新しい年が始まって、さてどうしょう・・・・
何も決めずに過ごしてきた5年間は無意味。
そんな日々でも、いつも感じていたのは、明日があるなんて思っちゃいなかったってコト。
くも膜下出血が重篤な病であることは知っていた。
そんな病に侵されたのは運のつきの人もいるだろう。
贅沢を言っちゃいけない。
この病に襲われたひとの1/3は確実に死ぬ。
そして1/3は寝たっきりて゜残りは後遺症に悩まされながら
違う病で死ぬ。
ガキの頃から稀少性の高い病と付き合ってきた。
訳の分からぬ高熱や痛みに出会ってきた僕は耐え抜くことを覚え、逃れ方を知り尽くしてしまった。
でも、それは問題の解決に至ることはない。
そう、対処療法。その場しのぎだったし、逃げおせるはずもない。
そうして、とうとう捕まったのだ。
死への誘惑は魅力的。
自由とはこのことだ・・・な~んて感じさせてくれる。
解放された気分に陥る。
しかし、自由は解放されることじゃないんだよね。
かつての職場仲間たちが、友人たちが急によそよそしくなって
「変わってしまったよね・・・あいつは」なんてことを風の便りで聞かされたりしても
それは僕じゃなくて誰かのコトのように聞き流して、だんまりを決め込むように
人のエネルギーの流れはいつだって変わって行くものなんだし
すべてを分かり合うとすることは無理なことなんだ。
だから、いま「ある」ことに夢中になれば・・・それが幸せだと思う。
明日に期待したりしているとろくなことにならないよ。
夕暮ればかりを気にしていると朝陽を見逃すことになるからね。
夜のしじまに身をひそめてばかりいると、
朝が来なかったりする。
本も読まず、音楽聴かず、ベッドで一週間も身を横たえていると
自分が無力で無能だということがヒシヒシと感じる。
鬱状態のぎりぎり。そうなってしまう。
逃れる方法はただ一つ。自分の無能さ加減を味わい認めてしまうコト。
だから、それがどうしたんだ?
無能のどこが悪い?
死ぬことが昔ほど怖くなくなったようだ。
深い眠りは魅力的だし、心地よいのだ。
ただ、眠ってしまうなぁ~と、実感せずに眠りにつけるようになればいい・・・
その為には身体的な苦痛が必要なんだ。
一心に痛みから逃れる方法を考えてしまうから、そして死ぬコトなど想像もできない痛みが必要なだけだ。
とは言うものの、
何もわかっちゃいないんだ。僕はね。
夕陽の赤い色に見とれてばかりいるからね。
ホント、何もわかっちゃいないんだ。
人生のことなんて・・・・。