骨折しました
とんでもないことに、それは私ですよ。
それも、右手手首と人差し指下あたりの骨折で、
母がショートで留守をするときに限って救急外来だ。
母の居ないうちにあれもこれもと
走り回ったら、階段があと1~2段あるのに歩き出してしまったらしく、
スローモーションの空をもがくみるき~がイルと思ったら、
家中に響き渡る轟音で廊下に堕ちた!
手が痛くても、大事な外出予定があったので
シップを持参して即外出。
痛くて着替えれないから
パジャマのTシャツのまま仲間と激しい踊りの練習をした。
朝転倒し、夕方3時半に解散。
6時になって、異常な痛みに気がつき、
近くの入院施設のある病院に電話したら日曜だけど見てくれるというので
雨の中徒歩で向かう。
最近のレントゲンはフィルムではなかった。
パソコンに画像が贈られてくるので拡大してみることができた。
時代が変わったなぁ。
どうも、専門医じゃないらしく
骨折らしいということで、痛み止めもらって、ギブスして帰宅。
次の月曜にCT 3D画像で2箇所が骨折と診断された。
母がいなくて、幸せだった。
チョコパンもいないから幸せだった。
ずっと、家で寝ていた。
激しく痛かった。
次の朝は痛みがなくなっていたが
右手は動かないのだ
動かすと激痛。
何もできない。
コショーをガリガリすることも、塩のふたを取ることもできない。
両手でするべき動作はなにもできなくなった。
ストッキングもはけない。
パンツも下ろせないから
家では、ノーパン、ノーストッキング、スカートで過ごした。
ラクチントイレです。
そして徐々に右手はゾンビのように紫にパンパンに腫れ上がり中。
血管もしわもスジもすべて消えました。何もつけていないのに
つやつや。
骨折の次の日も楽器演奏の大事な用事があったので
ギブスをはずして外出。
そして、楽器演奏して、ビールも1杯くらい飲んだ。
深夜に帰宅して、そして朝を迎えたのが今日。
頭痛くてだるくて起きれず
夕べから12時間寝たきりの幸せなだるい時間を送った。
なんと。
チョコパンに中華丼をつくってもらって口に入れてもらって
食事をした。
お茶も私が口をあけて流しいれてもらった。
人に口に食べ物を入れてもらって食事をするなんて
初めての経験だ。
すっかり介護された。
おかげさまで食事をしたら
寒くて寒くて仕方がなかったのに
暑くなった。
薬もチョコパンにバッグから取ってもらって
痛み止めを飲み、
元気になってきたところで、
母が帰宅する4時半までにしなければならない
ことをチョコパンに口走った。
食器洗いや、母の布団のシーツはがしと洗濯をしてもらった。
わたしが階下に寝ていた布団も2階に上げてもらった。
夕飯の買い物もしてもらった。
しかし、家事がありすぎて
残りは私が重い体を起こして頑張った。
母の掛け布団1枚と電気毛布を取り除く。
新しいシーツと綿毛布シーツをセットし
枕にバスタオルをまいて、薄い掛け布団を厚い掛け布団の上にセット。
・・・とにかく寒がりでどうしょうもない。
片手でのベッドメイキングはたいへんだ。
ポットにお湯を3日ぶりに沸かして
お茶の用意。
テーブルもも元の位置にセットし
帰りを待つ。
そして、先ほど帰宅。
帰宅の第一声は、
「動物愛護協会に登録してないの?」
犬がいると思って帰宅したらしい。
まず、庭を見たらしい・・・
メリーがいなくてさびしいんだね。
1人で暮らせない人の典型だ。
そして、私は骨折した手を
トレーナーで隠しています
隠し続けて2時間がたちました。
母の𠮟り声っていうか
バカにした口調で私の事故を非難する言葉は
聞きたくないのです。
それも、なんかいも なんかいも なんかいも
あ~~下で母がチョコパンに言ってる
「ママは?」
とんでもないことに、それは私ですよ。
それも、右手手首と人差し指下あたりの骨折で、
母がショートで留守をするときに限って救急外来だ。
母の居ないうちにあれもこれもと
走り回ったら、階段があと1~2段あるのに歩き出してしまったらしく、
スローモーションの空をもがくみるき~がイルと思ったら、
家中に響き渡る轟音で廊下に堕ちた!
手が痛くても、大事な外出予定があったので
シップを持参して即外出。
痛くて着替えれないから
パジャマのTシャツのまま仲間と激しい踊りの練習をした。
朝転倒し、夕方3時半に解散。
6時になって、異常な痛みに気がつき、
近くの入院施設のある病院に電話したら日曜だけど見てくれるというので
雨の中徒歩で向かう。
最近のレントゲンはフィルムではなかった。
パソコンに画像が贈られてくるので拡大してみることができた。
時代が変わったなぁ。
どうも、専門医じゃないらしく
骨折らしいということで、痛み止めもらって、ギブスして帰宅。
次の月曜にCT 3D画像で2箇所が骨折と診断された。
母がいなくて、幸せだった。
チョコパンもいないから幸せだった。
ずっと、家で寝ていた。
激しく痛かった。
次の朝は痛みがなくなっていたが
右手は動かないのだ
動かすと激痛。
何もできない。
コショーをガリガリすることも、塩のふたを取ることもできない。
両手でするべき動作はなにもできなくなった。
ストッキングもはけない。
パンツも下ろせないから
家では、ノーパン、ノーストッキング、スカートで過ごした。
ラクチントイレです。
そして徐々に右手はゾンビのように紫にパンパンに腫れ上がり中。
血管もしわもスジもすべて消えました。何もつけていないのに
つやつや。
骨折の次の日も楽器演奏の大事な用事があったので
ギブスをはずして外出。
そして、楽器演奏して、ビールも1杯くらい飲んだ。
深夜に帰宅して、そして朝を迎えたのが今日。
頭痛くてだるくて起きれず
夕べから12時間寝たきりの幸せなだるい時間を送った。
なんと。
チョコパンに中華丼をつくってもらって口に入れてもらって
食事をした。
お茶も私が口をあけて流しいれてもらった。
人に口に食べ物を入れてもらって食事をするなんて
初めての経験だ。
すっかり介護された。
おかげさまで食事をしたら
寒くて寒くて仕方がなかったのに
暑くなった。
薬もチョコパンにバッグから取ってもらって
痛み止めを飲み、
元気になってきたところで、
母が帰宅する4時半までにしなければならない
ことをチョコパンに口走った。
食器洗いや、母の布団のシーツはがしと洗濯をしてもらった。
わたしが階下に寝ていた布団も2階に上げてもらった。
夕飯の買い物もしてもらった。
しかし、家事がありすぎて
残りは私が重い体を起こして頑張った。
母の掛け布団1枚と電気毛布を取り除く。
新しいシーツと綿毛布シーツをセットし
枕にバスタオルをまいて、薄い掛け布団を厚い掛け布団の上にセット。
・・・とにかく寒がりでどうしょうもない。
片手でのベッドメイキングはたいへんだ。
ポットにお湯を3日ぶりに沸かして
お茶の用意。
テーブルもも元の位置にセットし
帰りを待つ。
そして、先ほど帰宅。
帰宅の第一声は、
「動物愛護協会に登録してないの?」
犬がいると思って帰宅したらしい。
まず、庭を見たらしい・・・
メリーがいなくてさびしいんだね。
1人で暮らせない人の典型だ。
そして、私は骨折した手を
トレーナーで隠しています
隠し続けて2時間がたちました。
母の𠮟り声っていうか
バカにした口調で私の事故を非難する言葉は
聞きたくないのです。
それも、なんかいも なんかいも なんかいも
あ~~下で母がチョコパンに言ってる
「ママは?」