アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

病院へ挨拶まわり

2008-02-29 17:33:12 | 介護

思いつく事からどんどんこなしていかないと
する事がありすぎてもう、たいへんです。

今日は、ジェンギンスの癌保険と簡易保険請求で
医師の診断書を書いてもらうために
1年4ヶ月入院していた、病院へ行きました。



楽しい思い出のお庭です。
暖かい日差しでした。
バラの花が咲いていませんでした。


事務所に行くだけだとおもったけれど
お世話になった看護婦さんに挨拶するべきだと思って
乗換駅のホームで文明堂のカステラまんじゅう20個入りを
ふた箱買いました。

病院のある駅に着いたところで、
医師へのお礼に気が付きました。
書類を書いてもらうんだし・・・

駅のまわりには気の利いた贈答の店もありませんから
文具店でのし紙を買って現金をいれて
京王系のストアで京王プラザホテルバームクーヘンを買って
持参しました
気が付くのが遅い私でした。



礼拝堂


先ず事務所に行って、1月分の入院費9万5000円くらいと
2月の退院までの45000円くらいを支払いました。

この病院で亡くなると、あたらしい浴衣を着せてくれると聞いていましたが
ジェンギンスは、ジェンギンスの着物を着せて退院しました。
もしも浴衣をきたら、浴衣の代金が請求されていたのでしょうか?

病院内で世話をしてくれた病院が雇った葬儀屋の代金は
どうなっているんでしょうか?
あとから請求が来るのでしょうか?
死亡書類の文書費は要らないのでしょうか?

支払いを終えて、医事科に診断書類を提出し、3階の
認知病棟へいきました。
ここはジェンギンスが1年2ヶ月入所していた施設です

いくまでに3人の看護婦さんや介護士に会ったので
挨拶して、
認知病棟の中に久しぶりに入りました。
まわりにいたメンバーはぜんぜん知らない人でした。
昼食後で、いろいろすることがありそうです。
認知病棟は、活気があって良いなと思いました。
活気がないと思っていた病棟でしたが、
元気で生きているってすばらしいことです。

私は顔見知りの人たちを捜すほどの余裕もなく
忙しそうな婦長さんにお礼を述べました。

「よく見てお上げになったから・・」
と言われた途端、私は思っても居なかった泣きが
やってきてしまいました。

まいった、考えても居ませんでした。
労いのことばは、禁物です。

言葉に詰まりながら、うまく声が出ずに
お礼を言って、菓子折を置いて病棟を
でました。

1階で一旦ソファに座り、鼻をかんで
気を取り直し、すぐに2階の
治療病棟へいきました。

やさしい婦長さんが居て、
笑顔で迎えてくれました。
きつい看護婦のことを謝られました。

わたしは、ジェンギンスが亡くなる前の日に
近所の病院の院長から直々に
医療に対するお言葉をいただいて解脱していたので
もう、看護婦や治療法に不信は消えていました。

消えたところで死を迎え
この巡り会いはどういう事かと考えますが、わたしの
心はきれいなまま死を受入れました。

それで、婦長さんは
やたら私の顔を見ていました。
目とか鼻が赤かったかも知れません。

この治療病棟には、2ヶ月お世話になりましたが
深い思い出もないので泣きはでません。
やっぱり、ジェンギンスの笑顔に満ちた思い出が
有るところは、悲しいです。

先生にも渡したい物があるから
預けようとしたら、
デイルームで待っているようにいわれたので
また、先生と会うことになった。

待っている間考えたけど
いまさら質問もないし・・・

先生には菓子折入り袋を手渡して
挨拶してお別れした。

病室に行って
SSさんを見舞った。
1月は肺炎で呼吸もあらく熱も出ていたけど
すっかり落着いている。
でも、肺ガンが大きくなっているらしい。
点滴で栄養を摂っているから
痩せていないし、元気そうに見える。

ジェンギンスがSSさんを連れていかないように
良く、言い聞かせるからとSSさんの家族に
メールしておいた。

良い設備の病院だった。
長く滞在する場所は設備が良いところに限る。

せまかったり、きたなかったり
くさかったり、ちらかっていたり
そんな設備は駄目だ。

施設選びのポイントは
部屋の広さと
ベッドの良さと
寝具の良さ
・・・そこも重要だ。

思い出深い病院を後にした。

駅のそばのスーパーでポイントを全部使った
1年で2000円も貯まっていた。







いつもここで鯉と亀をみながらおやつを食べました。


夏はこのベンチでおやつを食べました。



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49日までに揃える

2008-02-28 12:08:04 | 介護

ジェンギンスが亡くなると分かって、徐々に準備はしていたものの、
お墓と仏壇関係いっさいの準備をしてなくて、
お寺さんの土地を母が30年近く前に準備していてくれたこと
は尊敬します。

この一週間は、ネットでひたすら検索です。

墓石については、お墓に石屋さんが入っているので
その方に注文しました。
葬儀の次の日にもう、墓石の種類とデザインと字と模様と決定して終わり。


仏壇・・・木をカーリーメイプルに決定して
     全国の仏具屋さんに問い合わせる。
     定価の60%引きにしてもらう予定

仏像・・・柘植八角台座飛天光背のデザインに決定し
     全国の仏像やさんに写真を送ってもらう
     彫刻が凝っていて、顔の良いものを選ぶ

位牌・・・蒔絵の入ったデザインに決定し
     蒔絵を扱う店を検索
     字入れ料金と送料を確認

仏具・・・それぞれの仏具屋さんのサイトで研究


ノートいっぱいに研究してます。
一件の仏具屋さんで一切を任せず、
それぞれ良いものを良い店から買うのです。

ジェンギンスの施設選びの時も
東京都すべての老健と病院に問い合わせて
後悔のない施設選びをしたけれど
この、全部調べないと気が済まない性格は
治せません。

調べれば調べるほど
信用ならないことも出てくるし

楽しい!!

旅行の計画も好きだけど
良いものを見つけるって楽しい!

私の頭の中は
素敵な仏壇に素敵な仏具を入れて
毎日ジェンギンスに素敵なお線香を立ててあげる
家族のすがたでいっぱいです。

クリスタルの蓮の花に乗っている
お釈迦様の仏像は
本当は、すっごくこれにしたいんだけど
人の目をきにして・・年寄りってことだな・・・
諦めた。

ジェンギンスの位牌と
母の位牌は色違いのお揃いで

わたしは、ドルフィン模様の蒔絵が入っている
画期的な位牌に決めた。
できることならハイビスカス模様の位牌がいいなぁ

ハイビスカスの位牌をさがして
余生を送ろうと思います。
今回ジェンギンスが注文する位牌を作っている
工房にお願いしてみようという根性まで有ります。


ジェンギンスが亡くなって今日で2週間。

あとからドット来るという悲しみは
まだ来ません。

知らない他人の告別式でさえ
悲しいのに
なぜ、ジェンギンスの告別式は悲しくなかったのでしょうか。

お寿司の注文とか
オードブルが足りるかとか
お坊さんはなぜ指に包帯をしているのかとか
お経の時お坊さんは右手で何をしているのかとか
りんの音の出し方とか
そんなことを考えていたから
葬式の意識が無かった。

あと、ジェンギンスのメイクが
マイケルジャクソンの蝋人形そのままだったからな。

かつてそっくりだったジェンキンスさんの面影は
まったくなくて、
マイケルジャクソンに変身して
旅立った。

マイケルジャクソンが粋な着物姿で
下駄を履いて
甘い物とロイヤルミルクティを持って、
歩いているのだ。


いま、思い出したけど
棺のジェンギンスとお別れの時
チョコパンが
いつも一緒にいてくれたチャモロ君の帽子を
ジェンギンスにかぶせたんだ。

だけど、ちっちゃい赤ちゃん帽子をかぶせられた
ジェンギンスは滑稽すぎて
却下された。

最後まで楽しい家族だった。
     
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猛烈にいそがしくて!!

2008-02-26 03:10:48 | 介護



病院へ行かなくなって、わたしもチョコパンも
失業中だ。

しかし、もう自分のことができないほど
する事があって、でも
投げ出すこともできない。

ジェンギンスのことが無くてもする事が沢山あるのに

ひどい。

○ 墓地、墓石、返礼品の勧誘電話が殺到し電話はならないように設定した

○ 墓石を作る デザインを考える 文字を考える

○ あちこちの請求書の支払いにおわれる

○ 仏壇を買う・・定価と売値の関係を知ってしまった。

○ 位牌の木を決める・・迷う

○ 仏像を買う・・顔立ちと彫刻を研究したら、もう安いのが買えなくなった。
         この3日で彫刻の目が肥えてしまった。

○ クリスタル台座の仏像が気に入ってしまってもう、虜です。
 
 常識が身に付いていない私は
 墓も仏壇も仏像も位牌も普通じゃない物を選んでいます。
 葬儀も普通じゃなかった。

 マイペースです。

ジェンギンスの為の買い物は楽しい。

看病も嫌じゃなかった。
葬儀準備も嫌じゃなかった。
墓準備も楽しい。
仏壇準備も楽しい。

あとは

確定申告5通。
3月20日に仕事で大きな催し物をするので
その準備だ。
体重は6㎏落とした。
あと4㎏落とさないと見かけが変わらない。

3月いっぱいで私は暇になります。
そしたら、ガクって来るのでしょうか?

今はぜんぜん悲しくありません。

たぶん、これからも泣きません。

心の底から、後悔のない介護ができた。
生きていて欲しかったけれど
痰吸引の苦しみはかわいそうだった。

これで良かったんだと思っています。

病院に内緒で、ゼリーやプリンを食べさせたことは
本当に良かった。
これをしていなかったら、激しい後悔だった。

亡くなる2日前まで、美味しいって食べていたんだ。

わたしは、まだジェンギンスが死んだ気がしません。

昨日の日曜は、病院に行くかわりに
仏壇を見に上野まで行っていました。
夜遅く帰宅しました。
自由な夜が戻りつつあるんだ・・・

人生ってはかない。
だから、幸せに生きようと思う。

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ジェンギンス告別式

2008-02-22 03:57:18 | 介護
2008年2月22日金曜 お別れ



8:40 早朝から母の着付けをして、みんなであわただしくタクシーで出発

9:00 斎場到着、焼香、弔電と棺に入れる物を飾る


羽織、下駄、名前と住所と電話を書いた財布に1000円札を入れる。
ティッテュ、思い出の写真、世界一美味しいと言っていたミルクティ
どら焼き、大福、里見まんじゅう、カステラ。


素敵な着物を着て、羽織を羽織って、下駄を履いて、お金の入った財布を持って、
おやつと飲み物を持って、思い出の写真をたくさんもって、ティッシュで口を拭いて
。。。不自由のない旅になるよう、過保護に用意しました。

9:30 従兄弟達集合してくる。
     式が始まる前に、焼香して顔を見る。
     ジェンギンスの姿を沢山見て慣れておかないと
     後で、悲しみが襲ってくるから。

9:40 副住職到着、挨拶の後、着替えで退席。
     昨日の住職さまのご長男が今日はお経をあげて
     下さいます。
     素敵な副住職様だと評判でした。


10:00 葬儀、告別式、初七日法要開始。
      総勢14名、予定通り。
 
      葬儀焼香に引き続き、初七日法要の焼香をする。
      45分間の読経でした。

10:50 弔電披露 姉が働いている中央区の偉い方からと
      親戚から届いた。
    
      棺に旅支度セットをみんなで入れる。
      寺から用意されたお札も胸に入れる。
      たくさんの写真は従兄弟達がよーく見ていた。
      ジェンギンスと母の結婚式の写真も
      みんな興味深そうだった。

      昨日も今日も、焼香台には
      ジェンギンスの写真をいっぱい
      置いておいた。

      チョコパンはお手紙を入れていた。

      お花入れ・・・白い菊を顔のまわりに敷き詰め、
             白い花で全身を埋め尽くした後、
             生花祭壇の色物の花がジェンギンスを
             埋めていく。
      
       芸能界で働いている従兄弟が花を入れていないと思ったら
       蘭の花やバラの花になったとき、
       棺の中をきれいにデザインして
       花で装飾していた。

       かつて見たこともない、
       綺麗な色のお花が山盛りの棺となった。
       本当に、綺麗だった。

       親戚の中で一番綺麗な従兄弟が
       「 がんばったね、よく頑張ったね 」と何度も
       ジェンギンスに話しかけていた。

       知らない人の時でも、悲しくなる私なのに
       ぜんぜん悲しくならなかった。
       総合的にみて、わたしは何も考えて居なかった。
       ジェンギンスが死んだことは、
       考えないように催眠術に
       かけていたみたいだ。

       全員で蓋を閉めた。

        ここで代表者が挨拶。
        ついさっき、私の姉にしてもらう事になったのに
        姉ったら、超立派にジェンギンスの話しをした。

      「 父は、自分の気持ちを言うような人では
        なかったのに
        母に、感謝の気持ちを述べて、
        最後は優しい人になっていました」
       とかいろいろ・・

      わたしは、それを聞き遺影を持ってぼーーっと
      立っていました

       5人の男たちが棺を外まで運んだ。
       従兄弟が来てくれなかったら、
       男手が足りなかったところです。

11:00   70メートルほど、歩いて火葬の建物へ。
       あえて、霊柩車はつかわかなったけれど
       ここで、霊柩車を使わないと、近所のひとは
       ケチ!だと言って噂します。
       この数十メートルに拾数万円支払って
       近所のメンツを保つ、この地域の嫌な所です。

       さっきが最後のお別れでしたが、
       火葬のスタッフが、
       最後にお別れをしますか?と言ったので
       するようにして、また顔を見ました。

       今回の式では、わたしはジェンギンスを遠くで
       見守りました。
       わたしは十分にジェンギンスと一緒だったから
       いいのです、久しぶりのみんなが
       ジェンギンスに会ってくれればいいのです。

       火葬のスタッフが
       「お心付けをありがとうございました」
       と、見せてきました。
       家ではだれも上げていません。
       心付けは、
       葬儀費用に含まれていると聞いていましたから
       葬儀社がやってくれたのですね。
       感心しました。

11:20  ジェンギンス火葬。
       平成20年2月22日12時20分が火葬時間です

       持ち込み禁止のため、
       斎場で用意されたお菓子と飲み物で待つ。
       高級なお菓子が用意されていた。

       私と母と姉と副住職さまの4人で
       同じテーブルにすわり何かと話す。

       3月29日土曜に49日法要をすることに決めた。
       墓石も注文。


12:00  どういう訳か副住職さま、お帰りなる。
       用意した5000円のお弁当とお車代20000円を
       お渡しして、姉と私ででお見送り

12:22  時間になり炉の中からジェンギンスが出てきた。
      
       棺は跡形もなく、骨だけが露骨に有る。
       炉の中は火がまだ燃えている。
        ほうきで掃くように骨を集めて広げてくれた。

       磁石で棺の釘を取り去って、
       簡単に骨の説明をして

       のど仏は素手で手のひらに載せていた。
       素手で触るのは偉いと従兄弟が言った。

       2人ずつで骨を拾った。
       14人だから偶数なのに、
       最後の一人はスタッフと拾っていたらしい。


       ジェンギンスの骨は茶色く色が付いている。
       所々お花のピンク色でもあった。

       茶色いのは、病気なのか紅茶の色なのか
       不明だ。
       骨がスカスカしてるのも、骨粗鬆なのか
       焼いたためなのか不明だ。
       骨の中身がコンクリート色のものがあったが
       正体は不明だ。
       ピンポン球のようにまるまるした骨はどこのか
       不明です。
 
       収骨が終わり、残った釘に骨が少し付いていたので
       その釘をもらいました。
       あちあちでした。

12:40  精進落とし。
       注文しておいたお弁当です。

       献杯の挨拶はここでも話し上手の
       姉です。
       しっかりした綺麗な従兄弟のお姉さんが
        「献杯!!」って声を出してくれたのが
         ちょっと嬉しかった。

       長野の一番仲良しの従兄弟をこちらのテーブル
       に呼んで懐かしい話しをいっぱいして
       いい時間を過ごしました。

       ちょっと冷たかったけれど美味しいお弁当だった。
       茶碗蒸しとお吸い物も付いた。
       薄皮まんじゅうも付いたけど、私は食べません。


 


       ジェンギンスには、大好きだった三ツ矢サイダー
       をコップになみなみ注いであげました。
       お昼御飯はてんこ盛りです。



       わいわい騒いで、悲しむ人もなく
      無事に告別式の儀を終えました。

家に帰り、葬儀屋さんが49日まで飾るひな壇見たいのを組み立てて
セットしてくれました。

ジェンギンスが骨になって帰ってきました。

みんなでおやつをいただき、全員ぐったりして夜を迎えました。

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ジェンギンス通夜

2008-02-21 01:35:01 | 介護
2008年2月21日木曜 お通夜でした



16時45分 タクシーで斎場へ到着。
       生花の祭壇がとても綺麗。
       お花屋さんと供花を確認。
 
       棺の窓をあけて、ジェンギンスと会う。
       ジェンギンスが両目から涙を流して泣いていた。
       目がくぼんでいるから、くぼみに涙が流れてる。

       髭が伸びてるって、チョコパンが言った。
       鼻の上のこめかみあたりにある大きな怪我は
       治っていない。
       だれがジェンギンスの顔を傷付けたんだろうか?



17時15分  ジェンギンスの妹のところの従兄弟が
        石川県から二人到着。
        だれも来ないと思っていたのでびっくり。

        母方の親戚代表の従兄弟一人も
        寒川から到着。

        近所の従兄弟たち3人と従兄弟の
        息子夫婦も宇都宮から来てくれた。

        今日の通夜は11人だけかと思っていたから
        合計17名にもなって、
        賑やかになった。
 
        ジェンギンスが可愛がった甥や姪だから
        さぞ、お喜びだと思う。

        2階控え室でお茶を飲む。
        お清めのお料理をあと6人前くらい追加

17時40分  導師様控え室に到着。
        戒名についてお話をうかがう。

        いいお名前をいただいたらしい。
        母の実家のきちんとした従兄弟が、
        導師様にいいお名前をつけて頂いたことに
        お礼を述べてくれた。

17時55分   臨済宗 導師様 着席

18時      通夜開始

         読経 → ご詠歌 → 導師さまのお言葉

住職様から会場の私達にむかって、10分ほどお話があった。
たんなるセレモニーとして終わらせたくないという、暖かいお話だった。
何回かお電話でお話をしたことがあったけれど
心が洗われるほど、綺麗なお話をしてくださる方だ。

お経も、ご詠歌を長い時間歌ってくださって荘厳でした。
特別なお通夜の席となり、たいへん立派な内容となりました。



19時 お清め。

    お寿司  18人前
    お新香   一皿
    オードブル 2皿
    精進揚げ  一皿
    エビ天ぷら 一皿
    煮物    2皿

    住職さんも私の隣に座って一緒にいただいた。
    ここでも、いいお話を沢山してくださった。
    お寺でやっている、様々な会に参加したくなった。

20時 住職さま、お帰り お見送り

20時15分 お客様おかえり

20時30分 お料理もほとんどいただき
       お腹もいっぱいになる。

       タクシーで帰宅。

本日の通夜に満足して、お茶を飲む。
泣き虫の従兄弟に、
「なかないでよ」と忠告し、だれも泣かずに過ごせた。

しんみりとしたご詠歌が始まった時
かなしいなぁと感じたけれど耐えた。
ご詠歌がすすみ、こぶしのはいった音楽になり
悲しみは無くなった。

従兄弟達はちゃんと一字一句ご詠歌を聞いていたので
さすがだと思いました。

明日の告別式にそなえ、
ジェンギンスの大好きだった 葬式まんじゅう をさがして
夜中に駆け回ったが、無かった・・・
いつもはジェンギンスの病院のそばのスーパーで買っていたのだ。

大福にした。




生花の祭壇はすごく綺麗だった。
思いがけず送って頂いた花かごも豪華さを増してくれた。
次回の葬儀も絶対に生花の祭壇にします。


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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。