瀬戸内寂聴さんがどうしても書きたかったという世阿弥を題材にした作品。一昨年にNHKで瀬戸内寂聴さんの世阿弥の佐渡を歩くという番組がありました。その時に世阿弥の小説を書くための取材のために佐渡を訪れているというコメントをされていた寂聴さん。店頭で平積みされている本を見て、「あの時のか・・・」と思い手に取りました。寂聴さんの本(著作)は『源氏物語』を少しと、それこそNHKの世阿弥の番組のテキストくらいしか読んだことがないので、本格的に読むのは初めてです。
世阿弥の佐渡での最晩年を描いた作品ですが、前半部分は父親観阿弥と共に能楽を作り上げていく過程、将軍義満や二条良基や妻の椿との艶かしい(?!)関係が描かれています。
この小説では若いときの世阿弥よりも、佐渡島に流されてからの世阿弥の描写が良いと思いましたね。四章の世阿弥の身の回りの世話をしていた女性の視点から見た物語が一番面白く読めたでしょうか?老いても色気があるという魅力は伝統芸能の人に対して私も感じることです。なので、きっと世阿弥も若い時も老いてからも魅力的だったとは実物を見ていなくても想像できます。ただ「秘すれば花」という言葉が「恋」だけに向けられているような気がしました・・・。それも当てはまるとは思いますが、ちょっと違うだろうと思ったり(苦笑)
「花」は「色気だ。惚れさせる魅力だ。」、「幽玄」とは「洗練された心と、品のある色気だ。」
世阿弥の著書には「花」という言葉がたくさん出てきますが、ここは寂聴さんなりの見方でしょうか。「花」は確かに「魅力」ですが、言葉ではなかなか表現することができません。
それから能が発展していくために情熱をこめる世阿弥の姿、養子にした甥と実子との関係などが印象に残りました。これを読んで『砧』『俊寛』を見てみたいと思いました。歌舞伎の『俊寛』は見ていますが、お能の方は映像で少ししか見たことないのです。(映像はシテが観世寿夫のもの。)
世阿弥の著書『風姿花伝』は能楽以外にも通じることばかり。勢いに乗っているときの「男時(おどき)」とその逆の「女時(めどき)」などの対処法は現在にも通じるでしょうし、奥深いです。また世阿弥に関する本を読んでみようと思います。
あと、これを読んでこれはこれからの高齢化社会への寂聴さんからのメッセージなのだろうかとも少し思いました(笑)
世阿弥の佐渡での最晩年を描いた作品ですが、前半部分は父親観阿弥と共に能楽を作り上げていく過程、将軍義満や二条良基や妻の椿との艶かしい(?!)関係が描かれています。
この小説では若いときの世阿弥よりも、佐渡島に流されてからの世阿弥の描写が良いと思いましたね。四章の世阿弥の身の回りの世話をしていた女性の視点から見た物語が一番面白く読めたでしょうか?老いても色気があるという魅力は伝統芸能の人に対して私も感じることです。なので、きっと世阿弥も若い時も老いてからも魅力的だったとは実物を見ていなくても想像できます。ただ「秘すれば花」という言葉が「恋」だけに向けられているような気がしました・・・。それも当てはまるとは思いますが、ちょっと違うだろうと思ったり(苦笑)
「花」は「色気だ。惚れさせる魅力だ。」、「幽玄」とは「洗練された心と、品のある色気だ。」
世阿弥の著書には「花」という言葉がたくさん出てきますが、ここは寂聴さんなりの見方でしょうか。「花」は確かに「魅力」ですが、言葉ではなかなか表現することができません。
それから能が発展していくために情熱をこめる世阿弥の姿、養子にした甥と実子との関係などが印象に残りました。これを読んで『砧』『俊寛』を見てみたいと思いました。歌舞伎の『俊寛』は見ていますが、お能の方は映像で少ししか見たことないのです。(映像はシテが観世寿夫のもの。)
世阿弥の著書『風姿花伝』は能楽以外にも通じることばかり。勢いに乗っているときの「男時(おどき)」とその逆の「女時(めどき)」などの対処法は現在にも通じるでしょうし、奥深いです。また世阿弥に関する本を読んでみようと思います。
あと、これを読んでこれはこれからの高齢化社会への寂聴さんからのメッセージなのだろうかとも少し思いました(笑)