梅雨入にも気付かず、気怠い日々を過ごしていた。
目覚めは雨音だった。
相変わらず午前6時30分には掃除機の音がして
拭き掃除の音がする。
まるで禅寺で暮らしているかのようだ。
しかし、けっして不満ではない。
家中が磨き上げられているというのは
とても素敵な事だからだ。
さあ、始めよう!
そんな気持ちになるのは確かなんだ。
今日は昨日の続ではないし明日への踏台でもない。
限られた1日なんだ。
僕の1日はそんな朝から始まる。
それにしても努力しています。そんな言葉、ついぞ聞いたことがない。
ごく当たり前のことなんだと思う。
藤山寛美の娘と香川照之が対談しているTV番組を偶然見た。
「努力などししたことがない。日常の習慣なんです。稽古はね。私は芸人ですから・・・」
芝居役者芸人は日ごろの鍛錬がすべてなんだろうし、辛抱して我慢して、なんて言っているうちはモノにはなっていない。
人に乞われた芝居が、自然にふぅ~とできなければ芸人とは言えないんだろう。
それが一流の証。プロとアマの違いは大きいよ。
考えずにカラダが動き出すようにする。
だから毎日のルーティンが大切だと言っている。
そして、それとは別に香川照之の質問
「もうすぐ60歳を迎えられそうですが・・・準備は何かしてますか?」
なんて、俗っポイ質問なんだろう
「芝居の神様はいてはると思ってます。その神様がおっしゃるには、
山登りであればもう8合目。ここからは酸素も薄くなるし体も疲れている
だから、背負うモノは少なくしたほうがいい。」
たしかに、僕も60歳になるころに思った。
何もかもが面倒くさいと・・・・ある種の解放感を味わったんだ。
何物にもとらわれずに、囲われずに生きていけそうな気がしたんだ。
余計なしがらみなど糞くらえ!って。
何処かでそんな声が聞こえたんだ。神様の声だったんかな・・・・
そう、誰だって人に嫌われたくないし、好かれたい。
でも、自分を嫌いになってまで人に好かれて気持ちいいのか?
そんな疑問がいつの間にか心の片隅に鎮座していたんだ。
かといって自我を押し通そうなんて、何が何でも・・・なんて思ってもいないんだ。
「どっちでもいいんだよ・・・ぼくは」そんなことが山ほどあるからね。周りには。
右か左か白か黒か・・・どっちでもいいんです。そんな返事もありなんだ。
こんなふうにして日々すごしていくのか・・・
きょうも、ものすごく無駄な時間を過ごしたと言う思いでいっぱいだけれど
そんな怠惰な自分も許している。