アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

母がうるさい

2014-09-23 02:35:00 | 介護
9月23日祭日

火曜日、母は夕飯までいただけるデイに行きました。
朝自分で起きて自分で下着を取り替えて、自分で服を選んで、私が用意したパンを食べて、
ポットのコンセントを入れて急須にお湯をいれてお茶を飲みます。

したくが終わった頃、わたしは階下におりて 「 おはようございます 」と挨拶をすると、
「 おはよう~ 」 って言ってくれます。

そんな点は自分でやってくれるので大助かりです。

蚊が入ってくるのに玄関の戸をあけっぴろげにしてあったりしますが、戸を閉めて歩くのは私の朝の仕事です。



私が夕方6時に高枝切狭で植木職人をしているとき、母は帰ってきました。
さっそく、なんか嫌なことを言われたけど、何を言われたか忘れてしまった。

そのまま、家には入らず、ひと周りするために歩きました。

そしたら、今日は商店街でお神輿を元気よく担いでいたので、しばらくそれを一緒に眺めました。 
商店街のお神輿なんて、私も母も久しぶりに見ました。

家から100mの距離なのに久しぶりです。
まるで、神戸の少女が家から100mのところで袋詰めになっていたかのようです。


商店街の男のお神輿


雑踏の影で神輿を見る母


家に入ってからは、わたしに 「 夕飯食べたの? 早く食べなさい! 」とうるさい。

夜の8時半にチョコパンが外出先から寄るというので、わたしは都庁駅まで迎えに行き、そのまま初台阿波踊りを見に行った。

こちらも、大きな音が鳴り響き相当な人出だった。


チョコパンと一緒に家に帰ると、母はパジャマに着替えもしないで、ベッドに潜り込みもしないで待っていたようだった。

そして、うるさいことをいっぱい言っていた。
ちょうど、神戸の少女らしき死体発見のニュースをやってたんで、あぶないあぶない!!とチョコパンの心配ばかりだ。

今から家に帰るな! 泊まっていけ! おまけに、母のパジャマを貸してあげようとするのだ。

チョコパンがひとりやってきただけで、すごい刺激です。
心配させないとダメなんだな。

インコのピーターを放し飼いにしたので、これもうるさいうるさい!
「 とりは夜は目が見えないんだからはやくかごに戻せ! 」 って

足をつつくので、母はこんな可愛い格好をして文句を言っていました。



チョコパンは、反対する母のことばも受け止めず帰って行きました。
逃げた!って感じだな。
いいよな、逃げれる人は。

いいよな、実家に帰って、3日で限界だと言ってお別れできる人は。

とにかく、今日は口が達者ですべてを支配していました。
元気でよかった。
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片付けできない

2014-09-16 10:21:00 | 介護
私は珍しく4連休でした。
今日は最終日。

あれもこれもしようと思っていましたが、なにもできてない。

13日土曜は、母をデイに送ったあと相模原の米軍基地でハワイフェスタに行って趣味の仲間と楽しんできました。
みんなは、夕飯を食べて帰ったけど私は母が帰ってくるので早退。
今年いっぱいは、宴会は遠慮するつもりで生きてます。

人間の腕と同じ大きさのターキーを1000円で購入。
スモークだったから予想に反した。





急いで夕方帰って母を迎え、そのまま一回り散歩。
ご飯を食べに来た娘のチョコパンも付き添い、近所の人に幸せだと言われてた。




14日 日曜日

今までは日曜に母がデイに行っていたけれど、わたしの朝の苦労と睡眠不足を考慮して、廃止にした。 だから日曜はゆっくり目が覚めるまで寝れる日だ。
体が楽になった。

通販の高枝切狭が届いたので、2階の窓から大きくなりすぎた紅葉の木を切ったが、太くなりすぎて高枝切狭じゃ切れなくて困った。
専用のこぎりも、こんなチャチなものじゃ体が疲れるだけだ。
それでも、ゴミ屋さんが持って行ってくれないくらいの枝を切った。



昼食は昨日のターキーでチャーハンを作って母と食べた。
ターキーはもういいや。


夕飯は軽くすまそうと思ったら、私を財布だと思っている娘のチョコパンから呼び出されて、350gのステーキを食べた。








15日敬老の日 


昼にバジルピザトーストを作って母と食べた。
90のおばあさんでもピザが好きです。



昼食後は、髪の伸びた母を1080円でカットだけしてくれる店に連れて行った。
美容師のお兄さんはとても母をいたわって優しくしてくれた。
年齢の割に髪の毛がすごくしっかりしてるって褒められた。
1080円の店はどんどんお客さんが来た。

夕飯はうどんで軽くすまそうと思ったら、娘のチョコパンが
「 さしみと煮物が食べたい 」 と言ってやってきた。
気の休まらない連休だ。
わたしを財布だと思ってる奴がいる。

15日 今日

母をデイに送り出し。昨日のこぎりで切った紅葉を束にしたりして、このブログを書いていたらお昼になってしまった。

母も今日は夕食を食べてきてくれるデイだし、やっと一人になれたけど、
片付けものが山積みだ。







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頭痛

2014-09-12 21:01:00 | 介護
オランダの一ヶ月生活からかえってもう2週間だ。

健やかな体調で、やる気も出て、毎日外出して新鮮だった。
アムステルダムのたくさんんのことを知りたくて、意欲の出た日々だった。


さて、日本に帰り、うんざりだ。

昨日から頭は痛く、何もできない。
おなかまで痛くて下痢をする。
忙しいと思っても、何もできずに時間が過ぎる。


幡ヶ谷の不動産屋が悪徳で人を騙して金をほしがるんだけど、
騙されるなって!近所の住人にわたしがどんなにいっても、
言う事を聞かない家族が、印鑑を押してしまって金を取られてる。

昨日も、隣の老夫婦が亡くなったので相続人が印鑑をおしてしまった。

もう! わたしはみんなのために不動産屋に嫌われて掛け合ったというのに
どうして、印鑑押して大金をはらうはめになってしまっている。

そして、その問題を解決してくれるという人も何人もあらわれて、、、
それがまた私を多忙にさせる。
資料を揃えないといけない。。。
また、1から説明しないといけない。


国民年金を払ったのに数年はらっていないと年金事務所はいうし、
自分の葬儀の準備もできてない、
庭の木は大きくなりすぎてるし、
家はごちゃごちゃだし、
近所の人はどんどん死ぬし、
精神障害のひとから電話かかってきてしつこいし、


うんざりだ。
生きてるのがうんざり。


となりの、子供のいない老夫婦が亡くなった。
最後はいったいどうなるのかと思ったけれど、
二人で高級な老人ホームに入所して幸せに亡くなっていった。

ここに住んでいるときは、日本一の貧乏みたいで
着るものも古くてぼろぼろだった。
お気の毒な人たちだと思っていたら、
最後の死ぬ時のためにお金を貯めていたらしい。

死ぬ時の最後の2年間のために一生を貧乏で過ごしたわけだ。
なんて、はかない生き方だったんだろう。

老人ホームに入る前は、歩くのも必死でおじいさんが買い物に行っていた。

あ~

生きてるって苦しいことだ。


私の知り合いは10代や20代で自殺してる人も多いんだけど、
随分賢かったんだなと思う。


生まれてきてよかったなんて思ったことは一度もないし、
生んでくれてありがとうなんておもったこともない。

ただ、


私を産んでくれた父と母の最後を看取ってあげれることが
唯一のわたしの仕事だと思っている。
父と母の世話ができるなら、私が生まれてきて良かったよ。


フランダースの犬のネロ少年が見たかったベルギーアントワープにある絵
・・・・一人で見に行ったんだけど、日本語じゃないからよくわからなかったな。
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帰国

2014-09-02 20:49:00 | 介護
7月29日から8月29日までオランダのアムステルダムに滞在し、そこから一人でベルギーに旅行に行き、避暑と静養で大変快適な夏を過ごすことができました。

仕事と介護と様々なトラブル(不動産)と人付き合いと生き物の世話と家事と体調不良で、出来ることなら死にたいと思う毎日でしたが、このひと月はそれらをすべて捨て去って旅に出ました。

幸せでした。  
すべてを忘れて毎日をすごしました。
日本人はいないし、日本語も聞こえないし、パソコンも使わなかった。
仕事のメールもこないし電話も遮断し、すべてを閉ざした。

毎日続いていた頭痛は無くなった。
よく眠れるようになった。
下痢も無くなった。
頭痛がないから肩も軽く、やる気が出た。 生きる意欲がでた。


頭痛がない原因はわからない。

空気かな?
睡眠時間かな?
夜騒音で起こされないからかな?

ゆっくりお風呂に入った。
ゆっくり食事の支度をした
ゆっくり買い物をした。
ゆっくりテレビを見た。
ゆっくりアイロン掛けをした。
ゆっくり掃除をした。

何をするのも嫌じゃなかった。日本にいるときと大違いだ。

それで、あとは散歩を一日数時間してアムステルダムを堪能した。

忙しくないわけだ。

そとは涼しいっていうより寒くてマフラーとコートを着る季節となり、
まいにちお弁当をもって散歩に行くことが楽しみだったな。


~~~~~~~~~

夢の楽園生活もあっという間にすぎさり、

9月1日には、母が施設から帰ってきた。

姉が何回も面会に行ってくれたけど、母は家に帰りたがったらしい。
ほら・・・もう私の気持ちが落ち着かなくなる。
苦しくなる。
母を楽にさせなければと、苦しい気持ちになる。


母が施設の車から降りてすぐに、母を散歩させた。
随分痩せてよろよろだ。
家においてあげて、手を尽くしてあげれば栄養も行き届き長生きできるんだな。



90超えたのに、その割には元気だし、口はずっと達者だ。
命令するし、文句を言うし、馬鹿にするし、意見をする。
あれこれあれこれしようとする。

いつのころか、大呆け症状も回復し、ボケてるって言えなくなってきた。
それもこれも、外出しなくなってから、ボケ症状を示すチャンスがないってことだな。

大量の買い物もしなくて、何回も外に行かなくて、迷子にもならない・・・

父が16年間無事に大ぼけでいきていたのも、
母が無事でボケもめだたず家にいるのも、
みんな
私のおかげだ。
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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。