しろみ茂平の話

郷土史を中心にした雑記

平清盛像 ~音戸の瀬戸公園、つつじ満開~ 2021.4.26

2021年04月27日 | 銅像の人



テレビ放送(4.25夕)で見ごろを確認、翌4.26は全国的に晴れ予報だったので、
音戸の瀬戸公園に行ってきた。
見事なつつじで、感動ものだった。










・・・・


場所・広島県呉市警固屋 音戸の瀬戸公園(高烏台)





平清盛

清盛は、戦前の教科書によって、権勢を誇る悪役として知られていた。

ところが戦後、この清盛の衣の下に、
国際感覚に富んだ新しい人物像が再発見された。

音戸の瀬戸を修築し、船の通行を可能にしたのは、若き日の安芸守清盛である。
遣唐使を廃止して、閉鎖的な国粋主義が横行していた時代に、
清盛は、西に大宰府をおさえ、東に神戸港を築いた。
音戸はそれを結ぶ海路である。
雄大な彼の構造にあったのは中国貿易だった。

【君よ今昔の感如何】
と語りかけているのが、『新・平家物語』の作者、吉川英治の文学碑である。


「日本史探訪・源平の乱」  角川文庫 昭和59年発行










撮影日・2021年4月26日



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阿久利姫

2021年04月27日 | 銅像の人
場所・広島県三次市 尾関山公園




阿久利姫

三次藩の藩祖・浅野長治の娘・阿久利姫は赤穂藩主・浅野長矩に嫁いだ。
江戸城松の廊下で刃傷沙汰の結果、長矩は切腹、赤穂藩は改易となった。

長矩と阿久利姫の縁組は、姫がまだ生まれて間もない頃から進められ、長矩が17歳、姫が10歳の祝言があげられた。
長矩が切腹後、阿久利姫は落飾して「瑤泉院」と称し、1714年45歳で逝去するまで夫の菩提を弔ったという。

「あなたの知らない広島県の歴史」 山本博文 洋泉社 2012年発行








妻たちの赤穂事件

赤穂浪士の物語は、日本男子にとって、一つの美学なのであろう。
”男泣かせ”の要素に満ち満ちている。

初志を貫く清々しさは心うつ。
大義に命をかける男たち、
むくわれぬ愛に身を捧げる女、
共に崇高な精神である。
うっとりと酔い痴れ高い観劇料を払うのも、むべなるかな。


瑤泉院は、幕府より縁組の許可がおりるのは長矩9歳、阿久里2歳。
3年後、長矩の屋敷に引越す。
長矩17歳、阿久里10歳で結婚。
長矩自刃35歳、阿久里28歳。ただちに剃髪。

夫人は一室に閉じこもり、夫の冥福を祈ったと伝えられる。
長矩自刃後14年目、彼女はその生涯を終えた。41歳であった。


「歴史読本 昭和56年12月号」  新人物往来社  昭和56年発行





撮影日・2019年11月20日



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