しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

和気清麻呂

2021年04月15日 | 銅像の人
場所・岡山県和気郡和気町藤野 和気神社前
ブロンズ(茶色塗)
作者 朝岡文夫
像高 463cm 台高 180cm
昭和59年3月建立




「岡山彫像」 岡山文庫 平成元年発行

天文5年(733)藤野の生まれ。
国政に参与し、長岡遷都・平安京建設などの業績あり、
宇佐八幡宮に使して弓削道鏡の野望をくじいいた話は有名。






戦前は天皇家を護った英雄。
戦後は平安京遷都などが事績として紹介されている。










和気清麻呂 (733~799)

現在和気町にぞくする藤野郷の豪族和気氏の出生と伝えられる。
早くから奈良朝廷に仕え、
藤原仲麻呂の乱の鎮圧に勲功があった。
また大宰府の宇佐八幡に詣でて、神託によって道鏡の陰謀を覆したのは神護景雲3年のこと。
延暦23年、62歳の時には彼の健言が入れられて、都は平安の地に移る。
清麻呂は造営太夫として工事を指揮したが、工事半ばにして率した。

乱による犠牲者の救済、また棄子83人を養育して
わが国孤児救済事業の始まりとなった和気の広虫は、清麻呂の姉である。

「岡山の人物」  黒崎秀明  岡山文庫 昭和46年発行




和気の清麻呂

和気氏が美作から備前東部にかけて勢力をもっていた豪族であることは、ほぼ正しい推測であるといえる。
和気氏を代表する人物が、和気清麻呂であることはよく知られている。

清麻呂とその姉広虫とが、宇佐八幡の託宣を奉じて、道鏡の帝位就任を退けたことは、戦前の歴史教科書では特に有名であるが、
清麻呂については、その開発土木事業に注目しなければならない。

「おかやま人物風土記」 岡山県広報協会  平成14年発行










撮影日・2007年5月2日



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉備真備

2021年04月15日 | 銅像の人
場所・岡山県倉敷市真備町  (倉敷市真備支所)






吉備真備

奈良朝の政治、学術、文化の上に吉備真備の残した足跡は大きい。

その出生は吉備郡真備町八田に生まれたと伝えられる。
父が下道朝臣(しもつみちあそん)国勝という勢力者だったから、真備は早くから奈良の都へ上って学問をし、
23歳の春には派遣学徒として唐へ渡った。
同行の中に当時16歳の阿倍仲麻呂もいた。

この地で真備は19年間にわたって、儒学、暦学、天文、度量衡、武術、音楽など多方面の学問芸術を習得し、
帰朝すると大学助に就任した。
同時に皇太子の教育を担当する東宮学士という役目も与えられる。
この皇太子が孝謙天皇で、真備は再度、遣唐副使として唐にわたるのである。

この再唐にさいして真備には大きな役目が課せられていた。
それは唐の名僧鑑真和上を日本へ招聘することである。
仏教の権威を高めるため、どうしても高僧の来朝が必要だった。
その後の日本仏教界に彼が重きをなしたことはいうまでもない。

天平勝宝押勝の乱を、軍師として鎮圧した。すでに70歳だった。
晩年は愛用の琴一面をたずさえて郷里に帰り、光風霽月を友にして余生を送ったという。


「岡山の人物」  黒崎英明  岡山文庫  昭和46年発行








撮影日・2011年7月10日




コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宮本武蔵

2021年04月15日 | 銅像の人
場所・岡山県美作市  リゾート武蔵の里五輪坊





宮本武蔵

宮本武蔵の伝記に関しては、今なお不明な点が多い。
殊に、その出生地、実父、養父のことは異説が多く、とうていまとまりがつかない。


武蔵自筆の『五輪書』から、要約すると、
天正12年に播州で生まれた。
13歳で有馬喜兵衛に勝ち、16歳で但馬の秋山其に勝ち、21歳で京にのぼり数度の他流試合に勝ちを制した。
28.29歳までの間に66度の試合をして、一度も負けなかった。
30歳を越してからは、剣法の理論にうちこんで他流試合をやったが、
50歳ごろ、自然と剣の奥義に目を開き以後は剣理によって自得した。
その兵法を二天一流と称し、肥後岩戸山において『五輪書』の執筆を始める。時に60歳。


『五輪書』に書き漏らしている事項はひじょうに多い。
慶長5年、17歳、関ケ原合戦に出たという説があるが、一言も触れていない。
慶長9年、21歳、その頃行われたと思われる吉岡一党との決闘に触れていない。
慶長17年、29歳、巌流島の決闘のことも書いていない。
慶長・元和の大阪の陣、31.32歳、武蔵は陣場稼ぎに出たらしいことになっているが、触れていない。
32歳以前の彼の履歴は、ほとんど何も判明していないし、
古文書類も皆無というに等しいのである。


「日本剣豪100選」  綿谷雪 秋田書店  昭和46年発行  







撮影日・2009年4月18日
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする