アルツ・ジェンギンス夫婦の記録

重症アルツで亡くなった父の記録と現在100歳の母と高齢者みるきーの記録。

101歳 脳梗塞120日経過  意識ある

2024-07-20 07:32:00 | 100歳介護
101才の母が、特養施設である朝ダラんとなって
救急搬送するか?しないか?の電話があったのが2024年3月23日。
私が、肺炎で死にそうに苦しんでいる時だった。


母の孫が付き添ってくれた



警察病院で経鼻栄養の処置をして栄養を確保し、飲み込むリハビリを2ヶ月してもらったけど、すこしずつ回復したものの、話せず、体を動かせず、食べれずで、次の選択を迫られた。



車椅子に座り、外を眺め、こちらの言うことは理解できるまで回復したのに、、


1️⃣家に帰って好きなものを食べて亡くなるまで家で過ごすか(食べれないのに?)

2️⃣施設に戻って栄養を与えず数日だけ生きて看取りをしてもらうか

3️⃣療養病院で栄養を与え最後まで病院で過ごすか

そして、5月31日、近所の療養病院に転院した。


介護タクシーで転院。

転院から50日たった。

最後を迎えるためのこの療養病院とは、なんて悲惨なのだと感じる。
この悲惨な病院で働くのって、
癌のホスピスとは一味違う。

入院患者さんは、意識がなく、身動きできず、食べれず、目を開けず、口を開けて寝たきり。

時間になるとオムツを替え。
時間になると胃にドロドロの食事が流され、
時間になると体の向きを変えてくれる。

穏やかに最後を迎える入院だから、
血中酸素も血圧も管理されてない。

そんな意識不明の入院患者の中にいて、
101歳脳梗塞の母は、
目を開けて起きてるし、ラジオを聞き、起き上がりたいと意思表示をし、何かを訴えて喋ろうとしている。
手を握って何か訴えてるし、笑ったり、喜んだり、返事もするし、バイバイの挨拶もする。

起きれる母を寝たきりにする病院。

病気を治す病院ではないから治療はしない。
治る見込みがないからリハビリはしない。
そんな病院であることを理解しろ!
と、しつこく言われて入院した。

悲惨な建物だ。

延命治療を希望したわけじゃないんだけど、

延命を願う家族をあざ笑うかのような印象だ。

午後3時になると先生は、すごいベンツに乗って帰宅する。
古い建物で治療をしない病院だけど、
先生は新しい高級車で土日休みの生活。


帰る時はバイバイしてくれる

ごくたまに、面会に行くと眠ってる

孫が面会すると喜ぶ😃
孫たちはこの母のおかげで大きくなった。

ラジオやハワイアンを聞かせている。
優しい看護師さんが、ハワイアンをかけてくれたりしている。

笑うし

手も強く握って何かを訴える

私の手がちぎれそうなくらい握る
優しい看護師さんが車椅子に座らせてくれた。


警察病院に入院している間左手がすごく腫れていたけど、もう腫れもむくみも、おまけに体の肉も無くなった
徒歩で行ける近所の悲惨な病院にしたので、
週に5日は面会できる。
姉とは、ここでバッタリ出会う。








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