思いつく事からどんどんこなしていかないと
する事がありすぎてもう、たいへんです。
今日は、ジェンギンスの癌保険と簡易保険請求で
医師の診断書を書いてもらうために
1年4ヶ月入院していた、病院へ行きました。
楽しい思い出のお庭です。
暖かい日差しでした。
バラの花が咲いていませんでした。
事務所に行くだけだとおもったけれど
お世話になった看護婦さんに挨拶するべきだと思って
乗換駅のホームで文明堂のカステラまんじゅう20個入りを
ふた箱買いました。
病院のある駅に着いたところで、
医師へのお礼に気が付きました。
書類を書いてもらうんだし・・・
駅のまわりには気の利いた贈答の店もありませんから
文具店でのし紙を買って現金をいれて
京王系のストアで京王プラザホテルバームクーヘンを買って
持参しました
気が付くのが遅い私でした。
礼拝堂
先ず事務所に行って、1月分の入院費9万5000円くらいと
2月の退院までの45000円くらいを支払いました。
この病院で亡くなると、あたらしい浴衣を着せてくれると聞いていましたが
ジェンギンスは、ジェンギンスの着物を着せて退院しました。
もしも浴衣をきたら、浴衣の代金が請求されていたのでしょうか?
病院内で世話をしてくれた病院が雇った葬儀屋の代金は
どうなっているんでしょうか?
あとから請求が来るのでしょうか?
死亡書類の文書費は要らないのでしょうか?
支払いを終えて、医事科に診断書類を提出し、3階の
認知病棟へいきました。
ここはジェンギンスが1年2ヶ月入所していた施設です
いくまでに3人の看護婦さんや介護士に会ったので
挨拶して、
認知病棟の中に久しぶりに入りました。
まわりにいたメンバーはぜんぜん知らない人でした。
昼食後で、いろいろすることがありそうです。
認知病棟は、活気があって良いなと思いました。
活気がないと思っていた病棟でしたが、
元気で生きているってすばらしいことです。
私は顔見知りの人たちを捜すほどの余裕もなく
忙しそうな婦長さんにお礼を述べました。
「よく見てお上げになったから・・」
と言われた途端、私は思っても居なかった泣きが
やってきてしまいました。
まいった、考えても居ませんでした。
労いのことばは、禁物です。
言葉に詰まりながら、うまく声が出ずに
お礼を言って、菓子折を置いて病棟を
でました。
1階で一旦ソファに座り、鼻をかんで
気を取り直し、すぐに2階の
治療病棟へいきました。
やさしい婦長さんが居て、
笑顔で迎えてくれました。
きつい看護婦のことを謝られました。
わたしは、ジェンギンスが亡くなる前の日に
近所の病院の院長から直々に
医療に対するお言葉をいただいて解脱していたので
もう、看護婦や治療法に不信は消えていました。
消えたところで死を迎え
この巡り会いはどういう事かと考えますが、わたしの
心はきれいなまま死を受入れました。
それで、婦長さんは
やたら私の顔を見ていました。
目とか鼻が赤かったかも知れません。
この治療病棟には、2ヶ月お世話になりましたが
深い思い出もないので泣きはでません。
やっぱり、ジェンギンスの笑顔に満ちた思い出が
有るところは、悲しいです。
先生にも渡したい物があるから
預けようとしたら、
デイルームで待っているようにいわれたので
また、先生と会うことになった。
待っている間考えたけど
いまさら質問もないし・・・
先生には菓子折入り袋を手渡して
挨拶してお別れした。
病室に行って
SSさんを見舞った。
1月は肺炎で呼吸もあらく熱も出ていたけど
すっかり落着いている。
でも、肺ガンが大きくなっているらしい。
点滴で栄養を摂っているから
痩せていないし、元気そうに見える。
ジェンギンスがSSさんを連れていかないように
良く、言い聞かせるからとSSさんの家族に
メールしておいた。
良い設備の病院だった。
長く滞在する場所は設備が良いところに限る。
せまかったり、きたなかったり
くさかったり、ちらかっていたり
そんな設備は駄目だ。
施設選びのポイントは
部屋の広さと
ベッドの良さと
寝具の良さ
・・・そこも重要だ。
思い出深い病院を後にした。
駅のそばのスーパーでポイントを全部使った
1年で2000円も貯まっていた。
いつもここで鯉と亀をみながらおやつを食べました。
夏はこのベンチでおやつを食べました。