午後8時30分。
地下鉄、帰宅途中。
比較的座席は空いていた。
神保町駅から乗り込んできたサラリーマンふたり。
片方は30歳後半、もうひとりは50歳少し過ぎた感じ。
程よい酔い具合で大きな声で喋り始めた。
酔っ払いの与太話など聞く耳もだず。
しかし、僕の耳に否応なしに入ってくる。
「どう思います? 〇〇さんのこと・・・・。昇格です。大した仕事してないですよ。」
「そうだよなぁ~。俺も驚いたよぉ~!」
ぶつぶつぶつぶつ・・・・・
やかましい!
胸の内で、小さく呟いた。
そして、談春の「赤めだか」の一節を思い出した。
それは・・・・「嫉妬心」
談春の師匠「談志」が嫉妬丸出しにする彼に向って言い放ったいと一節。
「現実は正解なんだ!
いくら世の中が悪い、会社が悪い・・・といったところで何も変わらない。
現実は事実なんだ、
そうなったことには原因がある。それを分析・解明し
処理をすればよいだけなんだ。
己が努力、行動もせずその相手の弱味を言葉であげつらい
今の自分のレベルまで引き下ろす。
それを嫉妬と呼ぶ。
本来であれば、相手に並び、追い抜くために行動する生活を送れば
解消する。
しかし、人間はなかなかそうできない。
なぜなら、嫉妬しているほうが、楽だからだ。
現状を認識しろ!
そして、行動するのだ。」
なんてことをのたまった。
人間の業の肯定。
それが談志の落語の意味なんだ。
赤塚不二夫とおんなじなんだ。
「それで、いいのだ。」
なんだ。
なにも迷うことなんかなく、行動すればいいんだ。
嫉妬心を分析して言葉にする必要なんか、いまのぼくらにはいらないんだ。
どんなバカげた行動にだって意味はある。
気が付かなくてもいいんだ。
もし、迷ったり、戸惑ったり、立ち止まってしまったら・・・・
談春や談志や志らくや志の輔・・・の落語を聞けばいい。
そして背中を押してもらえばいいんだ。
でも、僕は「赤塚不二夫」を読むよ。
どうしてかって・・・・?
談志が好きじゃ・・・ないんだ。
劣等感をエネルギーに変えるにはある種の邪悪さが伴うからだよ。