みゆみゆの徒然日記

日本の伝統芸能から映画や本などの感想、
心に留まった風景など
私の好きなことを綴っているブログです♪

今日は落ちてます・・・

2010年06月26日 | 能・狂言
 今日は2時間しか寝ていない。W杯の寝不足もあるし、完璧に睡眠不足のはずなのに、眠くもなんともない。ただ呆然としている。移動中もボーっとして車にぶつからないようにしなくちゃって気をつけていた。でも財布を忘れた。楽しいことも楽しさ半減。笑えることがあって、そのときは笑っているけれど、ふとした瞬間に暗くなっている自分がいる。

 だめだ、昨日の記事にも書いたように、祥人さんの突然すぎる訃報にショックを受けた自分ですが、あまりにもショック度が大きすぎる・・・・。

 でも、残されたご家族、お弟子さんたちのことを考えたら、こんな風になってはいけない。落ちている割にはこんなことを書いていますが、昨日(25日)の閑能会に行かれた方と今日電話したので、その方に伺った閑能会のお話を書こうと思います。

 昨日の閑能会に行かれた方は、同じく祥人さんおっかけ仲間であったお稽古仲間のおばさま。関根家主催の閑能会六月例会の番組は舞囃子数番、お能2番。そのうち祥人さんのご子息である祥丸君の舞囃子『田村』、お父上祥六先生の能『花月』が予定されていましたが、さすがに祥六先生はお能を舞えない・・・ということで休演。上田さんの代役だったそうです。ロビーには気丈に振舞う奥様、お母様(祥六夫人)のお姿もあったそうです。
 最初に祥丸君の『田村』が・・・。辛いでしょう、きっと辛いでしょう・・・・。でもそれが舞台に立つ者の宿命でしょう。きっとお父さんに習ったんでしょうね・・・。でも、立派に舞われたそうです。でも時々声が掠れるところもあったりして、見ているおばさまはもう思わず泣いちゃったそうです・・・。
 祥六先生はこう申し上げては失礼ですが、ただでさえ年齢からくる心配事も多々・・・。さらに、祥人さんの死という精神的に多大なるショックを受けられているでしょう・・・。もしかしたら自分が変わってあげたいなんて思っていらっしゃるかもしれない。もっともっと伝えたいことがたくさんあったでしょう。

 でも、舞台では他の知孝さんをはじめ、皆が「祥丸君を守っていく!」という気持ちに溢れていたとか・・・。最後は附祝言ではなく、故人を送る謡が謡われたそうです。観客の皆も口に出して祥人さんのことを話したりはしなかったそうだけど、でもやっぱりいつもとは違う雰囲気に包まれていたそうです。

 おばさまともお話ししていたけれど、祥人さんは祥六さん祥丸君とともに、上海万博ジャパンデー(だったかな?)の催しで中国公演を行われたり、オーバーワークだったのかもしれませんね。でも、過ぎ去ったことを言っても、もう祥人さんは戻ってきません。もう二度と彼の姿を舞台で観ることはできません。
 昨年の5月に横浜で行われた関根家三代の『石橋』はチケットを取っていましたが、自身の体調不良で断念。その断念したものを来週見ることができると思っていたのに・・・。順番からして、三代で見ることができるのも、祥六さんが元気なうち・・・と・・・。なのに、なんで・・・・。這ってでも、倒れてでも見に行けばよかった。1年前の自分に「這ってでも横浜に行って来い!」と言いたい。でも1年前の自分はこう思っていた。「祥人さんの能はまだこれからも30年くらいは見られるでしょ?」って・・・・。