方が

ジェンギンスは嬉しいでしょうか


明日の日曜は、孫のチョコパンが
バイトの帰りに寄ってくれます。

ホントに頑張って、ジェンギンス!!






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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。