アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

みるき~災難続き

2011-05-31 16:02:00 | 介護
骨折しました

とんでもないことに、それは私ですよ。

それも、右手手首と人差し指下あたりの骨折で、
母がショートで留守をするときに限って救急外来だ。

母の居ないうちにあれもこれもと
走り回ったら、階段があと1~2段あるのに歩き出してしまったらしく、
スローモーションの空をもがくみるき~がイルと思ったら、
家中に響き渡る轟音で廊下に堕ちた!

手が痛くても、大事な外出予定があったので
シップを持参して即外出。
痛くて着替えれないから
パジャマのTシャツのまま仲間と激しい踊りの練習をした。

朝転倒し、夕方3時半に解散。
6時になって、異常な痛みに気がつき、
近くの入院施設のある病院に電話したら日曜だけど見てくれるというので
雨の中徒歩で向かう。

最近のレントゲンはフィルムではなかった。
パソコンに画像が贈られてくるので拡大してみることができた。
時代が変わったなぁ。

どうも、専門医じゃないらしく
骨折らしいということで、痛み止めもらって、ギブスして帰宅。
次の月曜にCT 3D画像で2箇所が骨折と診断された。

母がいなくて、幸せだった。
チョコパンもいないから幸せだった。
ずっと、家で寝ていた。

激しく痛かった。
次の朝は痛みがなくなっていたが
右手は動かないのだ
動かすと激痛。

何もできない。
コショーをガリガリすることも、塩のふたを取ることもできない。
両手でするべき動作はなにもできなくなった。

ストッキングもはけない。
パンツも下ろせないから
家では、ノーパン、ノーストッキング、スカートで過ごした。
ラクチントイレです。

そして徐々に右手はゾンビのように紫にパンパンに腫れ上がり中。
血管もしわもスジもすべて消えました。何もつけていないのに
つやつや。 





骨折の次の日も楽器演奏の大事な用事があったので
ギブスをはずして外出。
そして、楽器演奏して、ビールも1杯くらい飲んだ。

深夜に帰宅して、そして朝を迎えたのが今日。

頭痛くてだるくて起きれず

夕べから12時間寝たきりの幸せなだるい時間を送った。
なんと。

チョコパンに中華丼をつくってもらって口に入れてもらって
食事をした。
お茶も私が口をあけて流しいれてもらった。
人に口に食べ物を入れてもらって食事をするなんて
初めての経験だ。

すっかり介護された。

おかげさまで食事をしたら
寒くて寒くて仕方がなかったのに
暑くなった。

薬もチョコパンにバッグから取ってもらって
痛み止めを飲み、
元気になってきたところで、

母が帰宅する4時半までにしなければならない
ことをチョコパンに口走った。

食器洗いや、母の布団のシーツはがしと洗濯をしてもらった。
わたしが階下に寝ていた布団も2階に上げてもらった。
夕飯の買い物もしてもらった。
しかし、家事がありすぎて
残りは私が重い体を起こして頑張った。

母の掛け布団1枚と電気毛布を取り除く。
新しいシーツと綿毛布シーツをセットし
枕にバスタオルをまいて、薄い掛け布団を厚い掛け布団の上にセット。

・・・とにかく寒がりでどうしょうもない。

片手でのベッドメイキングはたいへんだ。

ポットにお湯を3日ぶりに沸かして
お茶の用意。
テーブルもも元の位置にセットし
帰りを待つ。

そして、先ほど帰宅。

帰宅の第一声は、
「動物愛護協会に登録してないの?」

犬がいると思って帰宅したらしい。
まず、庭を見たらしい・・・

メリーがいなくてさびしいんだね。

1人で暮らせない人の典型だ。

そして、私は骨折した手を
トレーナーで隠しています

隠し続けて2時間がたちました。

母の𠮟り声っていうか
バカにした口調で私の事故を非難する言葉は
聞きたくないのです。
それも、なんかいも なんかいも なんかいも

あ~~下で母がチョコパンに言ってる

「ママは?」


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犬を飼いたい母

2011-05-24 09:47:00 | 介護
メリーが亡くなってちょうど1週間。初七日です・・・なんちゃって。


朝起きると、綺麗な玄関があります。
もう、泥だらけの玄関と扉はありません。

早々に、片付けた犬小屋もなくなり、すっきりした庭です。

糖尿病多尿による、臭いもなくなりました。

メリーがなくなった悲しみよりも
自分に降りかかっていた朝の仕事の大変さがなくなって
私のストレスはどんなに楽になったことだろう。

父が施設に入った時、
放尿始末の朝を迎えなくて済むという
ストレス解放があった。

今思えば、放尿始末もなんのことはナイと思える。

でも、たいへんだったんだな。

・・・
何が悪いかっていえば、

私一人がやっていたんだよ。

家族の仕事分担がないんだよ。

だから、

わたしはお手上げだった。

父が施設に入ったことは、父にとって不幸でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

そんなことを書こうとしたのではありません。


母が犬を飼いたがるのです。
私には直接言いませんが

「 犬が死ぬと、どこの家でも次の犬をかうわよね 、
 ●●さんちは、3匹目だって 」

と遠まわしに言います。

しかし、ちょこぱんには

「 はやく、動物協会に登録しなさい。
 わたしは、後5年は面倒が見れるから
 犬を飼いなさい 」

と、せかすらしい。

とんだ変身ぶりです。


何年も何年も、生き物は2度と飼うんじゃない!!
といわれ続けてきて、

わざと 「メリーが死んだら今度はどんな犬にしようかな~」と母に聞こえるように言って
母の怒鳴り声を出させていたものです(リハビリ目的)

それが、犬を飼いたい、それも、猫じゃだめ、ハムスターじゃダメ。
とにかく、犬だそうです。

そして、夕飯の残りご飯のもって行き場所がなくて
うろうろしているらしい。


たしかに、肉でもなんでも残ればメリーが食べてくれたから
もったいないという意識はなかった。
いまじゃ、ボンボン!!捨ててます。


あと、数年のうちに母の介護がたいへんになるだろうし、
もしも、チョコパンが嫁にでも行ったら、
犬はどうなるのよ・・

1人さびしい私が喜んで面倒を見るのか・・・?

1人暮らしの私は、さびしくて犬を飼うのか・・?

いいえ!!

憧れの1人暮らし計画なんだから

ダメです。

早く、忘れてください、おかあさん。
いつものように、はやく犬のことはわすれてください。




ちょうど1年前の写真です ↑ ↓この日写した母の写真は年賀状になりました


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メリー・その後・・

2011-05-20 10:05:00 | 介護

メリーが亡くなって3日が過ぎました。

娘のチョコパンが一番悲しんでいるでしょうが
悲しみも表さずみんな普通に暮らしています。

日ごろ、母の暴言には悩まされてきました。

「 メリーが死んだら、二度とイヌを飼うんじゃないよ!!」

この言葉を何度吐かれた事でしょう。

死ぬ寸前の苦しむメリーにまで

「 こういう姿をみるのが嫌なのよね、だからもう犬は飼っちゃだよ!!」

生き物を飼うという拒否の言葉で私たち家族は嫌な思いをしてきました。


ところがだッ!!


チョコパンが、新しい犬を飼おうかと話をすると、まったくokOKなんです。
冗談半分のわざと言った言葉にokOKされて
チョコパンが目を白黒させてました。

目を白黒させるという言葉があるけれど、チョコパンの目はまさに白黒していました。
おまけに、kirakira輝きを伴ってkirakira2

母は、自分の夕ご飯を食べ終わって、残りをメリーにあげれなくて
うろうろしていたようです。
なるほど、、こうやって餌を与えてデブにして病気にしてしまったんだな。

私とチョコパンは考えました。

支配者である母が今唯一でかい声で叱る事ができるのは
メリーでした。
今までよく、恥ずかしいくらいでかい声で叱りつけていました。

その家来みたいな存在がいなくなって、空虚なのです。
部下が死んでしまってさびしいのです。

あんなに、動物を飼うことを否定していた母が

「動物協会に登録すればいい」
「メリーのお母さんが、メリーの兄弟を生んでるかもしれない」
「メリーの兄弟の子供でもいい」
「メリーに似てる犬がいい」

自分はもう90だから犬は飼うな!と言っていた母が
自分の年齢のことなんか忘れちゃってるし。

犬を飼う苦労も何もかも全部忘れちゃってるし。

ある意味病気だ。
愛犬が亡くなるとすぐに次の犬を飼うっていうのは
ある意味病気であり宗教であります。
わたしの知る限り全員の愛犬家は即、次の犬を飼っています。



しかし!!


もしも犬を飼ったら、
わたしは、一切!!面倒を見ません。



私が今までどんなに苦労してきたかわかってない。
1人でどんなに苦労したかわかってない。

仕事しながらアルバイトしながら父の介護に走りながら
外出しながら食事の支度をしながら
どんなに走り回って時間に追われて
犬の散歩や注射をしたことか。

当たり前のようにわたしにすべてをさせていたこの家族をわたしは許してはいない。

そんな話を2人に話したら、

「 犬が好きじゃないんだな 」 とか今更言ってるし・・

とにかく、もうしわけないけど
次の犬を飼ったら私はまったくお世話はしません。

でも、するだろう思っているでしょうが
今まで早死にした動物がなぜ死んだかも考えてもらって
自分の責任で飼ってください。

新しく犬を飼って、外出や旅行の際に
わたしに世話を頼んだ時に、わたしは拒否しますが
そのとき

「それでも人間か! 見殺しにできる冷たい人間なのか!」
と、私に言い寄る予定なら、
犬は飼わないでください。

私は、もうこれ以上生き物の世話はごめんです


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メリーを乗せていった霊柩車




合同霊園に置かれるいろいろ。
今月中は正面に置かれ、来月は下に下ろされ
お彼岸にすべて処分されるそうです
うちは、お塔婆だけおねがいし、
お参りに行ったときにお水とお花を上げようと思います


こんなのも販売しているんだ。思い出を入れておくカプセル
メリーの毛もとってあるし、
父の髪の毛と
父の骨もあるからな・・・
欲しい。

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メリージョンソン・死ぬ

2011-05-17 02:44:00 | 介護
2011年5月17日火曜日

          

メリー・ジョンソン 
享年14歳10ヶ月
 

略歴  1996年7月4日 埼玉県越谷市で出生。
    動物愛護協会の紹介でみるき~家にもらわれる。

    電車に酔いながら上京。

    「台風であろうと大雪であろうと私が面倒を見ます」と宣言した
    チョコパンでしたがおじいちゃんとおばあちゃんにすっかり
    世話をまかせました。

    おじいちゃんのジェンギンスの認知症16年間を
    メリーは支え続けました。
    何度も何度も散歩に連れ出されました。
    13時間の長い徘徊に付き合って
   歩けなくなったこともありました。
    道に迷ったジェンギンスと
   タクシーで帰宅したこともありました。

    そして、ジェンギンスとその妻はメリーの散歩によって
    夫婦で歩く喜びを味わいました。
    メリーは夫婦の絆でもありました。
    犬はかすがいです。

    2007年8月23日 突然盲目となり入院
           糖尿病による失明でした。

     一日2回のインシュリン接種をして
     メリーは生き続けました。
     みるき~の旅行中は、家族とたいへん親切な方により
     接種が続けられました。
     
     インシュリンの注射をしてくださった親切な方には
     心から感謝しています。

     盲目、難聴と苦労はありましたが、
障害にもめげず外で散歩をし
     元気に毎日を過ごしました。

    2011年3月  急に危篤状態に陥る。 そして回復
  
          時々の危篤状態が3回ほど続き回復していました。
 
    2011年5月16日 朝、庭に何箇所カ吐いてある。
   呼びかけにも答えないいつもの危篤状態。
            
            美味しい餌も食べない。
            いつもなら食べるビーフジャーキーも
            食べない。

            注射器で水を口に入れてあげた。

            午後、流動食という缶詰を買ってきて
            口に入れてあげた、時々意識がないけれど
            時々舐めてのんでくれました。

 回復の兆しがないので、チョコパンと部屋に運び入れる。

 部屋にはジェンギンスが使っていた、おねしょマットを敷き詰めました。
 
生きているメリー・亡くなる12時間前

意識が朦朧としてるのに、メリーはおしっこをしに外へ出て行きました。
私たちが体を支えたり手助けをしました。
廊下を歩くとき、すべってしまって歩けないのです。

そして、夜になるともだえ苦しむことが多くなりました。
苦しむということは、老衰ではないのでしょうか。

かわいそうなくらい苦しがります。
声がでてしまうほど苦しがります。

そこで、母の 「 もうすぐ死ぬ 」とか 「だから生き物はいやだ」
とか、「医者に行けば安楽死させてくれる」とか、横から口を挟むので
私たちはとても嫌でした。

おまけに、苦しむメリーが楽になるようにさすってあげていると
「もう、そっとしておきなさい、いじるのやめなさい」と言ってくるので、
本当に嫌でした。


メリーは、もだえ苦しんで、部屋中を寝ながら動いていました。

そして、呼吸もいつもと違いました。
人間も亡くなるときは呼吸が変わるというので
ここで、死を覚悟しました。

どんなに苦しくても、意識がなくても、起き上がっておしっこに外へいきました。
ジェンギンスと一緒です。
最後まで排尿の意識がありました。

午前3時までつきそって私は布団にはいりましたが、
階下でメリーの吐く声が聞こえてきました。

チョコパンが付き添っているものだと思っていたら
そのときはいなかったそうで、
午前4時半に様子を見に行くと玄関のたたきに吐いてあったそうです。

チョコパンは外に出たいメリーを連れて外でおしっこをさせました。

ぜったいに部屋で粗相をしないメリーが立派です。

午前7時半、みるき~起床。
      階下で母がメリーに話しかけているので生きていると思った。

メリーが苦しんでいると母が言うので様子をみると、
そんなことはない。
メリーが立とうとして、もがいてもがいてもがいているのだ。
たちたくて必死のメリーを、支えてあげた。
立つとメリーは落ち着いた。
でも立てない。

外に行きたいんだと思った。
瀕死だけど、外へ抱っこして連れて行ってあげた。

土にたたせると、腰を落として
おしっこをする姿勢になった。

両手でメリーを抱きかかえて支えた。

しっかりしていたメリーが
急に、

ガクっと首を落とした

私の手の中でガクッと

びっくりして、部屋に戻した。

メリーは息をしていないように見えた・・
死んだのかと思ったけど
首をあげた。
でも息をしていないように見えた。

心臓の音を聞く余裕はわすれてしまった。

ほんとに死んでると思ってみていたら
首を動かした。

いそいで、チョコパンを呼びに行った。

チョコパンが来たときには死んでいたような気がする。

そして、玄関にはメリーの下痢が点点と残っていた。
わたしのズボンもぬれていた。

メリーがもがき苦しんでいたのは
下痢がしたかったんだ。
いったい、いつからおなかが痛かったんだろうか。
かわいそうに。

我慢の挙句
やっと外で排便できて、安心しちゃったんじゃないだろうか。

さいごに、メリーの願いをかなえて外に連れて行ってあげれたことは
後悔がない。

ジェンギンスの時と同じで
なくなったとたん、忙しくなった。

メリー安置
部屋掃除 大量ゴミ廃棄
葬儀屋に連絡。

16時50分 母がデイより帰宅。めりーの死亡を伝える。

17時 深大寺にある霊園より霊柩車到着。
   母は、間に合ったことを喜んでいた。





無料の棺はダンボールだけど、ちゃんとしていた。
家で使っていたバスタオルを敷いて、メリーをわたしと葬儀社のおじさんと2人で入棺し、
庭に咲いていた花を入れて、餌もいれて・・

おじさんはもっと入れて良いといったけど、
少しにした。
きっと、犬好きのご家庭では、大量に花や思い出の品々をいれるんでしょうな。

黒服のおじさんは、ちゃんと司会進行をしてひとつひとつこなした。
棺のふたを閉じて、名前をかきこんで、
そして、おじさんと私とふたりで霊柩車まで運んで車に入れた。

人間とおなじで、何回か合掌した。

車をみおくるとき、母が合掌するので
わたしも真似した。

チョコパンは、遠くから見送っていた。
チョコパンのメリーだからな。

車はみえなくなるまで、すごく遅い速さで遠のいていった。
すごくすごく長い時間見送った。

支払いは22200円と塔婆2000円。
こんど、お参りに行こう。
深大寺だから、気持ちのいい場所だ。

メリーちゃん、15年間ありがとう
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連休が終わって・・

2011-05-10 01:00:00 | 介護
多忙につき、ブログを書く暇もない・・・。

書きたいことはいっぱいあって、
日ごろ頭で考えているんだけど、
あれこれ、あっちこっちウロウロしてるから
ちっとも落ち着かない。

家族も減ったし、ご飯のしたくもロクにしてないし、
仕事も減ったし、楽器の練習もしてないし、
最大の悩みである→国民年金未払いという大きな間違い→の
申し立てもしないといけないのにさ・・

とにかくこの申し立てに当たっては証拠を出すわけで、
何十年もまえの資料は難しいのだ。
支払いをした銀行がなくなってしまったのが問題だ。

5月10日

MRI脳動脈瘤の検査結果日。・・私の。

[この4年間変わらず2~3mmで変化はしていない。
 また1年後にMRI。
 5ミリになると手術。
 瘤は急激におおきくなるのだ]

 偏頭痛の薬を出してもらって。          小さな神社をお参りしてから帰宅。 

ああ、良かった。 場合によっちゃ、入院覚悟の診察です。
駅にできたユニシロで下着を買おうかと思ったけど
1枚500円だったからやめといた。
良い結果でよかった。


5月9日

オランダに行ってしまったマクドウウェルが
車を買うというので20000ユーロを向こうの銀行に振り込んで欲しいと
言ってきた。
ネットって言うのはとても便利で、マクドが私の口座に振り込んで
それで、わたしが、国際送金するのだ。

国際送金は手数料が高い。
新生銀行で4000円。郵便局は2500円。

さて、どっちが得だと思う?
正解は、新生銀行です。

日本円をユーロに変えるときにこっそりと手数料をとられているのです。
それが、新生銀行では1ユーロで0.5円 郵便局は1.5円
つまり、新生銀行なら10000円の手数料に対し、郵便局は3万円です。

手数料もかかるけど、手数もかかったよ。

5月8日

チョコパンとお台場へ。

美味しいイタリアンを食べながらコニシキ夫婦のハワイアンステージを見学。

5月6日7日

自宅作業のアルバイトとお仕事と習い事のため
五反田と家を数回往復。
すごいパワーだと思った。

5月4日


楽器仲間4人でお台場。
イタリアンなレストランで食事をしながら、タヒチアンショーと
ウエルダン・ケカウオハのハワイアンな演奏を聞き、
その後、海岸で楽器練習。             お台場のサンセット


 夜は誕生ケーキを食べる。

5月3日

チョコパン誕生日。

母も一緒にディナーを食べに行く予定が、
雨が降ってきてしまったので
母にはセブンから買ってきたカルビドンを用意して、
私とチョコパンとふたりで焼きニクを食べた。
わたしが、焼肉を店で食べることはめずらしいのだ。
おいしいもんだったなぁ。


誕生日プレゼントは今年もアクセサリー。
今年も高級品だ。
自分では安物しか身につけないけれど
娘には、本物を身につけることを覚えさせている。
これが、親心だ。
でも、ブランド人間にはさせないぞ。


~~~そんなこんなで、あとは英会話に行ったり
ダンスを習いに行ったり、仲間と練習会をしたり、

そして、ダイエットに突入。

いつもは9月から体重を減らすというのに、
新記録続きになったので
まずは年齢まで今月中に減らします。

徹底した貧血ダイエットは叱られてしまいますが
いいのです・・
肉が減ったら、またたべますから・・

あすは、神田神保町で宴会。

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。