長い間観たいと思っていても何故か観ることができない映画ってあるんだ。
観る気がそもそもないんだろう・・・・なんて思うこともしばしばあるけれど。
そうじゃないんだ。
たぶん、神様が今、見る時じゃないんだ!なんて、教えてくれていたんだと思う。
「バクダット・カフェ」
1989年に公開された、ミニシアター全盛のころの時代。
僕の記憶には鮮明に刻まれている時代。
何もかもが輝いてなどいなかったけれど、猫の額ほどの野心と愛してやまない女と出会えた時。
欲望だけが前のめりで明日も明後日も違ってた。そんな日々。
歳を重ねて、特に込み入った悩みがある訳じゃないけれど
寝つきの悪い夜もある。
いや、眠るのが惜しいと思う夜。
特に見たい番組があるわけでもなくテレビのスイッチボタンを押した。
BS放送のミッドナイト・シアターってヤツ。
で、この映画が始まった。
長い間観たいと思う映画は、時としてこんな風にして観ることができたりする。
ストーリーを要約すれば“女の友情”のお話。
面白いなぁ と思ったのは西ドイツ女性とアメリカ女性の友情の話だってことなんだ。
この映画が公開された年にベルリンの壁が崩壊した。
決して政治的な意味が含まれている映画じゃないんだけどね。
どう欲目に見ても魅力的とは思えないドイツ女性とイラツキが最も似合うアメリカ女性が
完璧なほどコミュニケートできてしまうまでの話。
大袈裟に言えば育った環境や文化が異質にも関わらずに仲良くなっていく道程が魅力的なんだ。
きっかけはお互い、胸の奥にしまい込んだ“哀しみ”に触れ合てしまったことで、
全てが、良い方向に転がり始めるということ。
愉しいことや嬉しいことは他人と共有しやすい。でも、哀しさや辛いことは共有しずらい。
この二人はホントの哀しみを知っていたんだ・・・なんて思わせるところが映画のあちこちにちりばめられている。
この“哀しみ”ってヤツは厄介。すぐに憎しみへと変わってしまうんだ。どうしてなんだろうね?
たぶんだけれど、寄り添うことができなくなっちゃうんだ。
「辛い」からね・・・・・。
でも、この二人は違うんだ。
ちゃんと、寄り添うだよ。
そう、言葉なんて無意味だし慰めなんてウザイしね。ただ、傍にいるだけでいいんだ。
そんなことをこの映像が教えてくれている。
物語の背景は砂漠。
ラスベガスのすぐそばのような感じ。クルマは行き交っているし荒寥感はない。
でも、殺伐としてる・・・・そんな状況、群衆の中の孤独・・・みたいな雰囲気。
ひと皮むけば人は誰でもが荒野を抱えている。だから、一歩間違えば、人を傷つけることで満足したりする。
いま、僕が生きているこの時代も変わりはしない。
なんだか・・・・人に寄り添うことを、もう一度やり直さなければならない。
そんな気になった。
そして、この映画のエンディングは見事だった。
この店で行き交う人々はみんなハッピーになってしまう。
ただ、映画に登場しないドイツ女性の旦那様だけが不幸なまんまのように思えた。
男はいつの時代でも・・・辛いんだよね。
もうひとつ面白いと思ったのは、女の友情の特徴。
ドイツ女性が、この店の常連客の画家擬きの爺さんに求婚された時の返事。
「彼女に聞いてみるわ」
だった。