みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
心に留まった風景など
私の好きなことを綴っているブログです♪

修羅物

2005年11月11日 | 雑感~芝居関連
 3月に出させていただいた会に、来年も出させて頂くことになりそうです。先生から連絡があり、『田村』を打つことになりそうです。「ちょっと上等ですが、『田村』(後・翔入り)と決めます。」と連絡が・・・(笑)詳しくはまた・・・ということですが・・・とりあえず中之舞のお稽古より、こちらのお稽古になりそうです。中之舞の曲に入るかと思っていたのですが・・・。どちらにしろ、私にとっては大きなステップアップになりそうです。その前に、『清経』を覚えています。前回休んでいるし、今度のお稽古は都合により月末で日にちも開いているのですが、これ一曲になりました。余計覚えてこないと(笑)難しい手はないのですが、長いから大変^^;少しずつ、謡の文句も覚えつつ覚える作業に入っています。たぶん、『清経』の後に『田村』のお稽古に取りかかることになりそうです。でも、私はまだどちらのお能も観たことがない・・・(^^;


 そして、修羅物(武士をテーマにしたお能)が続くし、初めてお稽古することになるので、ちょっと「修羅道」について調べてみました。よくお能の解説本では、「戦いに携わった人間が死後行くところ」「決まった時間に戦いをさせられる」とありますが、結構きついですね。仏教で死後人間が行くとされる「六道」については、このページに詳しく書かれていますが、修羅道は、人間が住む世界よりランクが下ですが、天界にも似た宮殿があるそうです。その理由は・・・(以下引用)
その阿修羅が支配する世界には、自分の妄執に取り付かれて、人を許す慈悲心を失った者が転生する。そして永遠に戦いの苦しみを味わい続ける世界である。 阿修羅(羅喉羅)はもとはトウ利天という天界の住人で、正義を司る神であった。ここの統治者が帝釈天である。 阿修羅は帝釈天に戦いを挑み、数度に渡って戦ったが敗れ、天界を追放された。 なぜ、こんな無謀なことをしたのか・・・・。阿修羅には溺愛してやまない、舎脂という美しい娘がいた、この娘に一目ボレをしたのが帝釈天であった。阿修羅もはじめは名誉なことと喜んだのだが、実はこの帝釈天は突然,舎脂をさらって凌辱してしまったのです。これを知った、阿修羅はもとが正義に神だけに許せない、こうして無謀な戦いを挑むことになったが、武勇無双の帝釈天にかなうはずがない。阿修羅は何度も戦いを挑むうちに、許す心を見失い、復讐の鬼と化し、天界を追われたのである。

 阿修羅が戦いを挑んだことは、なんだかちょっと理解できる気がします・・・。しかし、自分の妄執に取り憑かれ、慈悲を失ったために、永遠に苦しみ戦い続けるそうです・・・。(しかも勝つことはない)娘を思うあまりの行動だったのでしょうが、やはり人を憎むということは結局己を苦しめるのか?!と思いました。これは、現代にも通じるのでは?と思いました。悲しい人間の性というか・・・。(戦争だけではない)
 清経は、源氏の追っ手から逃れられないと覚悟をし入水しましたが、入水前に「南無阿弥陀仏」と十度唱えたので修羅道から逃れ成仏することができました。私が今お稽古している部分は、妻に「なぜ入水したか」ということを語るクセのちょっと前(「さては仏人三宝も」)から修羅道の苦しみを語るキリというか最後までです。
 『田村』は、まだ詳しく詞章などを見ていませんが、勝修羅三番の一つ。しかし、他の修羅物とはちょっと性質が違く祝言の要素が含まれているそうです。まだまだほんの少ししかかじってないけど、少しだけ「修羅道」の苦しみが分かった気がします・・^^;あと六道の内だと、「餓鬼道」もかなりきついなーと思いました(^^;。お能の奥深さを知ると、ますます奥が深くなり、難しさもあると思うけれど、ますます面白くもなります・・・。とにかく、『清経』を覚えよう・・・。