アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

チョコパンが見舞ってくれる

2007-10-21 11:53:21 | 介護
10月21日 日曜日



わたしは勉強会がある日なので早朝より深夜まで外出でした。


出かけるために、
何食分のもの御食事を用意して
出かけます。
この度は、メーリージョンソンの御食事や注射も用意します。
注射は私の他にショコパンがしてくれるので助かります。
守がちなチョコパンが居ない時は
メリーに体調を崩してもらうしかありません。
そう、お世話になっていない人だから

親身になっていませんが、父のジェンギンスをリーダーとして認め、お慕い続けていたメリーであるので
そう、邪険にもできませんかな。


さて、早朝より午前中だけのアルバイトで何万円か稼いだチョコパンは
バイト料の一部でおやつや飲み物を購入し、瀕死っぽいジェンギンスじいちゃんの所へ行ってくれました。



とにかく、わたしが見舞った時は
ご臨終をおもわせる最後の息の引き取り場面でしたから
この日も誰かが、見ててくれないと
心配でした。

母は、もう最後が徐々に近づいていると分かっていても、一人で病院に行く気もないようで、

家族も、何度も危篤っぽい場面には
マヒしちゃって
今回も乗り切るんじゃないかと
全員がおもってるし
とにかく、具合の悪いところをみんな、みてないから
平気で・・・

チョコパンが病室につくと
ジェンはベッドから起きあがって
ポカリスウェットを飲ませてもらっていたそうです。
気の利く看護婦さんがいるのですが、
その人が、他の人の残りがあったからと言って持ってきてくれたそうです。

拘束ベルトをはずしてもらって
ベッドに座って過ごしました。
寝ていなかったから
チョコパンはご臨終シーンを見なくて済んだのです。
あれをみたら、かなりのショックです。

ジェンの昔話をはなしたら
「 オレのこと、よくしってるねぇ 」
っておどろいていたそうで、
何かをするたびに、
「 すいません、ありがとう 」
というので、
「おじいちゃん、お礼なんて言わなくて良いよ 」 と言ったとのことです。

その話しを、母にはなすと
「 ありがとうっていうお年よりは
かわいいから、言わなくて良いなんて言っちゃダメだよ 」と、ジェンに記憶脳力が無いことを
いまだに分からない母です。
ジェンギンスは、記憶する脳が
100%ありません。
この10年間の記憶はまったくありません。
モードの記憶は有ります。
たとえば、食べるモードとか
怒りモード、片付けモード。
これは、長い時間続いたりします。

========
いつものように、オレはつよいんだ!
みたいな筋肉をもりあげる動作をしたり
笑ったりもしたようです。

少し回復してくれたでしょう

あさって木曜は
特養入所の面談で
朝10時にわたしも病院へ行きます。


ベッドで面談かしら・・・寝てる時に来たらどうなんの!
ねたきり、意識無しだったら
特養は入所させてくれるんだろうな

わたしは、いまいち
ジェンギンスの状態が分かりません。

いまの病院は
何だかしらないけれど
なんの説明もなく
面倒を見てくれています。

入所の時担当の医師が
「 私が担当医となりますから
  すべて任せてください。 」
と言ってくれました。
ほんとうに、任せっぱなしです。

担当医師がいて
担当看護婦さんがいて
介護士さんが沢山いて
ケアマネもいつも病棟で見守ってくれています。



赤ちゃん状態だから
母親のように24時間付き添うのが
理想なんだとおもいますが

できないな。
自宅で暇な人がいれば
できるな。

母は、それに100パーセントあてはまる暇な人なんだけど

介護能力が無くなっちゃったんで
介護される側が気の毒です。

介護される側が気の毒になったら
施設に行った方が幸せだな。






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肺炎面会

2007-10-18 17:11:42 | 介護


今日は寝たきり。

いまにも死にそうだった。

↑これが拘束ベルトで、きつくお腹を

締めて寝るのです。







ジェンギンスは6日前から発熱で

絶対安静の寝たきりに拘束され

ています。



昨日水曜からは食事が許され

自室でベッドの上で拘束されつつ

食事を摂っています。

昨日水曜は、面会の間拘束ベルトを外してベッドに座ったのですが





今日の木曜に私が面会に行き

拘束ベルトを外しても

ぐーぐー寝たきりで、

声をかけると、かすかにうなずくだけです。



体の調子を質問すると

大丈夫だってうなずきます。

我慢強い男らしいジェンギンスです。



かすかに眼が開いても

しばらくすると、ゆっくり閉じて

眠ってしまいます。



観察していると、

いま、まさに死ぬ時のようでした。



タオルケット一枚で寝ているジェンギンスでしたが、さむくないのかな。

帰る時、トイレに置いてあった布団をかけて来ました。



なんども、話しかけて、

お腹も空いていないみたいだし

喉も渇いていないみたいだった。



でも、目を開いた時に

巨砲の高級ぶどうを口に入れてあげたら

すこし、正気に戻った。

合計、5粒くらいたべたかなぁ

ちょっと、元気がでた。



目玉をまわして、面白い顔をしてくれた。



アップルレモンティは、一生懸命口に流し込んであげたけど、

きょうは喉が渇いていない。

いっかいだけ、渋い って言っていた。



どうしたモンかと

困っていたら

良いことを思いついた。

最近購入したMP3でハワイアンの音楽をかけてあげた。

これは良い!私が楽しい。

おまけに、歌ってあげた。

廊下にきこえたかなぁ

軍歌をかけずに、ハワイアンもいいもんだ。



そして、バナナをあげてみようかと

遠くや近くで見せたけど

ジェンギンスは、視点が定まらず

ぜんぜん何も見ていない。

どこ見てんのか、みえないのか

どこにも視点を合わせていないのだ。



バナナを口に入れてあげたら

「 ん~~ 」って美味しいことを表現していた。そして、大きな口を開けた。

どうやら、美味しいらしい。

水分は寝ているのであげれず、

起こしてあげようと思って

体をもったら

「 痛い 痛い 」といって起きあがれなかった。



胸が痛いらしい。

わたしが抑えていた背中も痛いという。

でも、胸が痛いのは

何回も言っている。



肺炎のせいか

昔大学病院の先生がいっていた

肺間質症なのか

痰があふれ出て、半年くらいになるだろうか。。

ジェンギンスはよく癌にならずにここまで

来ていると思う。



肝臓ももう50年悪いわけだし

肺の負担もおおきいんだ。

貧血もあるし、いつも炎症反応がでてる。

だるい日も、多いのに頑張って生きているんだ。



とにかく今日は

起き上がらずに、ベッドで横になって寝たまま。



そうそう、ベッドに付いている抑制固定ベルトは、寝返りができるらしい。

今日ジェンギンスは横向きで寝ていた。

なら、楽だな。



心配して、ジェンの顔を眺めていたら



突然ジェンの首が

ガクって、力が抜けたんだ。



つまり、テレビで見る

死んだ時みたいに

ガクって 横むいちゃったわけ。



あせった。



死んだかと思った。

明らかに死んだ瞬間をみた。



ジェンの呼吸は落ち着いていました。

胸の音もしません。

咳も出ないし

鼻も出ない。

私がいる間、痰も出なかった。



でも、枕の横には

雑巾がたくさん敷かれていた。

良い案だ、

昨日まで布団が汚れていたけど

綺麗に業者が洗って渇いているこのタオル雑巾を敷けばいいんだ。



枕には、チョコパンが昨日置いていった

かわいいタオルが置いてありました。

刺繍でジェンのフルネームが入っています。



ベッドの柵にそのタオルを掛けておいたら

目を開けたジェンが、一生懸命見て触っていました。



そのうち、看護婦さんとケアマネが個室に入ってきて血液を採りました。



ジェンは血が上がってこないので

苦労するそうです。

注射器で吸い上げても、血が出てこないらしいです。



ケアマネが付いてきたのは

暴れるジェンを取り押さえる為です。

でも、今日はすっかりおとなしいおじいさんでイイコデ血を採ることができました。



わたしも、ずっと

「注射するよ、注射するよ 」って

声をかけて、腕をさすっていました。

ジェンは、針を刺した時

頭を上げて、腕を見ていました。



ケアマネが



「 また、特養の面接がくるんだってね

 入れてくれるならいいのにさ!」

って、やっぱり断ってから一月後の

面会が不思議なようでした。症状は変わっていないし。。。
いまの、寝たきりのままだったらどうなるんだろ。
徘徊するより、受け入れてくれるんだろうな。



3時になり、仕事のため
いっそいで帰宅です。
しかし、さっき来る時
終点電車の中に SUICA をおいてきてしまい、といあわせに忙しい私です。

けっきょく、カードはどどこにも保管されておらず、
終点だから拾われたってことは無いんだけど、無くしちゃったわけよ。
1000円くらい残ってた。


あっちこっち色々考えて

失敗も多くなってきた今日この頃。

冷静に行動しないと!

心配だけど次は土曜に面会します。


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もう、あれこれたいへん

2007-10-17 17:20:12 | 介護


具合の悪いジェンギンスの見舞いの

帰りに駅で嘆き悲しむ家族・・・

・・・みたいな写真。



10月17日日曜



母とチョコパンと私の3人で

ジェンギンスの面会に行きました。

12時半に家をでるので、午前中は

走り回って忙しい私です。



みんなの朝食昼食夕食の準備と

洗濯とペットの世話と

ジェンのおやつや下着を用意します。



母が葡萄葡萄とこだわり

とうとう、買いに行ってしまいましたが

これが、帰ってこなくて

ほかに何を買ってくるのかわからないので

わたしは、昼やおやつの買い物にも行けず

待っていたら、

葡萄以外何も買ってこなくて

そこで、わたしが買い物へ行くこととなり

。。。

とにかく、走り回った。



母は葡萄が無かったと言って

いつもの4倍の値段がする巨峰を一つ買ってきた。

あまりの、高価さに

「 なかったら、バナナで良いじゃないか」

と、けっこう強く言った。



夕飯の米を洗おうとしたら

母の分しかなくて、

仕方がないから

ハワイで買ってきたカリフォルニア米を洗った。

カリフォルニア米は4㎏で600円くらいです。

やすくて、美味しいです。

でも、今の時期は日本の新米がとっても美味しいので、減量作戦の私には悲しいところです。

減量には、まずい食事が一番です!

食べる気を無くしますからね。



そんな話しをしてる場合じゃなくて



頑張って用意したおやつやおにぎりや

葡萄でしたが

ジェンギンス発熱のため

点滴をして、寝てました。

金曜日から点滴で禁食だそうです。



ノロじゃないんだから、

食事させて欲しいです。



禁食だって看護婦さんから強く言われました。

でも、レモンティを飲ませてあげました。



木曜に私が面会した時、

死んでるみたいだったけど

やっぱ、具合が悪かったんだ。



もともとよぼよぼだから

具合の悪さが分からない。



ジェンは個室で

つなぎ拘束着と

ベッドの固定ベルトで固定され

おまけに、手は両手にミトンです。



よぼよぼじいさんは

もう立つ元気も無いから

もう、拘束はして欲しくない心境ですが

危険防止ですから

仕方がありません。



ジェンは、死んだように寝ていましたが

声を掛けて目覚めさせました。

はじめ、体が熱かったのですが

紅茶をあげるうちに

元気が出てきて

よく喋っていました。



住所も言えました。

とつぜん、わたしのフルネームを

言い出しました。

住所と私の名前はセットでしょうか。



点滴に書いてあったのは

ソリッタックスーH 500ミリリットル

あとから持ってきた点滴薬が

ペミロックヘパリンロック用へパリンナトリウム5ミリ㍑



抗生物質も与えているって看護婦さんが言っていました。



ジェンが口をもぐもぐうごかすので

看護婦さんから

「 なにか食べさせて居るんですか」

って叱られそうになったけど

食べていないって言いました。



ぶどうを食べていたチョコパンが

「 いつも口を動かしているんです」って

あせって、言ってくれました。



まあ、紅茶をのませたもんで、

あせった3人でした。



そのうち体も冷たくなって

熱は下がっているみたいでした。



お世話してくれるおじさんも心配して

いつもさがしてくれている見たいです。



おじさんは、最初痰を吐くジェンギンスのことを怒って、叩いたりしていたそうですが

、いつのまにかお世話をしてくれるようになりました。



さて、



今日ですが



今年10月から始まった特養待機の順番がもう来てしまいました。



だって、昨年の特養待機の順番が先月にやっとまわってきて

断られたばかりだというのに

ひと月で、もうジェンの入所順番が来てしまったのです。

断られた施設から

「 そのご状態に変化は有ったでしょうか」 なんちゃって言ってきた。



順番が回ってきたのはそれもこれも、ジェンが重症だからですが、

異常行動のためお断りのジェンにとって

こんなに早く順番が回ってきたって

症状は変わってないし!

ぜんぜん落ち着いていないし!



そのことを正直に伝えて

どうしたらいいかと

相談員さんに言ったら

病院施設と相談してくれるって

言ってました。



しかし、今日相談されても

点滴して重病人みたいに

寝てるから・・・



ホント



どうなるんでしょう



しかし、



熱が出ると

すぐ点滴治療ができる

病院施設は

すごく良いです。



薬もほいほい処方されます。

血液検査も

スタッフがホイホイしてくれますから

いちいち医務室なんてありません。



さて、こうやって

徐々にジェンギンスは

家族と世の中から遠ざかって行くんです。



今回は、また回復するでしょうか。



起こして御飯を食べさせてくれれば

ジェンは回復するでしょう。



見舞いに行きたくても

あれこれ、用事があっていけません。



あすは、母のデイサービスで

わたしとスタッフとケアマネを交えて

会議?だか話し合いだかで

出かけます。
新宿の向こうのほうだから
遠いんだな。
地図をあすまでに検索して
調べないと!

熱の心配
特養の心配

郵便物も山のようにたまって
作業がいっぱいたまってる。


いちいち、印鑑だとか
身分証明だとか
自筆だとか

。。。

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アレコレ在りすぎ

2007-10-16 17:13:39 | 介護


こんどの危機は乗り切るでしょうか。

いつまでも生きていて欲しいけれど、

生かしておいたら苦しみしかないのかも知れません。

でも、生きていてくれることが、

私達を幸せにしてくれるのです。





2007年10月16日 火曜



母のデイサービスの場所で会議をしました。

いままで、デイの人ともお話ししたことがないので、初めてです。

私とかつて父のケアマネだったかたに

母のケアマネになっていただき皆さんと会議です。

新宿御苑にあるデイセンターに行きました。



なんども、電車に乗ろうと考えましたが

不便なのでチャリで行ってしまいました。

チャリは早く着くので、20分くらい早く着いたので、新宿1丁目の街を散策しました。



かつて、24時間呆けて電話をしてきた

父の友達の経営している会社が

大きなビルになって近くにありました。



その友達は呆けているから電話を奥様がかけてきて、

父に代わるんだけど、

呆けた人の言いなりで、何て非常識な奥様だと思っていましたが、

20年後には私の父が電話魔になって

母がダイヤルしていました。



他人を理解してあげることは

いつになっても、できないものです。

その立場にならないと

理解出来ないことだと思います。



さて、会議では

母も交え、私から特に言うこともなく、



「 ☆自分で支度ができるので、

   自分で起きて支度をして、楽しみに車を待っていてくれるので

   とても助かります。



 ☆ 気が気でない性格なので

   そわそわして申し訳ありません。



 

 ☆ いままでずっと父の介護で

   大変な生活でしたが、

    今では家で寝てばかりなので

   デイに出れることは、母にとって

   とても良いことです

  

 ☆デイサービス中に眠ってしまうので

  驚かれていると思いますが

  あまりに、寝てしまうのは

  脳が萎縮する時だって言うのは

  有ることでしょうか?」



デイの所長さんからは、



  「 ここに来ているお年よりは

   みなさん、自分でできないかたが多いのですが、スーザンさんはなんでも自分でおできになり、すべてのレクにも積極的に参加し楽しんでおられます。

他のお年寄りを見守っていてくださるので、リーダーとなって ←出た!ここでもリーダー!

行動してくれることがデイとしては助かっているくらいです。



多少の物忘れもございますが← エエッ?

デイに参加されることで現状を維持してほしいと思います。 」



母に関しては、いまのところ心配もしていないので話すこともありませんが

つい、父の特養の話しとか、拘束の質問をしてしまいました。



この日、デイでは、お部屋で運動会でした。

1時半から選手宣誓やご挨拶があって

パン食い競争から始まりました。



母のスーザンは一番に参加です。

スタッフが一人ずつ付き添って

遠くから走ってきて、パンを食いちぎって戻ります。



手を使わずに歯で取るのは難しいですが、適当にスタッフが手を添えて助けてくれます。



元気の良い大声のスタッフさんがいると活気があってとても良いです。

介護士さんになる人は

大声がでて、元気に笑えて、上品でない人がむいていると思いました。

ホントです。



運動会を見学していたら、突然運動会の最中だというのに、母がわたしとケアマネの席にやってきました。

手に折りたたみ傘を持っています。



「 雨が降ってきたから、これを持って行きなさい 」



ええ~!!



「 私は持ってきたし、なんで傘を持ってるの、誰の? 」



母の傘らしいです。

傘はまったく必要がないのに

もしも、帰りに降ってきて、遠くで車を下ろされたら必要だから、カバンに入れてあるそうです。



私が傘を持っていると知った母は、

今度はケアマネに、差し出していた。



ケアマネも、母のリーダーシップが

実感出来たと思う。



そんなわけで、1時から2時まで

お邪魔して帰宅。



||||||||||||



10月17日 水曜



父ジェンギンスが9月10日くらいに特養の入所を断られて、

その特養から電話有り。



「 入所病院にジェンギンスさんの様子をお聞きしましたら、

 先日と変わっていないということでした。

 しかし、

 もう一度、面接をしたいと思うので

 9月25日木曜の朝10時に

 面談をする事になりました。 」



個室でないとジェンギンスの

異常行動は対応出来ず、その特養施設では無理であると聞いていたのに、

なぜ、もう一度面接をしてくれるんだろうか。



わたしは、誰かに入所を特別に

頼んだのだったっけ?

と、自分に聞いてみたが、

ソリャ、関係者各位に断られたことは伝えたけど、

不明。



しかし、



この日午後、

ジェンギンスの孫のチョコパンが

一人でジェンギンスの面会に行ってくれました。



ジェンギンスは

先週の金曜から発熱のため完全拘束されて

絶食で点滴生活。

水曜も、部屋で拘束でした。



食事は水曜昼から食べ始めたようですが、



絶対安静のため

部屋から出てはいけないし、

歩かせても行けないそうです、

したがって、

面会中にトイレに行きたいと訴えても

駄目だって。



おむつにさせてくださいというのです。



チョコパンは面会中、拘束を外すように頼んでジェンギンスをベッドに座らせてあげました。

だって、1週間も寝返り出来ず

同じ姿勢でお腹をきつく太いベルトで縛られているなんて、かわいそうです。



ジェンはトイレに行きたくて

我慢して立ってるっていうのに

連れていってくれないなんて、ひどい!!



個室にはトイレがあるのに

使えないように水を止めてしまってあるし、

ひどい!!



チョコパンは、男の必死で汗を垂らして

頑張っている介護士さんに頼んで

ジェンをトイレへ誘導してもらいました。



そしたら、

女の看護婦さんに見つかって

介護士さんが叱られてしまいました。



絶対安静でトイレ誘導も禁止なんですって



ジェンギンスは

肺炎だそうです。

そんなに悪かったなんて

ぜんぜん、知らなかった。

伝えてくれないから。

でも、伝えてくれても

私達は心配するだけで

病院に駆け付けることも

できません。

お任せ出来て幸せです。

良い施設なんじゃないでしょうか。



拘束がとっても気になる。



拘束をしない特養に

入所できたら

ある面幸せかも知れない



でも、いまの病状が回復しないと

特養なんていってる

場合じゃ無い。



ジェンギンスを見ていると

もう、

いつ死んでもおかしくないくらいの

形相をしている。



数年前になくなった

ジェンそっくりのお姉さんの

死に顔より

死に顔になってる。



きょうの木曜午後

1時間半だけ

ジェンに会ってきます。



穏やかなジェンに会ってきます。






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木曜めんかい

2007-10-11 11:19:38 | 介護

ジェンギンスの写真を撮りわすれたので

帰りにお庭で写しました。
遠くに見えるのが礼拝堂。
中庭はバラが色とりどり咲いています。
セミがまだ鳴いていました。
ぎんなんが落ち始めました。


今日は木曜日で、私の仕事は4時からというゆっくりの日です。
従って、ジェンギンスの所へいつもは行くのですが、
どうも、忙しいし、する事が山ほどあるので、もしも、きょう病院へ行かなかったら

部屋の片付けもできるし、
たまった書類整理もできる
レーザープリンターも買いに行かないと
FAXやコピーができなくて仕事に差し支えているし、
練習しないといけない、ものも沢山ある。

メリーのインシュリン注射が1日に2回あって、食事時間も内容も見直さないといけないので、今まで母任せだった
犬がすっかりわたしの仕事になり
負担でたまりません。
一生涯、月に3万円以上かかる犬を

よその人々はいったいどう始末付けているんでしょうか。
教えて欲しいです。


そんなこんなで
面会を大きく迷いましたが
ジェンギンスのために
頑張って行きました。



母は笹塚図書館へ電話をしてから
出かけていったのですが、図書館は休みだったそうです。
よく聞けば、留守電でそう言っていたのを
聞き取れなかったそうで、ヤレヤレです。

======
ジェンギンスはいつもの長いすでおとなしく座っています。
眼が半分閉じて、眠いのかだるいのか分かりません。
話しもしないし、ぽけーっとしています。
怒りんぼのSSさんは、一緒じゃなくて
ほっとしました。
どうやら、お部屋で寝ているみたいです。


ジェンギンスの腕は親指と中指で○を作った太さしかありません。
皮を引っ張ると、くしゃくしゃの皮が長く伸びます。
そうやってつまんで遊んでいたら、
お風呂だと呼ばれ、介護士さんに笑われました。


ふらふらと歩いて風呂場へ行きました。
ずっと座っているので、ふらふらよろよろです。
ジェンがお風呂の入っている間
病院のケアマネージャと話ができました。
平日に私が面会にいかないので、なかなか会えませんでしたが、やっと会えました。



★ 特養の施設からは3人の担当者が

  来て、ジェンと一緒に面談をした

  けれど、異食があるときいて、

  担当者さんたちは、初めから

  お断りの雰囲気が出ていた。



★ 次回の順番待ちをしていても

  あの調子では受け入れてくれないんじ

  ゃないか



★ 次回で症状が変わっていれば受け

  入れてくれると言っても

  それって、進行して寝たきりになれ

  ば受け入れるってことになるし

  入所は無理じゃないかとおもう



★ こちらの病院にいるかぎり

  介護者の見守りがあるから

  異食はさせないし、

  ベルトで固定はしているけれど

  歩き回る心配もないので

  家としては、ジェンギンスさんについては、問題が無いのでどうぞ居てください。



★ ジェンギンスさんは、面倒をみたくなっっちゃうほど、いいおやじさんです。



★ SSさんも、同業者だったそうで

  しつこいくらい面倒をみてあげているから、負担にならないといいんだけれど。

   ```````````````````````

たぶん、先日断られた特養は

12月に申し込みを取り下げて、
あらたに、渋谷駅にできた別のユニット式の豪華な新築特養に申し込むことになるだろう。
遠くて高いけど、気持ちの良い施設が良いだろう。



==========



さて、ジェンは風呂から出てきて
わたしが髪をドライヤーで乾かし
おやつの時間です。

巨砲を7粒くらい。。すごく喜んで食べました。
カステラ一切れ
ミルクティ
もみじまんじゅう半分。
もみじまんじゅうって言うのは
むかし、葬式まんじゅうっていった
白い楕円形のまんじゅうです。
ジェンは、昔から葬式まんじゅうがすきなので、ジェンの葬式にはでっかいまんじゅうを付けてあげるね。。と

よく言ったものですが、
もう、まんじゅうの習わしは消えてしまいました。
葬式の時、近所のこどもにキャラメルなどを配る習慣も消えてしまいました。

そして、いまや大きな葬式は消えようとしています。
家族だけの葬儀が増えました。
そして、香典返しは、葬式当日に配られるのが多くなりました。


短時間でお腹がいっぱいになり
ジェンギンスは、また、半開きの眼になってぽけーっとしています。
なんか、いまにも死んでしまいそうです。
「 おじいちゃん! 大丈夫?

 苦しいの?死んじゃうの?

 ねえ、死んじゃうの? 」って
しつこく聞いたら、首を振っていました。

でも、いつ死んでもおかしくないっていうほど、死にゆく人になっていました。

楽に死ねるなら
死んでもいいよって思います。
生きていたら、つらそうです。



お酒に酔った人は
腕が折れていようが大けがをしていようが、痛みを感じないで平気で歩いていますが、
認知症は、悲しみや痛みや喜びを

普通に感じるのでかわいそうな面があります。
痛みも悲しみも感じなくなると良いのになぁと思います。

ぼーっとしたジェンギンスを置いて
3時に急いで帰宅しました。


おやつだ薬だあれやこれやと
落ち着かない私でした。

次回は日曜に面会します。

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アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

16年間アルツハイマーと戦った父ジェンギンスは2008年2月14日に亡くなりました。壮絶介護→施設入所→胆管癌による死。大切な父の最期の介護記録をここ残しました。 そして、夫を亡くした母は初期認知が進行中です。 年寄りと暮らす苦労を記録中。