歳を重ねると楽しいとか賢くなるとか・・・・みんな戯言なんだよ。

感じるままに、赴くままに、流れて雲のごとし

梅雨は恵み、夏の日々をイキイキと過ごすためなのか・・・・

2016-06-13 | 日記

梅雨入にも気付かず、気怠い日々を過ごしていた。

目覚めは雨音だった。

相変わらず午前6時30分には掃除機の音がして

拭き掃除の音がする。

まるで禅寺で暮らしているかのようだ。

しかし、けっして不満ではない。

家中が磨き上げられているというのは

とても素敵な事だからだ。

さあ、始めよう!

そんな気持ちになるのは確かなんだ。

今日は昨日の続ではないし明日への踏台でもない。

限られた1日なんだ。

 

僕の1日はそんな朝から始まる。

 

それにしても努力しています。そんな言葉、ついぞ聞いたことがない。

ごく当たり前のことなんだと思う。

 

藤山寛美の娘と香川照之が対談しているTV番組を偶然見た。

「努力などししたことがない。日常の習慣なんです。稽古はね。私は芸人ですから・・・」

芝居役者芸人は日ごろの鍛錬がすべてなんだろうし、辛抱して我慢して、なんて言っているうちはモノにはなっていない。

 

人に乞われた芝居が、自然にふぅ~とできなければ芸人とは言えないんだろう。

それが一流の証。プロとアマの違いは大きいよ。

考えずにカラダが動き出すようにする。

だから毎日のルーティンが大切だと言っている。

 

そして、それとは別に香川照之の質問

「もうすぐ60歳を迎えられそうですが・・・準備は何かしてますか?」

なんて、俗っポイ質問なんだろう

 

「芝居の神様はいてはると思ってます。その神様がおっしゃるには、

山登りであればもう8合目。ここからは酸素も薄くなるし体も疲れている

だから、背負うモノは少なくしたほうがいい。」

たしかに、僕も60歳になるころに思った。

何もかもが面倒くさいと・・・・ある種の解放感を味わったんだ。

何物にもとらわれずに、囲われずに生きていけそうな気がしたんだ。

余計なしがらみなど糞くらえ!って。

何処かでそんな声が聞こえたんだ。神様の声だったんかな・・・・

そう、誰だって人に嫌われたくないし、好かれたい。

でも、自分を嫌いになってまで人に好かれて気持ちいいのか?

そんな疑問がいつの間にか心の片隅に鎮座していたんだ。

かといって自我を押し通そうなんて、何が何でも・・・なんて思ってもいないんだ。

「どっちでもいいんだよ・・・ぼくは」そんなことが山ほどあるからね。周りには。

右か左か白か黒か・・・どっちでもいいんです。そんな返事もありなんだ。

 

こんなふうにして日々すごしていくのか・・・

きょうも、ものすごく無駄な時間を過ごしたと言う思いでいっぱいだけれど

 

そんな怠惰な自分も許している。