≪健康管理に歩くことが見直されてきています。どんどん歩きましょう。≫
近鉄桜井駅⇒仏教伝来之地碑⇒金屋の石仏⇒平等寺⇒大神神社(三輪明神)⇒狭井神社⇒桧原神社(昼食)⇒天理市トレイルセンター解散。
約9.5km 約15000歩 いきいき健康ウォーキング
近鉄桜井駅前でブラブラ体操(ストレッチ体操)後、出発です
大和川を渡ります、
ここの堤防からの景色、眺めたことあります。ちょうど桜満開の春でした。 ⇒こちら
大和川を渡ったところの堤防の一角に 仏教伝来の地碑
チラっと見ました。歩きは続きます、
金屋の石仏
コンクリート造りの小堂に安置されている石仏は、格子越しに拝観
⇒どんな様子なのかちょっとわかりにくい・・・
平等寺
『山の辺の道』の歩きは続きます、
大神神社
右:”巳の神杉”
大神神社は石上神宮と並んで日本最古の神社とされています。円錐形の三輪山をご神体として大物主(おおものぬし、大物主大神)を祭っている神社です。この神社は全国各地より参拝客が訪れ人気の高さがうかがえます。拝殿横には、”巳の神杉”があります。ここには神様の使いである、蛇が住んでいるとされお酒や卵が供えられています。
桧原神社でお弁当タイム、そして集合記念写真撮影
ここの境内に立つと、鳥居の向こうの遠くに二上山が見えます。
ほら、二上山の鞍部への落日 ⇒こちら
柿畑やみかん畑の中を 天理市トレイルセンターへ。
ここで、解散でした。
JR桜井線「柳本駅」まで徒歩で、天理で近鉄に乗り換えです、ホームに京都行き急行が・・・ラッキーでした。
山の辺の道は何処を歩いても、のどかな里山景色を楽しみ、そしてところどころの無人の野菜店に立ち寄ったり・・・柿大好き人のわんちゃんにとって、普段買い求めている柿よりも美味しそう、何よりもお手頃価格、自分へのお土産に即、買いました。帰りの荷物がちょっと重かったですわ。
こんなテントウムシ居ました
ナミテントウ
「わんちゃんチャの花やね?」っとIさんが。
【おまけ】
山の辺の道とは?
山の辺の道は日本書紀には存在が確認されている『日本最古の官道』です。
奈良県は地質学的に海→湖→奈良盆地となったことが知られていますが、奈良県が湖だった時代に湖のほとりに自然に発生した道と考えられています。山の辺の道が注目を集めだしたのはここ数十年のあいだのことです。厳密には現在の”山の辺の道は”古代からとコースが異なるようです。歴史上では日本書紀に”山の辺の道”も記述が見られる、少なくとも1300年以上の歴史があるということになります。
クリックで拡大します
↑パンフレット参考にさせていただきました、アリガトーです。
近鉄桜井駅⇒仏教伝来之地碑⇒金屋の石仏⇒平等寺⇒大神神社(三輪明神)⇒狭井神社⇒桧原神社(昼食)⇒天理市トレイルセンター解散。
約9.5km 約15000歩 いきいき健康ウォーキング
近鉄桜井駅前でブラブラ体操(ストレッチ体操)後、出発です
大和川を渡ります、
ここの堤防からの景色、眺めたことあります。ちょうど桜満開の春でした。 ⇒こちら
大和川を渡ったところの堤防の一角に 仏教伝来の地碑
チラっと見ました。歩きは続きます、
金屋の石仏
コンクリート造りの小堂に安置されている石仏は、格子越しに拝観
⇒どんな様子なのかちょっとわかりにくい・・・
平等寺
『山の辺の道』の歩きは続きます、
大神神社
右:”巳の神杉”
大神神社は石上神宮と並んで日本最古の神社とされています。円錐形の三輪山をご神体として大物主(おおものぬし、大物主大神)を祭っている神社です。この神社は全国各地より参拝客が訪れ人気の高さがうかがえます。拝殿横には、”巳の神杉”があります。ここには神様の使いである、蛇が住んでいるとされお酒や卵が供えられています。
桧原神社でお弁当タイム、そして集合記念写真撮影
ここの境内に立つと、鳥居の向こうの遠くに二上山が見えます。
ほら、二上山の鞍部への落日 ⇒こちら
柿畑やみかん畑の中を 天理市トレイルセンターへ。
ここで、解散でした。
JR桜井線「柳本駅」まで徒歩で、天理で近鉄に乗り換えです、ホームに京都行き急行が・・・ラッキーでした。
山の辺の道は何処を歩いても、のどかな里山景色を楽しみ、そしてところどころの無人の野菜店に立ち寄ったり・・・柿大好き人のわんちゃんにとって、普段買い求めている柿よりも美味しそう、何よりもお手頃価格、自分へのお土産に即、買いました。帰りの荷物がちょっと重かったですわ。
こんなテントウムシ居ました
ナミテントウ
「わんちゃんチャの花やね?」っとIさんが。
【おまけ】
山の辺の道とは?
山の辺の道は日本書紀には存在が確認されている『日本最古の官道』です。
奈良県は地質学的に海→湖→奈良盆地となったことが知られていますが、奈良県が湖だった時代に湖のほとりに自然に発生した道と考えられています。山の辺の道が注目を集めだしたのはここ数十年のあいだのことです。厳密には現在の”山の辺の道は”古代からとコースが異なるようです。歴史上では日本書紀に”山の辺の道”も記述が見られる、少なくとも1300年以上の歴史があるということになります。
クリックで拡大します
↑パンフレット参考にさせていただきました、アリガトーです。