歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

ためらいとはにかみと・・・・

2015-03-01 | 映画

「アメリカンスナイパー」を観た。

クリントイーストウッド監督の映画はほぼ見ている。

70歳になってからの撮った映画は、そこはかとなく哀しみが宿っている。

だから、いい・・・なんて言わないけれど。

アメリカと言う国に対して愛してはいるが、底なしに嫌悪する自分が存在している。

そんな本人の哀しみを感じる。

だったら、映画など撮らなくていいではないか・・・・。

しかし、アメリカを愛しているのだろう。

 

愛してやまないけれど、嫌悪する。

そう、愛しているがゆえに全てに関心を持ち、すべてが気になる。

こまごまと重箱の隅をつっきまわす。

 

嫌なところばかりに目が行ってしまう。

彼にとってはそんな存在のような気がする。

アメリカ。

自由だし、だから偏見も差別することも自由なんだ。

身内が傷つけられれば、傷つけた者を容赦なく裁く。

共感するものには寛容。でも、共感せぬ者には徹底して叩き、攻撃を加える。

それで社会秩序が保てる・・・なんて本気で信じている。

人は強いものには媚びるし諂う。

生きていくためには必要なことだし当然だと思う。

ひとつの方向性や意見に対して、賛成する人もいれば反対する人もいる。

いままで生きてきた環境や宗教や風習や習慣も異なるが故のこと。

それぞれ、背負ってるものが違う。

だから、意見が異なる。当たり前のことだ。

そんな人たちがともに暮らす方法を編み出すのが政治の役割だと思う。

それが公共だと感じる。

 

だからと言って、すべての人々が仲良く暮らせるとは限らない。

程よい距離感を保ちながら日々を過ごすようにしたい。

理解しがたいことがあったとしても互いに尊重しあうことはできるはずだ。

「お前のことは嫌いだし、同じ職場では働けない・・・・」

だからと言って、排除したりはしない。

違う仕事をすればいいだけだろう。

そう思う。

 

この映画の背景は9.11から始まるイラク戦争の話。

テキサスで育った若者が正義感強く30歳になった、にも関わらず

9.11をテレビ画面で見てしまう。

あまりのショックに志願する。

「イラクをヤッケるのだ!」

理由は、アメリカ本土を攻撃した彼らは犯罪者(テロリスト)だ!

ガキの頃に父親に許しを受けた。自分の弟が殴られたら、殴り返し、相手を痛めつけても構わない。

「私がそれを許す」

 

イラクに対して、いや、石油産出国に対してアメリカはことごとく攻撃理由を見つけ出しては空爆を行ってきた。

そんな現実など、主人公は知ろうとも思っていない。

ただただ、この国を守らなければならない。

そんな信念が彼の心には住み着いてしまったんだろう。

シールズで自分の特技を発見して、果敢に国に貢献したと自負する。

「武器を手にしたものであれば、それが女、子供であろうがなかろうが引き金を引く」

しかも、上官は彼に判断を委ねる。こんな残酷なことはない。

 

世界中のどこかでこの戦争をこのテロ撲滅戦争を良しとし、喜んでいる奴らがいる。

そいつらを喜ばすために彼は犠牲となる。

自分の人生の大半を無意味な自己嫌悪にさいなまれて生きなくてはならない。

 

30歳までの楽しい日々があればいいのかもしれない。

 

イーストウッドはアメリカ人だ。

この戦争を起こしてしまった国の国民なのだ。

別に彼が戦争を起こしたわけではない。

しかし、彼は考えたのだろう。

何らかの形で加担したのだ・・・・と。

 

結果的には反戦の映画かもしれない。

しかし、僕は感じたんだ。

世界で始まっているテロ対策。武力のアプローチなど何の意味もない。効果などない。

そんな気がするのだ。

なぜならば、恐怖では動かない人間がいるのだ。

「これからはあなたの言うことは何でも聞きます。なんでも言ってください。心を改めます。

だから、お願いです。もう、殴らないでください。殺さないでください。」

そんな人間ばかりではないのだ。

 

イーストウッドはそんなことが言いたかったのではなかろうか・・・・

だから、事実に忠実に自分の主張を封じ込め、ひたすらリアルに、見ている人間が、

戦場に居るかのごとく、錯覚させてしまうほどに、引き金を引くかどうかの判断を観客に迫るように

この映画を撮ったのではないかと思う.

 

だから、「グラン・トリノ」のように

エンディングに自分の歌を流さなかったんじゃないのか・・・と思うんだ。