アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

介護の話し合い

2006-03-30 21:44:26 | 介護


わたしが今朝寝たのは5時過ぎです。

介護について、朝まで家族と話していました。



昨日木曜は私が午後から夜まで出掛けていたのですが、その間

家族のマクドウウェル博士が一人でジェンギンスとスーザンをみることになったのです。



それが、思いがけず大変だったらしく

『 もう ムリでしょ。』って言うのです。

『スーザンは父のジェンギンス以上に体が動かないし、痴呆老人にしてはいけない事ばかりして、もう思考能力がおかしくなっている。

いくら面倒を見たいと言ても、絶対ムリだし

ここまで、家に置いておくのは家族がどうかしてるって

言われるくらい、ひどい状況だった。』



わたしは、ずっと両親をみているので

徐々に進行してきた痴呆が麻痺してしまっているけれど、冷静に両親をみてみると、かなりの無理があるらしい。



ジェンギンスはショートステイに今日の金曜から行く事になっていた。

母のスーザンは、

『 行かせなくていいわ 』 と言い出した。

夜中に寝てくれなくてかなり辛い介護だというのに

そんな事を言い出したからビックリした。

たしかに、咳がでるのでこれが肺炎にでもなったら大変だし、この間の肋骨事件で弱気になっている。



『 わたしは もう慣れたから、お父さんはショートステイに行かないで、家にいればいい。

もう、慣れてるわよ。』と母が言う。



『 私は日曜に出かけるから、行って貰わなきゃ困るよ』 私



『 出掛けて大丈夫よ。おとうさんはいい子で家にいるわよ 』



・・・・それで、その日にちょっと、中野まで出かけたんだけど

その間、父が何処かへ帰ると言って外へ出てしまったが、足が痛くて歩けず、支えると振り払い、

玄関に入れても家に入らず、



マクドウウェルが『 玄関に座らせておけばいい』と

母をなだめても、母はどうしても家に入れようと

せかせるし、口うるさく言って余計父の症状を悪くさせる。

おまけに、わたしが居ないと言うので

受話器をもって、

『 ここに電話すればいいんだな』ともう手が震える勢いだったらしい。

マクドウウェルが止めてくれたみたいだけれど



とにかく、母は介護が無理になっている。

穏やかに介護が出来ない。

でも、

父をよそに預けるのは嫌で一緒にいたいのだ。

おとなしい父と一緒にいたいのだ。

おとなしければ平和なのに

おとなしくないから、怒るのだ。



2人を同時に施設へ預けるべきだと話した。



でも、母は介護認定が要支援で

施設に入所出来るような段階じゃないと

話したらマクドが呆れた。



『 その認定してるの誰だ?

 じっさい、スーザンは食事が作れない段階で

 介護はもう必要だし、介護が無かったら

 死ぬしかない人にたいして、

 介護認定が降りないのはおかしい。

 布団もたためないし、家の中を歩くのもふらふらだし

 食事だってアレだけ噛めなくて

 飲むことが出来なくてひどい咳き込みは、爺さんどころじゃない 』



と、短時間ですごい観察してくれました。

連日、玄関に座って家に入ってくれません。

靴をいじって怒っています。

そんな時、メリーが助けてくれました。

コメント

咳が出ています

2006-03-28 16:29:39 | 介護
26日の晩に3時間半大声で歌い続けて

夜中に眠らなかったジェンギンスですが

きのうの27日は、昼過ぎまで寝ていました。

私も母も忙しかったので、起こさないで寝かせておきました。



昨夜はたいそう眠らない事だろうと思ったら

よる8時に自分からすすんで寝てしまいました。



8時に寝たときは、具合が悪そうにうなっていました。

父は具合が悪いとうなるのです。



夜中に寝汗を相当かいて着替えをしたそうです。

母一人で大変でした。

わたしは、どうせ午前4時まで起きていたので

呼んでくれていいのですが、わたしが寝てるか起きてるか、母は知らないし、いつも気を使って声をかけないのでかわいそうになります。



寝汗のあとは、息づかいもよくなってぐっすり寝たようです。

あさも、ちゃんとおきてきてパンを美味しそうに食べていました。 ご機嫌も良いです。



でも、せきが出ます。

歌いすぎかもしれません。

痰は全く絡んでいません。

痰を切る強力な薬を私は飲ませています。

あと、1回分だけこの薬が残っています。

外国の薬がわたしは好きです。

抗生物質の入った風邪薬とか

日本で認めていない薬とか好きです。

効く様な気がします。



ジェンギンスは元気がいいので

クシャミや咳が強くて困ります。

大きなくしゃみをされると、仕事をしていて

恥ずかしくてたまりません。



この咳が悪化しない事を祈ります。



今月末はショートステイが待っています。

どうか、元気で行ってくれますように、、、、



先日歌い続けて、もう施設に行ってくれないと

困ると思いました。

老健に2-3週間のステイをお願いしようと思っていた矢先に咳が出始めるし。

咳が悪化すれば、間もなく亡くなるだろうし。

亡くなる位なら家にいて欲しいし。



どちちにしろ、元気が一番なのです。

呆けても、元気でないと可愛そうです。

ボケはかわいそうじゃないけれど

病気は苦しいのでかわいそうです。



世の中にはボケで介護ばかりではありません。

病気の介護はもっと苦しいものがあると思います。

本人が辛そうにしている姿は気の毒です。



========



最近はみかんの季節で

わたしはこの時期が恐怖です。

両親がむしゃむしゃとみかんを良く食べるのです。

そして、口から皮をだしてゴミ箱に出します。

ゴミ箱が汚くて、わたしは、その処理がすごく嫌いです。

ジェンギンスは、呆けているのでふすまを開けて

口から出したみかんの皮を投げ捨てます。

『 そこは、部屋だから!!』と言ったって

廊下や隣の部屋に投げてしまいます。



歩いていると冷たい物を踏むし。

もう、みかんの季節が早く終わって欲しいと

毎年思います。



間もなくコバエの季節で激イやです。



きょう、ジェンギンスが何度も障子をあけてみかんを捨てるので

いつも平穏なマクドウウェルが言いました

『 なんか、腹立ってきちゃった~』

24時間一緒でいつも怒っている母の気持ちが

すこし分かったみたいです。



最近ビデオをでジェンギンスの様子を見ていますが、これを販売したらヒットするような作品です。

どうして15年もの長い間アルツハイマーを維持してこれたかを実証できるすばらしいドキュメンタリー作品です。



今はもう遅いけれど

ジェンギンスの15年を追い続けていたら

すごく良い番組ができただろうと思います。

だれも、認知症初期の人が何年生き続けて

どう進行するのかは未知ですから・・

ジェンギンスのドキュメントが欲しかったな~~




コメント

考えなおしてみたもの・・

2006-03-28 16:28:36 | 介護
悪夢の日曜日がまだ終わらず今は午前1時半。



ジェンギンスはまだ寝ません。

夕飯のときは何度もお辞儀をして

丁重なお方だった。

何かを悲しんだり、わからないことがいっぱいあると言って嘆いていました。

体中が痛いといって気の毒でした。

肋骨の怪我は予定外のことだったので

痛みを記憶できない認知症患者にとってつらい物があります。。



そして、さっきの夜9時から12時半間まで

大声で歌い続けました。

大声で!大声で!

ふざけているとかそんなんじゃなくて

5秒以上休むことなく

3時間半歌い続けました。

ベッドに入れてからも1時間半歌っています。



そのまえには、

トイレに行きたいのにどうしたらいいのかわからず、

「トイレに行こう」と誘っても

「いや、どこへも行かないよ」 と言って通じません。

とうとう、トイレまで歩いていきましたが

便器にしないでトイレ前の廊下で放尿しました。



1時間後にはポートブルトイレで位置も定まらず

放尿しました。



そして、いま、午前1時に

玄関のたたきでジャージャー放尿です。

わたしは、洗剤ながしてブラシでごしごし掃除しました。夜中の1時半に掃除しました。



放尿介助は母の仕事でしたが

今日から私になったみたいです。

母は、もう具合悪くて先に寝てるんですが

寝れません。



今、ジェンギンスは

ベッドに座っています。体育すわりしています。

寝かせようとして、

「 足を引っ張るよ~」 と両足を引っ張ったら

殴られそうになりました。



チョコパンは、歌を止めようとして

フルーツゼリーを食べさせたら

唾を吐くようにチョコパンに向かって

吐き出されショック受けました。



隣の部屋で

いったいこの頭のおかしくなった人をどう処理したらいいものか、私と、チョコパンと、マクドウウェル博士で話し合いましたが、止められません。



最悪の状態だと話しました。



注射しかないと思いました。



酒を飲ませたらどうだろうかとも話しました。



こんなに、隣の布団で大声で歌われたら

殺したくなると話しました。

母なら、やりかねないと真剣に話しました。

それならそれでいいとチョコパンが言いました。

3人でうなずきました。



とにかく、ひどいのです。



おかしいとき、バップフォー飲ませました。

おかしいとき、咳止めシロップ飲ませました。

そのまえに、なにを呑んだんだろうか。。。

異常な興奮だ。



わたしは、自分の仕事とたくさんたまった事務処理がぜんぜんできません。

家を汚されるのも嫌だし、仕事の邪魔をされるのが一番困ります。



今日、チョコパンがおじいちゃんにプレゼントを買ってきたのに台無しです。



今、午前2時半。

すったもんだしました。

ジェンはたたみに座り込んでしまいました。

もう、立てません。

クッションを食べていいかというので

お腹が空いていることが判明し、

スティックパン2本とシロパン1つを

むしゃむしゃむしゃむしゃ、すごい勢いで

食べました。

人肌牛乳50CC飲みました。



マクドウウェルと協力して立たせました。

やっと、横になってくれました。

バイバイって言ったら

バイバイって答えてくれました。



もう歌っていません。

喋ってもいません。



寝てくれないと

母が死んでしまいます。

さっき、母は殴られました。



ここまで生きてくれればもう家族に後悔はありません。

こんな形で家族に恥をさらす生き方は

父もしたくなかっただろう。



でも、そこまで見せてくれたから

わたしたち家族に後悔はありません。



喘鳴が大きく聞こえました。

肺炎が起きたら、3週間の命です。





コメント

私は考え直した

2006-03-26 16:26:56 | 介護
今日は日曜日。



何の用事もないので今日も両親の介護に努める覚悟だった。



起きてすぐに受信トレイを開いたら

友達から今日のハワイアンのコンサートに誘われた。



よく考えて、あと数時間のうちに昼食、夕食、犬、鳥、金魚、花、掃除・・をして出かけられると判断し、活き活きしながら喜んでOKの返事を書いた。



階下に下りていったら、

母がげっそりしている。

父はその隣で座ってる。

私が用意した朝食も無視されてる。



夜間頻尿が激しく、

布団にまでしてしまったらしい。

昨夜はほとんど眠れなかったと言う。



いま、出かけるなんていったら

ヒステリー起こされるから

諦めた。 今日のコンサートは諦めた。

つまんなさが襲ってきた。



老人背負い込んで、自分の趣味も習い事も

全然出来ない。

自分の残された青春時代を犠牲にして

ここまで自分ひとりが面倒見なきゃならないのかと

悔しく思った。

両親の濡れた布団やポータブルトイレの始末をしながら、父のやたら笑う声をきいて

人生が嘆かわしかった。



ともだちから、断りメールの返事が来た。

友達は、もうご両親や義理両親の面倒を一生懸命看取った人で、介護の大変さをすごく分かってくれる人だ。



一生懸命看たつもりでも、後悔がいっぱいある、もっと優しくしてあげればよかったと思っている・・と書いてあった。



そんな一言で、わたしは立ち直った。



コンサートにはいけなくていいと思った。

自分の楽しみは後でいいやと思った。



後悔しない介護をしたいと思った。

弱ってる母に父を任せて自分が遊びに行くなんて

しなくていいと思った。



きょうは、これから

おいしいお蕎麦のお昼を作って

布団下に敷く防水シートを買いに行って

昨日と同じように父を散歩に連れ出して・・・

介護の合間に自分の仕事のCD製作40枚。



いつもと同じ一日が始まります。

父のためだったのが、、いつの間にか

母の介護も加わり

お世話になった両親に

快適な老後を送ってもらいます。



私がここで数年お世話したところで

おかえしできないくらい

私は、両親に大事に育てられました。

大事に育てられすぎて、世間知らずで

世間に出してもらえませんでした。



ふっとい手綱がわたしにくっついているんですよ。




コメント

チョコパンとデイサービスへ

2006-03-24 16:25:53 | 介護
金曜は孫のチョコパンがデイサービスへ一緒に付き添いました。



こういってました

『スタッフの次にまともなのはおじいちゃんだった、

おばあちゃんよりもおじいちゃんの方がまともだった』



お風呂も入れていただき、感謝です。

介護のスタッフの皆様を私は尊敬します。

誰よりも立派なお仕事をされていると思います。





父の肋骨の怪我は誰のせいでもありません

風のせいです。



ふらつきもなくなり、

ベッドでの寝方はわからないけれど

わたしがつきそって寝かせています。



母は、父がよそで肋骨負傷した頃自宅でベッドからおちましたから

痛くて不自由です。

夫婦それぞれがそれぞれの場所で同時にふらついていたわけです。 さすがですね。

父より母のほうが痛いみたいです。

散々でした。

コメント

アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。