アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

老健に預けました

2005-07-27 00:12:20 | 介護


タイトル | 7/27 老健にあずけました

作成日 | 2005-07-27


アクセス数 | 165        推薦数 | 0



カテゴリー | 日記 > 生活 > 美容/健康/コスメ




電車で三鷹へ向かう途中。
チョコパンのお陰で明るい乗車でした。
皆でお出かけは大変楽しいです。


とうとう父を預ける日がやってきました。
16日の長い滞在です。

台風の雨の中、母のスーザン、孫のチョコパン、
私の3人が付き添って三鷹にある老健に向かいます。

上履きに履き替えて、お部屋へ。

まず、医師の診察。
足や手を上に上げさせたり、鼻に持って行かせたりして精神状態なども観察しているようだ。

ジェンギンスはふざけて、鼻の頭に手をもって行くように言われると鼻の穴に指を突っ込んだり、豚の鼻にしたりしていた。
先生は、笑いもせず真面目に診察していた。
返って、その真面目さがジェンギンスを怒らせるのではないかと心配した。

『右手をあげて』『左手を上げて』と指示するけれど『下げて』と言ってくれないので、ジェンはずっとあげたままでいた。
なかなか、通じない動作をするとき、先生は同じ言い方で迫った。
言い方を変えてわかりやすくいえないもんだろうか
それとも、何回言って通じるか判断しているのだろうかと見ていた。

ジェンは先生の言う動作を全て正確に、そして、足を上げてと言われたとき、天井まで届く勢いであげたので看護師さんたちは声を上げて驚いていた。

あとで、3階フロアのお年よりをみたら、みんな、精神も体も不自由な人ばかりだった。
言葉も通じる人がいない。
会話出来る人がいない。

父は、相談員の男性と話をして、冗談ばかり飛ばしていた
『 面白いな~、元気でよかった~、』と言ってくださった。
かれは、多くのお年寄りに声かけをしていい人だった。

そして、私とスタッフで詳細な打ち合わせをした。

医師、看護婦、介護士、相談員、栄養士、リハビリ
6名のチームだ。
驚いた。このすばらしい体制は老健ならでわであろうか?
驚いた。立派だ。
治療方針も決めていく。
徘徊方針も決めていく。
感心しした。

お昼ごはんになったので食堂でチョコパンが付き添って食べた。
一人でよく食べていた。
そのかん、
後のテーブルで
男性同士がけんかをした。
父のように、攻撃型の男性が居るようだ。
父は夕方から夜だけの攻撃型だけど、この人は
朝から怒鳴って迷惑を掛けている。

私は笑ってみていたが
母は、迷惑そうな顔をしていた。
彼と一緒になったら家の父は殺人行為をしかねないのだ。
危険だった。

そろそろ、私達は帰らないといけないけれど
徐々に一人ずつ去ることにした。

すると、徘徊が始まった。
家に帰りたいんだ。
わからないから歩いている。
一生歩くと思う。
誰かが止めてくれないとずっと歩いて可愛そうだ。

スタッフはきっとわかってるよね。

お別れもし無いで別れてきた。

廊下で待っているとき、さっき喧嘩を吹っかけられて一緒に喧嘩していたおじさんと話をした。

『薬屋さんだったのですか』と話したら
泣き出した。涙を出してなきだした。
わたしも、泣きたくなった。
悲しいんだね。おとなしいおじさんなのに、喧嘩があったり、一人だったり。
このような施設は悲しすぎる。
相談員の人が『上でお茶を飲もうか』とおじさんを誘っていた。
そういう事も出来るんだ。
いい施設だ。

さて、一晩あけてどうしているんだろうか。

心配でかわいそうだけど
私の家では、
平和が戻った。
心が落ち着いた。

今日お陰で私はハワイに11日間行って来ます。
チョコパンも昨日ギリギリの間際に最安値の航空券が取れました。

おじいちゃん! 行って来ます。





一言コメント (全 3 )




みるき(milkie@gaiax)

ありがとうございます


お客さん(GUEST) お父さんのことは気にしないでしっかりハワイを楽しんできてください。行ってらっしゃい。



ジュニタ(jyunita@gaiax)

沢山がんばったご褒美だから、老健のことは気にしないようにして、楽しんできてね。帰国後の更新楽しみです。



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色々なことがありました

2005-07-25 00:10:01 | 介護


掃除を頼んだら、だんだん家から離れて
遠くまで掃除してくれた。
神経質な綺麗好きだ。
仕事を頼むと喜んでしてくれる。
(しかし、機嫌のいいとき)

いろいろあって思い出すまま書いてみる。

今夜、
ジェンギンスの右手薬指が、大きく紫色に腫れていた。
今朝も、指の不調をスーザンに訴えたそうだけれど
スーザンは昨夜からイライラが解決せず、
相手にしなったようだ。
私は、早朝より仕事が入って、朝のご挨拶して
朝食準備をして2階に上がってしまったので、気が付かなかった。

何処でどう怪我をしたんだろう?
この数日は家にいたし、
ただ、かなり、激怒して家具を移動する日もあったからテーブルではさんだか、ドアにはさんだか、、、
打っただけではココまでひどい内出血にはならないはずだ。
骨は大丈夫だろうか?
指は動くようだ。

だぶん、怒りの真っ最中に怪我をしたんだな。
アノ、怒りようでは痛みも感じないし、痛くても弱音は吐けないだろう。

土曜日に
『 風呂にはいるかな~』というので
大急ぎで風呂を洗って沸かした。
家ではいるのは半年振りかもしれない。
沸かす間、風呂に入りたい気分を維持するために
夕飯も食べさせず、とうとう、風呂入りに成功した。

そして、気持ちよく睡眠したところが、
お漏らしだ。
あさ、『びしょびしょだ!』とジェンギンスが怒っていたそうだ。 本人、お漏らしとは思いもしないらしい。

そして、昼はスーザンが目を離したすきに、
迷子になったらしい。
わたしは出掛けていたのだが
マクドウウェルから『じいきえた』とメールが入り、しばらくしてチョコパンから『いたょ』とメールが入った。

ああ・・・もう、わたしは外出できないんだ!
とがっかりした。
家族総動員で痴呆老人と戦っている。
敵は一人なのに、何処まで強いんだこの人は。

その夜、私と家族が夕食を食べていると
突如、ジェンギンスの怒りが爆裂した。
『 おまえさんら、いい加減にしろよ!
 常識が無いのか!
 人のうちで食いやがって、どういうつもりだ。
 恥ずかしいと思わないのか!
 親が、居るんだろ、家に帰れ!
 自分の家で食べたらいいだろ。
 よく考えてみろ!・・・・』

 延々バカにされた。
 ちょっと言い返してやった。
『 親って自分だよ!』 みたいな事。

 チョコパンとマクドウウェルに
 『意地悪なだな~結構ひどい性格だな~』
と、私が言われた。
『 いいんだよ、ちょっと、ストレス発散してみたんだよ』と言った。

ジェンギンスの暴言誹謗中傷は延々続いた。

チョコパンが涙ぐんだ。
それをみたら、私も涙が出た。

1年前までは、すごくいいおじいさんだった。
優しさの塊の人だった。
じいちゃんのお陰で私達は生きてこれた。
子育ても仕事もたくさんの援助をしてもらった。
たくさん可愛がってもらった。
その、愛すべきおじいちゃんが、
狂ってしまった。
人として、許す事の出来ないほどの暴言誹謗中傷を吐いて狂ってしまった。

神様はなぜ、ジェンギンスをこのような形で
現世からお放しになるのでしょうか。
一生懸命生きてきたジェンギンスを
なぜ、最悪のこの形で終焉を迎えさせようとするのでしょうか。
呆けてなお、青春時代の後悔を嘆いているジェンギンス。過去の嘆き忘れさせてくれないものでしょうか?
なぜ、ここまでジェンギンスと私達の幸せだった
暖かい家庭を奪おうとなさるのでしょうか?

あすから16日間、老健でジェンを預かってもらう。

15年間のアルツハイマ生活に複縦線が引かれる。 
貴重な時間だ。
私と母のスーザンにもたらされた貴重な時間だ。

けっして、いつまでも続くわけではない介護。

後悔はしない。

それが私の生き方だ。
それが父の逝き方だ。


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お父さんが死んでる!!って

2005-07-22 00:07:21 | 介護



まず3日前の夜中1時過ぎ、
スーザンが突然2階に上がってきた。

「お父さんが、足が痛くて苦しんでる
救急車を呼ぼうかと思うくらい苦しんでる」

皆で様子を見に行った。
何か、おとなしく寝てるんだけど
声をかけたら返事をした。

足を見るために触ってみると
痛がる。
指が全部硬くくっついている。
指を1本ずつ離そうとすると
たいそう痛がる。

何処がどう痛いのかわからず
とにかく、保冷用の小さいアイスノンで
足の裏を冷やした。

そのうち、指がバラケてきた。
あしがつっていたんだろうか。

痛いほうの足は感覚が無いのか、
麻痺したのか
冷たがらない。
正常なほうに氷をあてると
冷たがる。

。。。。落ち着いたのでねたが・・

午前2時半
スーザンが2階に上がってきた。

「 お父さんがすごい熱なの」

38度の熱を出しながら
歌っている。喋っている。
全く持って、正常なる人格で
おとなしくいいおじいさんが
熱をだして正常に話をして
正常に布団に横になっている。

目はつぶっている。

ジェンが手を差し出したら
スーザンの手にたどり着いた。
スーザンの手を握っている。
スーザンも握り返している。

なんか、お別れをかんじた。

ジェンも、「ありがとう」と言っている。
お別れの近さを感じた。
あたまと、腕と首を冷やして熱を下げた。

次の日デイサービスにスーザンが電話した

「今日から3日間休んで土日も休むから5日休みます」
ずい分休ませんるものだと思った。
でも、別れを感じてしまったから
これでいい。

朝は、薬も飲まないのに
熱は下がって普通だった。

~~~~~~~~~~~~~

そして、けさ。

階下へ行ったら
ジェンはまだ布団に寝ていた。

突然、枕元に座っていた母が、

「 お父さんが死んでいる!
  お父さんが死んでいる! 
  おとうさん! おとうさん!」

というので、あわてて
父のところへ行った。

おでこに手を当てたら
熱いくらいだった。

「 お父さん! お父さん! 」

ぜんぜん、動かない。
全く動かないし返事もない。

息・・・・してる。

ああ。驚いた。
心臓がドキドキした。

でも、どんなに呼んでも揺り動かしても
返事もないし動かない。

・・・・
そのうち、手をゆすったら
てが空をつかむように
動いた。

生きてる。


しばらくして彼は
正常に起きて来た。

生き返ったって感じだ。

私はその時思った

「 今死んだら、ハワイに行けなくなる」 って。

夜は、たいそう敬語で会話をした。
何処かの家にお邪魔しているようだ。
気の毒に、気が休まらないだろう。
家に帰ると言っていた。

後、3日後に16日間もの長い間
施設に預けられる父。
出来ることなら家に置いときたいけど
今日も一日、母と私で交代しながら
見守った。
24時間の完全看護はたいそう自分の
時間が無くなってキツイ。


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おねしょ2回目

2005-07-17 00:04:37 | 介護




饒舌っていうのかな・・
喋りっぱなし。
興奮状態。
怒らないからいいようなものの、
わたしは、安定剤の副作用でしか
無いと思う。
安定剤が切れるとき興奮が
あるんだ。
私は、そう観察している。

朝方、下がうるさいとは思っていたけど
おねしょ騒動があったらしい。

原因はある。

昨夜、あまりに寝ないで興奮しているので
デパスを1錠与えてしまったらしい。

デパスによって興奮状態には
ならず、良く眠りすぎたようだ。

せめてデパス半錠にするべきだったな。

夜中にはトイレに1回もおきず
びしょびしょで眠っていたらしい。
起き上がって、びしょびしょである事に
スーザンが気付き、怒ったらしい。

あさなので、ジェンはおとなしく
シャワーに入ったそうだ。
シャワーに入りつつ、湯船に
何度も手を入れていたらしい。

湯船にお湯はここ2ヶ月以上
入れたことが無い。


そして、今日はずっと喋り続けていた。
延々喋って
夕方、「 帰る 」 といって外に出たのはいいが
もう、家に入らない。
もう、言っていることがチグハグで
話にならない。

よる、珍しく私の姉が来た。
何しにきたかというと
韓国ドラマを録画してあげたので
それを取りに来たお気楽さん。

「玄関でかえるわ」
っていうから、「爺さんの顔を見て言ってよ」
と言って、あがってもらった。

最近の経過を知らないから
普通にジェンと話し込んでいる。
そして、結構追求して質問していた。

おしゃべりな姉は
一方的にジェンの話も聞かず
喋り続けた。
饒舌ジェンギンスも圧倒だ。

進行したジェンの脳にやっと
納得した姉は

「 おとうさん、今まで私を育ててくれて
  ありがとうございます。
  お金が無いのに学校出してもらって
  今、この年齢でありながら
  たくさんのお金をいただいているのは
  お父さんのお陰です。
  お父さんが、真面目に生活をしていてくれた
  お陰です。
  本当にありがとうございます。
  この年齢で、たくさんのお金を
  いただいちゃっているんです。
  ありがとうございます。
  
  女は浪人してはいけないと
  言っていたお父さんが
  私が全部学校に落ちたとき
  浪人しろ と言ってくれた時は
  嬉しかったです。
  私が一番最初に落ちた大学は
  何処だか覚えていますか?
  立教です。
  お騒がせしてすみませんでした。
  最後の大学に受かったときだけ
  私は自分で見に行っていません。
  落ちた大学は全部自分で見に行ったのですが
  受かった大学だけ
  お母さんに行ってもらいました。
  私は、泣いていましたから。
  合格した大学だけ見に行っていない私です。

  おとうさん、どうも、長い事お世話に
  なりました・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・ 」

 と、延々ご挨拶していた。
 こうして、自分の言いたいお礼を
 言える姉が偉いって言うか
 うらやましいって言うか。
 
たまたま、ジェンが落ち着いていたから
良かったものの、
怒りモードの時も
姉に見せてあげたいと思った。

私がハワイに行く間
すこし、母の様子を見てもらおうと思ったら
同時期にイタリアに行くそうだ。
こっちは、老夫婦の心配して必死で行かせて
もらうっていうのに、
あねは、
「 ロンドンに経由でイタリアにいくのよ。
  テロは平気かしら~」
って、ホンマに、お気楽さん。


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ホトホトたちの悪い認知症だ

2005-07-16 10:59:16 | 介護


  
今日は土曜日。

私はたまたま午前中早くから
自宅で仕事だった。
私の仕事が始まるとき
ジェンはまだおきていなかった。

おきると玄関にあるトイレに誘導
したり、玄関を通って洗面所にいったり
しなければならないので、
母のスーザンに9時9時半10時の
時間帯には注意してほしいと頼んで
仕事をした。

あさは、相変わらずおとなしくて
いい人だけど、
だんだんだんだん、人格が変わっていく。

今日は、ずっとずっと歌って喋っていた。
喋り過ぎるほど喋っている。
脳の何かが狂っているんだ。

薬は、睡眠薬をやめた。

安定剤2分の一を夕方与えている。

多すぎると興奮するから
少ない程度の2分の一弱が
程よいのだろうか。

飲んでも、飲まなくても
興奮してうまくない。

利尿剤は飲んでいる。
スーザンは利尿剤のお陰で
足のむくみが取れたと
言うけれど
すごく腫れているし、
利尿剤のせいで
トイレに行く回数も変わっていないのだ。

足のむくみが激しく
パンパンに丸くなっている。
だからうまく歩けないし
靴も痛いだろう。

とにかく、何の薬も効かない。

~~~~~~~~~~~~
夕飯のハンバーガーを買いに
スーザンとジェンは出て行った。
帰って来たら、もうジェンは家に入ろうとしない。
いったん、外に出ると知らない家になってしまって
玄関から上がろうとしないのだ。
玄関前でうろうろするうち、トイレに行きたくなって
家の中に誘導した。


その後、
「 帰る 」を言い出して
また外にも出た。
外に出ても知らない町で
混乱するばかりだ。

いえに帰って来たら、また
トイレに行った。
体を動かすと腎臓の働きが
始まるんだろうか?


今日は故郷の能登に帰りたいのではなく、
「 慣れた東京の家にかえりたい 」 
と言っていた。

「 家に帰りたいだなんて
  呆けた人のいう事だよ。
  もしかして、呆けてきたんじゃないの?
 ねえ! おじいちゃん! 
 呆けてきたんじゃないの?」
と言ってみた。
しかし、「呆けてない」と言って
真剣に考えようともしない。

夜は、階段を上がってうろうろするので
スーザンとバトルしていた。
スーザンはだまっていられないので
喧嘩に成る。
ほっておけばいいのに
いちいち
「 何してんの!」
「どうして、そんなトコに居るの!」
「降りてらっしゃいよ!」
スーザンは一人でイライラして
ストレスためている。

損な性格だ。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。