生前、義母に買った水仙の小鉢。
ベッドに横になったままで2年が過ぎようとしていた。
その日は体調も良かったし、機嫌が良かった。
黄色の水仙をことのほか喜んだのを覚えている。
それから、二か月後。義母はあの世へ旅立った。
そのあと、1年ほどたったある日、ベランダに出て煙草を吸って足元を見ると
あの水仙が黄色い花を咲かせていた。
義母は昭和一桁うまれだったようだ。
横須賀の漁師町で生まれて、義父とどのような経緯で結婚したかなどは知らない。
料理は決して旨いとは言えなかったけれど、
魚や貝の料理だけはやけにおいしかった。
専業主婦だっし、義父が厳しい偏屈だったせいか、
家の中は常に整然としていて、清潔だった。
柱に架けられた時計は一秒たりとも狂わずに時間を刻んでいたし、
決められた場所に決められたモノが置かれていて、ホテルで暮らしているようだった。
そんな義母とゆっくり話したこともなかったけれど・・・・
生活の信条のようなものが不思議なくらい伝わってきた。
「乱れた家に暮らすと心が乱れる。乱れた心には乱れたコトしか起こらない」
なんて、言っていた気がするんだ。
表に立つことはせず、何事に対しても控えめで存在感を消していた。
あの病状でどうやってベランダから庭に下りて水仙を植えたのか・・・?
謎は深まるが、
いつか僕がベランダに出て足元を見たときにこの水仙が目に入るようにと願ったのかもしれない。
「たまには自分の足元をみなさい」
なんて、コトを告げてるような気になった。