会社勤めをしていた頃、そう、営業の一部門の責任者をやっていた頃のクライアントの担当者。同じ歳。
めちゃくちゃ気があったわけでもなかったけれど、仕事だと割り切りながらも思いっきり遊び呆けたことがあった。
油が乗っていたわけではないけれど、なんだか気持ちが悪いぐらいに見通しが効いた。
そんな瞬間ってあるもんなんだ。特に深くなんぞ考えたりしなくても、ただぼぉーと思いを巡らし行動したり喋ったりすると
人が勝手に動きだし、結果もそこそこ80点ぐらいの達成感得られたりして・・・調子に乗った頃。
誰だってあるんだ。でもね、永遠に続くわけじゃないんだ。
ひょんなことで、終わりがやってくるんもんだよ。そんな絶好調なんてものは・・・・
ただ僕はそんな時が絶好調なんて感じられなかったんだ。
もともと悲観的な人間なんだ。シンパイ症なんだ。
そんな同胞とも呼べる人が病にかかり3年目を迎え、そろそろ終焉の時だと聞いた。
その頃の営業チームのメンバーから連絡来た。「見舞いにいきましょ!」
気は進まなかった。でもイヤとは言えなかった。
宇都宮まで1時間、駅からクルマで1時間。田んぼの真ん中の集落。一軒家。代々の家業はコメ作り。
そんな農家の長男が家を継ぐこともなくサラリーマンになったようだ。
しかも、農家をまとめる職業についたのだ。大出世だったんだろう。
そんな彼が60歳も過ぎて・・・・病に倒れたのだ。
病院を出され、自宅医療となった。
そんな家を訪ねた。
想像したほどの緊迫したムードはない。ただ、娘3人は付きっきりだ。深刻さは否応なしに伝わる。
どこかで腹が据わったのか、僕は思い出話なんかしたりして、
もう、ダメだ・・・・ていう本人を笑わせることに成功したり、目じりから涙がこぼれないように気を付けながら
次から次へと話続けてしまった。自分でも呆れるくらいだった。
死にゆくものへの言葉などと言うものは全く意味などない。
また、なくてもいいんだろう。
いまのこの瞬間が大切なのだから・・・・嘘で固めたってかまやしないけれど、信ぴょう性ある嘘を言わなくてはいけない。
バレバレは良くない。
何とか、ばれずに済んだ。しかし、僕はどうしてこんなにウソが上手いんだろう。
今日は改めてそう思った。
ひどい話だけれど、もう会うことはないかも・・・・なんて無意識に感じていたから、思い切ったでたらめ話ができたのかもしれない。
しかし、最大ののウソは「また、会いに来るから」だった。
少しも痩せてはいない病人が少しだけ微笑んだんだ。