アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

義母介護

2013-02-21 09:42:00 | 介護
有料老人ホームに入所している姉の義母85歳が肺炎で入院してから2週間。

ECU とか HCU とかの集中治療室を経て回復室へ移り熱もさがって回復しました。
義母は少し見ないうちに、胃瘻となり言葉もでなく、会話もできずガリガリに痩せて寝たきり老人と化していました。

自宅で家族と一緒に暮らしていたら元気な人生だったことと思う。
孫に囲まれて楽しくくらしたかっただろうけど、それは一度もかなわない人生だったわけだ。

同居を申し出ない大人たち。
職業を持った人と結婚した息子たち。

人生って難しいと思った。

人間の最後の苦労は誰がするべきなのでしょうか?

家族が苦労するか。
老人が苦労するかです。

老人が一人で苦しんでいるとしたら、それは家族は気がつかないからそんな家族はお気楽です。
いままで、お気楽な家族をいっぱい見てきました。

老人病院は本当に姥捨て山です。面会にもこないし、着替えが必要な時は宅急便で送られてきてました。 (義母の病院のことじゃなくて)


さて、義母は肺炎が回復したので明日の金曜日朝10時にもう施設に戻ることになりました。

私は仕事の前に1時間だけだけど往復3時間半かけて病院に行きました。
やってあげたいことがたくさんあるのです。

1時間では十分にできなかったけど

・硬直した手が爪で傷つかないように爪を切った
・乾いた唇に傷用のリップクリームを塗った(2週間ですごく綺麗になった)
・ワセリンで手足の乾燥を取った
・いい香りのハンドクリームをつけた
・話しかけた
・しばらく手を握っていてあげた
・枕周りの髪の毛を取った
・私が買ったものにメモを残した
・荷物をまとめた
・靴下を履かせた
・足の下にぬいぐるみを敷いた

一昨日持ち帰った洗濯ものも今朝洗って乾かし持参した。
使い捨てと言われた腹帯も洗濯して十分使えた。

レンタルの病院着を脱ぐと服がないのであす持参するように義弟にメールした。

あすは、施設の人が迎えに来てくれるらしい。

・・・さびしい。

85年間の生涯の最後は施設のお世話か・・・

私としては羨ましい限りで、有料老人ホームのお世話で病院の送迎から何から何まで面倒を見てくれるなんて、ある意味幸せだ。

これに、家族が加わたら最高に幸せな最後だな。
家族の愛があったら最高の人生だ。


時間がなくて駅のホームでパンを食べた私。
田舎の駅だからね。

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今日も介護

2013-02-19 18:09:00 | 介護
姉の義母の介護に行ってきた。 3回目。

東大和というところで、私の家から1時間半~2時間かかるのだ。
今日は雪だったけれど、嫌だとも思わず行きたいから行ったのだ。

姉が、お見舞いしてくれたの?とメールが来たけど、
そんな甘いもんじゃないよ。
お見舞いって、顔を見るだけだけど、私は看病に行ったのだよ。

・ 今日の目的はくちびるを湿らせてあげることだったので、看護師さんに濡らしてもいいか?と聞いたら、コップに入った濡れガーゼと手袋、ビニル袋の一式を持ってきてくれた。

唇を水で拭いて、口の中も、歯も拭いてあげた。 舌の白いものも取りたかったけれど奥には入れないようにした。 そのあと、唇用の薬をたっぷりつけてあげたのでしっとりしてとても綺麗になった。  前回と今回つけただけで見違えるように綺麗になった。

・ 目やにで目が開かなくなっているので、ヒアレインの潤いが目に入らないように目にかけて目やにを取った、取りきれなかった。 だから今日は目が開かない。
お湯のヒタヒタタオルで拭いてあげないとダメだな。 

・ ピンクのふわふわのぬいぐるみを腕のしたに入れてあげた。姿勢を変えるのだ。
このぬいぐるみは、このブログで知り合ったhiroさんから頂いたものだ。
すごくかわいくてふわふあだけど、こんどは義母の快適に役だってもらうんだ。

・ 姉がもういらないと言って持ってきた洋服のなかにマフラーがあったので、そのマフラーを丸めて足の下に入れてあげた。 寝返りもできない義母は足のかかとだって痛くなると思ったからだ。 

しかし、大変良いベッドのマットが使用されていて、足の下はふわふわになっていた。
病院のベッドのマットなどはかくれたものだけど、ここにお金をかけているのはいい病院かもしれない。

・ 看護師さんが、腹帯(フクタイ)が無いというので売店に買いに行った。
紙でできたお腹に巻く病人用の腹巻なんだけど、使い捨てで、それなのに一枚1000円だった。 2枚買って置いてきた。

・足と手をヴァセリンでマッサージしてあげた。
乾燥してかさかさだったけど、しっとりととても綺麗になった。

・硬直した左手の爪が伸びていてほかの指を傷付けている状態だった。
はやく爪を切ってあげないと・・・
今日は、時間がなくてしてあげれなかった。

・車椅子にすわる練習のリハビリが毎日入っているのでお迎えが来てリハビリ室へ行っているあいだに、ベッド周りをきれいにした。 ロールテープで髪の毛とかのゴミを取って枕を整え、シーツにシワがないように伸ばした。 寝たきりの人にシワは禁物なのだ。

・リハビリから帰ってきた義母に、「おかえりなさい!!」と声をかけてあげる。すると何か言ってる。 なにか話しかけると あーーーあーーーあああーーとなにかいっている。
ありがとうって聞こえたのきがしたので、
「 どういたしまして 」と言ってみたけど、もし違っていたら義母はどうおもっただろうかといろいろ想像して一人で笑った。

以前チョコパンが、蓮沼さんという間もなく亡くなるおじいさんに
「 はすやまさん! はすやまさん!」と声をかけていたんだけど、
蓮沼さんは 「 はすやまじゃねぇ!」と心で叫んで生き返ったことだと思う。
数日後位になくなったんだったかなぁ~

・ ブルーのビニール袋に入ってるものは洗濯物だとわかり、持ち帰った。
わたしが?と思った。 

このブログで知り合った仲間たちは、一生懸命家族の介護をした人たちだった。
みんな、病院へ行って看病に勤めていた。

わたしは、介護に通っているけど、嫌じゃない。
かえって、ホッとする空間だ。
父ジェンギンスのときもそうだった。

近いいつの日か天国へ行く人と過ごす束の間の時間なんだ。
気持ちよくこの世で過ごして欲しいと思う。

だけど、わたしには時間がない。

母が5時過ぎにデイから帰宅するのでそれに間に合うように必死で帰ってきた。
お昼も食べなかった。
そして、私が母の介護が辛いのは、口が達者だからなのだな。

生意気で困っちゃう。

死ぬ時って仏様になるのだな・・



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介護

2013-02-15 10:27:00 | 介護
母の調子もよくなり、のんびり過ごしていたのも束の間、
もう、介護の多忙でどうして私だけが多忙なのかと空気に問いかけてます。

姉の義母は、有料老人ホームに入居しています。
息子ふたりで嫁も働いていることから同居を申し出る人もなく、
介護を申し出る人もなく、ひとり暮らしが無理となったとき
有料に入居させました。

入居後も、息子が時々訪問しただけなので
そんな結果・・・・わたしは虚しいよ。

施設で倒れて病院にICUに入院したものの回復室に移動して面会可能になったため
私は病院に行きました。

1年前までは、わたしとお饅頭を食べて笑って話が出来て、私を励ましてくれて、母を心配してくれていた人が、すっかり寝たきり老人となって、わからない言葉を出している。
あーーーあーーーーと大きな声をだしているのだ。

寝返りもできなくて、言葉も出なくて、胃瘻と導尿、目やにで目もあかず、
・・・・
ひどい・・・やってあげなければいけないことがたくさんだ。

往復3時間かかるので、自分の仕事に間に合うようにするためには病院の滞在時間が1時間足らずなので必死のわたしだ。


・ 正常な顔になるたび、自己紹介
・ 目を拭いて目を開けてあげる
・ 髪の毛がぬけるので、ロールテープでベッド周り掃除
・ ハンドクリームつけて手のマッサージでぬくもりを伝える
・ 足にワセリン塗ってマッサージ
・ 下着をなにも身につけていないのでレッグウォーマ持参
  (座るリハビリのとき保護するのに助かるっていわれた)
・ 車椅子に座るのだから、室内スリッパを100円ショップで購入
  (あやうく車椅子に素足でのるところだった)
  
・ 唇が乾いて厚くなって切れているので唇用の薬を塗る

唇に指で薬をにっていたら、義母は口をあけてなにか食べたそうだった。
口を開けたとき、口の中が白くなっていた。

喉が渇いているだろうな・・
湿らせてあげないと・・・時間が足りなくてできなかった。

入院して3週間になるのに、スリッパも靴下もティッシュもひざ掛けも・・・
何も置いてなかった。
もう、亡くなるかと思ったからだろうが、
回復してきてる。

必死で身動きできないひとの介護をして、帰り道から今度は母の夕食の準備だ。
そして、母を見ればそうとうなる口達者で、
義母よりも6歳くらい年をとっているくせに私の母は相当元気だということが判明した。

母の食事のしたくをしたり、
今日からのショートの支度をしたり(午後2時半という遅い入所だ)
薬の準備をしたり

・・自分の仕事もあるし、税金申告やらあれやこれや・・

必死で介護と仕事と家事をするあいだ・・・
ほかの関係者はテレビでも見てんでしょうね・・・
ビールでも飲んで家族と笑ってるんでしょうね・・・
早く寝てるんでしょうね・・・

義母に毎日話しかけて
毎日唇に薬を無ってあげて
毎日足や手をマッサージしてあげて
毎日枕をきれいにして背中に髪の毛がつかないようにして
寒くないようにしてあげて
姿勢を変えてあげて
そして、いいこいいこしてあげたら

義母はもっと回復するはずだ。

しかし、人それぞれの生き方があるので
私は思う存分自分の納得のいくまで
ぜんぜん関係ない人を見てあげるのだ。

そして、私が見てあげてることは内緒なのだ。
ひとのためにしてあげているのではない。
後悔しない介護をするためと、今までお世話になった感謝の気持ちだ。

さて、今日から母は3泊のショートだ。
夕食の支度をしなくて済む。ビクビクしなくていいんだな。

多忙に過ごせることが幸せのような気がする。


   
   赤いきつねを食べる老人
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(無題)

2013-02-10 00:10:00 | 介護
2013年2月9日

父ジェンギンスの誕生日です。
生きていればもう92歳です。
87歳でなくなったので、5年の月日が流れたのです。

短くもなく長くもなくちょうど5年くらいの気持ちがします。

チョコパンとお墓参りに行ってきました。

   


   

   
   

持参した濡れ雑巾で石をきれいにして、手で葉っぱのゴミをとって、お線香立てて
ピーチティを父に飲んでもらって・・・

寒い季節なのでゆっくりもできず墓をあとにしました。

よそのお墓は空き地がいくつかありました。
無縁仏になったんでしょうか・・・

そして、珍しく色つきの彫刻の入ったお墓が出来ていました。
画期的な私のお墓も、だんだんカラを破って後世に広まっていくのです。

帰りは、駅のそばのマックでチョコパンとコーヒーとクレープで休憩しました。

いつか、いつか、
チョコパンは、わたしとここのマックでコーヒーとクレープを食べたことが思い出になってしまうんだろうなと、思いました。

今生きている一つ一つが、思い出になっていくんだ。

思い出なんかいらないと思うことがある。

自分の思いではいらないし
自分の思いでは残したくない

だけど、5年も前に死んでしまった父が残した思い出
・・・父の思い出が捨てれない
たとえば、父の友達の写真。

誰だか知らないけど、戦友の戦争の時の写真とか・・・

どうしたらいいんだろ

人の思い出・・・捨ててはならない思い出・・・みたい。
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無事に暮らしてます

2013-02-06 23:41:00 | 介護
母の腰痛も収まって、元の生活になってきました。

ちゃんと自分で起きて、自分で支度をして、自分でパンツを取り替えています。

私がパンツまで着替えさせていたころが嘘のようです。

漏らしちゃったり、動けなかったりするときって頭もおかしくて
そんな時の記憶は全くないみたいだ。

それにしてもよく回復したもんだと思う。

あの時の言葉を信じて施設に入れていたら、いまごろ大変だっただろう。

しかし、動けるといつもの問題が発生してるのだ。

開けっ放し!

     
あまりの開けっ放しに写真を撮っていたら、、、、、母がとおりすぎた。
洗面所のドアも、玄関へ行くドアも、玄関も、部屋の障子も ぜーーーーんぶ
開けっ放し。

それで、部屋はエアコンとガスファンヒーターがガンガン!についていて、
部屋が冷たくなるので余計ガンガンにファンヒーターが音を立てて燃え盛ります。



開けっ放しのあと、デイへ車で行きました。

~~~~~~~~~


胡椒もだめ、カレーの辛いのもダメ、熱いのもダメ、硬いのは全然ダメ、七味もだめ。
つまり、離乳食じゃないとダメなんだ。

食べれなくなっておむつになって寝たきりになって、生まれる前の世界へ帰っていくんだと思う。
順調に生きることができた証拠だ。
命を全うできたのだ。


両親がいて、結婚をし、子供が生まれ、孫が生まれ、年金で暮らしていける・・・

という順調で幸せな生き方ができている人はいいなぁ~

うちの母には、母親がいなかった。 それ以外は順調だ。


傘を買った。 大好きなのだ。 この天使が。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。